愚者への性教育
意識の低いヴァイオレットを諭すように、ルロイは立ち上がって棚から書類を取り出して、机におきながら説明をしだす。
「選考から漏れた論文にもいい発想のあるぞ。ま、それはともかく、魔力波形ってのが発表される予定なんだ。それによると、魔力には特定の波形があり、その波形を測定すれば生物としての全盛期がわかる、というものだ。今までは単純に強さや性質を調べていたのが多いが、個体の魔力ごとの変動に焦点をあてたのは珍しいだろ?」
再度ベッドに座ったルロイに、ヴァイオレットは書類を手にとってぱらぱらとめくりながら相づちをうつ。
「波形ねぇ。肉体で言うと、一定年齢から筋力が衰える、みたいなことか。年齢により若年、青年、老年で、個人によって異なるはずの魔力に、年齢別で同じような特徴を持つ、特定の魔力波形と言うのが検出された、ということ?」
「そうだ。波形、と言うのがまだ感覚的にしか掴めてないが、ようは魔力の新たな測定域だからな。場合によっちゃ、魔法の新たな一部門になるかもしれん」
「確かに興味深いし、今の私の悩みともあうけど、それ、信憑性は?」
「48人の短命、長命を問わずに顔が見えないようにして測定をして、だいたいの種族においての年齢層を正確にあてている」
「うーん」
正確に、と言っても、ぶっちゃけ不正のしようはいくらでもある。意図的ではなくても、48と言う少ない被験数では偏りがあったり偶然の入る余地は大きい。
まだまだ未開拓な分野なのだから仕方がないとは言え、仮にそれでヴァイオレットの波形をはかってまだ若いと判定されても、微妙だ。
「お前の懸念もわかるけどよ、これから本腰入れて研究がすすんだとして、じゃあお前はどの段階で納得するんだよ。一般にまで浸透してからか? 何十年待つつもりだ。むしろ、今までなかったのが見つかったんだから、ベストタイミングだろうが」
「んぐ。それはそうだけど」
「とにかく、詳細聞いてみて、実際に調べてみてから、話はそれからだろうが。アポとってやる。いつがいい?」
そう尋ねられて、ヴァイオレットも前向きになる。確かにそうだ。最初から後ろ向きになってどうする。
気持ちを切り替えて、ヴァイオレットは最後のページをめくって著者情報を確認する。
「ん。できるだけ早くがいい。ありがとう。なんなら今から行って自分でアポとるよ。これは……学生か。え、天才なの?」
「天才か自称かはまだわからんだろ。いつでもいいなら、今日の昼休み狙っていくか。後輩だし、ことわりゃしないだろ」
「パワ、いや、なんでもない。そうだね。そうしよう」
パワハラでは? と思ったヴァイオレットだったが、今世ではそんな概念は存在しないので、なかったことにする。
「おう。てことで、早めに出て昼食ってからにしても、ちょっと時間あるな。……聞いてもいいか?」
「ん、何? 親友の質問を無下にしないよ」
真剣な顔だけど、ヴァイオレット側の真剣な話はひと段落ついた。なので肩の力を抜いて、ヴァイオレットが軽くそう促す。ルロイは苦笑して、後ろ手をついてリラックス姿勢になった。
「お前から親友って言ってくるとか、なんか恐いな。それはともかく、介護ってことは、別にあの娘、ナディアみたいなタイプを恋愛対象として好みだったとか、そういうことで引き取ったんじゃなかったのか」
「ん、まぁ、最初はね。女同士だし」
今では、女同士とか、そういう事は気にならない。と言うか、元々子供ができないヴァイオレットにとっては気にする問題ではなかったのかもしれない。
吹っ切れたヴァイオレットは、相手が相手なので気恥ずかしくはあるものの、真摯に答えることにした。
「女同士だし? てことは、お前は男の方が好みだったのか?」
「いや、そういう訳じゃないよ。ていうか、言ったでしょ。私は性別のないホムンクルスなんだから。子供も持てないし、恋愛とか縁遠いと思ったたし、無意識に遠ざけてたのかもね」
「は? 何言ってんだ? お前の中につくれなくても、相手に作ってもらえばいいんだから、お前くらいの魔力があれば支障はないだろ」
「……は? 魔力?」
「ああ、何だその反応。と言うか、そもそもお前が女だとして、ナディアは女ではないだろ。実際には女と言えるかも知れんが、エルフ的には女同士ってことは否定するんじゃないか? プライドの高い耳長族にとって、男は魔力劣化を補う進化であり、退化と認識しているらしいぞ」
「……んんー?」
ルロイが言っている意味が全く分からない。魔力があれば、相手につくってもらえばいい? そしてナディアが女であって女でない? 男が退化?
頭の中で繰り返してみたけれど、やはり意味が分からない。いや、落ち着こう。そして冷静になるんだ。
男であることは、退化。つまり、男と女に分かれる前、この世界の人間は雌雄同体だったと言うことなのか。そして、ナディアは、エルフは性別に分かれる前の雌雄同体ということなのか?
しかし今ルロイは実際に女と言えるかも知れん、とも言った。では女ではないのか。美しい顔や、華奢さは除いたとして、胸だって服の上からあることがわかる程度にある。
「え、ちょっと待って、意味が全然わからないんだけど、ちょっと、ひとつひとつ、質問してもいい?」
「いいけど、なんだよ」
「もしかしてなんだけど、私、異世界の知識があるっていったよね、それで、もしかしてなんだけど、めちゃくちゃ勘違いしてるかもしれないから、一応聞くんだけど、子供って、どうやってできるの?」
「……は? 正気か? お前今まで、50年生きててなにしてたんだ?」
「う、うるさい。そこはツッコまないでよ」
ヴァイオレットだって、こんなことを聞くのは恥ずかしいに決まっている。子供のつくりかた、なんてのは親が子供に質問されたくないナンバーワンと言ってもいい。少なくとも成人してするものではないし、まして弟分に近い同期に聞くとか、恥ずかしすぎる。
でもしょうがないではないか。ナディアの外見とか、雌雄同体とか、魔力でつくるとか、意味が分からない。ここはもう、そもそもの人類の成り立ちから教えていただきたい。
「と言うか、オーウェンに師事したと言ってただろ。どうしてそんなことを聞くんだ?」
「いや、基本的すぎることだし、種族がわかれてたりはするけど、基本的に前の世界と人間の外見、生態がほぼ同じだから、普通にその辺は同じだと思ってあえて教わってないんだけど、なんか今の会話でもしかして誤解してたのかもしれないから、教えて欲しいな、と」
「……いや、めっちゃ抵抗あるんだけど」
「気持ちはわかる。わかるけど、頼める相手が他にいないんだ」
真剣に頼み込む。この世界において、性教育、と言ったものは学校で習うような概念ではない。ごく普通に家庭で親から習っていくものだ。図書館でもそう言った資料は見かけたことがない。誰かに師事を請うしかないのならば、事情を知っているルロイにしか頼めない。
そんな鬼気迫る勢いで頼むヴァイオレットに、ルロイは普通に引いた顔で応える。
「えー。文字で学べよ。えーっと、確か性分化の必要性と歴史、種族による性差、みたいな感じの論文があったような」
「え、そんなのあったっけ? 書籍になってないやつ?」
拍子抜けして尋ねると、ルロイは面倒そうに眉をよせながら立ち上がり、書棚に向かう。そして棚を開けて書類を確認しだす。
「なってる。確か、60年くらい前の古いやつだが。どこ行ったかな」
「60年! えぇ……いや、内容全然専門分野じゃないし、授業で使うレベルのでもないんでしょ? よく知ってるね」
「まぁ、一通りはな。さすがに、全論文とまでは言えんが、100年分くらいは一通り目を通している」
「んん!? え、なにそれ、こわ」
「なんでだよ! 職務の一環だろうが」
人の論文を読むことは仕事の一環なのかもしれないが、100年分とか、馬鹿か。天才過ぎて一周回って馬鹿か。ドン引きしかない。ヴァイオレットに対して軽いノリなので、つい誤魔化されそうになるが、ルロイは完璧に真面目人間だ。
「あ、あった! ほれ、前提条件として基礎的なことも、簡単に書いてあるから」
「あ、ありがとう」
学術的なものなので、これは助かる。もちろん、ルロイからだって淡々と事実だけを教えてもらいたいのだけど、文字にすると何でもない言葉も、直接顔を合わせてすると気恥ずかしいこともある。
ルロイは、ヴァイオレットに論文を渡すと、昼には戻ると言って席を外した。
待たせても申し訳ないけれど、傍にいられても微妙だ。集中しようと思ったらできるけれど、ルロイの心境を思うと無理もない。
とにかく読んでみる。
なるほど。既知のことであると前置きしつつも、丁寧に生物繁殖から書いてくれている。
それによると、この世界における生物とは総じて魔力繁殖である。すべての生物は魔力を持つ。そして生命を育む器官内に二者の魔力が一定量混合して注入されることで反応し、新たな生命となる。この生命を育む器官と言うのは、ほ乳類であれば子宮であり、魚類であれば卵になる。
全く生物としての繁殖方法が異なるにも関わらず、魔力繁殖と言うのは共通しているのは不思議に感じられたが、ヴァイオレットのかつていた世界も同様であったことを思い出した。
そしてそもそも、この世界は全ての生物が無性であったと書かれている。信じがたいが、人間すらそうであったらしい。細胞レベルだった段階で元々無性だった、と言うなら受け入れられたが、人間まで進化してもまだ無性であったとは。
しかしそれは前提条件として書かれているし、これを読んだルロイが教科書代わりに渡してきているのだ。つまり、考察はともかく、この部分は歴然とした事実に相違ないのだろう。
人間に限って言えば、全ての生物が魔力をためて子をつくる子宮を持ち、子宮へと魔力を注ぎ入れる魔力道は口内にあり普段は閉じられている。性交により子宮に魔力をためて子をなし十分に成長すれば、お臍のすぐ下にあり普段は隠れている生命道が開き、子が出てくると言うのが一般的な子供のでき方だったようだ。
ヴァイオレットは己の狭量な価値観で、どうせ同じだろうと師事を断ったことをひどく後悔しながら読み進める。
様々な特徴を持つ種族に分かれてなお、無性でありどんな相手でも子供ができていた人間。だが、ある時期を境に徐々に人に限らず生命の持つ個人の魔力量が減少していった。魔力量が少ないと、子宮内に魔力がたまる量が減るため、自然と子供の数が減る。そうして少子化になってしばらくして、突然変異として生命道の入り口上側に、魔力を排出する器官をもった子が生まれだしたのだ。
同時多発的に生まれだしたその奇形児は、しかし相手の生命道に直接排出器官をいれて魔力を注ぐことで、口内の魔力道から長い距離を通らずに直接子宮内に魔力を注げることで、少ない魔力でも確実に子をなせるようになっていた。
最初は外見的には、排出器官があるかないかしか差がなかったが、徐々に排出器官を持つものは魔力道から魔力をそそがれても、排出器官を持たないものより圧倒的に子を授かりにくくなり、体が大きく丈夫にと外見的にも変化が表れだした。
そしてその数が増えていったことで、昨今では産ませやすい側を男性、産みやすい側を女性として、性別という概念によって区別されている、と言うのが性分化の歴史のようだ。
続く論文内容には、性差は魔力減少によりできたことから、人類が劣化したと認識されているが、人類全体での魔力量で見れば変化していないことから、世界の魔力量が決まっているのではないか、だとすれば発展による人口増加、そして魔力減退は避けられぬことであり、魔力に頼らない新たな人類の進化の途中ではないかと考察されている。
さらに種族によって性差が異なるのでその追求へと続くが、ひとまずここで論文を置いた。
「……まじか」
ここまででもう、お腹いっぱい過ぎた。自分の体には、下腹部にも口内にもそう言った器官はない。単なる自認ではなく、目覚めたすぐに、オーウェンが検査して性器がなく子供をなせないと言われているので間違いない。
しかし、その性器と言うのがどういったものであるのか、聞かなかった。この内容をそのまま信じるなら、性器がなかろうと魔力があるヴァイオレットは他者に魔力が注げるので、子供を自分でつくれなくてもつくらせることはできる、ということだ。
それがたとえ男でも女でも、生まれつき生物として体内に子宮がない人間はヴァイオレットを除けば存在しない。病や怪我によって妊娠できないと言った事例はあれど、たとえ男でも確率が低いが絶対に子供ができないわけではなく、あくまで注ぎこまれる魔力量によるようだ。つまり、魔力が豊富なヴァイオレットは、どんな相手でも妊娠させられると言うことだ。




