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不安と混乱

 それから三日後、ヴァイオレットはようやく完治した。もう熱っぽくもないし、咳もない。

 改めて一人になって思うけど、恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。年下のナディアに死ぬほど甘えてしまった。つらいから手を繋いで傍にいてほしいと言ってその通りにしてもらって、大好きとかこれ幸いと同情してもらってる状況で告白して好意的な返事もらって喜んでた。

 率直に言って、思い出しただけで死にそうなくらい恥ずかしい。


「おはようございます、マスター。本当にもう大丈夫ですか?」

「おはよう、ナディア。大丈夫だって。昨日も言ったし、その上で昨日一日様子見たんだから、さすがに納得してよ」

「まぁ、そうですけど。でも、本当に心配したんですからね。もう、体調崩すのやめてくださいよ」

「気を付けるよ」


 もうやめてとか言われても、さすがにじゃあやめるね、とは言えないけど。できる限り気をつけよう。仕事で不規則な生活リズムになるのも控えないと。


 それにしても、こうして心配してくれるナディア、可愛い。そして好きだ。

 恋愛感情と自分でも認めたし、その上で二日間ナディアに付きっ切りでずっとどきどきしてたし、さすがにちょっと慣れてきたけど、だけどやっぱり、ドキドキしてしまう。

 ヴァイオレットは50歳だ。だけど、この50年、全く惚れた腫れたと無縁の生活だった。生活に精一杯だったり、勉学が楽しかったり、仕事に夢中だったりして、自分でも驚くくらい枯れた日々だった。

 多少、自身が子供のできない体なので、あまり関わりたくないと意識的に避けてきた部分も否定はできないけれど。だけど恋したけどかなわなかったとか、無理に我慢していたと言うことはなかった。


 なので実質、というか普通に、初恋と言っていい。そんな初恋の美しい少女が、献身的に自分を慕ってくれているのだ。こんなのはもう、どうしたらいいのかわからないくらい、ときめくに決まっている。

 笑顔一つで動揺してしまうくらいなのに、気安く距離をつめてきて、じっと魅惑的な瞳で見つめてくるのだ。はぁ、ため息が出そうなほど美しいナディアに、呼吸が熱くなりそうだ。


「今日からお仕事ですけど、外に行かれるんですか?」

「うん、そうだね、さすがに間が空いてしまったし、一言言っておかないといけないところもあるし。ああ、お礼もね」

「そうですか……あの、マスター」

「ん、なに?」


 急に雰囲気のある感じで呼ばれた。そんな真剣な顔は、いつもの幼さが減ってより美しくて、そんな雰囲気じゃないのにドキッとしてしまう。どんな顔でも、好きかも知れない。

 幸いと言うべきか、これだけ動揺していても、長い社会人生活によって培った外面で平静を保っているように見せかけることはできる。


 促すとナディアは、真剣な、ちょっと恐いくらいの顔でヴァイオレットを見つめたけど、しばらくしてぽっと頬を染めて目をそらした。


「……う、えと、その……だ、大事な話が、あるので、夕食の時間には、帰ってきてくださいね」

「え、うん。わかったよ。と言うか、そんなに大事な話なら、今聞くよ? 急ぐって程の用事じゃないし」

「う、それは、心の準備が……うう。うーん、でも、その……で、出がけに! マスターの出がけに言います!」

「え? 出がけに?」


 ちょっと意味が分からない。大事な話なのに、出かける時のどさくさで言うのか。首を傾げるヴァイオレットに、ナディアはちょっとだけ涙目になる勢いで睨んできた。


「は、恥ずかしいんですもん! もう! 察してくださいよ!」

「え、ああ、うん、ごめん。鈍くて、じゃあ、出る時に声かけるよ」

「はい……っ!」


 全然察することができない。大事な話なのに出がけの立ち話でさらっと言いたくて、恥ずかしい?

 気合を入れた返事をされたけど、わからない。と首をひねりながら朝食を終えて、部屋に戻ってからはっとした。


 大事だけど、恥ずかしい話。もしかして、お赤飯な話!?

 考えてもいなかった。ヴァイオレットはすっかり忘れていたが、女性には生理と言うものがあるが、ナディアがそう言った処理をしていると言う話も聞かない。もし、まだだとしたら? 外見的にはあっておかしくない年齢だったが、エルフとしてはこのくらいからなのかもしれない。


 だとしたら……なんだろう。この気持ちは。成長して一歩大人になるナディアが、微笑ましいような、もっと美しくなるのかと期待で嬉しいような、だけど、ナディアが成長して巣立っていく日が近づくようで悲しいような。

 とても複雑で、一言では言い表せない。いや、定番として、おめでたいことなのだけど。


「……いやいや」


 まだそうと決まったわけではない。と言うかとっくになっていたとしてもおかしくないし。ていうかエルフにも生理があるのか。確か、ハーフエルフと言う存在があったはずなので、つまり他の多種族同様に異種族交配可能だったはずだ。と言うことは、基本的な繁殖方法に違いはないのだろう。

 とすると、ヴァイオレットの知識に基づくと生理があることになってしまう。


「……」


 とりあえず、違う可能性もあるけど、もしそうだとしたら、親代わりとして祝ってあげなければいけないだろう。しかしこの世界の慣習を知らない。お礼ついでに、ルイズにでも聞くしかないだろう。

 正直、こういったことを質問するのも恥ずかしいが、学園時代の同期生の、今の仲のいい同性のところに改まって訪ねてまで聞くというのも、どう思われるかと思うと恥ずかしい。

 同期と言っても、年下ばかりなのをいいことに、姉貴風ふかしていた自覚はある。年配で頼りになる女性となると、すぐには思い浮かばない。


 仮にナディアの大事な話が、そう言うものではなかったとして、大事な話と言うのは悩みかもしれない。そうなるとヴァイオレットで応えられるかどうか。頼りになるあては考えておいて損はないだろう。


 ヴァイオレットはどんな大事な話なのか、他のパターンも色々と考えながら、身支度を整えた。









「ナディア、そろそろ行くけど、いい?」


 荷物を背負ってキッチンに顔を出すと、ナディアがびくっとわかりやすく肩をゆらして、飛び上がるようにこちらにやってきた。

 ヴァイオレットの前まできたナディアは、ヴァイオレットの顔をみあげ、ぼっと火が付いたように真っ赤になって一歩先に玄関に向かう。


「お、おおお見送りします!」

「え、あ、うん。ありがと」


 いつも玄関まで見送ってくれるので、おかしいことはないし、嬉しいけど。大事な話と言うのは、そんなに恥ずかしいものなのか。

 何だか嫌な予感がしてきた。だって、こんなに真っ赤で、まるで、恋する乙女みたいではないか。可愛いけど、可愛いけども! もうぎゅっと抱きしめたい愛らしさだけども!

 でも、こんな可愛い顔をする、恥ずかしい大事な話って。こわい。なにそれ。もしかして大事な人ができました感じなのだろうか。


 いつか来るとは思っているけど、恋心を自覚したばかりだ。まだ、そんな心の準備が。動悸がはげしくなってきた。ナディアの可愛さ故じゃなくて。


 玄関で靴を履き替えて、玄関ドアを開けて一歩出て、ナディアを振り向く。ナディアはドアノブに手をかけて、真っ赤なままどこか不安そうに瞳をゆらしている。


「あの……マスター」

「う、うん、なにかな」

「……わ、私。その、ずっと、待たせて、申し訳ないと思ってるんですよ?」

「え、うん。そんなの全然気にしなくていいよ?」


 待たせて、とは今か。ずっと、と言うほどではない。いや、体感的には長く感じているけど、実際には普通に歩いて移動したし、沈黙を入れても、数分もない話だ。


「ナディアを待つくらい、なんてことないよ」


 そうだ。何を慌てていたんだ。ナディアが大事な話があると言っているのだ。それがどんな内容であれ、どんと慌てず冷静に受け止めてあげなければ。

 どんな話でも、まずは話してくれてありがとう。一番に言ってくれて嬉しい。勇気をだしたね、とそれが正しい保護者の形だろう。


 ヴァイオレットがどんな感情を持とうと、ナディアの保護者であることには変わりがないのだから、しっかりしなくては、とヴァイオレットは自身に喝を入れた。


「だから落ち着いて。ちゃんと言えるまで、待っているから」

「は、はい……ありがとうございます、マスター。大好きです」

「ひぇ、えへへへ。ありがとう、ナディア、私も大好きだよ」


 ヴァイオレットの言葉で心を落ち着けてくれたのか、ひとつ深呼吸をいれたナディアは、はにかんでそんな可愛いことを言うので、変な声がでてしまう。誤魔化すように返したけど、心臓がうるさいくらいだ。

 耳がいいナディアに聞こえたりしないか不安になりそうなくらい、ドキドキしている。それでもなんとか、平静を装う。


 平然と見えたはずだ。なのにナディアは、ヴァイオレットの返事に、むぅとわかりやすくむくれた。眉を寄せて顎をひいて、頬を膨らませた。

 まさか、本当に鼓動が聞こえている!? 変な汗が出てきた。


「え、な、なに、私、何かおかしなこと言った?」

「おかしくないですけど、もう! そうじゃありません。もー、マスターは鈍いんですから、そうじゃなくて、その、ずっと、マスターの求婚を保留にしてたじゃないですか」


 んんんんっ!? じゃないですか、とか言われたけど意味が分からないぞ!? 求婚!?


「だから、その……私、マスターのこと好きですから。その、ま、まずは、恋人から、お願いします。っていうことです! もうもう! もー! 恥ずかしいんだから察してくださいってば!」

「ご、ごめん。気づかなくて。その、あ、ありがとう。勇気をだしてくれて。嬉しいよ」


 照れ隠しだろうけど怒られて、混乱する頭で殆ど反射的にそう返事をする。そんなヴァイオレットに、ナディアは真っ赤なまま、とろけそうなほど愛らしい表情になる。

 それに考えるより先に見とれてしまうヴァイオレットに、ナディアは照れて笑いながら、両手で自分の頬を挟むようにして顔を隠そうとする。


「うふ、ふふ。えへへへ、もー、許してあげますぅ。ふふ、もう、やだ。変な顔になっちゃう。もー。き、気持ち整えるから、もう、行ってください、帰ってきたら、ご馳走ですよ!」

「う、うん。ありがとう。楽しみにするよ。じゃあ、行ってきます」

「はい!」


 流されるまま、思考停止したまま家を出た。ナディアに手を振って見送ってもらい、足は習慣で勝手に城へ向かう。


 向かいながら、じわじわと思考が回復してくる。


 ……好き? え、好き? 恋人から? そして求婚していた? ちょっと、ちょっと全部聞いても意味がわからない。何か大きな誤解があるようだが、しかし、重要なのは一つだろう。

 ナディアはヴァイオレットが、恋愛感情で好きなのだ。


 嬉しい!!!! と思う。思うけど、でも、ヴァイオレットは50歳だ。そんな素直に恋人とかして、先に死んだらどれだけナディアを傷つけるだろうか。何か誤解もあるようだ。とにかく、状況を整理しなければ。

 ヴァイオレットは混乱したまま、何かしら事情を知っていそうで、知らないとしても唯一相談できる親友のルロイの元を訪ねた。




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