詰問
パン粥は柔らかくて、一口食べるとお腹がすいていたとよくわかった。一気に平らげ、遅れてお腹がふくれたと自覚する。
「うーん」
食事を終えて冷静になったヴァイオレットは、食器を置いて、自身の額に右手を置いて自身の状態を改めて確認してみる。
ずいぶん楽になった気がする。少なくとも寝る前にくらべれば、雲泥の差だ。まだ熱っぽくて頭が重いけれど、目眩や吐き気はない。このままなら、明日には殆ど完治と言ってもいいだろう。
あと、改善しているからだろうけれど、ずいぶん汗をかいている。気持ちが悪いくらいだ。このままだとまた体が冷えてしまいそうだ。
億劫だけど着替えるか、とヴァイオレットはベッドからでる。
「マスター、起きてますか?」
衣装棚を開けたところで、ノックがされてナディアの声が控えめに聞こえてきた。
「起きてるよ、どうぞ」
「はい、失礼しま、! な、何してるんですか! 寝てください!」
「そ、そんなに怒らなくても。着替えるだけだよ」
入室したナディアは、ヴァイオレットを見るなり怒るように叱責してきた。そんな反応をされると思ってなかったので、たじろぎながら弁明するも、ナディアはヴァイオレットのそばまできて、そっと背中に手を当てる。
「服なら私が取りますから、ほら、はやくベッドに戻る」
「はいはい」
心配をかけているのだから、多少口うるさいのもしょうがないだろう。むしろ、こんな風に言われて、めんどくさいなぁなんて思ってることさえ、なんとなく、家族らしいやり取りのようでなんだか嬉しい。
ヴァイオレットは促されるままベッドに座り、ナディアが全く、と腰に手をあてて怒ってますアピールをしてから衣装棚に手をかけるのを見守る。
その動作全てが可愛い。あれ、おかしい。熱のせいだろうか。寝る前よりさらに可愛い。
「これでいいですか?」
「うん」
「あと、着替えるなら体を拭いたほうがいいですよね? 今から持ってくるので、少し待っていてください」
「あ、わかった。ありがとう。助かるよ」
「ルイズさんに、看病について教わりましたから。もう、私だけで大丈夫ですよ」
「そっかー。ありがとう」
お礼を言うとにっこりほほ笑んで、ナディアは部屋をでた。駆け足気味に足音が遠ざかる。
大丈夫ですよ、と強調したと言うことはルイズは帰ったと言うことだろうか。
ナディアは風邪について知識がないので戸惑っていたけれど、元々家事は全てできるのだ。教わりさえすれば難しいことはないだろう。
ルロイ本人はこれから仕事だから無理として、わざわざ寄って妹のルイズに頼んでくれるなんて、本当に頼りになるやつだ。普段うっとうしいと思う時もあるけれど、やはり一番の友達に違いない。ナディアとも出合わせてくれたし。
改めてルイズにももちろんだけど、ルロイにもお礼をしないといけないな、と思っていると、ナディアが戻ってきた。
「お待たせしました」
「全然、ありがとう。そこに置いて」
「はい」
サイドテーブルに水の入った桶をおいてもらう。
「ありがとう。じゃあ、拭くから、食器さげておいてもらっていい?」
「え、あ、いえ。拭きますよ」
「ん? 拭くって何を?」
「え、ですから、マスターを」
言われてきょとんと首をかしげてから、遅れて意味に気づいたヴァイオレットは、慌てて両手を降って断る。
「え、い、いやいや。そんな、いいって。そこまでしてもらわなくても。恥ずかしいから」
「……ルイズさんから、そうしてあげるって、聞きました」
ジト目で、まるで恨めしいかのような睨むような目でナディアはそう言ってきたけれど、そんな事実はない。
「えぇ……いや、そんなのしてもらってないよ。いや、そう言われたら、言われたかもしれないけど、断ってたよ」
「え、そうなんですか?」
「恥ずかしいし」
それにヴァイオレットは寝間着なので下着もつけていない。そうなれば当然胸も見えてしまう。
ヴァイオレットは作られた体だ。性器もなく正確には女性ではない。子供を宿す機能もないので、当然のように乳首もないのだ。ただつるっとしたなだらかな曲線があるだけだ。自身では見慣れているが、その姿を人に見られたいとは思わないし、見られて理由を聞かれても困る。
「で、でも、ルイズさんには恥ずかしいかも知れないですけど、私になら、よくないですか?」
「え、いや、ナディアの方が恥ずかしいよ」
「私の方が、ですか?」
「うん、そりゃ、まぁ……とにかく、恥ずかしいから」
どちらにせよ見せたくないのだけど、単純に肌をさらす恥ずかしさだけで言っても、ナディアにこそ見せたくない。
普段は自身の体について思うことはない。長い付き合いでなれたものだし、極端に太ってたり痩せたりしていない、シルエットだけならわりといい線いっているとさえ思っているくらいだ。
だけど、他でもないナディアに見られると思うと、例え胸元を隠すとしても恥ずかしい。ちょっと、そんな。今は汗だってかいてるし。
「で、でも、恥ずかしくてもよくないですか? だって、その……しょ、将来的には、どうせ、見ると言いますか」
「えぇ……いや、まぁ、それはそうかもしれないけどさぁ」
確かに、将来的に、ヴァイオレットが寝たきり老人になれば恥ずかしいとか言っていられないので、体を見られることはあるだろう。魔法で洗浄はできるが、着替え自体は話が別だ。異性であれば大事なところはぎりぎり見えないように、との配慮をしていたが、ナディアもヴァイオレットを同性と認識しているはずなのでないだろう。
でも、それにしたって、そんな、将来の介護の話をされると、一気に気持ちが落ち込んでしまう。ナディアに世話をしてもらうと頭ではわかっているが、どうしても抵抗がある。どうしてかはわからない。それを求めるために、条件まで付けてピッタリ叶う相手なのに。
と自分でも自分の気持ちをはかりかねながら、ヴァイオレットは言葉を濁して頭をかいた。
そんな曖昧な態度をとるヴァイオレットに、ナディアはむっと眉を寄せて、何かを耐えるようにぐっと歯を食いしばってから、静かに声をだす。
「……じゃあ、恥ずかしくないルイズさんになら、やらせるんですか? どうして私を選んだんですか? ルイズさんとか、そうじゃなくても、マスターなら他にいくらでも人はいたんじゃないですか? 他にもっと条件がいい人がいれば、その人を選ぶんですか?」
「え、ちょっと、何を言ってるの?」
「……すみません、病気なのに。変なこと言って」
急に話題がかわったように感じられて、また矢継ぎ早に質問されて、まだ少しぼんやりする頭ではうまく頭にはいらなくて聞き返したのだけど、ナディアははっとしたように顔を伏せた。
変なこと? 確かに病気だけど、ナディアとの会話を避ける理由にはならない。ナディアに不満があるなら話したい。
いま、ナディアは何を言ったか。早く答えないと、会話を打ち切られてしまう。ルイズではなくナディアを選んだ理由? ルイズも帰ったいま、思い当たることもない。それはつまり、いまの話ではない。
そもそも一番最初に、ナディアに家族になってほしいと頼んだことを、どうして自分だったのか、と聞かれている? 確証はない。今それを聞くなんて、唐突で文脈がおかしい気がする。
だけど他に思い付かないなら、とにかくそれで会話を続けるしかない。
「いや、えっと、あのさ、どうしてナディアがここにいるかっていったら、まぁ、あの時に紹介してもらってちょうどよかったって言うのが、本当だけどさ」
そこまで言ったところで、ナディアは顔は伏せたままで黙って桶にタオルをつけた。話を流そうとしている。誤解をさせてはいけない。すぐに続ける。
「でも、今はそうじゃないよ。今はナディアじゃないと、駄目だよ。ナディアと過ごして、ナディアのことを知って、すごく大好きになったし、傍にいて楽しいもの。だから、他でもないナディアに死ぬまで傍にいて面倒を見てもらいたいんだ」
「そっ、そ、そんな、う、うう、うまいこと、言って、また」
じゃば、と水音がした。桶につけたタオルをもちあげて勢いよく絞ったため、普通より高い位置から水が落ちて跳ねたのだ。桶の周りまで少し濡れているけど、ナディアは気づいていないのか、さらにぎゅうぎゅうとタオルを絞っている。
ナディアはうつむき気味のままで、表情を見せないけど、その耳がかすかに赤い。怒っている、のではなくて照れていると解釈してもいいのだろうか。どもっているのも、怒りを耐えているのだとしたら恐い。
だがとりあえず、受け答えからして、突拍子もない返答ではなかったようだ。つまりナディアが問いかけたかった内容は、ヴァイオレットの認識で間違いないらしい。
ふと、背筋が寒くなった。いったいどうして、ナディアがそんなことを気にしたのかはわからない。
だけど自分でなくてもいいのではないか、なんて、そんなことを聞くのに全く理由がないということはないだろう。もし、それが、ヴァイオレットの介護をするのを辞退したいからだとしたら?
「ねぇ、ナディア、ナディアは私のこと、好きじゃないの? 一緒に暮らすのが嫌になった?」
「そっ……」
恐る恐るされたヴァイオレットの問いかけに、反射的に声を上げかけたナディアだったけど、何故かすぐにとめた。そしてゆっくり顔をあげた。
真っ赤で、茹でられたみたいに赤い顔で、ヴァイオレットよりむしろ熱があるのではないかと言うような熱い息をはいた。そしてタオル持ったまま手を体の前に下して、じっと正面から、ヴァイオレットを見つめる。
「……もし、もしもですよ? 私が、嫌だって言ったら、どうしますか?」




