風邪
「……風邪だな」
「ごほ、だから、そう言ってるじゃない」
「うるせーよ。ここまで来てなんもしねーわけあるか。公務だぞ、公務」
ヴァイオレットが風邪をひいてしまった。と言っても、重篤なものではない。普通に熱が出て頭が痛くて、いや普通につらいけども。だけど治療院に行くほどではない。
朝、起床時間を過ぎても起きてこないヴァイオレットを見に来たナディアが動揺して、首輪の緊急通報をしてしまったのだ。緊急通報するような状況であれば、したことが雇い主に知られれば状況がさらに悪くなると想定されるため、外見ではわからないようになっている。特殊な通報方法も、たとえ同業者と言えど極秘のためヴァイオレットにも知らされていなかった。
その為、目の前で通報されてもわからず、研究所の通知装置が作動したことで慌ててルロイがやってきたのだ。
幸い、と言うべきか、誤作動が百パーセントないわけではない。数年に一度はあるし、ルロイもまさかヴァイオレットにそんな。いやむしろヴァイオレットごと危険なのでは? と思いながらもとりあえず大事にはせず他の職員には言わずに来てくれた。
そして結果、単なる風邪。人騒がせにもほどがあるが、エルフは基本的に頑丈で、病とはほぼ無縁なのだ。熱が出て咳き込み、動けないとなればもう、どんな大病なのかと狼狽えるのも無理はない話だ。
なのでルロイはナディアに一通り風邪の説明をして、安静にしていれば大丈夫だと言い含めて帰って行った。
「マスター、あの人、あんな風に言ってましたけど、本当に大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫だよ。ごほ。ちょっと久しぶりでつらいけど、一日ゆっくりしてれば落ち着くし、2、3日もすれば完治するよ」
「体調崩すのって、種族的によくあるんですよね? だったら、そう言う治すための施設とかないんですか?」
「あることはあるけど……」
魔法のあるこの世界は、ヴァイオレットの前世の記憶にあるような医療はない。薬品による治療と言うのは一般的ではない。体にいい薬草なんかも存在しているし、こういった場合にはこれを食べるとよい、という考え方もあるのだが、その成分を、などと言う段階ではない。
この世界ならではのもので言うなら、治癒魔法と呼ばれる物が存在するが、体内の魔力を強制的に活性状態にさせることで、元々の自己治癒能力を高め、結果として短時間で治癒させる。と言うものなのだが、必ず効くわけではなく、病によっては逆効果になることすらあるので、一般的にはよほどの大怪我くらいにしか使われていない。
怪我人や病人の為の施設としては、治療院と言うものがこの街にはある。そこには治癒魔法使いもいるが、基本的には清潔な環境、症状に合わせた健康に良い食事を用意して快適な生活をして自然治癒をさせるものだ。症状に合わせて、それにいいとされる食品を摂取したり、と言ったこともされているらしいが、ヴァイオレットはあまり興味がなかったのでよく知らない。
そもそも現行の治療院は、貴族の人間が家族にうつったりしないようにするために入るような、高級宿みたいなものだ。庶民が入るようなものではない。
ヴァイオレットは庶民と言うには高給取りだが、しかし根が小市民なのだ。ちょっと行って薬をもらえる、と言う形なら行くが、そうではないのだ。わざわざ風邪くらいで入院する気にはなれない。
「……ちょっと、違うって言うか」
しかし、それをうまく説明できる気がしない。頭の中がごちゃごちゃして、思考がまとまらない。治療院の設備、治療方針、食事と健康の関連性。なんだったか。今何を考えていたのか。
ぼんやりと応えるヴァイオレットに、ナディアはベッドの横に座り込み、顔の高さを合わせて覗き込む。
「ま、マスター、しっかりしてください! 私を置いて死なないで!」
「いや、落ち着いて。ごほっ。治るから。ちょっと、静かにして」
「ご、ごめんなさいっ……あの、私は、どうすれば?」
「あー……」
色々なことが頭をよぎる。ナディアにしてもらいたいこと? それは例えば添い寝とか? いや、そうではない。食事とか。食べないといけない。だけど食欲がない。汗ばんで気持ちが悪い。水で濡らしたタオルとかほしい。窓をあけてほしい。喉がかわいた。
「……」
色々あるのに、言葉に出すのが億劫だった。何から言えばいいのか、まとまらない。息が熱くて、頭が痛くて、つらい。じっとして目を閉じていてもぐらぐら揺らされているようで気持ち悪い。眠ってしまって、起きたころに治っててほしい。
「ま、マスター?」
……ナディアに、してほしいことはある。あるが、それの優先順位を考えて説明していくのがひどく億劫だ。口をひらくとまた咳がでそうだ。ナディアにはうつらないだろうか。しゃべらないでほしい。返事を考えようとして、よけいにしんどい。ちょっとじっとしていたい。たぶん今が一番しんどいので、もうちょっとだけ、待ってほしい。
「……あの、すみません。私、邪魔ですよね。向こうへ行ってますから、何かあったら呼んでください」
「っ、ま、ごほっ。ま、待って」
沈黙していると、ナディアは控えめにそう言って立ち去ろうとしてしまったので、慌てて起き上がった。起き上がったはいいものの、視界が揺れて思わず右手は伸ばしたものの、左手では頭を抑えながらも上半身がそのまま横に倒れていく。
「え、だ、大丈夫ですか?」
呼びかけに振り向いたナディアが慌ててベッドに近寄り、ヴァイオレットを支えてくれた。掴まれた右手。ナディアの手は、ひんやりして気持ちがいい。座っている状態まで起こしてもらいながら、ヴァイオレットは掴んでもらっている手を、ナディアの手の甲が頬にあたるように自分の顔まで持ってくる。
そのひんやりした心地よさに目を細めながら、少しだけ冷静になった頭で、ナディアにどうしてもしてほしいことがわかったので、お願いしてみる。
「大丈夫では、ない。ないんだけど、ごめん、本当に、悪いんだけど、ごほごほっ」
「なんですか? なにかあるなら言ってください。何でもしますから」
「……そばに」
「え?」
「黙って、傍にいて。ごほっ。ごめん、でも、いてほしい」
「あ……はい。わかりました」
顔をあげて言ったので、途中で咳をかけてしまった。なのに、ナディアは嫌な顔ひとつせず、真剣な顔で、心配そうにヴァイオレットを見ている。
「ごめんね、うつったらいやだよね。ごめんね。わがままで」
「大丈夫ですよ、マスター。私は病気に何かなりませんから、ずっと、マスターが望むだけ、傍にいますから」
「……うん、ありがと」
ひどい我儘を言っていると、頭の隅ではわかっていた。例え病気にならないとしても、病人を同じ部屋にいては気をつかうし、暇だし、やることだってあるだろうに。それでも、いてほしい。
つらくて苦しい。50年も生きているのだ。比較的丈夫で健康なヴァイオレットだけど、割と無理をする生活なのもあってか、5年から10年に一度くらいは体調を崩してきた。
その際に、様子を見に来てくれる友人だっていた。食事の世話や、着替えまで手伝ってもらったこともある。だけど、それはあくまで友人だ。家族ではない。ずっと傍に居て、なんて、言えるわけない。子供じゃないんだから、不安で寂しいなんてただの風邪で言えるはずがない。
でも、ナディアは違う。ナディアは家族だ。まだ出会って半年もたっていないし、ずっと年下で、きっと我に返ったら恥ずかしくなるかもしれない。でも今は、ナディアに傍にいてほしかった。
ナディアはヴァイオレットをゆっくりとベッドに寝なおさせて、布団をかけなおしてからベッド脇に椅子を置いて座り、そっと手を握ってくれた。
「マスター、これでいいですか?」
「うん……ありがとう。ごほ。ごめん、ちょっと、寝るね」
「はい。ゆっくりして、元気になってください」
「うん」
すぐには眠れない。頭がいたくて寒気がする。だけどナディアの手を握って、すぐ隣にいるんだと存在感を感じれば、どうしようもない不安感は解消された。心細くて、そんなはずないのに世界に取り残されたみたいな気持ちにはならない。だからゆっくりと、眠ることができた。
○
「……う?」
なにか、とてもいい匂いがして、あ、お腹空いたな、と思った瞬間、ヴァイオレットは目をさました。
「マスター? 目が覚めましたか? 元気になりましたか?」
「ぐっ、けほ。こほ」
ぎゅっと左手に圧力を感じて手を握られていることを思い出しながら、ナディアに横から顔を覗き込まれて返事をしようと口を開いて、喉が乾燥していて声がでなくて、かすれた咳がでた。
「ヴァイオレットさん、水、飲みます? 起き上がれますか?」
「ん、うん」
声をかけられ、ナディアから視線を外すと、ナディアの後ろに一人の女性がいたお盆を手に立っているのが見えた。
ルロイの妹である、ルイズだ。もちろんヴァイオレットとも昔から知り合いで、もう何年も前になるが以前に風邪を引いたときにもルロイとともに来てくれて、騒ぐだけのルロイをよそに甲斐甲斐しく世話をしてくれたのだ。
なぜ? と思ったが、おそらくルロイが、ナディアが風邪に対して知識がなさそうなので派遣してくれたのだろう。と察した。
起き上がろうとすると、ナディアが支えてくれた。ゆっくりと背中を押さえてもらいながら起き上がると、ルイズがナディアの左手に水の入ったカップを渡した。
「ありがとうございます。マスター、ゆっくりですよ」
「ん」
わざわざ飲ませてくれるようだ。そこまでしなくても、とは思ったが、素直に甘えておく。口元にあてられたカップに合わせてゆっくりと水を飲む。
すると喉がめちゃくちゃ乾いていたと自覚して、すべて飲み干した。
「はぁ、おかわり」
三杯一気に飲んで、ようやく人心地ついたヴァイオレットは改めてルイズに向く。
「こんにちは、久しぶりね、ルイズ。来てくれてありがとう」
「お久しぶりです。かまいませんよ。それに、ナディアさんの話も聞いて、一度会ってみたいと思ってましたし」
「そう。ごほっ」
咳き込むヴァイオレットに、ルイズは気遣わしそうに目を細めながら、お皿ののったお盆をベッド脇のサイドテーブルに置いた。
「気を使わなくて結構ですから。パン粥をつくったので、食べてください」
「うん。ありがとう」
「あ、私、食べさせますよ」
「うん。いや、恥ずかしいから、いいよ。ちょっと楽になったし」
手を伸ばそうとするナディアに、一瞬それもいいかも、と思いかけたけれど、しかしルイズがすぐそこにいるのだ。それこそナディアより幼い少女の頃から知ってる妹分ともいえるルイズの前で甘えるのは、さすがに恥ずかしい。
「でも……」
「大丈夫そうなら、ナディアさんにお粥の作り方とか教えたいんですけど、いいですか?」
「あぁ、助かるよ。ナディア、お願いしてもいい?」
「……はい。わかりました。でも何かあったら、絶対すぐに呼んでくださいよ?」
不安そうに眉を寄せるナディアだったけど、自力で背中をあげて微笑んでみせると、しぶしぶそう頷いた。
「わかってる、ありがとう。こほ。ルイズ、よろしく頼むね」
「はい。わかりました」
ルイズはにこっと笑って快諾してくれた。




