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水遊び

 ちょっぴり気まずい昼食を終えて、誤魔化すようにヴァイオレットは腹ごなしの運動を提案した。


 それなりの大きさがあるが、深さはそれほどではない。浅瀬部分は普通に膝下くらいの深さで水遊びをできる程度の広さがある。もっと奥の北側は急に深くなっているが、気を付ければ問題ないだろう。


 ちょっとはいろう、と提案すると素直にうなずいてくれた。靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。

 ふむ。初めて見たのだけど、ナディア、足の小指まで可愛い。なんだこの奇跡でできた美少女。とひそかに観察して感心しながら、ヴァイオレットは先に湖にまずは指先をいれて温度を確認する。

 ひんやりしているけど、冷たすぎるということはないので、大丈夫だろう。ヴァイオレットはズボンをひざ上までまくって、そのまま湖の中にはいる。


「はいると結構冷たいかも」

「そうですね。裸足ではいると、意外と底のごつごつした感じがわかって面白いですね」

「こういう、水遊びの経験ってないの?」

「そうですね。川に入ることはありますけど、漁の時に補助、みたいな感じで靴をはいてますし」


 ナディアから聞けば聞くほど、エルフは原始的な狩猟民族に思えてきてしまう。エルフの外見から感じる美しく繊細な雰囲気が幻想過ぎる。


「もしかして、直接川の中から、素手で魚を捕まえたり?」

「マスター、そんなわけないじゃないですか」

「あ、やっぱり?」

「中に入ったら、普通に魚逃げますよ」

「あ、そっちか」

「? そりゃあ、じっと待って入れば別かもしれませんけど、道具を使った方がどう考えても効率的ですよね。マスターはエルフを馬鹿にしてます?」

「馬鹿にはしてないよ。信じて」


 ちょっと脳筋だとは思っているけれど、けして馬鹿にはしていない。むしろ脳筋になるのがわかるくらい身体能力たかくて尊敬しているくらいだ。

 ヴァイオレットの真摯なまなざしが通じたのか、ナディアは若干の半目になりつつも、頷いてくれた。


「信じますけど、私以外のエルフには、あんまりそう言った質問はしない方がいいと思います」

「わかってる。ナディア以外にこんなこと聞かないよ」

「……そ、それにしても、あれですよね。えっと、水遊びって、結局なにするんですか? 足で水底の石をつみあげて、1メートルとか先に積んだ方が勝ち、とかですか?」

「斬新な地獄だね。そうじゃなくて、例えば、こうっ」


 ナディアに任せると過酷な遊びが始まりそうだったので、軽く両手で水をすくってナディアにむかってかけた。きょとんと無警戒だったナディアは動かずに普通に腰あたりを濡らして驚きの声をあげる。


「ひゃっ、な、なにするんですか。服がぬれちゃいました!」

「あはは、ぬれちゃうけど、そういうものでしょ。ほらほら、逃げないともっとぬれるよ」

「ひゃぁ、もう! お返しです!」

「わっ」


 さらに軽く追撃すると、頬を膨らませたナディアは、肘で持ち上げるようにして、勢いよくヴァイオレットの頭めがけて水をかけてきた。

 さすがに回避しようとしたが、割と首から下がびしょぬれだ。


「ふふっ、あはは! やったな!」


 ここまでぬれたら、もう笑うしかない。遠慮して水量を調整していたが、こうなればもうそんな段階ではない。着替えだってある。もはや遠慮は無用だ。


「ひゃん! もう、ふふ! いきますよ! そーれ!」


 笑いながら、お互い全力で水をかけあう。

 と言っても、普通の全力だとかなり水量に差があるので、少々魔法での底上げをさせてもらったが。ナディアは普通にすごーいと感心して楽しんでいたので、いいだろう。水球を叩き潰してきゃっきゃしていたし。


 そうして童心に帰って全力で遊ぶことしばらく。ヴァイオレットの体力が限界を迎えたことで、水かけ遊びはおしまいとなった。


「ふー、さすがに疲れた! 休憩しよう!」

「あはは、いいですよ! でもマスターの負けですからね!」

「はは、わかったわかった。ナディアは強いなぁ。ふふ、ははは」


 水から上がると、全身びしょぬれなので重い。何故かおかしくなって、笑いながらヴァイオレットはその場に座り込み、仰向けに寝転がった。


「マスター、本当に疲れました?」

「うん、そうだよ。本当に疲れた。だからきゅーけーね」

「んー……あの、私、その、よければ、膝枕しましょうか?」

「え、いいの!?」


 多分に戸惑ったような声だったけど、自分から提案してくれたのだからいいに決まっているのだろうが、思わずヴァイオレットはそう勢いよく尋ねた。

 勢いよく起き上がって真顔になっているヴァイオレットに、やや体ごと引きながらナディアはぎゅっと両手を胸の前で握った。


「さ、差支えなければ!」

「なんにもないよー。ふふ。じゃあ、お願いします」

「は、はい」


 気合を入れた返事がおかしくて笑いながらお願いしても、まだ硬いようで緊張した面持ちで、ヴァイオレットの背中側にまわって座った。

 ゆっくりそのままヴァイオレットが頭をさげていくと、額にナディアの手がかかり膝の上に誘導された。


「ど、どうぞ」

「う、うん」


 気軽にお願いしてしまったが、実際に頭をのせると、想像以上に心地よい。

 火照った体を冷やすように全身がぬれているのが徐々に乾いていくのだけど、それに反して肩から頭はあたたかい。ナディアの体の温度は周りに左右されるので、同じように冷えているかと思ったが、そうではなくて意外と暖かい。

 それが思った以上に心地よいと同時に、ナディアがややうるんだ瞳でじっと見降ろしてくる。そっと頭を撫でてきたりして、なんだかナディアが少女ではなく大人の女性みたいに見えてどきっとしてしまう。

 いや、普通に少女と思っている時でも、ドキッとはしてしまうのだけども。


「疲れたなら、歌でも歌いましょうか?」

「う、歌って。子守歌?」

「はい」

「子供じゃないんだから」


 さすがに、と思ったヴァイオレットだったが、それを聞いたナディアはきょとんとして、それからどこか大人びた眼差しでヴァイオレットの髪を優しく撫でつけながら微笑む。


「あら、ふふ。私の前では、子供じゃありませんでしたっけ?」

「そ、れを言われると……まいっちゃうな。はは」


 ナディアの前では大人として弁えた態度をいつもとれている、とはとても言えない。そうしたいのはやまやまではあるのだけど。ナディアにもそれを冗談めかして言ったことはある。

 だけど、そんな風に微笑んで、上から見つめられると、本当にナディアより幼くなってしまったみたいで、言葉に詰まってしまう。


「じゃあ……そうしてもらおうかな。気持ちがいいし、少しだけ、寝てもいい?」

「はい、どうぞ。では、歌いますね」


 ナディアがこほんと咳払いするのを見ながら、ゆっくり目をとじる。

 そうすると、他の感覚が敏感になる。ナディアの体温もそうだし、ぬれた服の気持ち悪さ、息遣い、森のざわめき。そんなものが、意識の上に浮上する。


 すっぅ、とナディアが息をすい、そして、歌いだした。


「―――」


 それは、とても上手い、と言えるほどではない。だけど、少女らしく高く澄んだ声が耳に心地よく、ありきたりなメロディも聞き取りやすく、耳によく馴染む。

 聞いていると落ち着いて、穏やかな気持ちになる。些細なことが意識の外へ流されていく。今は、ナディアの暖かさと、歌の心地よさだけがしみ込んでくるようだ。子守歌として申し分ない、どころか、疲れているのもあるだろうけど、本当に眠くなってきた。


「……ふわぁ」


 あくびをすると、一度歌がとまった。邪魔をしたかな、と目を開けようとすると、その前に視界が暗くなる。頭を撫でていた手が、瞼の上を覆ったのだろう。と察しながら、開けるのをやめた。


「おやすみなさい、マスター」

「……うん、おやすみ」

「ふふ。……―――」


 また、ナディアが歌いだす。それをぼんやりと聞きながら、ヴァイオレットはゆっくりと眠りに落ちた。









「……」

「……」

「………くしゅっ! うっ、あ、あれ……うーん、ふわぁぁ」


 自分のくしゃみで目が覚めた。何だか涼しくて鼻をすすりながら目を開けると、天使がいた。まだ寝ているのか、と思いながらあくびをして目をこする。


「……ナディア?」

「はい、おはようございます、マスター」


 ナディアだった。普通に可愛すぎて寝起きだと天使だと思ってしまったのが、何故か恥ずかしい。ちょっと親ばかにもほどがあるだろう。と思いながら、ヴァイオレットは起き上がる。


「おはよう、ナディア。ああ、ごめん、結構寝てたよね? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

「ありがとう。ふー。ちょっと日が落ちて影になると、涼しいね」


 涼しすぎるくらいだ。季節にしては肌寒くすら感じられて、ヴァイオレットは身震いをしたのを誤魔化すように立ち上がってナディアに声をかける。


「魚のこともあるし、そろそろ帰ろうか」

「そうですね。たくさん捌かないといけませんし」

「ん? ……ん? 売るんじゃなくて、もしかして全部自分で処理するの?」

「そうですけど……もしかして、売らないとまずいとかですか?」

「いや、そんなことないけど、大変だろうし」

「ふふ、大丈夫ですよ。漁のあとは、その処理まで含めて一工程ですから」


 自信満々で、大変どころか楽しそうに言っているので、やりたいようにやってみてもらうことにする。

 この魚を運ぶのは大変は大変だが、ナディアの純粋な腕力と、ヴァイオレットの魔法があればなんとかならないこともない。何とかなった。


 家に帰って台所でナディアが捌くのを何気なく見ると、めちゃくちゃ手際が良くて早い、と言うのは置いといて、どうやら魔力が抜けていかないように処理しているようだ。

 食材から魔力を抜けないようにする、ということはしたことがない。魔法具の動力として使うなら、魔石が一番効率がいいし、経口摂取することで何らかの意味があるわけでもないからだ。なのでそう言った発想はなかったのだけど、なかなか興味深い。

 そうしてしばらく見ていると、何だか寒気がしてきた。慌ててヴァイオレットはお風呂にはいって体を温めた。


 お風呂を上がるころには、すでに処置を終えていたので、夕食を一緒にとった。さっそくナディアが捌いた魚もいただいた。内臓はそのまま食べるらしい。多少調理したとはいえ、あまりおいしそうな見た目ではなかったし、美少女が嬉しそうに内臓をすするのは猟奇的ですらあったが、ナディアが喜んでいるのだからセーフとした。


 そして翌日、ヴァイオレットは久しぶりに風邪をひいた。


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