指輪
「……ふふふ」
ようやく指輪を購入した。本当は婚約指輪と結婚指輪と用意しようとしたのだけど、ナディアが耳飾りを一つ買うなら、指輪は一つで十分だと主張するので結婚指輪だけになった。
結婚指輪も耳飾りも、本来は役所の手続きや式をして正式に夫婦になってから身につけるものだけど、特にそれより前にしてはいけないものでもないので、先んじて指輪だけつけることにした。耳飾りはナディアのご両親に許可をもらってからでいいだろう。
なので家に帰り、そっとナディアの指にはめた。もうそれは1時間も前のことだ。だけど暇さえあればナディアは指輪を眺め、にやにやしている。
そんなに喜んでくれるならもっと早くすればよかったと思うと同時に、今二人きりなのに指輪ばかり見てとも思ってしまう。
自分も指輪のはまった指を見て見る。シンプルで丈夫なつくりで、お互いの色を宿した小さな宝石がついている。
ナディアとお揃いの結婚指輪。将来を約束した証。ナディアの白魚のような指先で丁寧にはめてもらったものだ。……確かに、にやける。
ソファに隣に座っているナディアの肩に、もたれかかるように頭をのせる。角度がかわって日の光に、ナディアの青がきらめいた。
ごつっ
「いたっ」
「あ、すみません」
ぼんやりしてると、ナディアがさらに上からヴァイオレットの頭に頭突きしてきた。普通に痛い。ナディアが慌てたように頭を撫でてきた。
「ナディアは石頭なんだから気を付けてよ」
「すみません。軽くのせるつもりだったんですけど」
「駄目だね、許さない」
「え、ど、どうしました?」
「もっと私を構ってくれないと許さない」
「……ふふっ。もう、ヴァイオレットさんは甘えん坊さんですねー」
よーしよしよし、と乱暴に頭を撫でられる。ぐっと姿勢をかえてナディアに横から抱きつく。
はー、至高か。いい匂い。同じシャンプーでどうしてこんなにいい匂いなのか。たまらん。このまま頭に頬ずりする。
「ナディア、大好き」
「私も大好きです」
ぽかぽかと温かい日差しが、窓越しに2人を照らしている。そろそろ、冬の厳しい寒さがなりをひそめだす頃合いだ。
「ねぇ、ナディア。もうすぐ春になるよ」
「はい。楽しみですねぇ」
「そうだね。ナディアの家族にあうのはもちろん、一番大事な目的だけど、それだけじゃなくて、色んなところを見ようね」
「はい。そうですね。そう言えば、ヴァイオレットさん、体力とかって大丈夫なんですか?」
「ん? どうして? そんなに、ナディアの前で情けない姿みせてたっけ」
確かに、一緒に体をつかって遊んだりすると、先に体力がなくなるのはヴァイオレットの方だ。だけど種族差だってあるし、そんなにめちゃくちゃに軟弱なつもりはない。平均的なはずだ。なのに急に体力の心配をされる意味が分からない。
抱き着くのをやめて、顔を見て尋ねる。ナディアは頭から手を離し、ヴァイオレットの膝がしらに手をやり撫でながら答える。
「そういう訳じゃないですけど、歩いて行くのに、大丈夫かなって。私は夜通し歩けますけど、ヴァイオレットさんは夜寝ますし」
「いや、歩かないって。馬……あぁっ」
「え? どうしました?」
「しまったな。馬車を借りる予約を忘れてた」
「馬車で行くんですか? でも借りるっていうのは?」
「うん、そうだよ。馬と馬車をまるまる借りるんだ」
「そんなことできるんですか?」
「まぁね」
一般的にはレンタルはない。馬も馬車も、何があるかわからない旅にでて破損すれば保証がないからだ。なので必要あれば購入し、用が済めば売ると言う形で、差額で借りているような状態になっているだけだ。
ただまぁ、これもまたコネの話になるが、城で保有している馬車がいくつもある。緊急時に備えて予備もあり、常にある程度余っている状態だ。それの維持費も兼ねて、一定以上の信用がある人間に限るが、借りることができる。
もっぱら貴族の移動用になっているが、予約すれば可能だ。研究者は時に優先して借りることすら可能だ。研究の為に急遽必要な素材を確保するため、本人ではなくても出張させることができるようになっている。旅行のようなものなので、優先権はないが、ヴァイオレットの役職なら余裕で借りれる。
研究者は国の発展に不可欠であるが、それと同時に変人が多く役職や金銭だけではつなぎとめられない場合もあるので、逃げられないよう福利厚生がいいのだ。この馬車も、むしろ何かあって破壊でもすれば、城の物を壊した罰則を負わせ辞職できないよう鎖をつけることすらできるので、割と推奨されている。と言っても利用するのは、すでに快適な宮廷魔法使い生活になれていて辞める気のないものなので、あまり意味のないことだが。
「その予約は、もう間に合わないんですか」
「どうだったかなぁ。時期によるんだけど、二回つかっただけだったし。まぁでも、まだ冬だし……ちょっと、不安になってきた。今から行って予約してくる」
馬車の管理している部署は、馬も世話する都合上、かならず誰かがいる。なので世間的休日の今日も誰かはいるだろう。下っ端でも予約確認と受付くらいはできるはずだ。
部屋に戻って外出着に着替え、コートを羽織って出ると、玄関ですでに着替えたナディアがいた。
「私も行ってもいいですか?」
「準備万端じゃない。まぁいいけどさ」
頭を軽く撫でて、一緒に玄関から出る。
「だって、普段はあまりお城に入れないじゃないですか」
「そりゃあね」
「ふふ、ヴァイオレットさんといると、お城のどこでも入れるんですね」
「どこでもってわけじゃないけど、まぁ、それなりにね」
ヴァイオレットがその気になれば、王族の住居以外の部分にはだいたいはいれる。家族カードとして登録された、まして首輪労働者のナディアなら、その気になればどこに連れて行っても問題ないだろう。
だけどヴァイオレットとしては、そこまで公私混同する気はない。今まで城に連れて行ったのだって、他の職員とその家族に許されている範囲でだ。直接の仕事場に連れて行くのは気が進まないし、区別をつけておきたい。
だけど今回は、馬車を借りる当日になれば、そこまでナディアも行くのだから、今はいってもいいだろう。裏門ではなく、正門を通ることにはなるが。
「そう言えば、馬って食べたことないんですけど、美味しいんですか?」
「……いやぁ、私も食べたことないなぁ」
やっぱり、連れて行くのは止めた方がいいのかもしれない。
半ば後悔しながら連れて行ったが、幸い特に問題も起きず無事予約することができた。と言うか、すでに上司が仮押さえしていてくれたので、馬車の大きさを選ぶだけでよかった。二人だし、その気になれば何とでもなる。一頭立てでお願いした。
また上司にお礼に行かなければならない。割と憂鬱だ。帰ってきたら、どんな仕事を任されるのか。
○
「あ、マスター。見てください」
「ん?」
平日、帰り道の繁華街でナディアと合流できたので、一緒に家に帰る最中、とある住宅の前でナディアが足を止めた。
人の目のあるところでは、ナディアはちゃんとマスターと呼ぶ。家での時間が長すぎるせいか、ちょっと寂しく感じてしまう気すらするけど、それはともかく。
住宅街の中のこの家は、大きな庭と立派なガーデニングで近所でも有名な家だ。見えるよう屏も低くなっていて、普段は通らない道なのだけど印象深く去年の様相も覚えている。今日はいつもと違う通りから来たのだけど、この通りだったのか。
冬でも花の咲く種類もあるけれど、この家は春に一番咲き誇るように種類を選定されていたはずだ。ナディアが指さした方を覗き込んでみると、奥にある部分ではすでに花が咲いていた。
「ああ、もう花が咲いているんだね」
「はいっ。綺麗ですね」
「うん。なんだか、わくわくしてくるね」
「はい。あ、そうだ、来週末、ピクニックに行きません?」
「そうだね。来週になると、もっと咲いているだろうし、いいかもね」
気温が少しずつ上がってきているとは思っていたけど、もう冬が終わっていたのか。まだ夜半は冷えるので、冬の気持ちでいたけれど、こうして目に見えて春の到来を知らされると実感する。
もう、出発するまで一カ月もないのだ。そう思うと、急に時間の流れが速いと感じられた。
すでに仕事の方が目処をつけて引継ぎ済みで、新しい仕事の資料を集めている段階だが、急がなければと言う気持ちになる。
「マスター、お仕事は順調ですか?」
と、再度並んで歩き出しながら考えていると、考えを読まれたかのように聞かれた。ナディアの顔を見ると、きょとん、と首を傾げている。可愛い。
「そうだね、問題ないよ」
「旅行にもお仕事の本とか持って行くんですよね」
「そうだね。全くしない訳にはいかないからね。と言っても、基本は頭に入れておいて、本当に重要な数冊だけ持って行って、後は頭で考察するみたいなものだけどね」
「よくわかりませんけど、すごいお仕事ですよね」
実際に体を動かすナディアにとっては、頭の中だけでこねくりまわす仕事は、それだけで不思議なのかもしれない。もちろん後々形にするための事前準備のようなものだけど。
「まぁね。ナディアにはその分、手綱を任せることが多くなるかも知れないけど」
「大丈夫ですよ。馬自体には元々乗れますし、この間練習させてもらいましたけど、馬車として手綱をもつのもコツを掴めば、同じ馬の操作ですから、難しいものではありません」
「頼もしいよ」
ヴァイオレットは馬車の操作はできるが、馬には苦手だ。乗れないことはないが、疲れるので。ナディアが騎乗もできると言うなら嬉しい誤算だ。馬車くらいならヴァイオレットでも教えられるし、ナディアならすぐ習得できるだろうと思っていたが、さすがに騎乗を教えるのは手間がかかる。
「でも、エルフも馬にのるんだね」
「エルフが、と言いますか、単に私が興味があって習ったことがあるだけですね」
「あ、そうなんだ。ナディアはほんと、優秀だよね」
「んふふ。それほどもでありませんよ。でも、もっと褒めてくださってもいいですよ」
ナディアは得意げに言いながら、ちょっとだけ体を寄せてきた。抱き上げたくなるほど可愛いけど、我慢してぽん、と軽く頭を撫でるだけにとどめる。
「いい子いい子。はい、じゃあ、続きは家に帰ったらね」
「はーい、マスター。了解しました」
ナディアはにかっと元気よく笑った。




