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特別編『真夏の約束』

※このエピソードは、本編第三十四頁と第三十五頁の間の話になります。

また、一部第五十六頁までのネタバレを含みますので、第五十六頁まで読了してから読まれることをオススメします。

 『―――9回裏、ツーアウトランナー無し。ガイヤーズ、アイアンズ守護神の富士川の前に手も足も出ません。

  今、バッターボックスに三番の神崎が入りました。さあ神崎、ここで意地を見せられるか、それとも最後のバッターになってしまうのか!?』


 『いやー、どうでしょうね~。神崎くんは夏場になるとどうにも調子を落としますからねぇ……。

  特に今年はひどい! 最近全然でしょう?』


 『そうですね……神崎は現在14打席連続でヒットなし。まさに絶不調ですね』


 『う~ん……ここで彼に期待するのはちょっと酷じゃないでしょうかねぇ―――』






 「ふっざけんな! 神崎さんが打てねぇわけないだろっ!!」


 「けっ、圭輔、ちょっと落ち着いてって……」


 「だってよー……志木高の英雄だぜ、神崎さんはさぁ……。

  それがあんな風に言われたらよ……」


 「まあ、テレビ相手に騒いでもしょうがないだろ。

  そうまで言うなら、大人しく見てるんだな」




 8月、夏真っ盛り。

 僕と圭輔、光の三人組は、僕の家で久しぶりに男三人だけで集まって騒いでいた。

 あやのはあやので、後輩トリオでお泊り会らしい。


 で、今は野球中継が見たいという圭輔の言葉で三人してテレビを見ていたのだが……。




 『―――三球三振!! 神崎、富士川の剛速球の前に、バットに当てることすらできませんでした!

  これでガイヤーズは6連敗、主軸神崎の不調に合わせるかのように、苦しい戦いが続きます―――』




 ―――ブチッ!




 ひいきチームの東京ガイヤーズが負けたとたん、圭輔がテレビの電源を落とした。

 よっぽどダメージがあったんだろう……6連敗だし。



 「あーあ、これでもう0.5ゲーム差かよ、ったく……。よりによってアイアンズに三タコだもんな」


 今日ガイヤーズが試合していたのは大阪アイアンズ。

 甲子園を本拠地にする、熱狂的なファンが多いことでも有名な球団だ。

 目下のところガイヤーズと首位争いを演じているんだけど、最近差が縮まってきているらしい。


 圭輔ひいきのガイヤーズは伝統のある強豪球団で、東京にあるドーム球場を本拠地にしている。

 こちらも全国区の人気を誇り、野球ファンならずとも名前くらいは確実に知っている球団だ。

 ただ、実況も言っていたが、ここのところ6連敗中でかなり調子が悪い。



 「神崎さんさえ調子が戻れば、流れも変わるんだけどなぁ……」


 「まあ、今日もチャンスでことごとくストップかけてたもんな。

  ピッチャーはけっこう頑張ってたから、問題は打つ方か」


 「はぁ……今年も甲子園ダメだったし、テンション下がるぜ……」


 「そっちは頑張れとしか言いようがないけどな」


 「そりゃそうなんだけどよ……」


 珍しく沈む圭輔。

 夏の県大会は決勝まで進んだものの、惜しくも破れてしまい、2位。

 志木高はまたしても二度目の甲子園出場を逃してしまったのだ。


 これで三年生は引退、新チームとなり圭輔はキャプテンに任命された。

 今日も泊まりこそするものの、明日の朝は一足早く出て練習らしい。

 それでいて生徒会の仕事もこなしているんだから、やっぱりバイタリティあるよな……。




 「せめて神崎さんが調子戻してくれれば、こっちも続くぞって気持ちになるんだけどな」


 「夏に調子がどうこうとか言ってたけど、そんなにひどいのか?」


 「そうだなぁ……。それでも毎年、シーズン通算では3割打ってるから、致命的じゃねぇはずなんだけど。

  だけど、今年はちょっとひどいよな」


 「夏だけ調子悪いってのも、変わった話だよね」


 「この時期になってくるとバテて調子落としたりだとか、逆にあったかくなってきて体が動くから調子よくなるとか、

  そういうのはあるんだけどな……。

  神崎さんの場合は、大体甲子園終わったくらいから暑さに関係なくまた調子が上がるから、その辺が不思議なんだよな」


 「へ~……。さすがに詳しいんだね」


 「あったりまえだろ! 特に神崎さんはやっぱ特別な選手だからな、気にもなるし」


 圭輔が特別という神崎選手―――本名、神崎英一(かんざき・えいいち)

 圭輔だけじゃなく、実は僕たちにとっても普通の選手じゃなく、特別な存在と言えるかもしれない選手だ。


 ガイヤーズのショートで、打順は大体3番。走・攻・守の三拍子そろった、いわゆるスター選手だ。

 高卒7年目の25歳、プロとしては中堅といったところだろう。

 これだけだと、変な話ただのプロ野球選手になるんだけど……それだけじゃないのが特別である所以で。


 神崎選手は、僕らが通う志木ノ島高校のOBなのだ。

 しかも7年前、志木高野球部が初めて甲子園出場を果たした時の三年生で、当時のキャプテン。

 そして志木高出身である唯一のプロ野球選手。


 その時以来、志木高は甲子園に行っていないし、プロ野球選手も輩出していない。

 そんな事情もあって、圭輔は神崎選手を目標にしているし、すごく尊敬もしているみたいだ。


 僕も野球にはそんなに興味があるわけじゃないけど、圭輔の話を聞いてから、神崎選手のことは意識するようになった。

 それに、実際に会ったことがないから何とも言えない部分もあるけど、神崎選手には人を引き付ける何かがあるような気がするんだ。

 だから、比較的身近な存在なのもあって、何となく応援するようになっていた。






 「そう言えば、圭輔は神崎選手に会ったことがあるんだよね?」


 「まあな! ……って言っても、俺がまだ小学生の時で、神崎さんも高校生だったけどな」


 「その話は何回か聞いたことがあるが……そう言えば、どんな話をしたんだ?」


 「話って言っても大した話じゃないんだけどな。俺もガキだったし。

  俺さ、ガキの頃からチームに入ってたんだけど、てんでヘタクソでさ……それこそ、チームで一番下手なくらい。

  その日もやっぱヘマやって、監督に怒られるわ、チームメートにもバカにされるわで、もう悔しくてよ。

  それで、練習終わって泣きながら帰るところだったんだ。ちょうど甲子園終わって、夏休みの終わりくらいだったな」


 「今の圭輔からは想像もつかないけどね……」


 今なら『泣くヒマがあるんなら練習だ!』くらいは言うだろうし。

 そもそも、一番下手だったっていうのも信じられない。

 中学でも高校でも、いつもチームで一番上手いくらいだもんな。



 「まあ、それはさておきだ。そんな時にさ、帰り道の河原で、素振りをやってる高校生くらいの人を見つけたんだ。

  それがもうすげースイングに見えてさ。そりゃそうだよな、小学生から見たら高校生なんて大人と一緒だし。

  そんなんで、その人の素振りをジッと見てたんだ」


 「で、その人が神崎英一だったと」


 「そうそう。そしたら、その内こっちに気づいてな、声をかけてきたんだ。『どうしたんだ』って。

  ビックリするより、何でか、この人になら色々話せるかなって思ってな。

  それで、野球を教えてくれって言ったんだ」


 またストレートな……圭輔らしいと言えばらしいけど。小学生時代から基本的な部分は変わってないのな。



 「チームで一番下手なんだけど、一番上手くなりたい、兄ちゃんみたいなすげースイングがしたい。

  どうやったらできるんだ―――って。

  そうしたら、何て言われたと思うよ?」


 「そうだな……まあ、技術論じゃないのか? 小学生相手だから簡単にだろうけど」


 「それはその次だな。そしたらさ―――

  『だったら練習するんだ。一番下手なら、一番上手いヤツの二倍で三3倍でも練習しろ。そしたら絶対上手くなる!』

  なんて言われてさ。なんつーか……目が覚めるってのとは違うんだけど、ああ、これだって思ったな」


 「単純だね……それって、小学生相手だったから、まずは精神論ってこと?」


 一番練習すれば一番上手くなるっていうのも分からなくもない。

 にしても、あまりに単純すぎる理論で、正直小学生でも納得するか分からない。



 「いや、そういうわけでもないんだよな。その後も色々話してくれたんだけどさ。

  神崎さんも、ガキの頃はやっぱヘタクソで、そん時の俺と似たような感じだったらしい。

  それが悔しくて、とにかく練習して……それがあるから今があるんだって。

  素振り見てれば説得力あったし、だから言う事も素直に聞いたんだろうよ」


 「なるほど……それで、その後は?」


 「その場は俺の素振り見てもらって、それからは河原でたまに一緒に練習したな。

  神崎さんも毎日いたわけじゃなかったから、大体2,3日に一回くらいか?

  それに、秋のドラフト過ぎたらほとんど会えなくなったし。まあ、プロ入りの準備で忙しかったんだろうけどよ」


 「へぇ~……じゃあ、けっこう長い間一緒だったんだね。

  話したっていっても、ほんの一言とかだと思ってたよ」


 「今思えばすげー体験だけどな。

  だいたいその辺からだよな、はっきりと“プロ野球選手になる!”って思うようになったのも」


 「じゃあ、圭輔のルーツって感じなんだね」


 「あ~、確かにそうなのかもな。

  あそこで神崎さんに会ったからこそ、気合いが入ったっていうか、そんな感じだしな」


 神崎さんの話をする圭輔は、いつもと様子が違っていた。

 表情が柔らかい感じがして、本当に大切な思い出なんだってことが伝わってきた。

 僕らが神崎選手に感じる親近感とは、また別の、そしてそれ以上のものがあるんだろう。


 きっと、今回の不調にも思うところがあるに違いない。

 もしかすると、ガイヤーズの連敗以上に神崎選手のことが気になってるのかもしれないし。


 なんだか、圭輔の新しい一面に触れた気がした。




 「さーて、それじゃゲームでもすっか!

  ウルプロやろうぜ、ウルプロ!」


 「いいけどさー、ちゃんと手加減してよ?

  圭輔は尋常じゃないくらい上手いんだからさー」


 「野球とあっちゃ、たとえゲームでも負けらんねーからな!

  そいつは無理な話だぜ!」


 「やれやれだな……まあ、俺も勝負事で負けるつもりはないけどな」


 圭輔と光が熱い火花を散らしている。

 二人ともやたらめったら上手いからなあ……『実況ウルトラプロ野球』。

 おかげで僕は持ち主にも関わらず勝てた試しがないんだけど。


 いや、今日こそもしかしたら……なんて思いながら、コントローラーを手に取った。



 そんなこんなで、野郎三人、気兼ねなんて全く必要のない時間は過ぎていったのだった―――






 ………






 ………………






 次の日。

 圭輔と光が帰った後、例のごとく、学祭関係の仕事で学校にやってきた。

 暑いことこの上ないのだが、相変わらず運動部のみなさんは元気に活動をしている。

 ホントにご苦労なことで……。


 自慢じゃないが、僕の場合は生徒会でもやってなきゃ、夏休み中に来るなんてことはありえないだろう。

 いわんや学校に来て長時間仕事なんてことは、だ。

 ―――副会長に任命されたことに今さら不満はないが、暑いのだけは勘弁だよな。



 「……? さっきからこっちの方を見てるけど、どうかした?

  仕事で何か分からないことでもある?」


 「あ~、いや。なんでもないよ」


 いくらつばさちゃんの任命で副会長になったとはいえ……彼女に文句を言うのは筋違いか。

 暑いのはみんな一緒さ、うん。



 「そう? ならいいんだけど―――。

  ところで章くん、悪いんだけど、この書類を桃田先生のところまで持っていってもらえないかな?

  今ちょっと手がはなせないから……」


 「了解。ついでに職員室ですずんでくるよ」


 「あはは……よろしくお願いします」


 クーラーきいてるだろうから、本当に職員室は涼しいんだろうが……

 生徒会室を出るときに見えたつばさちゃんの頑張る姿は、そんな浅はかな考えを砕くのには十分なものだった。

 やっぱり、まっすぐ帰るか。






 「失礼しまーす」


 と、いうことでやってきた職員室だが……ビックリするくらい先生がいない。

 華先生もまた然りだ。

 さすが夏休み、先生も部活やらなんやらで出払ってるらしい。


 いつ戻るかも分からないし、机の上に書類だけ置いて戻ることにした。

 ……したんだけど。



 「なんでこんなに汚いんだよ……」


 華先生の机は信じられないほどゴチャゴチャしていた。

 雑然、もっと簡単に言えば“汚い”。

 普段はこんなんじゃないんだけど……まあ、先生も何かと仕事が忙しいんだろう。


 とにかく、こんなところに書類を置いてったら、下手したら無くされかねんな。

 しょうがない……片づけるか。

 勝手に物を動かすのも気が引けるけど、捨てたりしなきゃ大丈夫だろう。




 「しかしまあ、よくもこんなに色んなものがあるもんだ」


 英語の教科書他の教材、会議の資料と思しきプリント、ソフト部関係の資料etc...。

 それらがプリントやら冊子など様々な形で適当に積み上げられてるもんだから、そりゃもう汚い。

 人のことを言えた義理じゃないが、もうちょっと気をつけたほうがいいと思う。






 「―――よし、大体こんなもんだろ」


 積み上げられたものを大きさ順に揃えて脇にずらしただけだが……。

 とりあえず、物に埋まっていて見えていなかった机が見えたし、ひとまずは十分なはずだ。

 どうせプリント数枚を置くだけだし。



 「っと、写真……?」


 見えてきた机の上の面。

 そこに敷かれた保護フィルムと机との間に、一枚の写真が挟まれているのを見つけた。


 写っているのは、志木高ソフト部のユニフォームに身を包んだ女の子と、ウチのジャージ姿の女の子。

 そして野球部のユニフォームを着た男子だった。

 年は三人とも僕らと同じくらい。

 だけど、そんな服装なんてものは大した問題じゃない。


 「これって……」


 そこに写っている女の子たちには見覚えがあった。

 男子の方も一応見たことはある。

 “当時の”彼女たちと面識はないが、少なくとも女の子は僕がよく知ってる人だ。

 と言うか、机の持ち主から考えるに、この娘たちは―――




 「こーら、先生の机で何をしてるのかな、桜井くん?」


 「うわっ!? ……って、崎山先生。おどかさないでくださいよ」


 「おどかさないでくださいよ~、じゃないよ。

  も~、ダメじゃない。勝手に華の机をいじったりなんかしたら」


 急に後ろから声をかけてきたのは、養護の崎山先生だった。

 って言うか、怒っても全然恐くないのな、この人……。

 おっしゃることはもっともなんだけど。



 「いやあ、実は生徒会の資料を持ってきたんですけど、華先生がいなくて。

  それで、机の上に置いてこうとしたら、あんまり汚かったんで、書類の置き場がなかったんですよ。

  しょうがないから、ちょっと片づけてたんです」


 「そっかそっか。それじゃあまあ……仕方ないかなぁ。

  華ってば、昔から整理整頓とかあんまり得意じゃないから……」


 「いつもはそんなに汚くないと思うんですけど?」


 「一応、先生になってからは気をつけてるみたいだけどね。

  それでも、仕事がたまったり、忙しかったりすると、ついついぐちゃぐちゃになっちゃうみたいで」


 「はぁ、なるほど……」


 いかにも華先生らしい。

 そして、そんな華先生の本性(?)をよく知ってるってのも、また崎山先生らしい。




 「崎山先生って、華先生とは付き合い長いんですよね?」


 「え? ええ、まあ高校の時からだし、大学も一緒だったから、そうなるかな?

  愛美ちゃんのことも小学生の頃から知ってるし」


 「じゃあ、この写真の女の子って、もしかして華先生と崎山先生なんですか?」


 そう言ってさっきの写真を指さす。



 「あっ、この写真懐かしいな~。

  そうそう、これ私たちが高校生の時の写真なの。

  このユニフォーム着てるのが華で、ジャージ着てるのが私」


 「へ~。じゃあ、華先生が志木高女子ソフト部のOGって話、本当だったんですね」


 改めて写真を見ると、確かに面影がある。

 さすがに今よりあどけなさがあるものの、間違いなく華先生と崎山先生だ。



 「ついでに言うと、私もね。マネージャーだったけど。

  今は……桜井くんがソフト部のマネージャーなのかな?」


 「あれは諸般の事情で無理矢理やらされてるだけですって……」


 「うんうん、知ってたけど……ついね」


 何がおかしいのか、崎山先生がクスリと笑う。

 やれやれ……さすがは華先生と付き合い長いだけはあるよ、全く。



 「なんだか桜井くんたちって私たちに似てるから、話してておもしろくって。

  ソフト部のマネージャーもだけど、生徒会やってるところなんかもね」


 「崎山先生、生徒会もやってたんですか?」


 「私と、それから華もね。

  私は保健委員長で、華が生徒会長……ね、それっぽいでしょ?」


 「ええ、まあ……」


 当時から保健委員長とは……養護教諭になることが宿命づけられてたんだな。

 華先生にしても生徒会長……確かに似合ってる。



 「あの頃は楽しかったな~。

  志木高もまだ新設校だったから、生徒もあんまりいなくて。

  部活にしても生徒会にしても、私たちが志木高を作るぞ!って感じがして。

  今も楽しいけど、あの頃はすごくエネルギーがあった気がする。

  若いってだけじゃなくてさ、なんて言うか……ものを創る、不思議なエネルギーがね」


 そう言う崎山先生の目は穏やかなもので、本当に楽しい毎日だったんだろうと思う。

 ―――僕もいつか、自分の高校生活をこうして誇れるようになるだろうか?



 「特に華はすっごくパワーがあってね。

  私も強引にソフト部のマネージャーに引っ張られたみたいな感じだったし」


 「崎山先生もだったんですか?

  ……って、僕は正規のマネージャーじゃないですけど」


 「そうそう。一年生の時にね、クラスでボーっとしてたら、いきなり華が……

  『崎山さん、ソフト部のマネージャーやらない!?』って。

  おかしいでしょ? そんなに仲良くもなかったのに、何の脈絡もなく」


 「はあ……何ていうか、デジャヴっていうか、華先生らしいっていうか……」


 「後から理由を聞いたら、『なんかヒマそうだったし、マネージャーっぽい雰囲気だったから』って。

  信じられないって思ったけど、でもそれを納得させるだけのものがあったんだよね、華には」




 「ちょっとちょっと、人がちょっといないからって、好き勝手に言わないでもらえる!?」


 いつから聞いていたのか、憤然といった様子で華先生が割って入ってきた。



 「あっ、おかえり華。どこ行ってたの?」


 「どこ行ってたの? じゃないって望!

  も~、桜井に変なこと吹き込むのやめてもらえるかな?」


 「あらら、でも全部事実じゃない? 別に恥ずかしい話でもないし。

  それにね、おかげで華とすごく仲良くなれたし、素敵な思い出もたくさんできたし……華には感謝してるんだから」


 「そうやっていい感じの話にまとめちゃって……。

  ホントにもう、望ってば」


 そう言って肩をすくめる華先生も、まんざらじゃなさそうだった。

 なんだかんだで親友同士なんだ、この二人は。




 「それにしても、随分なつかしい話してたみたいね。

  ―――あー、この写真ね。確か……神崎くんと最後の勝負した後に撮ったんだっけ?」


 「うん、そうね。日付も三年の時だし、それで合ってる」


 「そう言えば、写真にもう一人写ってる野球部の人って、もしかして……」


 「ふっふっふ……聞いておどろけ―、桜井!

  この野球部の彼、現役バリバリのプロ野球選手、東京ガイヤーズの神崎英一なのよ!」


 「へーそうなんですかーすごいなー」


 「……やけに反応が薄いじゃない」


 「いやまあ……たまたま昨日、圭輔たちと野球中継見てて、そこで出てきてたから見覚えあったもんで。

  神崎選手がウチのOBってのも知ってましたし」


 「可愛げないわねぇ……まあでも、神崎くんは有名人だし、ここのOBだって話も有名だから、仕方ないかな」




 「でも、先生たちと神崎選手って仲良かったんですね。

  こんな写真を一緒に撮るくらいんですし……そう言えば、最後の勝負って?」


 さっき、華先生は確かにそう言っていた。

 なかなか物騒なワードではある。



 「ああ、それね。

  何てことは別に無いんだけど、私がピッチャー、神崎くんがバッターでソフトボールの一打席勝負やったり、

  逆に神崎くんがピッチャー、私がバッターで野球の一打席勝負やったりしててね、そのこと」


 「なんだってまたそんなことを?」


 「ん~? まあその……Seasonのおごりを賭けたり、単に景気づけだったり……色々かな」


 「なんか……メチャクチャやってますね」


 「華って負けずぎらいだったしね~。

  大抵は華から神崎くんに勝負を申し込む感じだったよね?」


 「え~、そうだったっけ? 神崎くんもたいがいだったと思うけど……。

  『本職じゃないとはいえ、女子に負けたままじゃいられない、リベンジだ!』とか言ってさ。

  神崎くん、やめればって言うのに意地になって野球のバットでソフトの球打とうとするんだし……」


 「言われてみれば……そうだったかもね」


 そりゃ確かに大概だ。

 たまにテレビの企画で、プロ野球選手がソフトボール選手と対決みたいなのがあるけど、

 大抵は野球選手がきりきり舞いになっている。


 なんでも、ソフトの方がマウンドと打席の距離が近いらしく、このせいで体感速度がかなり速くなるらしい。

 その他諸々の条件も重なり、とにかく打ちづらいようだ。


 高校生同士だからプロとはワケが違うだろうけど、それでも相当不利なはずだ。

 にも関わらず挑んでくっていうんなら……それは負けずぎらいってやつだろう。



 「そう言えば、最後の勝負って?」


 「ああ、それね。まあ、読んで字の如くって感じなんだけどさ。

  神崎くんが甲子園から帰ってきたら、高校三年間の総決算をしようって約束をしててね。

  で、帰ってきてすぐに約束通り勝負したんだけど……」


 「だけど?」


 「……これが今でも分からないんだけど、あっけないくらいに私の圧勝でね。

  ソフトボール勝負だったのもあったんだけど、三球三振だったんだよ、神崎くん。

  何回もやったけど、そんなのはあれが最初で最後だったなぁ……」


 「私と華は大会から帰ってきたばっかりで疲れてたんじゃないかって思ってるんだけど……」


 「今となっては真相は闇の中……ってやつね。

  で、終わった後にこの写真撮ったんだけど……何となく元気無くてね。

  萩原みたいとは言わないけど、元気が服着て歩いてるような奴だったから、印象に残ってるよ」


 「へぇ……」


 改めて写真を見る。

 神崎選手本人を知っている訳ではないから、元気があるのか無いのかはよく分からない。

 だけど、言われてみれば確かに何となく影がある気もした。


 ……どうしてなんだろうな。




 「そう言えば桜井、何か用事があったんじゃないの?」


 「あっ、そうだ。つばさちゃんから書類を頼まれてて。

  机の上に置いておきましたから、見といてください」


 「ああ、そうだったの。わざわざご苦労さん。福谷にも伝えといてよ」


 華先生の声と、ふと見た腕時計の示す時間で現実に引き戻される。

 思ったより長居してしまったようだ。



 「……っと、そろそろ戻ります。

  思わず話し込んじゃいましたけど、つばさちゃんも一人残してきちゃったし……」


 「はいよ。色々大変だろうけど、頑張りなよ」


 「はい。それじゃ、失礼します」


 職員室には華先生と崎山先生しかいなかったが、一応形式的にあいさつをしてから退出する。

 ―――生徒会室に戻った時、暑かったのだろう……だらけるつばさちゃんという珍しいものが見られたのは、また別の話。






 ………






 ………………






 その夕方。

 生徒会の仕事の後で立ち読みしに本屋に寄った後、散歩がてらいつもと違う道を歩いていた。

 昨日の圭輔の話に出ていた河原である。


 昨日といい今日といい、やたらと神崎選手の話を聞いた気がする。

 それで気になったってわけじゃないけど、何となく足がこっちを向いていた。

 とは言え、まさか神崎選手が練習しているわけもなく、素振りをしている野球少年さえ見つけることはできなかった。


 まあ、別に何か目的があったわけじゃないんだけど。

 それでもちょっと寂しい気がした。


 だけど、よく見ると野球の練習どころか人の姿すらない。

 確かにいまどき河原で何かするってのも珍しいのかもしれないな。

 圭輔や神崎選手は稀有な存在だったのかもしれない。



 「って、言ってるそばから……女の子?」


 女の子だ。

 何をするでもない、ただそこにポツンとたたずんでいる。


 場所のイメージ的なものなんだろうか、何となく物憂げで……ホントにポツンって感じ。

 そして何故か神秘的なものを感じさせて、気づけば立ち止まって彼女を見ていた。

 何でもない風景のはずなのに、どうしてか気になったんだ。




 しばらくボーっと見つめる。

 水面に西日が反射して、キラキラと光ってやたらと綺麗だった。

 夕陽の持つ魔力とでも言うか、日常の景色なのにえらく幻想的なものに感じられる。


 そして女の子。

 僕と同い年くらいだろうか……とりあえず、この辺では見ない子だ。

 背中しか見えないはずなのに、纏う雰囲気は物悲しげなものがあって、そこに引きつけられた。

 ―――そう、まるで背中が『私を見つけてほしい』と言っているような、そんな感じ。




 「っと!?」


 不意に女の子が振り返る。

 こちらのことは見えているはずだが、表情の変化はない。


 ……が、こちらとしてはどうにもバツが悪い。

 自然と謝罪とも言い訳ともつかない言葉が出ていた。



 「あ~……その、ごめんごめん。

  別に君を見ていたわけじゃなくって……あっ、いや、見てたには見てたんだけど。

  でも、そういういやらしい意味とかがあったんじゃなくて、何て言うかその……。

  とっ、とにかくゴメン!」


 自分でも何を言ってるのかよく分からないが、事実とはそんなに差異はない……はずだ。

 だけど、そこで初めて女の子の表情は変化して。

 焦りと驚きが混じった表情。

 ……こりゃ変な誤解されたよな、絶対。



 「じゃ、じゃあ僕はもう行くよ!

  気を悪くしたならゴメン!

  それじゃ―――」


 「ちょっ、ちょっと待って!」


 若干変なイントネーションで呼び止められる。

 ヤバッ……本格的に怒らせちゃったのか?



 「キミ、うちのことが見えるん!?」


 「……はっ?」


 変なイントネーション改め、恐らくは関西弁と思われる喋りで、目の前の女の子はそんなことをのたまった。


 見える?

 そりゃ見えるから見てたんであって、だから謝ったわけで。

 そもそも、人間に対して見えるだの見えないだのって話が出てくること自体がおかしい。


 ―――この娘、何を言ってるんだ?






 「うわ~、うれしいっていうか、何か複雑っていうか……。

  まあでも、これで今年はヒマな思いをせんでいいっていうのはありがたいかな―――」


 「あっ、あの……」


 「ふ~ん……それにしてもキミかぁ……。

  全然変わってるようには見えんのやけどな……」


 「ちょ、ちょっと!」


 今度は立場が逆転、女の子の方が僕をなめるように見回している。

 ……正直言って、気持ちの良いもんじゃない。

 今後、誰かをジロジロ見るのは控えようと思う。




 「あ~、ゴメンゴメン。ちょっといきなりすぎやったね。

  え~っと……何を話したっけ?」


 「正直言って何も聞いてないに近いんだけど……

  とりあえず、名前を教えてもらえるかな」


 「そうやね。名前も分からんと話もできんしね。

  コホンッ」


 女の子はわざとらしく咳払いを一つ。

 ……なんだかなあ。



 「ウチはあすか、安藤飛鳥(あんどう・あすか)や。

  よろしく、少年!」


 「少年って……そんなに年は離れてないと思うけど」


 「そこは色々あるんやわ。気にせんといてよ」


 「はぁ……まあ、いいけど。

  ―――僕は桜井章。ここから少し行ったところにある、志木ノ島高校の2年生だよ」


 「へ~、やっぱ志木高なんや」


 「やっぱりって?」


 「ああ、こっちの話や。とにかく、よろしく、章くん!

  ウチのことも飛鳥って呼んでくれればええからね」


 「こちらこそ……飛鳥ちゃん」


 ……何か、いちいち言葉に含みのある娘だな。

 悪い子じゃなさそうなんだけど。

 とりあえず、変わってる。

 なんというか、調子狂うよな。




 「さてさて、自己紹介も済んだところで話をしたいんやけど……。

  章くんは、まずどこから聞きたい?」


 「色々あるけど……まず、飛鳥ちゃんはこの島の人じゃないよね?」


 「ご名答や。ウチは大阪出身。

  こっちには、母方の実家があって、それで毎年夏休みの時期にだけ来てるんや」


 なるほど。これでイントネーションにも納得がいった。



 「まあ、今のは大体の予想がついてたけど……」


 「なんや、遠慮せんでどんどん聞いてくれればええよ。

  大抵のことには答えるで」


 「それじゃあ、次の質問。

  最初に僕が声をかけた……っていうか、謝った時、『ウチのことが見えるんか』って言ったよね。

  あれってどういう意味?」


 「やっぱ、それ聞きたいよね……。

  分かった。今から言うさかい、驚かんで聞いてな」


 と、ここで飛鳥ちゃんは今までにない真剣な表情になる。

 前座はここまで、本番はここからといった雰囲気だ。

 もっとも、僕としてもそのつもりだったけど。




 「実はウチな、普通の人間やないんや」


 「………………」


 若干のタメを作ってもったいぶった後、目の前にいるマイペース関西弁娘はそんなことをのたまった。

 もったいぶった割に、今一つ要領を得ない。




 「普通の人間じゃないって……まあ、飛鳥ちゃんは確かに変わってるけど、

  そこまで言っちゃうのはさすがに言い過ぎな気がするんだけど?」


 「ちゃうちゃう、そういう意味やない……って、自分さらっとヒドイことゆーたよね?」


 「いやまあ、言葉のあやってやつだよ」


 「ふ~ん……別にええんやけど。これでも、変わってるのは自覚しとるつもりやし」


 自覚してる割には言葉尻を捕まえてくるあたり、気にしてるのかもしれない。

 あまり触れないようにしておこう。



 「でな―――何を話しとったんやっけ?」


 「飛鳥ちゃんが普通の人間じゃないって話。

  って言うか、自分で脱線させといてそりゃないでしょ?」


 「細かい話はええやんか~。

  でな、ウチがどう普通やないかって話やけど……」




 「実はウチ、幽霊なんや」


 「……は?」


 何とも間抜けな声が出た。

 あまりに突拍子もないことを言いだすもんで、これくらいしかとっさに返事できなかったのだ。



 「なんやねん、その間抜けな声は。

  もっと、『えーーーー!?』とか、派手に驚いたらどうなん?」


 「いやいやいや、ツッコミどころはそこじゃないから。

  それに、ツッコミをいれたいのこっちだって」


 「章くん、ノリがいいのは嬉しいんやけど、なにかと細かいのがタマにキズやね」


 「……これ以上脱線させたくないからスルーさせてもらうけど」


 「いけずやな~」


 「………………」


 何をのんきなことを言ってるんだこの娘は。

 さっきからどうにもペースに乗せられてる気がするのは、気のせいか?



 「いきなり幽霊って言われても信じられないっていうか……。

  あまりにも予想の斜め上すぎて、ちょっと。

  幽霊ってさ、もっとこう暗いイメージっていうかさ、足が無くて、うらめしや~―――みたいな?

  とりあえず、飛鳥ちゃんとはかけ離れてると思う」


 「なんやねんそのベッタベタな幽霊は!?

  ウチの話はともかく、幽霊って聞いて今時そんなイメージする奴おらんって」


 「うっ、うるさいなあ! それに、今はそんな話してる場合じゃないでしょ?」


 「それもそうやね。

  でな―――何を話しとったんやっけ?」


 「……飛鳥ちゃん、もしかしてワザとやってる?」


 「あははは!

  いや~、章くんをからかっとると楽しくて、ついつい。

  かんにんしてや」


 なんて無邪気な顔で言うもんだから、こちらとしても気勢を削がれてしまった。

 きっと本人も悪気はないんだろう。




 「それで、ウチが幽霊やって話やけど……まあ、にわかに信じられへんのも無理はないよ。

  でも、ホントの話なんや。

  幽霊……って言っても、正確にはちょっとちゃうんやけどね」


 「ちょっと違うって?」


 「何て言うかな……ウチこと安藤飛鳥の本体は、今も生きとるし、フツーに起きもしとる。

  章くんがイメージしてるみたいな、死人の霊やら幽体離脱やないってこと」


 「……ますますこんがらがってきたような」


 生きてるのに幽霊とは、これいかに?



 「じゃあ、僕の目の前にいる飛鳥ちゃんって?」


 「何て言えばいいんかな……残留思念っていうか、この島に思い残したことっていうか……。

  安藤飛鳥の“心残り”が実体になった……そんな感じかな?」


 「………………」


 正直言って、理解の範疇を超えていた。

 幽霊ってのがその範囲なのかは怪しいが、それよりさらに話がぶっ飛んでいる。

 僕が黙っているのを気づかってくれたのか、飛鳥ちゃんが言葉を続ける。



 「まあ、いきなり言われてもよー分からんってのが本音やろうね」


 「……とりあえず、普通じゃないってことは分かったよ」


 「信じてくれるん……って、誰かにこんな話するのも初めてなんやけど」


 「信じるも信じないも、そもそも理解できてるか、自分でも怪しいところだけど……。

  でも、僕にこんなウソついても何の得もないし、それに飛鳥ちゃんはそんなことしそうにないしね」


 「……おおきに」


 そう言ってほほ笑む飛鳥ちゃんは、見た目の歳には不相応なほど、大人びていた。



 「とにかく、そういうわけでウチの姿は普通の人間には見えへんはずやった。

  事実、今まで誰かに声かけられたり、そういう事はなかったんやからね。

  何でか、章くんは例外みたいやけど―――ちょっと失礼」


 「?」


 飛鳥ちゃんがこちらに歩み寄ってくる。

 元々遠くはなかった距離がさらに近付き、手をすこし伸ばせば触れられるくらいの位置関係になった。



 「えっと……?」


 「よっ!」


 「ちょっ!?」


 突然、額に何かが触れた感覚。

 ―――飛鳥ちゃんの手だった。



 「ちょっと飛鳥ちゃん!?」


 「ゴメンな。すぐ終わるから、ちょっと黙っとって」


 そう言う飛鳥ちゃんは、目を閉じて何やら集中しているようだ。

 集中して何をやってるのかと言えば、熱を測るかのように僕の額に手を当ててるわけだが……。


 不思議なことに、触れる手にはぬくもりがあった。

 この辺も、厳密には幽霊とは違うって話につながってるのかもしれない。




 「………。

  な~るほど。章くんも、ウチとちょっと似てるんやね。

  それでウチのことが見えたんや……」


 「え?」


 「いや、こっちの話。急にゴメンな。

  まあ……ちょっとからかっただけやから」


 明らかにそうではない気がしたが、かといって問い詰めても答えてくれそうになかったので、ここは大人しく引っ込んでおいた。




 「さて、と。今日はひとまずこの辺にしとこうか?

  けっこう話し込んどったみたいやし……あんまり遅くなるのも、な?」


 「でも、まだ聞きたいことが……」


 「う~ん……それやったら、明日の同じ時間に、ここでまた話そ?

  どうせウチはやること無いし。それでいいやろ?」


 「それなら、まあ」


 正直、疑問がくすぶったままで別れるのは避けたいのだが……。

 飛鳥ちゃんがそう言うんなら、聞かないわけにもいかないだろう。



 「なんやまだ色々聞きたそうやから、とっておきを見せたるわ。

  ウチが幽霊やって証拠。それでかんにんな」


 「別に今さら疑ってるわけじゃないんだけど……見せてもらえるってなら」


 「よーし。それじゃ、ウチをよーく見とってな―――」


 言われるがまま、飛鳥ちゃんを注視する。

 ……何となく照れ臭い。




 「……!?」


 なんて、バカなことを考えてるうちに、目の前でにわかには信じがたいことがおこった。




 「消えた……?」


 目の前で、飛鳥ちゃんが消えてしまったのだ。

 一瞬ってわけじゃないが、それでもかなり速いスピードで、だんだんと透明になるようにして。

 確かに、よーく見ていないと気付かない。



 『それじゃ、また明日な』


 頭に直接響くように、飛鳥ちゃんの声が聞こえた。



 「疑うわけじゃないけど……ってか。

  これじゃ疑いようもないよな」


 僕の中にあったほんのちょっとの疑いは、飛鳥ちゃんが消えるのと同じくして消え去ってしまった。

 確かに、飛鳥ちゃんは正真正銘の幽霊だ。


 ただ、疑いは消えても疑問は消えない。

 飛鳥ちゃんがここにいる理由……“心残り”ってなんなのか、とか・



 「……明日、もっかい来るか」


 誰に言うでもなく―――もしかすると飛鳥ちゃんには聞こえていたのかもしれないが―――そんなことを呟いた。






 ………






 ………………






 次の日。

 早速河原へ―――向かう前に、あやのから場所を聞いておいた小春ちゃんちの神社へ来ていた。

 理由は単純明瞭、飛鳥ちゃんのことをそれとなく相談するためだ。


 幽霊の類は神社の専門なのかは定かじゃないけど、しかし他に頼れる人もいなかった。




 「あっ、桜井先輩。珍しいですね、何か御用ですか?」


 神社へと続く階段を上がると、業務の手伝い中だったのか、巫女服に身を包んだ小春ちゃんが迎えてくれた。



 「ちょっと聞きたいことがあってね。今、大丈夫かな?」


 「桜井先輩のお願いなら、いつでも大丈夫ですよ!

  それじゃ、社務所の方でお話しましょうか」


 「ありがとう」


 ここの神社も家の近くにある割に来たのは初めてだな……。

 中々立派な神社だ。

 小春ちゃんちも、もしかすると由緒ある家柄だったりするのかもしれない。




 「家の人は?」


 「お父さんもお母さんも、今ちょっと出かけてて。明日の夜まで帰ってこないんですよ」


 「そっか。こんな広い家に一人じゃ、ちょっと寂しいんじゃない?」


 「そんなこともないですよ。こういうことは結構あるんで、もう慣れてますし、それに―――」


 続く小春ちゃんの言葉を遮るように社務所の戸が開き、袴姿の女性が入ってきた。

 僕もよく見知った人物……京香ちゃんだった。



 「お茶をお持ちしました―――っと、桜井か?

  御客が来たので誰かと思ったら……これは珍客だな」


 「いやあ、お邪魔してるよ―――じゃなくて。

  京香ちゃん、なんでここに?」


 「小春にせがまれてな。

  叔父上も叔母上も出かけるということで、心細いので泊まりに来てほしいと……」


 「……小春ちゃん、慣れてるんじゃなかったっけ?」


 「あはは……りっ、臨機応変ってやつですよ」


 ジト目で見ると、小春ちゃんは苦しい言い訳で返してきた。

 言葉の使いどころ、微妙に間違ってないか?


 大方、親御さんがいないのをダシにして京香ちゃんを呼んだんだろうな……。

 よっぽど京香ちゃんのことが好きらしい。



 「やれやれ……大方そんなところだろうとは思っていたが、まさかそのままだったとはな……」


 「うう……お姉様まで。ひどいですよ」


 「ひどいも何も、呼び出されたこっちの身にもなってみろ」


 ごもっともである。



 「うっ……そっ、そんなことより!

  桜井先輩のお話ってなんですか?」


 言い訳に窮したからか、強引に話を本題にもっていかれた。

 もっとも、こちらとしてもそれで問題ない。


 今日は別に、小春ちゃんをいじりにきたわけじゃないしな。

 京香ちゃんもその辺は分かっているのか、半ば呆れ顔で肩をすくめるだけだった。



 「ああ、それなんだけどね。

  ……変な意味で聞くんじゃないんだけど」


 「はい」


 「その……幽霊ってさ、実在するのかな?

  小春ちゃん、神社の家だからこういうの詳しいかなって思って」


 「……そうですね」


 そこで言葉を止めると、さっきとは打って変わり、目を伏せ、何やら神妙な表情で考え込む小春ちゃん。

 ここまで真剣になるとは、正直予想していなかった。

 成り行きでその場に居合わせる形になった京香ちゃんも、似たような表情をしている。

 二人して何か思うところでもあるのだろうか?



 「私は……いると思いますよ。というより、はっきり“いる”って断言できます。

  幽霊に限らず、霊験あらたかな存在というものは、間違いなく実在しているんです」


 「………………」


 「桜井先輩が何を見聞きして、何を思ってこういうことを聞いてきたのかは分かりませんが……。

  善きにつけ悪しきにつけ、そういった存在は確実に実在します。

  特にこの島は、そういった力が働きやすい……分かりやすい言い方をすれば、“不思議な”場所ですから」


 こないだ優子ちゃんが言っていた“四季の島”伝説の関係だろうか?

 はた迷惑な神様ではあるが、確かにそういったものが存在するなら幽霊くらいはありそうな話ではある。


 ……もっとも、飛鳥ちゃんは幽霊じゃなくて“心残り”だと、自分で言ってたけど。

 違いはそんなにないだろう、多分。



 「京香ちゃんはどう思う?」


 「私も小春と同じ考えだ。

  理由は言えんが……我が剣の流派も、そのような存在に関係しているのでな」


 「そっか……」


 京香ちゃんも思うところがあるようで、何ともいえない重たい表情を崩さずにいる。

 もしかすると、気安く触れちゃいけない話題に触れちゃったのかもしれない。



 「ところで、どうして急にそんな事を?」


 「いや、まあその……これもやっぱり驚かないでほしいんだけど」


 「大丈夫ですよ。

  他の方はどうか分かりませんが、少なくともお姉さまや私は、“こういうこと”に免疫がありますので」


 「それじゃあ言うけど、実は昨日、自称幽霊の女の子に会ってさ。

  それでまあ……どうしたもんかな~と。

  今日も会う約束してるんだけどね」


 「……そうですか」


 小春ちゃんの反応は、悪く言えばそっけないもので、しかし非常に穏やかだった。

 本当にこの手の話に慣れているらしい。

 流石は神社の娘ってことなのか……?



 「桜井先輩の身に何もないのを見ると、特に危害を加えるとか、そういう類の存在ではないようですね」


 「そうだね……むしろ、やたらフレンドリーだったし」


 加えると関西弁。

 僕のイメージがあまりにステレオタイプだったのものあるが、幽霊のイメージを根底から覆してくれた。



 「それなら、先輩の思うように接すればいいと思います。

  それこそ、お姉さまや私にするのと同じように。

  先輩は、そういうの得意でしょうし」


 「……随分悪意があるように聞こえるんだけど」


 「気のせいです♪」


 ここで初めて小春ちゃんが、いつもの弾けるような笑みを見せてくれた。

 隣で京香ちゃんも小さく笑っている。

 いいネタにされた気がしなくもないけど……重い表情をされるくらいなら、こっちの方がいい。



 「その霊が見えて、話して、そして再会の約束をしたこと。

  その相手が桜井先輩だったこと。

  きっと、それは意味があることなんです」


 「意味があることって?」


 「具体的にそれが何かまでは分かりませんけど……。

  その霊にとって、桜井先輩が特別な存在だろうってことです」


 「特別な霊感を持たない桜井がその存在を感知したのだ、恐らくよほどのことなのだろう」


 「よほどの特別な存在……ねぇ。

  なんかピンと来ないけど」


 「難しく考えることはない。

  小春が言うように、自然体でいればいい」


 自然体、か。

 確かに、昨日だって別に普通にしゃべってただけだからな。

 正体が分かったところで、身構える必要もないか。



 「そうだね……分かった、その感じでいってみるよ。

  二人とも、ありがとね。やっぱり、専門家の意見は頼りになるよ」


 「お役に立てて何よりです♪

  何かあれば、またいつでも神社にいらしてくださいね」


 「うん、そうさせてもらうよ。

  ―――さて、そろそろ約束の時間だから、もう行くよ」


 「道中気をつけてな」


 「ありがとう。それじゃ」


 こうして二人と別れ、昨日の河原へと向かった。

 自然体、自然体……と―――





 ………





 ………………





 河原に着くと、昨日と同じように飛鳥ちゃんがたたずんでいた。

 その背中は、初めて見かけた時と同じで、どこか寂しげに見える。

 あんなに明るい娘なのに、やっぱり妙に儚げなのは“心残り”が関係あるんだろうか。



 「飛鳥ちゃん」


 「おっ、よー来たね章くん!

  いやあ、もしこんかったらどないしようって思ってたんや」


 「約束だったからね。

  こう見えて、約束は律儀に守る方なんで」


 「あはは、けっこうけっこう」


 声をかけると一転、昨日のテンションに戻っていた。

 元気なさそうに見えたのは気のせいだった……のかな?



 「さ~て、それじゃあ昨日の続きを話そうかね。

  ところで、ウチが普通じゃないってのは信じてもらえた?」


 「そりゃ、目の前で消えられたら、ね。

  まさか手品だなんてことはないだろうし」


 「うんうん、素直でよろしい♪

  最近の子ってどこかひん曲がったようなのが多いからね~。

  その点、章くんは純粋っちゅうかなんちゅうか……」


 「最近の子って……飛鳥ちゃんだって、僕とそんなに歳離れてないでしょ?」


 「そんなこと無いよ。ウチ、今年で25やし」


 は?

 耳が故障したかな?



 「あの、よく聞こえなかったからもう一回言ってほしいんだけど」


 「だから、ウチは今年で25歳なんやって。

  もう、女性に何回も歳を言わせるもんやないで」


 「いやいやいや、その外見で25歳って言われても、全然説得力ないから!」


 飛鳥ちゃんはどう見たって高校生くらいだ。

 いくら童顔だとしても、7つも8つも下に見えるもんじゃないだろう。



 「説得力ないって言われてもなあ……。

  ウチ、幽霊やからね。“生きてる”ウチは今年で25歳や。

  もっとも、章くんに見えとるこの姿は18歳、高三の時の姿やけどね」


 さすが幽霊、何でもありだな。

 しかし、まさか華先生達と同年代とは。



 「あの、もしかしてこれからは飛鳥さんってお呼びしたり、敬語でお話した方がよろしいんでしょうか?」


 「……敬語で話すにしても、硬すぎて逆にいんぎんな感じになっとるで。

  それに関しては、別に気にせんでええよ。

  最初に言わんかったウチも悪かったし、急に変えるのもしんどいやろうしね」


 「ふう……いやあ、助かったよ。

  でも、自分の担任の先生と同い年の娘とタメ口で話すっていうのも、なんだか不思議だね」


 「そりゃそうやろうね。

  あっ、それから、やたら年齢の話するのもナシやから。

  さっきもゆーたけど、これでもそれなりに気にしてるんやからね」


 「あっ、うん」


 最後だけやけに力が入っていたような気がしたので、素直に従うことにする。

 なかなか複雑なんだな……。

 まあ、どちらにせよ一つ年上なのは変わらない。

 年長者の言うことは聞くに限る。



 「そう言えば、飛鳥ちゃんの本体ってどうしてるの?」


 「どうしてるってのは?」


 「仕事とかさ。25ならもう働いてるでしょ?」


 「ああ、それならTV局でスポーツレポーターやっとるで」


 「えっ!? じゃあテレビ出たりしてんの!?」


 飛鳥ちゃんは事もなげに言ったが、中々な仕事をしているようだ。



 「ん……まあ、ね。まだまだ駆け出しやけど」


 「それでも凄いよ。

  へ~……」


 「―――約束、やったからね」


 感心していると、ふっと飛鳥ちゃんが遠い目で呟いた。

 約束、と確かにそう聞こえた



 「約束って?」


 「……とりあえず、それは後で。

  それより、他になんかないん?」


 気になるが、これ以上の回答は望めそうにない。

 後でというなら、後からじっくり聞けばいいか。



 「ん……じゃあさ。

  飛鳥ちゃんの本体は、こうしてる“心残り”の飛鳥ちゃんを認識してるの?」


 「ああ、それやったら、お互い一応はって感じかな。

  はっきりと何してるとかは分からへんけど、でも何となく分かる……みたいな」


 「随分あいまいな感じなんだね」


 「ま~、“ウチ”の存在そのものがそんな感じやしね」


 言われてみればそうである。

 何と表現すればいいのか分からないが、目の前にいる飛鳥ちゃんは非常にあいまいな存在だろう。



 「それに、ウチも年中出とるわけやないしね。

  大体、毎年の夏の甲子園の時期から、お盆が終わるくらいまでしかここにおらんし」


 「えっ、そうなの?

  じゃあ、それ以外の時期は?」


 「その辺はやっぱりあいまいなんやけど……。

  分かりやすく言えば、眠っとるみたいな感じかな。

  で、また夏が来たら目が覚めると」


 「へ~……。

  でも、なんでそんなことに?」


 「こっからはウチの推測でしかないんやけど……。

  でも、これしかありえへんやろうなって理由があって」


 まただ。

 また、飛鳥ちゃんが遠い目をした。

 さっき呟いた時みたいな、なんとなく物憂げな感じ。

 ちょうど、昨日初めて見かけた時、そして今日僕が来る前までまとってた雰囲気と同じだ。



 「ウチの“心残り”とも関係あるんやけど……。

  この話、長いで。覚悟はできとる?」


 「今までの話でも散々驚かされてきたからね。

  今さら覚悟も何もないよ」


 「そっか。それならええね。

  まあ、今日は端っからこの話する予定やったんやけど……」


 そんな風に茶化すと、飛鳥ちゃんはふぅ……と、一つ息を吐いた。

 多分、自分で間をとってるんだろう。




 「章くんはさ、東京ガイヤーズの神崎英一ってプロ野球選手、知っとる?」


 どうやら神崎選手にはよくよく縁があるらしい。

 きのう、おとといに続いてその名を聞くのはこれで三日連続だ。



 「そりゃまあ、有名人だし、志木高のOBだしね。

  それに、友達が昔ちょっとお世話になってたり、担任の先生の同級生だったり……。

  ここ何日か、何かと話を聞く機会があって」


 「へ~、そうなんや。

  知っとるとは思っとったけど、そこまでやとは思わんかったよ」


 「僕個人としては全然関わりないんだけどね。

  飛鳥ちゃんはスポーツレポーターだし、よく知ってるんでしょ?」


 「ん……まあ、もちろん、そういう意味でもなんやけどね。

  それ以上に―――ウチの幼なじみっていうかな、そんな感じなんやわ、英ちゃん」


 「幼なじみ……?」


 圭輔、華先生と崎山先生に続く、新たなる神崎選手の関係者。

 そしてその関係は、今までの3人とはまた異なるものだった。



 「さてと……それじゃ、ここから少し昔話をするな」


 「………………」


 飛鳥ちゃんはまた遠い目―――まるで記憶の糸をたぐっているような、そんな表情でとつとつと昔語りを始めた。

 ここにきて、この表情の意味がなんとなく分かったような、そんな気がした。




 「あれは……もう15年くらい前やね。

  まだウチら……ウチと英ちゃんが小学生だったころや。

  ウチの母方の実家が志木ノ島にあって、それで夏には毎年来とったって話はしたよね?」


 「うん」


 「その年も、やっぱりこっちに来てたんやけど……。

  ある日、なんの気無しにこの河原を散歩しとった。

  ちょうど、昨日の章くんと一緒やね」


 「そう、だね」


 当時10歳くらいにしては、散歩ってのは随分渋い気もするけど……。

 散歩というよりは、探検っていう方が感覚が近いのかもしれない。

 知らない土地の、知らない場所に行く―――子どもの時分なら、きっと楽しいことだろう。



 「そしたらな、そこにおってん」


 「いたってのは……」


 「幼き日の神崎英一、その人や。

  英ちゃんは半分泣きそうな顔になりながら素振りしとった。

  ―――それが、ウチと英ちゃんの最初の出会い」


 河原で半泣きで素振り……どこかで聞いたような話だ。

 どうやら、神崎選手は圭輔を励ますのに嘘をついたわけではなく、実体験に基づく話だったらしい。



 「半分は確かに泣きそうやったけど、もう半分はホントに鬼気迫るって感じでな。

  あっけにとられたって感じやろうか……とにかく、ウチは英ちゃんの素振りに見入っとった。

  そしたらな、めっちゃ無愛想に声かけてきてん。『何か用か』って、それだけ。

  いやあ、もうな、アレは一生忘れんわ。初対面の人間にあんな声かけんで、フツー」


 一気にまくしたてるようにして飛鳥ちゃんが言った。

 よっぽど印象に残ってるんだろう。



 「泣きそうな顔のクセしてな。カッコつけよってからに」


 ただ、毒づいてる割に表情は穏やかなもので……きっと大切な思い出なんだろう。

 見てるだけで、なんとなくそれが感じられた。



 「まあウチもそんな態度にちょっとムカっときてな、『別に~』なんて、適当に返したんやけど。

  その日はもうちょっとだけ素振り見て帰ったんや。

  ……で、次の日また行ってみたら、やっぱまた素振りしてて。今度は泣きそうな感じやなかったけど……やっぱ必死そうでな。

  『なんでそんなに必死なんや』って、思い切って聞いてみたんや。

  そしたら、今度はなんて言ったと思う?」


 「そうだね……チームで一番上手くなりたいから、一番上手いヤツの倍練習するんだ、とか?」


 「へっ? なんで分かったん!?」


 目を丸くして飛鳥ちゃんが言う。

 こちらとしては、圭輔が言われたことを引用しただけなんだけど。



 「友達がね、全く一緒な事を言われたことがあるみたいで……それでね」


 「なるほど。まあ、それはさておきや。

  ウチは思ったね。『コイツ、アホやろ』って」


 「ず、随分ストレートだね……」


 「だってなあ……そんな、一番練習したから一番上手くなるなんて、いくらなんでも単純すぎるやろ。

  でもな、こうも思ったんや―――コイツならやるかもしらん、って。

  そんくらい真剣やったんやね、その時の英ちゃん。

  そっからは黙って見とってな。英ちゃんも、邪魔だとも、どっか行けとも言わんでね。

  お互い名前も知らんのに、今思えばおかしな話やわ」


 あはは、と笑い飛ばす飛鳥ちゃんは、本当に楽しそうで。

 きっと、素振りを見てるだけの時間さえも楽しかったんだろうと容易に想像がつく。



 「結局、名前はいつ教えてもらったの?」


 「その夏で最後に会った時。

  4,5回は見に行ったけど、基本的に英ちゃんは練習しとったから、ほんのちょっとずつしか話さんかったし。

  大阪から来たんや~とか、同い年やね~とか、そんな程度ね。

  なんちゅーか、タイミングを逃したって感じやね」


 「でも、最後はお互いに名乗ったんだよね?」


 「そうや。もう最後やって思ったから、『一番上手くなって、その後はどうするんや』って聞いてみたんよ。

  そしたらな、『レギュラーになる』って、それだけ返してきて。

  そら、一番上手いならレギュラーになるんやろうけど……今になって考えれば、英ちゃんってちょっと頭足りてへんかったんかもな。

  まあ、そりゃどーでもエエんやけどな」


 なかなかひどいことおっしゃる方だ。

 ……飛鳥ちゃんなりのコミュニケーションだと思うことにしよう。



 「『じゃあ、来年の夏にまた来るから、そん時までにレギュラー獲ってな!』と、ウチが言ったわけ。

  英ちゃんも、『それなら、次に会った時分かるように、名前くらい教えろ』って。

  最後までえらいぶっきらぼうでな……今でも覚えとるよ」


 「へぇ……何か意外」


 「今となっては随分愛想もよーなったけどね。小学生やったし、女の子としゃべるのが恥ずかしかったとちゃうんかな?」


 確かに、そのくらいの歳の男の子ってそんなものかもしれない。



 「最初の年はそれでおしまい。意外とあっけないもんやけどね。

  でもな、次の年また河原に行ったら、やっぱ練習しとってな。

  しかも、背番号のついたユニフォームをわざわざ持ってきとって……ウチとの約束、覚えててくれたんや。

  最後もえらいぶっきらぼうやったし、全然期待しとらんかったから……ホンマ、嬉しかったで」


 そうやって思い出話をする目の前の飛鳥ちゃんもやっぱり嬉しそうで。

 よっぽど嬉しかったってことが十分に伝わってきた。



 「だいぶざっくりとやけど、まずはこれが出会い編や」


 「なるほど……もちろん、まだ続くんだよね?」


 「そうや。長くなるって言ったやろ?

  次は小学生を終えて、中学生編や」


 「あれ、小学生はもう終わりなの?」


 「あんまり話すような事が無くてな……。

  会わへんかったわけやないんやけどね。

  でも、こっからはすごいんやで」


 飛鳥ちゃんの目が輝いている。

 ってことはホントにすごいんだろう。



 「中一の夏や。その頃には英ちゃんは野球も見違えるくらい上手くなっとって。

  それこそ、素人のウチが素振りを見ても、初めて見た時とは比べものにならへんくらいや」


 「へぇ……僕も野球に詳しいわけじゃないけど、それならよっぽどだったんだろうね。

  練習の成果が出てたんだ?」


 「そや。上手くなる前から知っとるもんやさかい、なんや、ウチも嬉しくてな……。

  それでも英ちゃんは練習を続けとった。次の目標があったんや」


 「次の目標……っていうと?」


 「『今度は一年生の間にレギュラーを獲る』って。

  いやあ……そん時も思ったね、やっぱコイツはアホやって。

  本物の野球バカやって」


 本物の野球バカ、その称号を持つ男を、僕も一人知っている。

 我が志木高野球部キャプテン、萩原圭輔その人だ。

 ……やっぱ似てるわ、圭輔と神崎選手。



 「そんでもね……やっぱこいつはやってもうんやないかって思った。

  もしかすると、そん時すでにプロになる……風格みたいなもんがあったんやもしらんね。

  まあもっとも、あの頃はそんなことこれっぽっちも思ってなかったけど。

  やっぱレポーターやって、色んなスポーツ選手見とるとね。何となく分かるんよ」


 「なるほどねぇ……」


 確かに、圭輔も何かやりそうな雰囲気はある。

 と、言うことはあいつも将来は……?

 なんてのは、ちょっと気が早いんだろうか。



 「結局、ホンマにその年の内にレギュラーになってもたしな。我が幼なじみながら、立派なもんやで」


 「そんな姿にちょっとホレちゃったりとか?」


 「とっ、年上をからかうもんやないで!

  ……その辺はまだ先や。

  まあ、そうやって約束をどんどん達成しとった英ちゃんも、いよいよ高校生や。

  章くんと同じ、志木高やね」


 「なんだか、急に身近になった気がするよ」


 「さっきからずっと島ん中での話なんやけど……分からんでもないよ。

  高校入ったら、もうレギュラーとかセコイ事は言わんくなってな。

  って言うのも、入学してすぐにレギュラーになってしもたってのもあるんやけど。

  まだ新設校やったからね、その辺は英ちゃんも分かってたみたいや」


 きのう、先生たちの頃の志木高はまだできたばっかだって、崎山先生が言ってたっけ。

 でも、入学早々レギュラーってのは流石だな。



 「そう言えば、中学の時はレギュラー獲った後、どうなったの?

  大会とかさ、あったわけでしょ?」


 「ああ、それやったら最後に全国一歩手前ってトコまで行ってな。

  結局惜しくも及ばず……って感じやったんやけど。

  そん時も、悔しそうな顔しとったっけ……。

  そういう事もあってな。高校での目標がこれよ」


 「何となく予想はできるけど……」


 恐らくは全高校球児憧れの、圭輔も“それ”を目指して目下練習中な、アレだろう。



 「多分、章くんの予想通り……『甲子園出場、そしてプロ入りする!』って。

  三度目の正直……ホンマにアホやなって、心から思った。

  けどな……ウチもおんなじくらいアホやってん。

  そんな英ちゃんがカッコよく見えて……それに、英ちゃんなら絶対できるって思ったんや」


 自嘲気味に笑う飛鳥ちゃんだったが、でも目は真剣だった。

 真剣な神崎選手と一緒で、飛鳥ちゃんも真剣に信じてたんだ。



 「せやな……さっき章くんが言った、英ちゃんにホレたって話。

  きっと、そん時にハッキリ自覚したんやろうね。

  ああ、ウチはこの人が……英ちゃんが好きなんやって。

  ホンマにキラキラしとってん、あの頃の英ちゃん。

  あっ、もちろん今もそうなんやけどね!」


 ちょっと照れくさそうな飛鳥ちゃんは新鮮だった。

 そして、そんな中にも少しだけ影があるような感じがするのも、また気になった。



 「ウチもあてられたんかな……英ちゃんにな、ウチも約束したんや。

  『それやったら、ウチはレポーターになって、英ちゃんにヒーローインタビューするわ』なーんて。

  それで将来決めてるんやから、ウチもたいがいアホかもしらんわ」


 「そんなこと無いよ。約束守って……神崎選手だって」


 「せやな。確かに英ちゃん、最後の年に夏の甲子園も行ったし、プロにも入ったよ。

  けどな……もうひとつの約束。

  ウチ、すっぽかされてしまってん」


 「もうひとつの約束……?」


 甲子園やプロ以上の目標なんてあるんだろうか?

 それとも、野球とは別の何かなのか?



 「『甲子園出れたら、話があるからまたこの河原で』―――それが最後の約束や。

  英ちゃんが約束破ったんも、それが最初で最後」


 「もしかして、会えなかったとか……?」


 「約束破ったんは、ある意味ではウチなんやけどね。

  その年はウチも大学受験やら色々あって、あんま長いことこっちにおれんかったんや。

  しかも英ちゃんはちょうどお盆の時期に甲子園やろ?

  まあ、すれ違いってやつやね」


 淡々と言い放つ飛鳥ちゃんだったが、逆にそれが当時のショックの大きさを物語っていた。



 「やっぱ英ちゃん、頭が足りてへんのよ。

  だってな、甲子園出たら夏の間はこっちにおれへんのやで?

  どうやってウチに会うんやって話やわ……ホンマ、最後の最後までアホやわ……」


 「飛鳥ちゃん……」


 いつもの調子で毒づく飛鳥ちゃんだったが、明らかに元気がない。

 もしかしなくても、これが―――



 「これがな、ウチの“心残り”や、多分やけどな。

  “ウチ”がこうしてここにおる理由……まあ、なんでこんなことになったかまでは知らんけど。

  あの時から毎年待ってんねん。英ちゃんがひょっこり現れて、“話”してくれんのを……」


 「…………」


 飛鳥ちゃんは今までで一番悲しい表情をしていた。

 いつも明るいだけに、余計に印象的で……見ているこっちまで悲しくなりそうだ。


 “普通の人間”じゃないとは言え、何年も、誰にも気づかれることなくひたすら神崎選手をたった一人待つ。

 それは僕の想像なんて及ばないほど、辛くて、悲しくて、そして寂しいことだったんだろう。



 「さて、と。ウチの昔語りはこれでおしまいや。

  これで分かったやろ、なんでウチがここにおるか。

  “心残り”はなんなのかも」


 「それはまあ、そうだけど……」


 「まー、章くんにどうこうできる問題やないからね。

  話しても迷惑やったかな?」


 「そんなことないよ。

  ただ……確かに飛鳥ちゃんの言うとおり、僕にはどうしようもないから……」


 「聞いてくれただけでも嬉しかったよ。

  こうやって誰かと話すんも久しぶりやったし……ありがとね」


 「うん……」


 「さ~て、今日も随分長いこと話しとったみたいやね。

  もういい時間みたいやし、これで解散やね」


 沈んだ気持ちを切り替えようとしてか、努めて明るくしているように見える飛鳥ちゃん。

 そんな姿がかえって悲しげだ。



 「また気が向いたら来てよ。

  それじゃ、ね」


 こっちの返事も待たず、昨日と同じように飛鳥ちゃんは消えてしまった。

 もしかしたら辛い話をさせてしまったのかもしれない……そう思うと、いたたまれない気持ちになる。


 どうしようもない―――頭では分かっていても、納得できなかった。

 さりとて妙案があるはずもなく……はは、本当にどうしようもないや。

 ……とりあえず、今日は帰るか。





 ………





 ………………





 『7回表、ワンアウトランナー無し。打席には神崎が入ります。

  今日ここまでノーヒット、調子を落として今日は7番での出場です』


 夜。


 桜井家のテレビは、東京ガイヤーズ対横浜オーシャンズの試合を伝えていた。

 今日のガイヤーズは今のところ勝っている。

 とりあえず、圭輔が荒れる心配もなさそうだ。



 「へー、お兄ちゃんが野球見るなんて、珍しいんだ」


 「ん……まあ、ちょっと思うところがあって」


 「そっか。

  ―――あっ、この神崎選手って、志木高出身なんだよね?」


 「うん、そう。あやのって野球に興味あったっけ?」


 「ううん、別に。でも、華先生が前に話してたし、それにかなり有名な話だよ?」


 まあ、全国区の選手だしな。

 僕だって知ってたわけだし。


 ……こうして球界でも随一の人気選手になった今でも、飛鳥ちゃんとのこと、覚えてるんだろうか。

 そして、果たせなかった約束のことも……。

 あなたは甲子園から帰ったら、何を飛鳥ちゃんに話すつもりだったんですか、神崎選手―――?




 『ピッチャー振りかぶって……投げました。

  あっとこれは―――!!』


 ぼんやりと画面を見ていると、一瞬球場がざわついた。


 オーシャンズの外国人ピッチャーが投じた初球。

 それがあらぬ方向に飛んでいったのだ。



 『デッドボール! 頭部に直撃です!

  神崎、うずくまったまま動けません!』


 実況アナウンサーが言うとおり、神崎選手は倒れたままビクともしない。



 「うわあ、痛そう……大丈夫かな?」


 「…………」


 「お兄ちゃん……? どうかした?」


 「いや……なんでもない」


 やがてタンカがきて、そのまま神崎選手は運ばれていった。

 よっぽどの重態らしい。

 これは……大変なことになった。






 ………






 ………………






 翌朝、起きてすぐに新聞を見た。

 スポーツ欄をチェックするためだ。


 神崎選手はあの後、近くの病院に搬送され、そこで意識を取り戻したそうだ。

 検査の結果は特に異常無しだったらしいが、当たった部分が部分だっただけに、調整も兼ねてひとまず登録抹消になるらしい。

 大ケガにならなかったのは不幸中の幸いといったところだろうか……。


 飛鳥ちゃん―――この場合は本体の方だろうか。

 彼女も一安心だろう。

 いや、むしろ心配なんだろうか……?


 どっちもあるような気がするけど、まさか本人に聞くわけにもいかないだろう。

 気落ちしていないのを願うだけだ。




 その飛鳥ちゃんだが、その日以来パッタリと会う事が無くなった。

 見えなくなったわけじゃない、河原に行っても、飛鳥ちゃんが出てきてくれなくなったのだ。

 何でかは分からないけど、そこまで直感的に分かった。


 実質たった二日間、しかもわずかな時間を一緒にいただけだったけど、それでも随分寂しい。

 それだけ濃い時間を過ごしたってことなんだろうけど……。




 そんな感じで、心に引っかかりを覚えたまま、忙しい日常に戻りかけていたある日。

 それこそ、僕も心残りができてしまいそうなほどだったけど……。


 この夏、一番不思議な物語は、一つの出会いで不意に終わりを告げることになる。


 まさかいるとは思えない人物。

 飛鳥ちゃんがずっと待っていた、そしてもしかしたら僕も待っていたかもしれない、“あの人”と出会ったんだ―――






 ………






 ………………






 神崎選手のデッドボールから一週間ちょっと経った日。

 その出会いは唐突だった。


 生徒会の作業を終え、帰ろうとした時、遠巻きに……本当に遠くから志木高のグラウンドを見ている人がいた。

 やたらにガタイが良くて、背も高い。

 Tシャツにジーンズと、やけにラフな格好で、グラウンドの―――恐らくは野球部に熱い視線を送る人物。


 そりゃ気になるだろうさ。

 なんたって自分の後輩たちなんだからな。


 極力目立たない努力をしているのも何となく分かった。

 事実、そもそも生徒が少ないのもあって彼に気づいている人は僕以外にいないようだ。


 ペナントレースの真っ最中、それもシーズン後半で大事な時期、いくら登録抹消中とは言え、こんな所にいるのは異例中の異例だろう。

 誰かがもし見かけたとしても、他人の空似だと思ってしまうかもしれない。


 彼が志木ノ島に本拠地が比較的近いガイヤーズの選手であったこと、しかもこんなワガママが許されるような超一流選手であったこと。

 それら全部に感謝した。


 感謝しつつも、行動を起こすのを忘れない。




 「―――あの!」


 「……何か?」


 「とっ、東京ガイヤーズの、神崎選手……ですよね?」


 ……覚悟はしていたものの、いざ本人を前にすると我ながら情けないもので。

 若干声が上ずっているのが、自分でも分かった。



 「……サインか何かかな?

  いやあ、よく分ったね。

  でも俺がここにいるっての、できれば内緒に―――」


 「あっ、そうじゃなくて!」


 「えっ?」


 「えっと……その……」


 若干訝しげな表情になる神崎選手。


 言え、言うんだ章!

 信じてもらえるかなんて、後から考えればいいだろ!



 「安藤飛鳥さんのことで、お話……っていうか、その……とにかく、話があるんです!」


 「っ!?」


 飛鳥ちゃんの名前を出した途端、神崎選手の表情が一変した。

 その名前は、神崎選手にとっても特別な意味を持ってるってことだ。



 「君……どこでその名前を?

  いや、でも、飛鳥だってレポーターやってるし……」


 「毎年の夏、河原で素振りしてる時に会ってたんですよね?」


 「……ああ」


 飛鳥ちゃんとの思い出が決定打になったのか、神崎選手の表情から疑いの色が消えた。


 信じられないことだけど、神崎選手が確かに目の前にいた。

 さんざん話しておいてなんだけど、今さらながら凄いことだと思う。

 ……圭輔には黙っておこう。面倒なことになりそうだし。


 ここしばらく、よく話には出ていて勝手に身近な存在だと思ってたけど……。

 こうなってくると、いよいよ何やら縁があるような気さえしてくる。




 ………




 ………………




 「―――それにしても、Seasonがまだあるなんてなぁ……。

  桃田によくおごったりおごられたりしたよ。

  その桃田が、まさか志木高で先生やってて、ソフト部の顧問なんて……。

  いや、世の中分からないもんだね」


 Seasonに移動してひとしきり話した後、神崎さんがそんな事を言った。

 プロ野球選手になってるあなたが言うかって感じもするけど。

 あえてそこには触れない。

 それに、今日の本題はそんなところじゃない。



 「それで……その、信じてもらえますか」


 「……そうだね」


 肯定とも否定ともとれない返事をする神崎さん。

 信じてもらえるかどうかってのは、飛鳥ちゃんの話だ。


 こないだ飛鳥ちゃんから聞いた話をそのまま神崎さんに話した。

 間違いがないか、確認するため……というより、僕が本当の事を言ってることを分かってもらうためだ。

 そして、今も飛鳥ちゃんの“心残り”が神崎さんを待っていることも伝えた。



 「普通だったらありえないんだろうけど……。

  だけどね、圭輔のこととか、何より俺と飛鳥しか知らないはずのことを話されちゃ、ね」


 「あっ……ありがとうございます!」


 「礼なんていいよ。俺としても、懐かしいっていうか、嬉しいっていうか……不思議な気持ちなんだ。

  やっぱり、志木ノ島はいいよ。忘れてたわけじゃないんだけど、大切な事を取り戻せた気がする。

  本当に何となく戻ってきただけなんだけどね、無理言ってでも来た甲斐があったよ」


 そんな事を言って神崎さんが笑う。

 さわやかな、いい笑顔だ。



 「夏のこの時期は、いつもだったら試合だからね。

  戻ってこれる訳ないし。

  でも、飛鳥との約束は……ずっと気になってはいた。

  俺はプロになって、あいつはレポーター……。

  それなりに近くに、それこそ昔に比べればずっと近くにいたはずなのに、何となく距離があったのは……そのせいだと思うから」


 「もしかして、それで夏に成績が?」


 「プロのくせに情けない話なんだけど……。

  どうも思い出しちゃうみたいなんだよ、この時期になるとね。

  普段からいつもってわけじゃないんだけど、この暑さでかな、ふっと……さ。

  時間が空いちゃってたせいもあって、今さら触れるのも何となく……って感じで」


 プロ野球選手だって人間なんだ。

 気になることの一つや二つあっても当然だろう。

 目の前の神崎さんを見てると、そう思えた。




 「だけど―――そうだな。あいつは約束を守った。

  約束通り、俺にヒーローインタビューしてくれた」


 「はい」


 「……なあ、桜井くん。

  今からでも、遅くないと思うかい?」


 「そうですね……飛鳥ちゃんが待っててくれる限り、遅くは無いと思います。

  それに……」


 「それに?」


 「神崎さんは、“甲子園から戻ったら話がある”ってしか言ってないですから。

  今までみたいに、いつまでにってわけじゃないから……きっと大丈夫です」


 「……ぷっ、あはははは!!

  いやあ、確かにその通りだ!

  君はずいぶん悪知恵が働くんだな、桜井くん」


 「誉め言葉として受け取っておきますよ」


 僕の返しに、神崎さんがニヤリと笑う。

 つられて僕までそんな感じの笑顔になった。



 「そうだな……俺も男だ。

  それに、約束は守らなきゃいけないしな」


 「会ってもらえますか、飛鳥ちゃんに?」


 「……ああ」


 神崎さんが力強くうなずく。

 今日までしばらく飛鳥ちゃんと会えていなかったが、神崎さんを見ていると大丈夫な気がした。




 ………




 ………………




 Seasonを出て、いつもの河原についた頃にはもう夕方になっていた。

 飛鳥ちゃんと会っていた時間より、少し遅い。


 だが、いつもの場所に、懐かしい背中があった。

 たった一週間と少しなのに、ずいぶん長い間見てなかった気がするのは、僕も彼女に会いたがってたってことだろうか?


 もし神様がいるとするなら、今日のこの引き合わせに感謝したい。

 そして、と飛鳥ちゃんと神崎さんの絆にも。


 僕らの求め人、飛鳥ちゃんは確かにそこで神崎さんを待っていた。




 飛鳥ちゃんに近づいていく神崎さん。

 どうやら、神崎さんにも飛鳥ちゃんはしっかり見えているらしい。


 ここから先は僕の出る幕じゃない。

 だから、少し遠巻きに見ていることにする。


 飛鳥ちゃんもやがて神崎さんに気づき、彼の方へ向き直る。

 ちょうど向き合う形になる二人。

 二人とも、お互い探していたはずなのに、不思議と驚きはないようだった。




 「……ケガは大丈夫なん?」


 「検査では異常無しだから……登録抹消期間が終わったらまた試合だ」


 「そっか……なら、よかった」


 最初はそんな言葉から始まった。

 飛鳥ちゃんだって知ってるはずだろうに。

 照れ隠しだろうか。


 それは神崎さんも一緒なのか。

 しばらく沈黙があって。

 でも、それは嫌な感じじゃなくて。

 まるで二人の空白の時間を埋めるような、そんな風に、必要な時間のようにも思えた。


 やがて、神崎さんが口を開く。




 「―――まだだった約束、果たしにきたよ」


 「遅い……遅すぎるわ、アホ。

  大体、甲子園から帰ったらなんて、会えるか分からんやろ……」


 「悪い……ギリギリ会えるかなって思ってたけど、飛鳥はもう帰っちゃってたみたいだったから。

  おかげでプロ野球選手の卵を育てることはできたんだけど」


 「こんな時まで野球、野球……。

  やっぱ英ちゃんはアホや……ホンマもんのアホやで」


 「悪かったって。

  でもさ―――まだ間に合うだろ?」


 「……うん」


 そういう飛鳥ちゃんは、やっぱり笑顔で。

 でも、僕に見せたものと一つ違うのは、その頬を熱いものがつたっていることだった。




 「ありがとな……英ちゃん。

  わざわざ来てくれて」


 「いいって。

  飛鳥との約束は守らなきゃだからな」


 「そっか……」


 「……いや、ちょっと違うかな」


 言いなおし、神崎さんが一呼吸置く。




 「飛鳥との約束があったから、今まで頑張ってこれた」


 続く言葉は、二人の日々の追憶で。




 「小学生の時、チームで一番上手くなったのも」


 二人が出会って。




 「中学生の時、レギュラー獲ったのも」


 二人が絆を深めて。




 「高校生の時、甲子園に行って、そしてプロ入りしたのも」


 そして二人がその想いに気づいて。




 そんな日々を振り返るものだった。

 そして、それに続くのは、二人の“これから”の話。




 「飛鳥と約束したから……飛鳥が応援してくれてたから。

  だから俺も頑張れた……約束を果たせたんだ」


 「英ちゃん……」




 「だから……だから、これからも……いや。

  これからはずっと隣にいて、俺を支えてくれ、飛鳥」


 「それって―――」






 「飛鳥が好きだ」


 これ以上ないストレートな告白。

 だけど、きっとこの二人にはそれで十分なんだろう。



 「……ありがとな、英ちゃん。

  待ってて……ホンマに待っててよかったわ」


 「飛鳥……」


 「ウチかて好きに決まってるやろ。

  じゃなきゃ、こんなに待ってえんよ」


 流れる涙を拭いながら、最高の笑顔で飛鳥ちゃんが言った。

 今までだって笑顔は何度も見せてくれたけど、間違いなく今の笑顔が最高だと言える。

 全部をふっ切った、本当に素敵な笑顔だ。






 「嬉しい……嬉しいよ、英ちゃん。

  ―――やけどな、その言葉……後で、本物のウチにも聞かせてな?

  もっとも、そっちの方のウチも、今の話を何となくは分かってるんやけどね」


 「……ああ。“約束”だ」


 「ふふ……英ちゃんが約束してくれるんなら、絶対に安心やね」


 二人にとって特別な意味を持った“約束”という言葉。

 飛鳥ちゃんだけじゃない、僕まで心から信頼できた。

 そのくらい、今の神崎さんには説得力があった。




 「……そろそろお別れみたいや。

  きっと、“心残り”が無くなったからやね」


 「そうか……。

  なんか、また会えるのにお別れってのも、変な話だな」


 「せやね……でも、この姿のウチは間違いなくこれでお別れやで」


 飛鳥ちゃんの言葉に合わせるかのように、その体が足元から徐々に光になって消えていくのが分かった。

 それはとても幻想的な光景で、だからだろうか、そんなに寂しさはなかった。



 「最後に……章くん、ええか?」


 「うん」


 「まずは、ウチを見つけてくれてありがとな。

  君がウチを見つけてくれて、それで話をしたから……だから英ちゃんとも会えたんや」


 「そんな……ただ偶然が重なっただけだよ」


 「偶然でもなんでもええよ。

  ウチがお礼を言いたい……ううん、言わなアカンって思ってるだけやから」


 「それなら……素直に受け取っておくよ」


 「うんうん……やっぱり、章くんは素直でいい子やな」


 最後の最後まで年上ぶるのも、それこそやっぱり飛鳥ちゃんらしくて。

 おかげで湿っぽくならないのが、むしろありがたかった。



 「これから大変なこともきっとあるやろうけど……でも、頑張ってな。

  人生の先輩からアドバイスや」


 「……ありがと、飛鳥ちゃん。

  飛鳥ちゃんも、いつまでも元気で」


 「あはは、消えてく人間に言うセリフやないで、それ」


 「それもそうだけど……そうじゃないからね」


 「せやな……ありがと。章くんのこと、忘れへんよ」


 「うん……僕も忘れない。

  飛鳥ちゃんのこと、それだけじゃなくて、飛鳥ちゃんと神崎さんの絆も。

  きっと忘れないよ」


 「うっ……後半は若干恥ずかしい気もするけど……でも、嬉しいわ」


 そう言いながら飛鳥ちゃんは、すでに半分くらいまで消えていた。

 どうやら、いよいよ別れが近いらしい。




 「英ちゃん、章くん。

  なんべんも言ったけど、ホンマにありがとう。

  二人とも、大好きやで……」


 そう言って、一気に光がその輝きを増したかと思うと―――




 『それじゃ、またいつか―――』




 そんな言葉と、まるで蛍が舞っているような、そんな綺麗な光の粒子を残して。

 飛鳥ちゃんは消えていた―――。






 ………






 ………………






 ―――あの不思議な十日間ほどが過ぎ、しばらくが経った。


 神崎さんは次の日練習があるということで、飛鳥ちゃんと別れるとすぐ東京に帰っていった。

 ケガから復帰した彼が大活躍したのはご想像の通りで。


 登録抹消までの不調がまるで嘘かのように打棒が爆発。

 ガイヤーズも一時3位まで後退していたが、土壇場で首位に浮上。

 そのままの勢いで日本シリーズ、そしてアジアシリーズまで制覇してしまった。

 もちろん、神崎選手の活躍がその原動力となったのは言うまでも無い。


 一時期は圭輔と一緒になってお祭り騒ぎ……し過ぎて、これまた一緒になって翔子ちゃんにたしなめられたが。

 そんな事が痛くもかゆくも無いほど嬉しかった。


 ちなみに、神崎さん自身も打率、打点、本塁打の全てでキャリアハイを記録。

 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ、MVP、日本シリーズMVPと、これでもかというくらいタイトルを獲得した。


 さらにはオフに飛鳥ちゃんこと安藤アナと電撃的に結婚を発表、球界のみならず芸能ニュースまで騒がせた。

 もっとも、僕としては予想通り、本人たちにしたって電撃じゃなく、むしろ長年の想いが実ってと言う方が正しいだろう。

 この時はちょっとした優越感を感じたりもした。


 この後、神崎さんは2006年3月に開催される第1回の野球世界大会に日本代表として出場、日本の世界一に大いに貢献するのだが―――

 それはもうちょっとだけ未来の話だ。


 だけど、これだけは言える。

 神崎さんの活躍を支えてたのは、間違いなく飛鳥ちゃんだってこと。

 “約束”という形で、二人の絆があったからこそ、神崎さんは力を発揮できたんだ。


 二人の想いに触れられたこと……その意味が今は分からなくても、いつか分かる日が来るだろうか?




 「あきらー! なにボーっとしてんのよ!

  早くしないと、遅刻するわよー!!」


 茜ちゃんの呼ぶ声がする。




 あの日以来、夜の校舎で魔物と戦ったり、演劇部の手伝いをしたり、愛美ちゃんの正体を知ったり……。

 とりあえず、そこそこ不思議な体験も織り交ぜつつ、日常を送っているけど。



 「分かってるってー! いま行くよー」


 彼女の声に、いつも通りの返事をする。




 けど、今はそれでいいんだと思う。

 いつか、あの夏の、偶然が偶然を呼んだ……でも必然だったのであろう、あの出来事の意味が分かる日が、きっと来ると思うから。




 だから、かつて飛鳥ちゃんや神崎さんがそうしたように、僕も日常を刻んでいこうと思う。




 色んな人の想いが宿る、この志木ノ島で、精一杯に―――

 作者より……


 ども~作者のユウイチです。

 かなりの長編になりました特別編、いかがでしたでしょうか?

 長い時間にわたって読んでいただき、どうもお疲れさまでした(笑)


 前々から書こうとは思っていたエピソードなんですが……色々あって公開がこのタイミングに。

 圭輔のルーツも微妙に関わってきたりで、必要に迫られてって部分もあるんですが(笑)

 ご都合主義と笑いたくば笑ってください……好きなんです、ご都合主義。


 ちなみに、時系列的には第三十四頁と第三十五頁の間になります(最終場面のみ愛美編の直後くらいですが)。


 本編とはかなり毛色の違うストーリーだったので、反応が若干恐くもありますが……(汗)

 楽しんでいただけたなら幸いです。


 それではまた本編でお会いしましょう!

 サラバ!(^_-)-☆by.ユウイチ


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