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第五十二頁「我が太刀、無限の如く」

 唐突に飛んできた矢文で、京香ちゃんの刀剣没収処分が解除されてから、今日で早三日。

 さらに言えば、没収解除と同時に課せられた“魔”の討伐期限も、今晩まで。


 京香ちゃんは刀剣没収が解除されるなり、早速修行を再開していたが、以前と違い学校にはちゃんと来ていた。

 今も、僕の隣りで数学の授業を受けている。

 聞いた話だと部活にも出てるらしい。


 失礼な話かとも思ったが、昨日の昼休みに『間に合うのか?』と聞いてみたところ―――




 『前も言ったとおり、最終奥義は八割方完成しているからな、心配無用だ』




 と、半分冗談みたいな感じで返されてしまった。

 あんな京香ちゃんも珍しい。


 確かに、最初の戦いの時にそんなことを口走ってた気がするけど……。

 あれは強がりから出たセリフみたいな感じだったし、どうにもアテにできない。


 ただ、昨日の言い方や表情には、前とは比べ物にならない余裕が感じられた。

 もしかすると、もう最終奥義は完成してしまっているのかも―――そう思わせるほどに。



 「まあ、完成するならそれに越した事はないよな……」


 もはや未知の文字の羅列となっている黒板の数式を写しながら、そんな事を考えた。





 ………





 ………………





 特に変わった出来事もないまま、今日も放課後を迎える。

 まるで、数時間後にこの校舎が戦いの場になるなんてありえないかのように、いつもと変わりない。


 渦中の人である京香ちゃんも、『最後の詰めをしてくる』とは言ったものの、その表情や言い回しに変わった様子はなかった。


 ―――この三日間を通じて言えることだが、今の京香ちゃんからは危機感が感じられない。

 そりゃまあ、学校でも四六時中気を張られちゃこっちがたまったもんじゃないし、

 昼間に“魔”が動くことはないらしいから、そうしてもらっても結構なんだけど……。


 なんと言うか、この間の修行……もっと言えば、今までとのギャップがありすぎて、見てるこっちが不安になってくる。



 「……野次馬してくるか」


 決めた。

 ここは一つ、“最後の詰め”とやらを見に行って、奥義がどこまで完成しているかを拝ませてもらおうじゃないの。

 あの様子なら、帰れとか邪魔だとか言われることもあるまい。


 案ずるがより産むが良しとは言わないが、ここで悶々としてても状況がどうなってるか分かる訳でなし。

 精神衛生上から見ても、こっちの方がいいだろう。


 ―――とかまあ、一通り自分に言い訳をしてから裏山の京香ちゃん宅へと向かった。



 ………



 ………………



 かつては休憩所ぐらいの意味しかなかったこの裏山も、今や別の目的で来ることの方が多いよな。

 特にここしばらくは2,3日に一回は来てる気がするし。

 前はそんなにしょっちゅうでもなかった……せいぜい、月に一回か二回か?


 それもこれも、京香ちゃんの山小屋があるのが全部の原因なんだけど……。


 原因はともかく、おなじみの道を進んでいると―――




 ―――ビュンッ!




 「おっ。やってるやってる」


 もう聞き慣れた感もある、風が切れる音。




 ―――ビュンッ! ビュンッ!




 止むことなく、素振りの風切り音は続いている。


 かつての鋭さ、迷いのなさを取り戻した音。

 そしてそれは、その剣の持ち主にも同じことが言えるんだろう。



 「この分なら、確かに心配はいらないのかも……」


 ポツリ、そう呟いた時―――



 「そうですね」


 「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 「……? どうかしたのですか桜井さん?

  そんなに驚いて?」


 ―――この一族は、よっぽど僕の背後をとるのが好きらしい。

 その場にいるはずのない人の声。

 そいつは、声にならない驚きを引き出すには十分すぎるものだった。



 「鈴香さん! いきなり後ろから声をかけないでくださいよ!」


 「あら……私、さきほどからずっといましたので、てっきり桜井さんはもう気づいているものだと」


 「………………」


 この人、多分悪気は無いんだろうな……。

 天然……っていうとちょっと違うけど。

 京香ちゃんの母親ってだけあって、思考パターンが微妙に似通ってる気がする。



 「ところで、桜井さんはどうしてこちらに?」


 特に悪びれる様子もなく次の話にいく辺り、ホントに悪気のかけらも無いのな……。

 まあ、別にいいんだけど。



 「……まあ、早い話が野次馬ですよ。

  修行再開したのはいいんですけど、京香ちゃんがあんまり落ち着きはらってるもんで……。

  本人は大丈夫って言ってたんですけど、期限に間に合うのか、ちょっと気になって」


 「そうですか……。

  それで、いかがですか? 桜井さんから見て、今の京香は?」


 「どうって言われても……僕は剣道はド素人なんで、何とも言えないんですけど……。

  でも、何だか大丈夫そうな気もします」


 「それはどうして?」


 「そこまで突っ込まれると難しいんですけど……。

  何て言うか、雰囲気ですか?

  最初の矢文が来た後は、焦ってるって言うか、素振りの音も今ひとつキレがない感じで。

  だけど今は、それ以前に戻った……もしかしたら、良くなったような感じがします」


 「なるほど……」


 感慨深そうに、鈴香さんはうなずいた。

 相変わらず、微笑みをたたえた表情からはその真意を汲み取る事はできない。

 ……っていうか、もはや諦めた。




 「―――桜井さんは、身心一如という言葉をご存知ですか?」


 「しんしんいちにょ……?

  いえ、初耳ですけど。剣道用語か何かですか?」


 「元は仏教用語ですが……そうですね、剣道、あるいはもっと広い分野にも応用できます。

  体と心、それは一つの如しと書くのですが……」




 「心と体、あるいは体と心……その二つは、常に向き合う関係にあります。

  その関係を理解すれば、自ずと目の前にある問題の解決策も見えてくる……。

  今回の京香の場合なら、剣の曇りが晴れるというところでしょうね」


 「剣の曇り……ですか?」


 確かに、曇ってるっていう表現は、ちょっと前の素振りには合ってる気がする。



 「……無限天道流は心と技、その両方で剣を振るう流派です。

  小手先の技術だけでは、奥義の境地に近づくことすら叶いません。

  当然、曇った剣では最終奥義の修得など、夢のまた夢」


 「…………」


 「あの夜に見た京香の剣は、技術こそ優れていましたが、“心”を忘れていました。

  我らが流派の根幹たる部分を忘れての修行に、もはや意味はありません。

  だからこそ、刀剣類没収に処したのです」


 「心……」


 心を忘れる、それが剣の曇りってことなんだろうか。

 ―――それにしても、こんな形で例の処分の真相を知る事になるなんてな。



 「ですが……あの娘の剣が“心”を取り戻すのに、ほとんど時間はいらなかったようですね」


 「えっ?」


 「だからこそ、刀剣類没収の処分も解除したのですけれど。

  もっとも、それも桜井さん達がいればこそなのかも知れませんが……」


 「みんなはともかく、僕なんて何もしてませんよ」


 「……いいえ、桜井さんはあれの“友達”として、立派に京香の力になってくれました」


 鈴香さんはしっかりとした口調で言い放った。

 その目に迷いはない……心から出た言葉だという証拠だ。

 この辺、京香ちゃんにそっくりで、何と言うか親子だなって気がした。



 「剣の修行以上に大切な事、それを京香に気づかせてくれたのは……。

  桜井さんや、あるいは桜井さんのお友達に他ならないのですよ?」


 「………………」


 「それを思えば、京香がこの島にやってきたのは幸運だったのかも知れません。

  貴方がたに出会えた事、それがこうして最終奥義の修得につながろうとしているのですから」


 鈴香さんがどうしてそんな事を言うのか分からないけど。

 でも、京香ちゃんの力になることができているというのなら……。

 それはそれで喜んでおきたい。



 「そういえば、どうして鈴香さんは京香ちゃんの剣が“心”を取り戻したって、そう思ったんですか?

  学校も行ってたんだし、まさか、ずっと見張ってたって事もないでしょうし……」


 「ああ、そのことですか。

  そうですね……大体の様子は、小春から聞いていたので。

  京香もあわせて三人でお出かけになったのですよね?

  小春がとても嬉しそうに教えてくれました」


 ……まっ、小春ちゃんが報告しないわけないよな。

 『どうしてその事を?』なんてお決まりのセリフを挟む必要もない。

 “とても嬉しそうに教え”るあの娘の顔がすぐ目に浮かんだ。



 「後は、悪いとは思ったのですが、その後の桜井さんと京香のお話も少し立ち聞きいたしました。

  どちらかと言えば、処分解除の決め手になったのはそちらですが」


 「あの場に鈴香さんもいたんですか!?」


 「はい……申し訳ありません。

  京香が何をしているかと、小屋の方に行ってみたら、ちょうど二人が話をしていたもので。

  姿を見せては桜井さんが遠慮なさるかと思い、隠れておりました。

  ……二人だけの話を盗み聞きしたこと、深くお詫び申し上げます」


 「あっ、いえそんな……そこまで頭下げなくても」


 京香ちゃんもそうだけど、基本的に礼儀正しい人だよな……。

 僕なんか親子ほど歳も違うのに、敬語で話してくるし。

 ここまでされると逆に戸惑うっていうか……むしろ恐縮だ。



 「誰かに聞かれちゃ絶対まずいって話をしてたわけでもないですし。

  だから、そんなに謝らないでください」


 「……そう言ってもらえると、救われます」


 「いえ……。

  鈴香さんも京香ちゃんを心配してるんだってこと、よく分かりますから」


 「こんな私でも、当主である前に母親でありたいと思っていますので」


 少し寂しい笑みを見せる鈴香さん。



 「西園寺の家に生まれたというだけで、あの娘に剣士として生きることを強いる形になってしまっていますが……。

  できるなら、それだけではない何かをさせてあげられればと、そう思っています」


 「それだけでない何か……」


 「そういう意味でも、桜井さん達には感謝しています。

  京香に剣士として生きる以外のことを教えていただいたこと……。

  思えば、何よりありがたいのはそのことなのかもしれません」


 「ただ一緒に遊びに行っただけでそうまで言われると、ホントに恐縮ですよ」


 「くすくす……お噂はかねがね聞いていましたが……やはり、桜井さんは奥ゆかしい方ですね。

  もう少し尊大でもよろしいかと思いますけど」


 ……くどいようだが、親ほど歳が離れた人にそう言われて僕にどうしろと?



 「―――ですが、そこに好感が持てます。

  無理に変えることも無いのかもしれませんね」


 「は、はぁ……」


 もはや曖昧に返事するぐらいしか行動が無かった。



 「あっ」


 「? どうかしましたか?」


 「すみません、さすがに少々出過ぎた事を言ってしまいましたね……。

  桜井さんは京香と同い年なものですから、ついあの子にするように話してしまいました」


 「いやまあ……別に構いませんよ。

  その、何となく分かる気がしますし」


 ―――口に出しては言えないが、どうも鈴香さんってちょっとお説教臭いと言うか、

 やたらと教示・訓示が好きな傾向があるみたいだ。

 まあ、無限天道流の当主だし、人に教える機会も多いんだろうから、クセみたいなものかもしれないけど。




 「さて……そろそろ私は行きます」


 「京香ちゃんと話したりとかしないんですか?」


 「今のあの娘に、それも必要ないでしょう。

  桜井さんに後はお任せします」


 「……はい」


 鈴香さんに京香ちゃんの事を頼まれたのはこれが初めてじゃないが……今、初めてちゃんと返事をした気がする。


 今なら何をすればいいかが分かるから。

 だから、返事が自然と出ていた。



 「では、これにて御免―――」


 次の瞬間には、鈴香さんの姿は目の前から消えていた。

 親子揃ってインチキめいた身体能力だと言わざるを得ない。




 「さて……とりあえず、声をかけるタイミングを待つか」


 と、口に出してはみたものの京香ちゃんは恐ろしいほど集中していて、

 タイミングなんてつかめそうもない。

 ……まあ、気長に待つしかないな。




 ………




 ………………




 ―――気長に待ってる内に、すっかり夕暮れも深まってしまった。

 何のかんのと、1時間強ぐらい修行を見ていた計算になる。

 いい加減、声をかけたいところだが……。




 「桜井! そろそろ出てきたらどうだ?」


 「……見つかっちゃってたか」


 その必要もなかったようだ。



 「まあ、何となくは気づいていた。

  隠れて見ているぐらいなら、出てくればよかったものを」


 「京香ちゃんがずいぶん集中してたみたいだったから……。

  その、何となく出そびれちゃって」


 「そうか……気を遣わせてすまなかったな」


 「ううん、気にしなくていいよ。

  それより、調子はかなりよさそうだね」


 返事を聞かずとも分かる。

 さっきから見てた様子からでもそうだし、何より表情が物語っていた。



 「ああ、そうだな。

  ……これも桜井のおかげだ。改めて礼を言うぞ」


 「気にしなくていいって。

  僕はただ―――」


 「『友達として当然のことをしただけだから』……だろう?」


 「……仰るとおりで」


 「そなたとの付き合いも、もう長くなってきたからな。

  ある程度は何を考えているかも分かる」


 表情も晴れやかに、そう言い切る京香ちゃん。

 もう何も心配はいらないだろう。

 後は、結果を出すだけって感じだな。




 「それはそうと、桜井。

  折り入って頼みがあるのだが……聞いてもらえるか?」


 「別に構わないけど……何かな?」


 疑問系で返しつつ、京香ちゃんの頼みごとはもう察しがついていた。

 付き合いが長くなってきたのはこっちも同じ、何となく言いたいことも分かる。



 「今夜九時、私と小春と共に、夜の校舎に来てくれぬか?

  ……“魔”の討伐を行う」


 答えは決まってる。

 確かに、戦うことに関しては何もできないかもしれない。

 だが、僕に求められているのはそんなことじゃないんだ。



 「―――もちろん」


 それが分かっている今、ためらう事は何もなかった。



 「ありがとう、桜井」


 前に相当ひどい目にあったはずだったが、

 京香ちゃんの微笑みを見ていると、むしろ安心感すら覚えた。


 決戦は今夜。今の京香ちゃんなら、きっと―――






 ………






 ………………






 そしてやって来た約束の刻限。

 家を出るとき、またしてもあやのに散々問い詰められたが、



 『後でわけを話すから!』 



 ―――と、ついに最後の手段を使ってしまった。

 ……まあ、今日でこんな事も最後だと思うし、いいだろう。

 いずれは話そうと思ってたんだからな。



 とにもかくにも、無事に家を出発、時間ピッタリに校門に着いた。



 「こんばんは、桜井先輩」


 「今日は時間ちょうどだな、桜井」


 既にそこにある京香ちゃんと小春ちゃんの姿。

 仕事着……ってワケじゃないんだろうけど、それぞれ道着と巫女服。

 “魔”の討伐スタイルになっていた。



 「……二人並ぶと壮観だな」


 「剣士一人に巫女が一人、一応これが正式な“魔”の討伐形式だからな。

  もしかするとそういう風に見えるのかもしれん」


 ―――実はそういう意味で言ったんじゃないんだけど、ここは黙ってるのが吉だろう。

 いかに京香ちゃんが変わりつつあるとは言え、そこまでは分からんだろうからな。


 それに、もし口に出せば小春ちゃんに『そういう趣味の人』認定されかねないし。

 もっとも、京香ちゃんの隣りで笑ってる辺り、“そういう意味”で言ったってのも分かってるのかもしれないけど。

 これもあえて言うまい。



 「今日は、鈴香さんは?」


 「恐らく、母上は現れないだろう。

  来たとしても、それは剣士としてでなく、見届け人としてだろうな」


 「見届け人?」


 「呼んで字のごとく、私が“魔”を討伐できるかどうか、それを見届ける役割だ。

  今回は“魔”を倒すことが修行の一環になっているのでな」


 「でも、あんなに強力な“魔”の討伐をご命令になるなんて……。

  鈴香様もちょっと酷です」


 「確かに……」


 小春ちゃんの言うとおりだ。

 前回も何とか撃退こそすれ、それも鈴香さんの力があればこそ。

 そうそう上手くいくのか、何だかんだで多少不安はある。



 「案ずるな小春、それに桜井。この前とは状況が違う。

  自分でも不思議なのだが……今日は負ける気がせんのだ」


 淀みのない言葉。

 口調からも自信が読み取れるほど、今の京香ちゃんは頼もしい。

 それこそ、あの化け物も倒せそうなほどに。



 「最終奥義が完成したからですか?」


 「それもあるが……剣だけではない何かが、今では分かるから、だな」


 「剣だけではない何か……ですか?」


 「昔、母上がそんなような事を言っていた。

  その時は何の事か分からなかったが、今なら何となくだが分かる気がする。

  それが何かまでは、具体的に分からんが……」


 思い出を振り返っているのか、少し遠い目をしながら、

 そして何故だか僕の方を向いて京香ちゃんは言った。



 「―――どちらにせよ、今回の討伐は私一人で成せるものではない。

  だから……小春」


 「はい……何でしょうか?」


 改まった様子の京香ちゃんに、小春ちゃんは少し戸惑いつつも返事をする。

 果たして発せられた一言。



 「巫女としての小春を……頼りにしているぞ。

  お前の力を、今宵は貸してくれ」


 「お姉様……」


 初めて聞いた、京香ちゃんが小春ちゃんを当てにしているという類の言葉。

 そしてそれは、小春ちゃんにも同じらしく―――



 「はい……ぐす……ひっく……お姉様……」


 「馬鹿、こんな時に泣く奴があるか!」


 「ぐす……はい……すみませんお姉様……ひっく」


 よほど嬉しかったのだろう。

 ポロポロと、小春ちゃんの頬を伝って流れ落ちる涙。

 前に、人は嬉しい時も泣けるんだと聞いたが、きっとこの涙もそういう涙なんだろう。


 こないだも似たようなことがあったが、その時と同じように京香ちゃんは彼女を優しくなだめていた。

 本当に、お互いのことを大切に思ってるんだな、この二人は……。




 しばらくして、小春ちゃんが泣き止むと、

 目を真っ赤にしつつも引き締まった表情で。



 「―――不肖・岸辺小春。修行中の身ですが、全身全霊を以って“魔”の討伐にあたります!」


 力強い宣言をしてくれた。



 「ああ、よろしく頼む。

  ……では、これより“魔”の討伐に向かう!」


 この二人なら、きっと大丈夫だ。

 もはや心に一片の不安もない。

 迷うことなく、二人に続いて夜の校舎へと足を踏み入れた。




 ………




 ………………




 今日は見事な月夜だ。

 非常灯や周囲から漏れて入ってくる明かりもさながら、

 煌煌と差し込む月明かりは一際の明るさだった。


 闇と光とが同居するこの校舎に、僕達三人の妙に甲高い足音だけが響く。

 他には誰もいない―――いるとすれば、“魔”だけ。



 「そう言えば、“魔”が現れるっていう保証はあるの?

  こっちだって倒しにきてるんだし、そうそう都合よく出てくるとは思わないんだけど……」


 「心配ないですよ。先ほどから“魔”の“気”を感じますし」


 前にそういうのを感じとれるって言ってたよな……。



 「前回の戦いの時、鈴香叔母様の攻撃でかなり深手を負っているはずですから。

  いくらなんでも、まだ全快してはないでしょうし、そうそう校舎から動けないと思います」


 「なるほど……」


 「でも、力が落ちているといっても、やはり強力なのには変わりませんから……」


 「油断は禁物ってことだね?」


 「はい。桜井先輩も、どうか無理しないでくださいね」


 そうそう甘い話じゃないってことか。

 ……とりあえず、二人の足を引っ張る事だけは避けたい。




 「―――ってことだけど、京香ちゃん、調子はどう?」


 恐らく、今日の戦いの中心となるであろう京香ちゃん。

 実際の所どうなんだろうか。



 「ああ、問題ない。

  もっとも、失敗すれば本家での再修業……もう後がないからな。

  調子がどうこうなど言っておれんよ」


 「まあ、それもそうだよね」


 ……言うほど悲壮感は無さそうだから、そこはいいんだけど。

 今の会話にも出てきた事で、前から気になってたことが一つ。



 「ねえ京香ちゃん、前から聞きたかったんだけどさ」


 「ん、どうした?」


 「なんで本家での再修業ってことに、そんなにこだわるのかなって」


 「ふむ……」


 「あっ、別に京都に戻ってほしいわけじゃないからね!?」


 「ははっ、言われずとも分かっている。

  ―――そうだな……自分でもよく分かっていない部分はあったのだが……」


 「え?」


 少し意外な答えだった。

 京香ちゃんのことだ、何か明確な理由があるものだとばっかり思っていた。




 「―――今思えば、そなた達との別れが嫌だからなのだろうな」


 「それって……」


 「友と離ればなれになど、なりたいと思う者はおるまい?

  それだけのことだ」


 「……そっか。そうだよね」


 京香ちゃんも、いつの間にか僕達と同じ想いを抱いてくれたということ。

 それが嬉しくて自然と笑顔になった。



 「まあ、そう案ずるな。

  何度も言っているが、今日は勝算がある。

  こうして友と呼べる存在ができた今、大人しく本家に帰る気などさらさらない」


 「それじゃ、僕は大人しく見物させてもらうよ」


 「ああ、そうしてくれ」


 京香ちゃんも笑う。

 冗談まじりのその表情。

 また嬉しくなった。






 そんなこんなで、他愛も無い雑談をしながら夜の校舎を徘徊して。

 この校舎に化け物なんていないんじゃないかと、そう思えるほど穏やかな空気だ。




 ―――なんて、そんなことを思いかけた刹那。




 「っ! お姉様!」


 小春ちゃんの鋭い声がその空気を切り裂く。



 「ああ、分かっている……」


 例の“魔”を感じとったのか、二人の雰囲気が先ほどまでとあからさまに変わった。

 小春ちゃんは札を、そして京香ちゃんは刀を構えて臨戦態勢となる。



 「桜井、うかつに前に出るなよ?

  お前はそこに立ってくれているだけでいいのだからな」


 「うん……」


 言われずともそうするつもりだ。

 あんな化け物、頼まれたってやり合いたくない。


 それに、僕に求められているのはそういうことじゃない。



 「―――頑張って、京香ちゃん」


 「ああ!」


 ―――こうして後ろから応援することが、京香ちゃんの力になるというのなら。

 ならば、僕はその役目を果たすだけだ。





 ―――カツーン……カツーン……





 ……来る。


 夜の校舎に響く、はっきりとした足音。

 今度は僕でも“魔”の存在を認識できた。


 二人がいるから安心感はあるんだけど、

 それでも底冷えするような寒々しさも感じる。

 ある意味で不思議な感覚だった。





 ―――カツーン……カツーン……





 響く足音とともに、少しずつ大きくなるヤツの姿。

 廊下の向こう側からやってきた四本足の化け物は、もはや肉眼ではっきり見えるほどに近づいていた。




 そこまで来たところで、改めて日本刀を構え直す京香ちゃん。

 必殺の間合いをとっているのか、呼吸で微妙に体が上下する以外はピクリとも動かない。



 「……小春、それに桜井。

  見ていてくれ」


 フッと、一瞬ほほ笑んだかのように見えた京香ちゃんの横顔。





 「無限天道流最終奥義……」


 前と同じく、光を放つ日本刀。

 それと京香ちゃんの笑顔とが重なって―――





 「『天』っ!!」


 次の瞬間には、もう“魔”へと踏み込んでいた。





 「はぁぁぁぁぁっ!!」





 ―――ガキンッ!





 鋭い金属音。

 ただでさえ大きな音が、静かな校舎には、さらに甲高く響き渡る。



 ―――京香ちゃんが振り下ろした得物は、またしても“魔”の前足に受け止められていた。

 やっぱりダメなのか……!?





 だが、そう思いかけた次の瞬間―――





 「でぇぇぇぇぇいっ!!」





 日本刀は更なる輝きを放ち、防御の上から“魔”の足を両断した。

 さらに京香ちゃんは、振り下ろしきった刀をすかさず上段にもっていく!





 「やぁぁぁぁぁっ!!」





 ―――ズバッ!!





 勝負は一瞬。

 足を斬られ、ひるむ化け物の胴体を、強い光を放つ京香ちゃんの日本刀が真っ二つに切り裂いていた。


 結果は誰が見たって明らかだ。






 「………………」





 「………………」




 ただ、あまりにも勝ち方が鮮やか過ぎたせいだろうか。

 僕も小春ちゃんも、ただただ呆然としながら、刀をおさめて佇む京香ちゃんを見るしかしなかった。




 「ええっと……」


 「終わった……のでしょうか?」


 小春ちゃんですら今一つ状況を掴みきれていない感がある。

 当の京香ちゃんは、凛とした立ち姿をこちらへと向けているだけだ。





 ―――パチパチパチ





 そんな硬直しかけた空気を、一人分の拍手が動かした。




 小春ちゃんが拍手したんじゃない。


 ってことは、こんな所にやってくるもの好き……って言うと失礼かもしれないけど。

 ともかく、ここに来る人なんてただ一人だろう。



 「見事です、京香」


 「母上……」


 袴姿の鈴香さんは、いつの間にやら僕らの後ろにいたらしく、

 僕たちがやってきた方向からゆっくりと歩いてきた。



 「最終奥義『天』……よくぞ修得しましたね。

  完璧な一太刀でした」


 「はい……ありがとうございます」


 思えば、この親子の穏やかな対面は初めて見たかもしれない。

 でも、やっぱり親子ってこうあるべきだよな。



 「ですが、これも桜井や小春……それに多くの仲間たちの力があればこそ」


 「………………」


 京香ちゃんの言葉を、鈴香さんは静かに聞いている。

 二人とも、表情は今までになく柔らかい。



 「―――昔、母上は剣だけではない何かを見つけよと、そう私に仰いましたよね?」


 「ええ」


 「その意味……今ならば、なんとなく分かる気がします」




 「桜井を始めとして、皆との時間をこれからも紡いでいきたいと、その未来を守りたいと……。

  そう思った時、私には今まで以上の力が出せたように思います」


 「………………」


 「守りたいと思える大切な人や時間……それがきっと剣だけではない何かではないでしょうか?」


 少しの沈黙。

 そのあと、鈴香さんは感慨深げな表情を見せながら。



 「……そこまで分かっているのならば、もはや私から言うことはありません」




 「京香……強く、強くなりましたね……」


 鈴香さんの頬に、たった一筋だけ光るものが見えたのは―――きっと気のせいじゃないんだろう。

 いつも気丈な鈴香さんだから……。

 その一滴はひどく印象的だった。



 「剣だけではない何か、それは無限天道流を使う剣士一人一人にとって違うものです。

  ―――ですが、その何かを守ろうと思えるからこそ、我々は真に強くもなれ、戦える……。

  それは誰にも共通しています」


 「はい……」


 「無限天道流は誰かのために振るう剣だということ……心の剣だということ。

  今のあなたならば、それが分かりますね」


 京香ちゃんがうなずくのを見ると、鈴香さんは改まって。




 「ならば、もはやあなたに師として教えることはありません……。

  ―――西園寺京香、其の方、この度の最終奥義修得を以て無限天道流免許皆伝とする!」


 「はっ!」


 「以後は、自らの判断で心と技を磨き……そして、その剣を人々のために振るいなさい」


 「御意―――」


 また一筋、鈴香さんの頬を涙が伝った。

 母親として剣の師匠として、きっと色んな意味をもった涙なのだろう。




 「桜井」


 鈴香さんの足元でひざまづいていた京香ちゃんが、今度はこっちに向き直る。



 「もう聞き飽きたぐらいかも知れんが……もう一度、礼を言わせてくれ。

  ―――ありがとう」


 「僕なんて何もしてないよ―――って言っても聞かないんだろうから、ここは大人しく受け取っておくかな」


 「ああ、是非そうしてくれ。

  ……お前がいなければ、流派として大切なことに気づくこともなかったし、こうして最終奥義を修得することもなかったろう。

  私にとっての剣だけではない何か―――それは桜井や皆に他ならないのだからな」


 「京香ちゃん……。

  そう言ってもらえると僕も嬉しいよ……ありがとう」


 何だかむずがゆいような感じもしたけど、悪い気はしなかった。



 「その、なんだ……今さらこんな事を言うのも、少々気恥ずかしい気もするのだが……」


 「ん?」


 「……これからも、よろしく頼む」


 なぜかそっけなく京香ちゃんは言った。

 前に、これで最後だみたいな事を言ったのを気にしてるのかもしれない。


 まあ、それはともかくとして……僕の答えは決まっている。



 「もちろん! なんたって京香ちゃんは……」




 「―――“友達”だからね!」


 何度となく言ったこの台詞が、今まで以上に大きな意味をもったような、そんな気がした。






 ………






 ………………






 「―――っていうようなことが、この一週間ほどの間にあった」


 翌朝の登校路。

 茜ちゃんとあやのにこの一件のすべてを話した。

 いつまでも黙っているのも気分が悪かったし、さっさと打ち明けてしまうに越したことはない。

 幸い、京香ちゃんの許可も出てることだし。


 もっとも、あやのはともかく、茜ちゃんの反応は芳しくない。



 「えっと……黙っててゴメン。

  あんまり言っていいような話じゃないと思ったから、話すの遅れちゃって」


 「別に……。

  こうやって話してくれたんだから、それは怒ってないわよ」


 「へっ? じゃあなんで……?」


 あからさまにムスッとした顔の茜ちゃん。

 こんなに不機嫌なのも久しぶりかも……。



 「―――な〜んか、やたら嬉しそうなのよね、あんた」


 「そりゃまあ、京香ちゃんが無事に最終奥義を修得できて、本家に帰らなくてすんだからね。

  ……茜ちゃんは嬉しくないの?」


 「嬉しくないことないわよ。

  ただね、その……何て言うか……」


 「?」


 いまいち要領をえない。

 何が言いたいんだ?



 「あーもう! 知らない!

  そのにやけ顔にでも聞いてみなさい!」


 「あっ、ちょっと茜ちゃん!?」


 「うっさい! 章のバカ!」


 「茜ちゃ〜ん!」


 「……ほんと、お兄ちゃんってニブチンなんだから」


 肩をいからせ、ずんずん歩く茜ちゃんを必死で追う。

 ……と、その中でさっきまで話の渦中にいた人物に遭遇した。



 「おはよう、桜井、陽ノ井殿」


 「あっ、おはよう京香ちゃん」


 「さっ、西園寺さん!? おっ、おはよう!」


 「ん? 陽ノ井殿、どうかしたのか?」


 「えっ!? あっ、ううん! 何でもないの、なんでも!」


 ……さっきまでめっちゃ怒ってたくせに、よく言うよ



 「何よ章! 文句があるならはっきり言えば!?」


 「なんも言ってないから! 濡れ衣だから!」


 「ふむ……」


 ふと京香ちゃんに視線をやると、なぜか思案顔。

 そして―――



 「まあ、なんだ二人とも。

  夫婦喧嘩は犬も食わぬと言うし、それにここは往来だ。

  仲直りしてはいかがか?」


 「なっ!?」


 茜ちゃんの顔がみるみる紅潮していく。

 ……そして僕も同じく。



 「べっ、別にあたしと章はそういうんじゃないって!」


 「むっ、そうなのか?

  島岡殿がいつもそのような事を言っているから、私としても察したところだったのだが……」


 「それ、むしろ邪推だって……」


 翔子ちゃん……京香ちゃんにこれ以上“悪影響”を及ぼすのは勘弁してほしいぞ。



 「私もまだまだ修行が足らんな……」


 「そんな修行いらないってば!

  ―――あーもう! 章のバカーーーっ!!」


 「だから、なんでそうなるんだって!」






 ―――いつも通りの騒がしい日常。


 だけど、そんな中に京香ちゃんという一人の友達がいること。


 一度は失いかけたその存在。


 だからこそ今は、彼女がいることがとても尊いことに思えてならない。


 大切だと思える人がそばにいること。


 それって一つの奇跡なんじゃないかと、そんな気さえする。


 そんな奇跡で出会えたみんなとの毎日を大切にしていきたいと……そんな事を考えた―――


 作者より……


 ども〜作者です♪

 Life五十二頁、いかがでしたでしょうか?


 なんというか、締まりのないラストですが、これはこれでありかなってことで一つ(^^;


 今回もやっぱり戦闘シーンが難しかったなぁ……。

 特に、今回は短い分だけ表現が難しかった気も。

 自分の首を自分で絞めたかんじですね(笑)


 さて、次回からは新たな個別エピソードが始動です。

 次は誰の話か……って言っても、もはやそんなに残りキャラもいませんけど(^^;

 いつものごとく、期待しすぎない程度に期待してお待ちください。


 それではまた次回お会いしましょう。

 その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ


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