第四十四頁「一番スキなヒト」
―――修学旅行3日目の朝。
まだ6時前で、むしろ早朝といった感じだが、既に目は覚めていた。
目が覚めたって言うよりは、あんまり寝てないって言うほうが正しいんだけど……まあ、それはさておき。
同室のみんなに起きている様子はない。
下手に動いて起こすのも申し訳ないし、ここは大人しくしていよう。
……今日は班別の自由行動、か。
いよいよもって修学旅行らしくなってきた気がする。
修学旅行の醍醐味は枕投げだの女子風呂覗きだのコイバナだの、ここまで色々言われてきたけど―――
王道というか、正統派の醍醐味といえばやはりこれだろう。
なんたって一番大きなイベントだし。
確かウチの班はラーメン屋行って、札幌駅周辺をうろついて……後は何するんだったっけ?
この辺までしか話を聞いてなかった。
あの時は何をするにも上の空って感じだったからな……今思えばみんなに申し訳ない。
班長なのに、さすがにあまりにも行動計画を把握していなさ過ぎる気がする。
……とは言え、今さら後悔したところでどうなるものでもないし。
ここは開き直って、光あたりに後で聞いておこう。
じゃないと、また茜ちゃんにどやされそうだ。
茜ちゃん……それにつばさちゃんも―――渦中の人物とでも言うべき二人と、今日一日は一緒に行動することになる。
今までだったらどうってことないかもしれなかった。
……だけど、今日ばかりは、きっとそうはいかないだろう。
『章くん―――好きです……ずっと好きでした』
後夜祭での告白。
つばさちゃんの気持ちに対し、答えを出す決心がついた。
あの時感じたモヤモヤとしたもの……それが、なんとなくではあるけどようやく見えてきたのだ。
『―――でもさ、実際のところ……アンタ、好きな娘っていないの?』
昨日の茜ちゃんとの会話……。
思えば、これが全てなのかもしれない。
彼女に返した、曖昧ながらも否定はしない答え。
まだ、期限である『修学旅行が終わるまで』には今日を含めて2日ある。
あるけど……気持ちが固まった以上は、その時点でつばさちゃんにそれを伝えるべきだと思えた。
「ふあぁぁ……」
―――マジメなことを考えておきながら、この大あくび。
カッコがつかないが、眠いのもまた事実である。
……夕べの会話が大きなきっかけになったとは言え、決心を形にするまで一晩かかった。
結局、横になって目を閉じはしたものの、ほとんど寝ていない。
思えば、何か物事についてここまで真剣に考えたことはなかったように思う。
ただ、それだけ大事な話だってことだよな、これは。
「―――んん……おっ。章、おはよ。
今日はやけに早いんだな……もう起きてたのか?」
「おはよう、光。
うん、まあ……たまには、ね」
今が何時かは分からないが、光も起きだしてきた。
そろそろいい時間なのだろう。
「……なんか、あったか?」
「えっ?」
「いや、な。やけに清々しい顔してるし、妙に早起きだしな。
もしかしたらとか思ったんだけど」
「……そうかもね」
確かに、これほどまでに寝ていないのに、不思議と疲れはなかった。
きっと、なにかがあった……もっと言えば、なにかが変わったからかもしれない。
『お前、好きな娘とかいるのか?』
考えてみたら、光にも同じことを聞かれたことがあったっけ。
今にしてみれば、これがすべての始まりだったのかもしれないな……。
ともあれ、僕にとって―――、
あるいは、もしかすると周りの人にとっても大きな意味を持つであろう、修学旅行3日目はこうして幕を開けたのだった。
………
………………
「う〜む……」
「どうしたんだよ章、メシの前でうなったりして?」
「いや、ね。やっぱり多いなって」
昨日の朝とほとんど同じメニューの朝食。
当然、量もまた然りであった。
……もっとも、僕はまだ3分の1近く残っているのに対し、圭輔の膳はやはり空になっていたが。
「圭輔、良かったら今日も食べる?」
「おっ、食う食う! また素振りしてたから、ハラ減っちまってさ」
「やれやれ……食うのはいいが、もうちょっと上品に食えんのか、お前は」
「もがもが……うるへー!」
光も呆れるほどの豪快な食べっぷりで僕の分をかっ込む圭輔。
……でも、それよりはとりあえず、食べるか喋るかのどっちかにすべきと思う。
「それよか章、あんまり食べてなかったみたいだけど、あんなにやって大丈夫なのか?」
「うん、まあね。そんなに食べるほうでもないし」
「って言う割には、昨日はジンギスカンも鍋も人一倍食ってた気がするんだが」
「うっ……それはそれってことで。
今日はラーメン屋行ったりとか、食べ歩きもあるから、そこでたくさん食べるよ」
「そっか……あやのちゃんのお土産買う分まで金使うなよ?」
「もちろん。
―――後が恐いしね」
恐いどころか、下手を打てば死活問題に発展しかねん。
「ふぃ〜……ごっそさん。
サンキューな、章」
「いえいえ。
そう言えば、圭輔の班は食べ歩きしないの?」
大食漢の圭輔と永嶋を擁する班だ、ありそうな気がする。
「もちろん、食べ歩きはあるぞ。何たって、俺にとってのメインイベントはそれだしな。
ラーメンにじゃがバター、カニ……はさすがに無理かもしれねぇけど、楽しみだぜ」
「まあ、カニは将来プロになってお金できたら、たらふく食べればいいじゃない」
「へへっ、そうだよな。北海道には球団もあるし、来る機会もあるだろうしな」
「それで、他に予定は?」
圭輔の班の班長は翔子ちゃんだ。
……まさか、食べ歩きだけで一日を終わらせるはずがないだろう。
「何だったかな? 買い物みたいなことするって話だったんだけど……」
「地下街か?」
「おう。それだ、それ」
「地下街?」
「札幌の地下街には色々な店があってな。見て歩くだけでも結構楽しめるらしい。
……とは言え、圭輔がそういうのに興味があるとは思えんし……翔子の希望か?」
「なんか失礼なこと言われてる気がすんだけど……まあ、いっか。
それがよ、西園寺の希望なんだよな」
「西園寺って……京香ちゃん?」
ある意味、圭輔の希望っていうより意外かもしれない。
ストイックなまでに剣に打ち込む京香ちゃんが、買い物とかに興味があるとは思えないんだけどな……。
「なっ、意外だろ?
たまには買い物でもとか何とか言ってたけど、イマイチ理由がよく分からねぇんだよな」
「ふーん……。まあ、そういうこともあるんじゃないかな?
何だかんだいって、京香ちゃんだって女の子なんだし」
―――流行とかに関して言えば、誤解が激しい部分も少なからずあるが。
文化祭のメイドカフェの時なんて、その最たるものだろう。
「……翔子ちゃんに変なことを吹き込まれないか心配だな」
「まあ、アイツはあれでいて面倒見は結構いいからな、心配ねぇだろ」
「そう言われるとそんな気もするけど……珍しいね、圭輔が翔子ちゃんをよく言うなんて?」
「べっ、別にいいだろ! その……いがみ合ってるワケでもねぇんだし」
怒られてしまった。
光は横で意味深に笑ってるし……何なんだ?
「っと、こんなことしてる間に、そろそろ部屋に戻る時間だな。
そろそろ戻るか」
「そうだね……じゃあ行こう。
圭輔、また後で」
「おう、じゃーな」
朝から色々と盛り上がったが、これにてお開きとなった。
……まあ、むしろいつも通りといえばそうなのかもしれない。
とりあえず、そんな朝だった。
………
………………
「―――そういうわけで、これから班別自由行動となりますが、
その際も志木高生としての自覚をもって、節度のある行動を―――」
そんな嫌そうな顔で棒読みされても全然説得力がないっすよ、華先生。
……気持ちは分からなくもないけど。
華先生はこういう格式ばったセリフは嫌いみたいだし。
だが、そんな珍しくやる気のない華先生とは対照的に、札幌駅の一角に集合した志木高2年生は大いに盛り上がっていた。
そりゃもう、浮き足立っているといっても差し支えないぐらいに。
―――間近に迫った自由行動。
そいつは、僕達のテンションを否が応にも高めている。
ここまで色々と言ってきたが、何のかんのと、この修学旅行を楽しんできた。
だけど、自由行動はその中でも一際楽しい思い出になるだろうと思う。
そんな期待が、みんなのボルテージを上げていた。
「―――それでは、解散!」
まるで目覚めたかのように、最後“だけ”力強い華先生の言葉で、200超の制服姿が散り散りになった。
………
………………
「と、まあ勇んで飛び出したのはいいけど―――」
「不満そうだな、章?」
「不満ってほどでもないけど……なんだかなって感じ」
僕達の班は駅の近くにある某デパートにいた。
計画の段階ではあまり気にしてなかったけど、いざ来てみると今ひとつしっくり来ない。
「札幌まで来てわざわざ買い物することもないだろうに……」
「こっちにしかない店とかもあるみたいだし。
茜にせよ福谷さんにせよ、女の子としては見逃せない所なんだろ。
それにまあ……ウチの班は、女性陣の方が権力強いから」
「それは言えてるかも……って言うか、それは光が抵抗しないからだろ?
その気になれば押し返せるのに」
「俺はみんなと回ってるだけでも十分だしな。
だから、流れに身を任せてんの」
「なんだよそれ……」
僕だって決して波風たてたいワケではないんだが……なんだろう、この釈然としない気持ちは。
「まあまあ、そんなにむくれるなっての。
こうやって、ちょっと遠巻きに美少女二人が戯れるのを見るのも役得ってもんだろ?」
「またそんなこと言って……心にもないクセに」
「そうでもないぞ? 実際、茜も福谷さんも可愛いと思うしな。
そういうお前はどうなんだよ?」
「……まあ、否定はしないけどさ」
「………………」
「なんだよ?」
普通に答えただけなのに、光が硬直してしまった。
自分でふっておきながら、あんまりな話である。
「いっ……いや。珍しく素直に認めたなって思って」
「そんなに珍しいかな?」
「いつもだったら、お茶を濁したりなんたりで、結局ごまかすからな。
特に茜に関しては」
どうなんだろうか。
いちいち気にして答えたこともなかったから、その辺の記憶はあやふやだった。
「別に、意識してやってたワケじゃないし。
それより、その気持ち悪い笑顔やめろよ」
光は何か悪だくみでも思いついたかのような、いやらしい笑みを浮かべていた。
イケメンが台無しもいい所だ。
「まあまあ、気にすんなって。お前に関係あるわけでもなし」
「何か気になるなあ……」
「忘れろ忘れろ。
―――ほらほら、こんな所で油売ってると、二人に置いてかれるぜ?」
光の声で、先ほど二人がいた所を見てみると、既に姿はなかった。
代わりに、もっと遠くのほうにその姿を確認した。
何だか上手い具合に煙に巻かれた気もしたが、置いていかれるわけにもいかなかったので、この話はここまでとなった。
ほんっとに光ってヤツは、どうにも掴みどころがないよな―――
………
………………
ひとしきり買い物を楽しんだ―――かは微妙だったが―――後は、ラーメン屋で昼食となった。
さすが札幌ラーメンが有名な街だけあり相当な数の店があったが、熱い議論の末にちょっとしなびた老舗風の店に決まった。
いかにもっていう雰囲気に、不思議と惹かれる所がある店だ。
そんな店内でのひとコマ。
きっかけは、つばさちゃんの何でもない一言だった。
「実は私、こういうお店って初めてなんですよ」
「えっ、そうなの? 明先輩とはよく行くから、てっきり福谷さんもそうなのかと思ってたけど……」
「お姉ちゃんは、こういうお店が大好きですから」
「そういや、夏休みにバンドの練習が終わった後とか、よく食べに行ったな」
同じお嬢様でもえらい違いだが、妙にうなづける話でもあった。
「じゃあ、もしかしてラーメンも食べたことないとか?」
「そんなことはないですよ。その……家で、シェフの方達が作ってくださることがあるので」
「シェフのラーメン……何か、ラーメンのイメージと結びつかない単語かも。
つばさちゃん、そのラーメンってどんな感じなの?」
「えっと、伊勢エビが入ってて―――」
「ストーップ! いきなりおかしいから! ラーメンに伊勢えびとか、普通は入ってないから!」
「えっ、そうなの!? えっと、じゃあ後は黒豚のチャーシューとか、フカヒレとか―――」
単価がいくらするんだ、その福谷ラーメン(仮)は……。
それだけ高級食材のオンパレードだと、もしかしたらコース料理ぐらいの値段かもしれない。
何だかかえって味のバランスが悪そうな気もするけど、そこはシェフの腕で美味しく仕上がってるんだろうな……。
とにもかくにも、つばさちゃんのラーメンへの誤解はかなりのもので、それを解くのにかなりの労力を要した。
実物を見たときもかなりのカルチャーショックだったようだし。
……普段は忘れがちだけど、やっぱりこういう所はお嬢様なんだなって感じがする。
今後は折を見て庶民のイロハを叩き込んだほうが彼女のためかもしれない。
肝心の味のほうだが、文句なしで“うまい”の評価がもらえるレベルだった。
こういうものを食べてこそ、北海道に来た甲斐があるってもんよ。
つばさちゃんも満足してたみたいだし。
―――店のオヤジも、まさか福谷グループの令嬢にラーメンを出したとは夢にも思わなかったろうな。
まあ、そんなこともあり。
その後は、茜ちゃんの希望にそって食べ歩きをしたり、街を散策している内に時間が過ぎていった。
そして、いよいよ自由行動も大詰め。
僕にとってはメインの目的の一つでもあった“お土産タイム”がやって来たわけだが―――。
「う〜む……」
「どうしたの章、そんなに難しい顔して?」
「……お土産をどうしようかと思って」
「お土産って……いくらなんでも、ちょっと大げさじゃない?」
「僕だってそうかもしれないって思うけどさ。
ただ、こうならざるをえない理由もあって」
「って言ったって、あやのちゃんにちょっとせがまれてるだけでしょ?
別にいいじゃない、普段は世話をかけっぱなしなんだから」
「それも分かってるけど、ちょっとせがまれてるって程度の話じゃないんだって」
出発の朝、ボトルコーヒーに添えてあったメモ。
アレは文面以上の強烈なインパクトを残していた。
アレのせいで“ちょっとせがまれてる程度の話”じゃなくなったと言っても過言ではない。
「……何があったか、なんとなく想像つくけど、そんなに悩まなくてもいいんじゃない?」
「そうかなぁ?」
「あやのちゃん、何だかんだ言ってもお兄ちゃんっ子だし、よほどのことがない限りは怒らないでしょ」
「そりゃまあ……そうだけど」
この場合のよほどのことっていったら、お土産そのものを忘れるとか、そういうレベルまで飛躍することになる。
ここまできて、いくらなんでもそれはないだろう。
「でしょ? だったら、あんまり思い悩まずに、スパッと選んじゃいなさいよ。
あやのちゃんの好みだったら、あたしより章の方が詳しいんだし。
まあ、アンタが選べば大抵間違いはないと思うし。そういうわけで、あたしは他見てるから」
「分かった。ありがとう、茜ちゃん」
「いいって、これぐらい。あやのちゃんのむくれた顔なんて見たくないし。
頑張りなさいよ。じゃあね」
そう言い残し、茜ちゃんは別のコーナーへ歩いていった。
……最後のほうで、微妙にプレッシャーかけてたのは気のせいということにしよう。
「それにしても、あやのの好みか……」
あやのの好物といえばまずはプリンだ。
これはもう、散々おごらされてる身だから断言できる。
が、残念ながら、見たところ“これぞ北海道のプリン!”みたいなお土産は見当たらない。
北海道なら牛乳が有名なんだし、牛乳プリンとか白いプリンとかあってもよさそうなものを……。
まあ、無い物ねだりをしてみてもしょうがない。
ここは気を取り直して別の何かを探すとしよう。
「やっぱこれかなぁ……」
手に取ったるは某恋人。
北海道のお土産といえばまずコレを挙げる人も多いだろうと思われる、アレだ。
無難といえば無難だし、間違いはないだろう。
「でも、これって前に母さんが買ってきたんだよな……。
確かに喜んではいたけど、これだけってのも―――」
そう思ったところで、あるものが目に入った。
「―――ストラップか」
自分では携帯を持ってないから発想がなかったけど、いいかもしれない。
確か、あやのの携帯には何もついてなかったはずだ。
「色々あるな……」
人気キャラクターに北海道風のコスチュームを着せたものやら、妙にリアルなジャガイモやら鮭やら……。
後者の方は誰が買うんだって感じだけど。
そういうちょっと怪しげなオーラが漂うグッズをチョイスしたい気もしたが、
そいつは地雷だと、心の中にそっとしまっておくことにした。
これも“よほどのこと”に値しかねない一品だ。
「……この辺かな」
様々な種類がある中から選んだのは、マリモを模した可愛らしいキャラクターがついたストラップだ。
阿寒湖には行ってないだろっていうツッコミも、この際気にしないことにしよう。
北海道らしさが大切なんだ……多分。
よし、決まったところでさっさと会計を済ませよう。
ここにいると、目移りしてまた悩むハメになりそうだし。
「で、結局何買ったの?」
店を出たところで茜ちゃんに声をかけられた。
けっこう気にしていてくれたらしい。
「ん……このストラップなんだけど」
先ほど買ったマリモストラップを取り出してみせる。
「へー、中々いいセンスじゃない。阿寒湖には行ってないけど」
「その辺は突っ込み無用ってことで。
あやのって、こういうグッズとか好きだし、多分喜んでくれると思うんだ」
「そうね……。
―――ちょっと、妬けちゃうかな」
「えっ? 何か言った?」
「何でもなーい! 章もいい兄貴してるなーって、そう思っただけ!」
そう言う茜ちゃんの顔は、笑顔のはずなのに何故だか寂しい感じがして……。
そしてそんな表情を見ると、僕まで寂しくなるような気がするのだった。
………
………………
「ふい〜……今日も疲れたな〜」
「やれやれ……お前はそれしかないのな」
「そんなことないって。
―――今日はオヤジくさくないだろ?」
「……もう何も言うまい」
昨日、おとといと続く相変わらずの呆れ顔をした光を隣にして、旅館の部屋。
楽しかった自由行動もあっという間に終わり、こうしてさっき戻ってきたところだった。
「で、今日も班長会議を忘れてるってか?」
「そうそう僕を見くびってもらっちゃ困るね、光。
今日はバッチリ覚えてたって」
「どうだか」
まあ、証明する方法もないのも確かだが。
でも、ちゃんと覚えていたのは本当のことだ。
「ってことで僕は行ってくるから、後はよろしく」
「おお、頼むぜ班長さん」
今日で3度目、そして最後となるやり取りのあと、班長会議へと向かう。
……これでやっと班長業務から解放されるな。
………
………………
(……参ったな)
“最後の”が接頭語につく夕食、入浴と瞬く間に過ぎ、これまた“最後の”自由時間。
ここまできて、小さな問題が発生していた。
(つばさちゃんと話をするタイミングがない……)
今朝、決めた気持ちを伝えると思い立ったは良いものの……ここまで機会を逸していた。
ほぼ一日中一緒にいたのに、何のかんのと話どころか、会う約束もしていない。
自分で決めた期限は明日だし、それでも別に問題はないんだけど……。
やっぱりここで先延ばししてはいけない気がした。
(とは言っても、旅館の中を闇雲に探しても見つかるワケないし……)
手の打ちようがない、とはこういうことを言うのかもしれない。
―――いや、違うな。
やっぱり、これも言い訳だ。
言い訳をつけて、目の前の現実から逃げようとしているだけだ。
……答えがどうであれ、僕とつばさちゃんの関係は変わる。
結局、ここで先延ばしするってことは、その変化から逃げることと変わらない。
ここまできて、それは無いだろうと自分でも思う。
―――思ったときには、足は女子部屋へと向かっていた。
………
………………
(いざ来てみると緊張するな……)
別に男女間で部屋の行き来が禁止されているわけでもなかったが、実際にそれをやる連中はほんの僅か。
そういう背景を抜きにしても、女の子ばかりの部屋に乗り込もうってのはかなり緊張する。
「スー……ハー……スー……ハー……」
大きく呼吸をしてから、意を決して戸を叩く。
「どうぞー」
部屋から声が返ってくるも、部屋は静かだ。
この時間、もっと騒いでてもいいもんだろうけどな……?
「おっ、おじゃましまーす……」
声に招かれ、戸を開けてみれば―――中にいたのは探し人のつばさちゃん、ただ一人だった。
「あっ、章くん!? どうしたの、女子の部屋に来たりして?」
「えっと……つばさちゃんに用があったんだけど……」
「私に?」
「うん、そう。
……ちょっと、時間いいかな?」
「いいけど……ここだと他の人が戻ってくるから、下のロビーでいい?」
つばさちゃんの申し出ももっともだったので、長居をすることもなく女子部屋をあとにした。
……正直、あまり心臓によろしくない場所だったし、ありがたかったりする。
「そういえば、他のみんなは?」
「まだお風呂に入ってる人とか、他の部屋に遊びに行ってる人とか……いろいろかな。
私はちょっと疲れちゃったから、ゆっくりしてた所」
「そうなんだ……」
拍子抜けといえば拍子抜けだが、他の人はいないに越したことは無い。
……逢い引きだなんだと、また妙なウワサをたてられちゃかなわないし。
またしても、二人して無言でロビーまで歩いてきた。
こういうのは3度目。
でも過去2回と違うのは、ここが学校じゃないこと。
そして、僕からつばさちゃんを誘ったということだ。
「とりあえず、座ろうか?」
「うん」
ロビーにあったソファーに、隣りあわせで座る。
横を向けば、いつものつばさちゃんの顔。
風呂上りなのか、少し上気しているようにも見えた。
「今日はお疲れ様、つばさちゃん。
楽しかった?」
「うん、とっても。
普段はこうやって知らない街を歩く機会なんて、なかなか無いし。
なにより、みんなで過ごせたのが一番楽しかった」
「本物のラーメンも食べられたし?」
「もう……それは恥ずかしいから止めてよ」
少しふくれながら、つばさちゃんがかわいく怒った。
けっこう気にしていたらしい。
―――福谷ラーメン(仮)もある意味、本物といえば本物だけど。
「あはは……ゴメンゴメン。
でも、ホントに楽しかった」
それは、修学旅行を通じて言えることだった。
思うところも沢山あって、それどころじゃ無いかもしれないと思ってたけど、
それ以上の楽しさをこの旅行は与えてくれた。
「うん、本当に……」
つばさちゃんも感慨深げに呟く。
でも、次に彼女の口から漏れた言葉は、それとはまったく違う性質のもので―――
「でも、楽しいだけじゃすまない……」
「えっ?」
そして、僕の考えを見透かしたかのようなものだった。
「楽しい時間は、もう終わり。修学旅行も、明日で終わる……。
そして、あの日、章くんが約束してくれた期限がやってくる……」
「つばさちゃん……」
儚げで、どこか悲しげなその言葉は、短いながらも一つ一つに重みがあった。
「答えを―――章くんの気持ちを、聞かせてくれるんだよね?」
こちらに向けられたつばさちゃんの瞳の力の前に、僕は促されるままにするしかなかった。
「約束の日にはまだ早いけど……でも、もう気持ちは決まったから。
だから、伝えるよ、僕の気持ち」
「………………」
―――コクリ
何も言わずに、つばさちゃんはただうなづいた。
その瞳に、やはり強い意志の光をたたえながら……。
そして僕も、その光に負けないよう、できるだけしっかりと言葉を押し出す。
「ごめん……つばさちゃん。
君の気持ちには―――応えられない……」
一息置いて、さらに言葉を続ける。
「つばさちゃんのことは好きだし、大切に思ってる。
でも、僕には……他に好きな娘がいる。一番スキなヒトが。
―――多分、だけど。
……確証がないにせよ、そんな状態で……つばさちゃんの気持ちには応えられないし、応えたくない。
だから……ゴメン」
これが、考えに考えて考え抜いて出した結論、そして決意だった。
「………………」
一種、拒絶の言葉。
しかし、それを受けたつばさちゃんは―――いつもどおり、柔らかい微笑みを浮かべていた。
「うん……分かってた」
「えっ?」
あまりに意外すぎる答えに、その場に似つかわしくない呆けた声が出た。
「……好きな人のことだから……分かるよ。
章くんの瞳には、初めから私は映ってなかったから……。
だから、分かってたの。私には入り込む余地なんてないって」
「つばさちゃん……」
「章くんの一番スキなヒト……その人の話をする時の章くん、本当に楽しそうなんだもん。
ちょっと、妬けちゃうよ……」
「………………」
少しずつ、でも確かな言葉を紡ぎ出すようにして話を続けるつばさちゃん。
「僕の、一番スキなヒト……」
―――僕だって、最初から分かってた。
それが誰なのかって。
つばさちゃんに告白された時、胸に引っかかったモヤモヤが何かっていうのも。
ただ、僕自身がそれを認めたくなかっただけ。
そのくせ、その娘が悲しそうな顔をするたび、僕も悲しくなって。
寂しそうな顔をするたび、寂しい気持ちになって。
笑顔を見せるたび、喜んで。
そういうことを、ずっと繰り返してきたんだから。
「でもね、それとこれとは別問題」
「………………」
つばさちゃんの言葉で、思索の世界から引き戻される。
彼女の言葉は続いていた。
「たとえ勝ち目なんてなくても、それでもよかった。
ただ、私が章くんを好きなんだっていう気持ちを知ってほしかっただけだから……」
「………………」
「私ね、こんなに人を好きになったの、章くんが初めてだったんだよ……?」
「……ごめん」
「ううん……謝らないで。違うの……責めてるんじゃなくて、感謝してるの」
そう言うと、何かをこらえるかのように、つばさちゃんは深く目を閉じた。
「だって、人を好きになるって事……それがどんなに素敵なのか事なのかって、章くんが教えてくれたから。
……そんな章くんに近づけて、嬉しかった……幸せだった。
だから、もう十分……気持ちを知ってもらえるだけで、もう十分なんだよ」
「つばさちゃん……」
けど、明るいその言葉と裏腹に、彼女の表情は正反対のもので。
「十分……なのに……どうしてなのかな……」
つばさちゃんの頬を、雫が伝っていく。
一筋、二筋―――
「泣かないって……決めてたのに……こうなるって……分かってたのに……」
そして、その雫はもう数え切れなくて……。
つばさちゃんの綺麗な顔は、その雫でくしゃくしゃになっていて―――
「章くんに迷惑かけないって……決めてたのに……なのに……」
悲しみを秘めて流れる雫が、つばさちゃんの顔をぬらしていた。
「迷惑……かけたく……ないのに」
「ゴメン……ね。ゴメンね……章くん……。
今だけ……今だけ、だから―――」
そして、つばさちゃんはもうこらえることもなく、声を殺すこともなく、
僕の胸で泣いていた。
誰もいないロビーに、ただただ、彼女の悲しみだけがこだまする。
そんな胸の中の少女に、何かしてあげたくて。
でも、僕がかけてあげられる言葉も、そんな事をする資格もなくて。
ようやく秋を感じられるようになってきた、修学旅行最後の夜。
人を好きになることの綺麗さと辛さを知って……僕らはまた一つ、大人になった―――
作者より……
ども〜作者です♪
Life四十四頁、いかがでしたでしょうか?
ついに修学旅行編も完結、そして長かったつばさの気持ちにも決着。
……つばさファンの皆さん、ごめんなさい_(._.)_
もっと色々書いても良かったんですが……これ以上やってもただ冗長かなって気がしたので、あえてアッサリまとめてみました。
感想など、お待ちしています。
そして次回は、修学旅行も終わり新章突入。また新しい事件が章を待っています。
いつものごとく、期待しすぎない程度に期待してお待ちください。
それではまた次回お会いしましょう。
その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ




