第四十三頁「北へ……」(後編)
「―――きろ、おい章、起きろって。もう朝だぞ」
―――カチッ
「いてっ!?」
んむむ……なんだ今日の目覚まし?
叩いても止まらないぞ?
その上、声もやたらと立体感があるし……。
「こら章、ねぼけてんなって」
「んむ……茜ちゃん? やけに野太い声に……」
「おいおい、いい加減にしてくれよ、章?
ったく、これじゃ茜が苦労するわけだよ」
「ん―――あれ、光? なんで僕の部屋に?」
「アホか、なんで俺が朝っぱらからお前を起こしに行かにゃならんのだ。
周りを見てみろ」
光に体を引き起こされ、部屋の様子を見てみる。
僕の部屋じゃない……って、ああそうか―――。
「修学旅行中だったんだっけ……」
「はい、ご名答。ようやく目が覚めたみたいだな……
目をこすって、もう一度光を見てみると、呆れたように肩をすくめていた。
「やれやれ……毎朝のようにお前を起こしてる茜に同情するぜ」
「毎朝じゃないっての。
茜ちゃんの場合は、もっとこう……問答無用でグワーッ!! って感じだから」
陽ノ井茜流布団引き剥がし術の実演をしてみせる。
こればっかりは、あやのすらマネできない茜ちゃん独自の必殺技だ。
「そこまでしないと起きないお前もどうかと思うが……まあ、さすがは茜ってことにしとくか」
微妙に失礼な事を言われてる気もしたが、ここはスルーしてやった。
「他のみんなは?」
「起きたのやら、寝てるのやらが半々ぐらいって所かな」
「だったら、まだ寝かせてくれてもよかったのに……」
「起こしてやっただけありがたく思っとけ。
それに、もう結構いい時間だしな」
そう言って光は携帯電話の時計を見せてくれた。
「6時半……朝ごはんいつからだっけ?」
「7時から。着替えて顔洗ったらもう時間だな」
「そっか。じゃあ、さっさと動くかな……んんっ!」
軽いかけ声と共に大きく伸びをする。
とりあえず、筋肉痛はないようで一安心。
まだまだ寝ていたかったが、そうも言ってられないらしい。
団体行動の辛いところだな……。
「夕べは、みんなすぐ寝たの?」
「ああ、そうだな。俺が寝たのは1時ぐらいだったけど、それで一番遅いぐらいだからな。
みんなマジメなのか―――あるいは、今日の夜に向けて力を蓄えてるかのどっちかだな」
「今日の夜?」
「まっ、楽しみにしとけ。
それより、さっさと顔洗っちまえ。後ろがつまってるんだよ」
光の言う“今日の夜”がどうにも気がかりだったが、他のみんなに迷惑をかけるわけにもいかなかったので会話はそれまでにしておいた。
でも、夜って……なにするんだろ?
枕投げか何かかな―――
………
………………
慌しく身支度を済ませた後は、座敷の大食堂で全員揃っての朝食だ。
約250人分の食事を用意するってのも大変な話だよな。
「ふぅ……」
食事が始まって15分ほど経ったが、そこで一旦箸を置く。
腹八分を超えて九分にさしかかろうというところだった。
「なんだ、残すのかよ章?」
「……ん、まあ」
僕の膳にはまだ3分の1ほどの料理が残っている。
対して圭輔のほうは、すでに綺麗サッパリなくなっていた。
「もったいねぇな……こんなに美味いのに」
「美味しいのは間違いないんだけど……ちょっと量が、ね」
味はさして騒ぐほど良いわけでもなく、標準的な“美味い”のレベルだったが、量はそうでもない。
ご飯はもちろんのこと、味噌汁、納豆、海苔、漬け物、サラダ、焼き魚、目玉焼きなどなど―――。
なんのかんのと、いつもの倍近い量があった。
僕はそんなにたくさん食べるほうでもないので、正直言って朝からこの量はキツイ。
って言うか、なんでこういう所の食事ってこんなに多いのか……。
「んなこと言ってっと、昼飯までもたねぇぞ?」
「僕は省エネ型だからね、その辺の心配は無いの。
よかったら、これ、圭輔にあげようか?」
「おっ、マジかよ!?
……後で返せって言っても返さねぇぞ?」
「言わない言わない」
「サンキュー! そんじゃま遠慮なく―――」
言うのと同時ぐらいで、僕の皿に圭輔の箸がのびていた。
言ってることとやってることが微妙にズレてる気がするが……。
まあ、食材が無駄にならなかっただけよしとするか。
「いやあ、朝から動いたから腹減っちまってよ!」
「動いたって……散歩でもしてきたの?」
「これだよ、これ」
そう言って圭輔は置いてあった“それ”を差し出した。
「……金属バット?」
「おう、見ての通りだ。そこの中庭でな、素振りしてきたんだよ。
やっぱ、4日間もバット握らないと不安になってくるからな、持ってきたんだ。
部屋にはボールとグラブもあるぞ。後でキャッチボールでもするか?」
「いっ、いや。遠慮しとくよ……」
さすがは圭輔……北海道にきても一に野球、二に野球だな。
まあ、ここは某球団のお膝元だから、むしろ盛り上がるのかもしれないけど。
「他にも西園寺と吉澤、後は沖野も素振りしてたぞ。あっちは竹刀だったけどな。
茜と翔子もキャッチボールしてたみたいだし、みんなけっこう色々やってるみたいだな」
「…………」
もはや言葉も出なかった。
みんな相当の実力者だけど……やっぱり、こういう地道な努力が結果に結びついてるんだろうか?
部活には“基本的に”入ってない僕には縁が無い話だけど……。
よくよく辺りを見回すと、確かに竹刀やらバットやらグラブが転がっていた。
部屋に戻らずこちらに直行したんだろう。
……ホント、ご苦労な話だな。
「……そっか。お腹空いてるんだったらちょうど良かったね。
遠慮なく食べちゃってよ」
「おう、そうさせてもらったぜ」
過去形で語るその言葉通り、圭輔は既に僕の分まで平らげていた。
「はっ、早いね……」
「まあな。メシ食うのは早いほうだからな」
……プロ野球選手になるには、やっぱりコレぐらい食べなきゃダメなんだろうか?
何にせよ、圭輔は別人種だと再確認させられた瞬間であった。
………
………………
朝食を終えると、間もなくバスに乗り込んでの移動が始まった。
朝食終了から発車までの時間、わずかに30分。
……旅行を通して言える事だが、せわしないことこの上ないな。
「えっと……今日はどこ行くんだっけ?」
隣りの席に座るつばさちゃんに尋ねた。
今日は昨日とは違う席割りになっている。
「午前中は札幌近郊の名所めぐりだね。
時計台とか、テレビ塔とか、赤レンガ道庁とか……後、有名なクラーク博士の像も見学するみたい」
「……しんどそう」
「そっ、そうかなぁ……? 私はけっこう楽しみだけどな」
「楽しいのは間違いないんだろうけど、こんなに大人数で回るってのもね……。
それに、どうせなら、じっくり見たいでしょ?」
観光そのものは嫌いじゃない。
自分で言うのもナンだが、けっこうミーハーな所もあるし。
だが、問題は人数だ。
グループ行動ならともかく、一学年全員で見て回るんじゃどうにも落ち着かない。
さすがに全員まとまって行動ってワケじゃないだろうけど、それでも色々と制約はつくだろう。
修学旅行のこういう部分は、どうにも好きになれなかった。
みんなで歩くっていうのも、そこまで悪いものじゃないってのは分かってるんだけど……。
「あはは……確かにそうだよね。
でも、みんなで一緒にっていうのも、きっと楽しいと思うよ?」
「そう……かもね」
何となく目をあわせられなくて、顔を背けた。
―――つばさちゃん、相変わらずの反則技だって。
……そんな真っ直ぐな瞳で言われちゃ、うなづかざるをえないじゃないか。
「えっと……、その後はなにするの?」
「観光の次はお昼ご飯だね。
北海道名物のジンギスカンをいただくんだよ」
「ジンギスカンか……」
ジンギスカンといえば、これだよな。
「―――鳴くようぐいすジンギスカン、いい国作ろうジンギスカン、ひつじひつじ、ひつじにく〜♪
……ってね」
「くすくす……なに、その歌?」
「いや、まあ何ってほどでもないんだけど……。
年号の語呂あわせを覚えるための歌……かな?
未穂ちゃんあたりが詳しいと思うから、気になるなら聞いてみるといいよ」
「うん、分かった。今度聞いてみるね」
思わず口走ってしまったが……ウケたみたいでよかった。
―――未穂ちゃんがこの歌を知ってるかは怪しいけど……いやいや、あの娘なら大丈夫だよな。
「ジンギスカンといえばさ、つばさちゃんはジンギスカンキャラメルって知ってる?」
「ううん、知らないけど……キャラメルって、もしかしてあのお菓子の?」
「そうそう、曰くジンギスカン味のキャラメルなんだけどさ、これがまたマズいんだわ」
見た目は普通のキャラメルなのに、味がそれに伴ってないってのもマズさに拍車をかけていたりする。
「へぇ……それってどんな味なの?」
「何て言うかな……煙臭いっていうか、生臭いっていうか。
とにかく食べた瞬間、強烈な臭いでさ。それが一番キツイんだけどね。
野菜も肉も煙も全部いっしょくたにキャラメル化しました! って感じの味」
前に母さんが北海道に仕事で行った時に、シャレで買ってきたのだが……。
あれのせいで、桜井家が一時的に地獄絵図と化してしまった。
……とりあえず、あやの達のお土産には買えんな。
それこそ、『今日の晩御飯はジンギスカンキャラメルだよ♪』とか、シャレにならない結果になりかねんし。
――― 一瞬、皿に山盛りのジンギスカンキャラメル片手に黒い笑顔を浮かべるあやのを想像してしまったが……忘れよう。
「ちょっと興味あるけど……食べるのに勇気がいりそうだね」
「とりあえず、興味だけで留めといた方がいいと思う。
さすがの明先輩でも、あれがお土産っていうのはキツいだろうし……」
「うっ、うん。そうするよ……」
珍しく深刻な僕の物言いに、さすがにヤバいと思ったのか、購入は取りやめたようだ。
……賢明な判断だよ、つばさちゃん。
―――とりあえず、昼食に関しては、キャラメルみたいな味じゃないことを祈ろう。
「午後からは?」
「ご飯の後は……3グループに分かれて体験学習だよ。
章くんはどのグループにしたの?」
「どうしたっけな―――?」
はるか遠い昔にそんな事を決めた気がするが……。
なにぶん関心が薄い上に、ここのところ忙しくて細かい事まで記憶している余裕がなかった。
「えっと……章、くん?」
「確かガラス工芸かなんかだった気がするんだけどな……」
「あっ、じゃあたぶん、小樽でのガラス工芸体験だね。
私と同じグループだよ」
「そうなのか……じゃあ、よかった」
「えっ?」
「知り合いとか友達とか、仲いい人が一人でもいるとやっぱ違うしさ。
つばさちゃんがいるなら、退屈はしなさそうだよ」
「そう……だね。
―――友達、か」
「?」
つばさちゃんのやけに残念そうな表情が変に印象的だった。
……って、そりゃそうだよな。
仮にも“好き”って言った相手から、友達ですって言われりゃ、そりゃ残念……だよな。
「あ、その、え〜っと……つばさちゃん?
今のはさ、そういう意味じゃなくってその……」
あーもう、なんて言えばいいんだよ!?
「…………。
―――くすくす」
「つばさちゃん……?」
「ううん、ゴメンなさい。なんでもないの。
ただ、章くんらしいなって思って」
僕らしい……のかな、今の?
「章くんの言いたいことは分かってるよ。
だから、心配しないで」
「……そっか。ならいいけど」
慣れないフォローをしたせいか、なんだかやたらと疲れたな。
……慣れないって言えば、こういう会話や感情もだけど。
なかなか難しいもんだ。
でも、思ったより普通に話せて安心したな。
……って、よく考えてみれば、そりゃそうか。
別につばさちゃんだって、四六時中あのことを意識してるわけじゃないんだろうし。
普通にしてればいいんだよ、普通に。
もう、あまり時間はないけど、せめてその時までは今の状態を保っておきたいと、そう思った―――。
………
………………
「あ〜、どっこいせっと……」
一日の活動を終え、部屋に戻ってきて一息。
至福の瞬間……と言えなくもない。
「だからどこのオヤジだってんだよ、お前は」
「いやあ、今日も何だかんだと疲れちゃってさ……」
光のツッコミももっともだったが、正直な感想だった。
今日は色んな意味で一生に一回の体験ができたが。
―――200人以上の団体で名所を巡るなんて、自ら進んでは絶対やらないだろうからな。
集団で移動する時の、あの異様にゆっくりしたペースに合わせて歩くのは必要以上に疲れた。
何が嫌って、要するにそういう部分が嫌いなんだが。
……まあ、そこはそれ、修学旅行の醍醐味ってことで。
案外悪くもなかったし。
つばさちゃんの言う通り、みんなでやれば何でも楽しく思えるから不思議だ。
「まあ、確かにな。けっこうハードなスケジュールだったし」
「だろ? のんびりできたのなんて、ジンギスカン食べてる間ぐらいだよ」
食事の時間だけはたっぷり取ってあったので、そこはありがたかった。
―――ちなみに、本物のジンギスカンは煙味とかそういうことはなく、普通に美味しい料理だった。
「あれはうまかったな……さすがは北海道、食べ物に関しては文句ないよな。
ところで、章は体験学習は何にしたんだ?」
「僕はガラス工芸だった」
……激しく微妙な“グラスのようなもの”しかできなかったが。
こういう時って、自分のセンスの無さを痛感させられるよな……事実だから仕方ないけど。
「そっか。俺はジャガイモの収穫体験グループだったな」
「また草むしり?」
「バカ言ってんなって。今日はちゃんと作業したぜ。
これがまた結構な重労働でな、大変だった。
今度からジャガイモ食べる時には気合入れて食うことにするよ」
「そりゃご苦労なこって……」
北の大地で肉体労働―――そっちはそれで悪くなかったかもしれないな。
「ご苦労といえば、班長会議に行かなくていいのか?」
「あーっ!? また忘れてた!」
「んじゃ、さっさと行ってこい。
この時間なら……まあ、まだ間に合わんこともないだろ」
「う、うん! それじゃ、あとよろしく!」
……慣れない事はするもんじゃないな、どうにも。
言ってもどうにもならないけど、やっぱり班長とかはガラじゃない。
班長会議には滑り込みでセーフだったものの、華先生と翔子ちゃんに『やっぱりね』みたいな顔をされたのが妙にくやしかった。
………
………………
「班長会議が終わったと思ったら、今度は夕食か……」
部屋に戻ってまだ10分と経ってないぞ。
ホントに慌しいな、この修学旅行ってヤツは。
「まあ、そんなにグチるなって。いいもん出てくるんだしさ。
それに、腹も減ってるだろ?」
「言われてみれば……」
昼にジンギスカンをたらふく食べたはずだったが、既にかなりの空腹感があった。
やっぱり、一日中外にいるだけで違うもんだな。
「それじゃ、さっさと行こうぜ。
早くしないと、席が別れ別れになるぞ」
「うん、そうだね。少し急ごうか」
こうして、光と共に大食堂へ向かった。
「おーい、章、光ー!!」
どこか適当な席はないかと探していると、圭輔がこちらに向かって手を振っているのに気づいた。
「席とっといたぜ」
「サンキュー」
圭輔と永嶋の他、僕達二人分の空席をキープしておいてくれたようだ。
「朝はバラバラになっちまったからな、今度は抜かりないぞ」
「助かるよ。永嶋も、ありがとう」
「気にするな、このぐらい」
さすがに圭輔と仲いいだけあって、永嶋も気持ちがいいヤツだな。
感謝感謝。
「それで、今日のメニューは何かな―――っと、これはっ!?」
なんと、北海道にきてコレをお目にかかろうとは!
「鍋だっ!」
机には、4〜5人前ぐらいの鍋の具材と、中程度の土鍋が置いてあった。
「……そんなに感動するほどのもんか、これ?
確かに、海の幸がごっそり入ってて美味そうだし、さすが北海道って感じはするけど……」
「ん、まあ具とかはそうかも知れないけど、僕にとっては鍋自体が珍しいからね。
もう何年も食べてなくって」
「そうなのか? もしかして、あやのちゃんが苦手とか?」
「ううん、そんなことはないんだけどさ。
でも二人暮らしだと、あんまりこういうものって食べなくって」
「なるほどな……。意外とそういう部分も大変だったりするんだな、二人暮らしってのも」
「そうだね……まあ、二人鍋っていうのも悪くはないんだろうけど」
実際、そういう人も結構多いんだろうし。
「でも、こういうものはやっぱりみんなでつついてこそだと思うんだ」
「そりゃそうだわな。二人ならともかく、一人なんてもってのほかだしな」
光もそこまで分かっているならもう語ることはない。
後は食べるだけだ。
相変わらず量は凄かったが、圭輔と永嶋の大食漢コンビのおかげで、見る見る内に具材は減っていった。
………
………………
「ゲフッ……」
―――ちょっと調子に乗って食べすぎたな、こりゃ。
野球部コンビのペースに合わせてたら完全に限界以上の量を食べちゃってたみたいだ。
何とか部屋に戻ってきたが、横になったが最後、まったく動けないでいた。
「うっ、動くのも辛い……」
「そんなになるまで食べるなよ……。
やれやれ、これじゃあやのちゃんが苦労するわけだ……」
「家ではこんなことないんだけどね」
「余計にタチが悪いわ!」
……ごもっとも。
「ほら、バカやってないで風呂行くぞ、風呂」
「もっ、もうそんな時間?」
「ああ、今日の入浴は前半だからな」
「さっき食べたばっかなのにすぐ入浴ってのは、スケジュール的にどうかと思うんだけど?
―――よって、スケジュールの改訂を要請します」
「知らん知らん、俺に言うなって。
……ほれほれ、とっと動けい!」
「へ〜い……」
華先生が聞いてたら間違いなく怒られそうな返事と共に、文字通り重たい体を起こす。
やれやれだな……。
………
………………
光と、途中で合流した圭輔と共に脱衣所に入ったところで見知った顔を見つけた。
「あっ、アイドルトリオの三人」
「……よく分からんが、その呼び方はよせ」
「……僕も言ってから思ったよ」
よく考えたら、他にも文化部三人に後輩トリオと、勝手に愛称つけてるグループはあるけど、本人達に言ったことなかったな……。
たぶん嫌がられる……って、そりゃそうだわな。勝手にいっしょくたにされたら。
反省しておこう。
「……って、あれ? 沖野、どうかしたの?
なんか、やたらと元気ないみたいだけど……」
「あー、桜井、聞かないほうが―――」
という吉澤の言葉を遮り、沖野が話し始めた。
「聞いてくれるか、桜井!?」
「うっ、うん……聞くだけなら、いくらでも」
「よしっ、言ったな!? じゃあ心して聞けよ!」
急に元気になったけど……一体どうしたんだ?
「桜井、修学旅行の醍醐味といえばなんだ!?」
「えっ? う〜ん……枕投げ、とか?」
「それも確かにあるだろう……しかぁし! こと、入浴に限って言えばアレしかなかろう!」
「アレって?」
「……女子風呂覗きだっ!」
―――ザッパーン!!
とかいう効果音と共に荒波まで見えてきそうな気迫で、沖野は高らかに宣言した。
「……はっ?」
「“はっ?”じゃねぇよ、“はっ?” じゃ!
お前な、修学旅行で女子風呂覗くっていったら、男のロマンだろうが!?」
「まあ、一理あるかもな」
ちょっ!? 光まで何言ってんのさ!
「だろ〜? さすがは和泉、分かってんじゃねーか。
……しかし嘆かわしき哉、誰もこの偉業を成し遂げようという勇者はいないときている!」
偉業っていうより蛮行、勇者っていうより愚者の方がピンとくる気がしなくもないけど……。
「っていうか、そこまで言うなら沖野が自分でやればいいんじゃ?」
「いや、俺にも立場ってもんがあるし」
なんだよそれ!?
「なあなあ桜井〜、お前どうだよ?
陽ノ井さんとか福谷さんの入浴シーン、興味ないわけじゃないだろ?」
「ななな、何をおっしゃいますやら沖野クン!?」
と、裏返った声で言っても説得力皆無なのは分かっていたが、どうしようもなかった。
「桜井がダメなら……萩原はどうよ? 島岡さんとか、島岡さんとか、島岡さんとかさ〜」
「なんでそこで翔子が出てくんだよ……ってか、翔子しかいねぇし!?
大体、俺はそうまでし見たいとは思わねぇっての!」
「チッ、どいつもこいつもチキンばっかだな……」
チキンっていうよりは、みんな常識があるってことなんだと思うぞ、そこは。
「―――その辺にしとけ、沖野。
時間がない、早く入るぞ」
「あっ、ちょっと待てって工藤! まだ話は……!
あ〜れ〜! お〜た〜す〜け〜……」
こうして、沖野は終始沈黙を守っていた工藤によって引きづられていったのであった。
「……沖野って、たまによく分からないこと言うよね」
「まあ、アイドルトリオも完璧超人の集まりじゃないってことだな」
光の冷静な分析は、やけに頷けた。
まあ、こういう部分も嫌いじゃないけど。
ちなみに、浴場に入ると干からびたように元気のない沖野がいた。
―――とりあえず、ご愁傷様。
………
………………
「ん……ん〜っ!」
部屋に戻り、布団の上で大きく伸びをした。
ようやく人心地ついたって感じだな。
のんびりできるはずの風呂場でも、なんか色々あった上に時間制限とかであんまりゆっくりもしてられなかったし。
「ふっふっふっ……お休みのところ悪いんだがな、桜井」
「うん? どうかしたの、江田?」
クラスで一番のひょうきん者と名が高い、江田が話しかけてきた。
……何故だろうか、嫌な予感―――むしろ悪寒がするのは?
「今から修学旅行、夜の醍醐味を一緒に味わいたいとは思わないか……?」
「夜の醍醐味?」
そういえば今朝、光がみんな夜に向けて力をどうこうとか言っていたような?
「そう―――題して! みんなの好きな娘だ〜れだ?ターイムッ!!」
―――ザッパーン!!
いや、それはもういいから。
……なるほど、光が言ってたのはこれか。
厄介この上ないな……。
「さあって桜井、今日はとことんまで喋ってもらうからな……!
陽ノ井さんはもちろんのこと、福谷さんに島岡さん、西園寺さん……、
さらには学園のアイドル空木怜奈ちゃん、果ては妹のあやのちゃんにまで手を出してるお前だ!
さぞかし面白い話を聞かせてくれるんだろうな……!?」
「ちょ、ちょっと待った!?!?
全部みんなが勝手に盛り上がってるだけだって!」
第一、あやのは実の妹だぞ!?
って言うか、これじゃ好きな娘誰だタイムじゃなくて私怨しか感じないんだけど!?
「じゃかあしい! 福谷さんと文化祭回ってたとか、空木さんと中央公園でデートしてたとか、こちとらネタは上がってんだ!」
「うっ……」
全部本当の事だけに、否定のしようがなかった。
「志木高の綺麗どころを全部もってきやがって! どういうつもりなのか、今日という今日は徹底的に喋ってもらうぞ!」
―――ヤバイ、これはいくらなんでもヤバすぎる。
光以外のみんなに囲まれてるし、話し合いじゃ決着はつきそうにないぞ……。
……ん? 光以外ってことは―――
「おいっ、みんなアレ見ろ、アレ!」
光の声に、野郎どもが一斉に反応する。
古典的ながら、効果はてきめんで、包囲網に一瞬のスキが生じる。
―――今だっ!
「サンキュー、光! この借りはそのうち返すよ!」
「期待しないで待ってるぞ!」
「あっ! コラ、待ちやがれ桜井っ!!」
光に礼を言いつつ、素早く畳を蹴り猛ダッシュ!
一気に包囲網を突破、僕にとっては牢獄と化した部屋を脱出するのに成功した。
自分で言うのもナンだが、代走とはいえリレーにも出た足だ、圭輔や光でもなきゃ追いつけないだろう。
………
………………
「ふぃ〜……」
ロビーにたどり着いたところで、汗を拭うポーズをしてみる。
―――なんとか逃げ切ったな。
追っ手はないみたいだし……きっと、光が上手く丸め込んでくれたんだろう。
そういうのはアイツの得意分野だしな。
「走ったらノド乾いたな……何か買うか」
そう思ってポケットに手を突っ込んだ時、重大な事実に気づいてしまった。
「―――財布、バッグに入れっぱなしじゃん」
荷物をまとめてあるバッグは部屋に置いてきてしまったわけで。
もちろん取りに戻れるはずもなく……。
途方に暮れるって、こういうのを言うんだろうな、ははは……。
「はぁ……バカ言ってる場合じゃないっての」
このまま部屋に戻るってのもなぁ……。
さてさて、どうしたもんか。
「……なにやってんの、章?」
「わっ!? あっ、茜ちゃん!?」
「なによ〜、そんなに驚くことないでしょ。
別に取って食おうってワケじゃないんだしさ」
「あっ、いや、その……あはは、うん、そうだよね」
まさか追っ手と間違えたとは言えないので、とりあえず誤魔化しておいた。
「ん〜? ……変なの。
それより、こんな所でなにやってるの? しかも一人で」
「ああ、ちょっと……部屋から逃げ出してきたんだ」
「逃げ出した?」
いぶがしがる茜ちゃんに、事のあらましををざっと話した。
「ふ〜ん……アンタも苦労してんのね。
あっ、でも自分で蒔いた種と言えなくもないか……」
「それを言われちゃ身もフタもないんだけどさ。
―――そういうわけで茜ちゃん、ジュースを買うお金を貸してください」
「何がそういうわけでか知らないけど、まっ、そういう事なら仕方ないわね。
後で恨み言を言われるのもカンベンだし」
そう言って茜ちゃんは、120円分の小銭を渡してくれた。
何のかんの言っても、こういうところは気前がいい。
「サンキュー。明日にでも返すよ」
礼だけ言い、近くの自販機でスポーツドリンクを買った。
コーヒーでも悪くはなかったが、運動めいたことをした後だし、たまにはいいだろう。
「とりあえず、突っ立ってるのもナンだし、座ろっか」
「そうね」
茜ちゃんも缶入りのミルクティーを買うと、二人並んで近くの椅子に腰掛ける。
「そう言えば、なんで茜ちゃんはここに?」
「うん?
……まあ、あたしもアンタと似たような感じかな」
「えっ?」
「同じ部屋のみんなで、コイバナしようみたいな流れになって……。
それで、なんとなく嫌になって出てきたんだ」
「似てるって言うか、まんまだね」
「そうかもねー」
二人の軽い笑い声が、誰もいないロビーにこだまする。
……やっぱ、男子も女子も考えることは一緒なんだな。
「あたしの場合は、どうせアンタのことを色々聞かれるだけなんだけどね。
もういい加減、同じこと話すのも飽きてきちゃってさ」
「あはは……苦労してるんだ」
「誰のせいだと思ってんのよ、誰の」
とがめるような言葉ではあったが、そこにそういう意思は感じられなかった。
じゃれあうような、いつものやり取り……そんな感じだ。
「そういう章も、どうせ似たようなこと聞かれるんでしょ?」
「うん、まあ……」
「なによ、はっきりしないわね? 何かあるの?」
「えっと、つばさちゃんとか、怜奈ちゃんとかの事もひっくるめて……みたいな感じだから」
「あ〜……なるほどね。確かに、色んな娘とデートめいたことしてるもんね、アンタ」
今度もとがめるような口調だったが、さっきとは違いそういう意思も若干感じられた。
「なーんでそんなにモテちゃうんだろうね、アンタって?」
「別に、そういうつもりでやってるワケじゃないんだけどね……」
「ハタから見れば、そういう風にしか見えないって。
まあその気がないのは、あたしにはよ〜……く分かってるけど」
「そういう理解はありがたいけど……なんでそんなジト目でこっちを見るかな?」
「気のせいよ、気のせい」
……そうは見えないが、とりあえずこれ以上この件に触れるのはよそう。
「―――でもさ、実際のところ……アンタ、好きな娘っていないの?」
「えっ……えっ、ええーっ!?」
「ちょ、ちょっと! そんなに驚かないでよ! こっちがビックリするでしょ!?」
「あっ、ゴメン……」
茜ちゃんにそういうことを聞かれたのがあまりに意外だったので、思わず大きな声を出してしまった。
今度の反響はひときわデカい。
「……それで、どうなのよ?」
―――今度は、さっきとは違った感じでドキッとした。
何だ、この感じ……。
「…………」
正直なところ、自分でもよく分かっていなかった。
だって、それが分かっていれば、きっとあの時―――つばさちゃんに告白された時、その場ですぐに答えられていたはずだったから。
ただ、出かけている答えらしきものはあった。
そして……今は、それをちゃんと答えるべき時だとも思えた。
「いる……かも?」
結局、いつもの曖昧な答えにしかならないけど。
ただ、僕が指している女の子は―――
「そっか……へぇ〜、やっぱ章も男の子なんだね」
そういう茜ちゃんの顔は、言葉とは裏腹にどこか寂しげに見えた。
「そりゃ、一応はね。僕だって思春期真っ只中なわけですよ」
そんな茜ちゃんの表情を見たくなくて、この場に似合わない、冗談めかした感じで言ってみた。
「自分で言ってちゃ世話ないけど」
「そうかも……ね」
けど、こういう冗談めかしたやり取りにもいつもみたいな“キレ”がなかった。
「―――そういう茜ちゃんはどうなの?」
「あたし? あたしは……」
そう言ってから、長い長いタメを作る茜ちゃん。
まるで大切な言葉のピースを選び集めているかのように、深い思慮の表情を見せる。
やがて発せられた答えは―――。
「いるよ」
僕とは違い、はっきりとした肯定だった。
そして、それを聞いた時……なぜだろうか、不意に寂しいような気もちになった。
「あたしだって、思春期真っ只中なわけですよ」
「自分で言ってちゃ世話ないって。
……ははは、茜ちゃんの彼氏になる人って、なんだか大変そうだね」
「そうね……きっと、大変でしょうね」
いつもなら怒りそうなもんだけど、茜ちゃんはただ遠い目をしながらそう答えて。
「―――もう、大変な思いをしてるのかもしれないけど」
ただ、意味ありげにそう呟いただけだった。
「なんか、変な感じだね……マジメな顔して、章とこんな事を話してるなんて」
「そうだね……ほんとにちっちゃい頃から一緒なのに……不思議な感じだ」
そして、それだけではない別の“不思議な感じ”が僕の胸の中にはあった。
……茜ちゃんはどうなんだろうか?
15年来の付き合いだけど、さすがにそこまでは分からなかった。
「あはは……二人とも、こういう話が嫌で部屋から逃げてきたのに……。
あたし達、何やってるんだろうね?」
「ん……まあ、修学旅行だから」
「……そうね、修学旅行だもんね」
まるでオウム返しのように、二人で似たような言葉を繰り返してその場を綺麗にまとめてしまった。
15年来の付き合いだからできる技で―――できてしまう技でもあった。
「そろそろもどろっか。飲み物もなくなっちゃったし」
「そうだね……」
申し合わせたように頷きあうと、同じタイミングで立ち上がり、部屋へと歩き始めた。
「あっ。あたしの部屋、こっちだから」
「うん……それじゃ、おやすみ、茜ちゃん」
「おやすみ、章」
階段のところで、何でもないようなセリフを残して別れた。
その声も、姿も、いつもと変わらない。
……そう、何も変わっちゃいないんだ。
だけど、もし……もしも、この気持ちが嘘じゃないのだとしたら―――。
たぶん、いよいよもってつばさちゃんに答えなきゃいけなくなったみたいだ。
修学旅行2日目の夜。
僕は一つの決意を固めた―――
作者より……
ども〜作者です♪
Life四十三頁、いかがでしたでしょうか?
今回はコメディありシリアスありと、テンコ盛りでしたね。
さすがは修学旅行(笑)
あと、色々とネタも満載……(^^;
本編にあったジンギスカンキャラメルについてですが、あれは実在します。
って言うか、作者は食べました(笑)
感想は……章が言っていた通りです。
それでも食べたいという方がいれば止めはしません……が、お土産にはシャレ程度にしておきましょう(笑)
さてさて次回は、修学旅行編もいよいよクライマックス、自由行動と“アレ”です。
いつものごとく、期待しすぎない程度に期待してお待ちください。
それではまた次回お会いしましょう。
その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ




