Track.4-20「美味しくないね、これ」
「お祖父様、これは、何ですか?」
淡い薔薇色の愛らしい眼をきらきらと輝かせて、夷は玄靜に訊ねる。
夷が身体を横たえる傍でまるで武士のように胡座を掻く玄靜の右手には白湯の注がれた湯呑があり、そして左手には何かを包んだ四つ折りの紙があった。
「薬だ」
「お薬ですか」
「ああ、そうだ。薬だ」
齢十二を数えた頃、夷の身体に変調が訪れた。すでに夷は知っていたことだが、彼女の呼吸器系に局所的な霊銀汚染が見つかったのだ。
四月朔日家の女系の血族は低い確率でその霊銀汚染を発症する。遺伝子に刻まれた、先天的な疾患だった。
玄靜は伝を頼ったが、彼が信頼する療術士や呪術医たちにはやはりどうにもならないと言われ続けた。結局、体内の霊銀を鎮静化させる薬を服用することで症状を緩和させるしか無かった。
この病により、夷は魔術師に必要な霊銀の循環のための呼吸を行うことが出来なくなってしまった。呼吸により霊銀を取り込もうとすると肺の汚染が進行し、また肺の濾過機能が阻害されてしまっているため、活性化した霊銀をうまく排出することも出来なかった。
呼吸による循環が行えなければ、自然と体内の霊銀が鎮静化するのを待つしかない。故に夷は、通常の人の何倍もの睡眠を必要とした。
夷は焦り始めていた。自分に残された時間はあと6年しか無いのだ。
その間にやるべきことはいくつもあった。幸い、感染呪術と類感呪術を応用した内部からの接続方法――四月朔日家ではそれを“深淵接続”と称した――や、一周目の自分が修得できた全ての幻術を修得することは出来た。これが二周目で無いなら、この年齢までにそれを成し遂げることは出来なかっただろう。
咲との邂逅は時間の問題だ。芽衣との遭遇も時間の問題だ。
ならば自分の問題とは――二周目がうまく行くとは限らない。寧ろうまく行かない方が妥当だろうと考える夷は、この二周目を三周目へと繋ぐ方法を考えた。
あの“時空の魔術師”に接続した際に、時間を逆行させる魔術の行使に必要な霊基配列の形は記録し、黒い匣に格納している。何周繰り返そうが、黒い匣に接続出来るなら行使出来る。
問題なのは、その術式を形作るには最低でも7基の霊基配列が必要だ、と言うことだ。自らに先天的に宿っているものを除けば、あと6基をどうにかして用意しなければならない。
あの“時空の魔術師”は、体内だけで13の霊基配列を有していた。脊髄の1基は生まれ持ってのものだ。凶悪な大きさを誇る両胸が内包する6基ずつが、おそらく後天的に獲得したものだろう。
しかし夷は彼女と同じやり方を辿れないことを解りきっていた。夷は霊銀の耐性に欠けているのだ。幻術士は霊銀の活性率の極めて低い幻術を操るが故に、その一族は霊銀汚染に対する抵抗力に劣ってしまう。その上、肺は慢性的に霊銀汚染に冒されている。そんな身体に後付けの霊基配列を増設しようものなら、即座に赤黒い肉塊に成り果てるだろう。灼き加減はミディアムレアだ。
無論、芽衣と邂逅すれば自ずとあの“時空の魔術師”とも遭遇するだろう。何故なら一周目ですでに遭遇しているからだ。待ち構えていてもおかしくない。
しかし頼み込んだところで彼女がまた自分に協力してくれるかは疑問だった。賭ける価値はあるかもしれないが、外した瞬間に全てが無に帰すのなら、100%を目指して他を考えた方が利口である。夷は常磐美青に協力を願うという選択肢を即座に破棄した。
「美味しくないね、これ」
自室で苦味と癖の強い粉薬を白湯で嚥下した夷は、顔を顰めて湯呑をテーブルに置いた。
「良薬口に苦し、という諺もありますし、それに――いざという時は、僕もいますから」
隣に座る狐のような顔をした好青年は、微笑みを称えて夷にそう告げる。
大丈夫ですよ、とまでは言わなかったのは、それを口にすることで言霊が穢れることを厭うたからだ。真言にも、夷の霊銀汚染が自身の言霊を以てしてもどうにもならないことは明白だった。
しかし実の妹のように夷を可愛がっていた真言は、彼女を安心させるために“行間を読ます”言葉を選んだ。文脈の流れからその後に続く言葉を予想させることで、自分の言いたいことを伝えるのだ。
「それでは今日は、昨日の続き――設置型の魔術の起点指定の方法についてから始めましょう」
「えー、それつまんないからやめない?」
座学で魔術の基礎を学び、修得している幻術を用いてそれを実践で技術に昇華させる。それを反復して理想に押し上げるのだが、人よりも多くの休憩を必要とする夷はその間に一般的な小学生や中学生が習うような教養を身に付けた。
凡ゆる知識は幻術士にとって履修の必須科目だった。何故ならば幻術で生み出した幻覚に現実味を付与するためには、現実を知っているということが絶対的に必須だからだ。
それは例えば10立方メートルの生コンクリートがどれだけの重量になるか、や、燃焼した銅の炎色反応は何色になるか、共立てで作ったスポンジケーキは別立てで作ったものに比べて食感がどう変わるのか、などであり、それらは座学で得た知識だけでなく、実際に体験した際の記憶や体感というのも重要になる。
無論それらは現実に存在するものを幻術で作り出す際にも重要だが、想像上の幻想を作り出す際にも非常に肝要なのだ。
爬虫類の皮膚や骨格、筋肉のつき方を知らない幻術士が生み出した竜の虚像は張子の虎と変わらない。
想像力を積み重ねて織り上げた荒唐無稽の愚物も、時には通用することもある。しかし特に魔術士を相手取るのであれば、それにさえ幾ばくかの現実味は必要だ。
自らを騙せないような嘘で他人を騙せないように。
自らを欺けない幻術では誰かを欺くことは出来ない。
そしてそこにこそ、幻術という魔術系統が孕む最大の欠陥が存在する。
極端に言えば幻術士は、世界を欺くような現実と見境の無い幻術を理想とする。
しかしそれが恒常化すれば、いつしか幻術士は眼前の現実と幻覚の別を見失ってしまう。
世界の全てを幻として受信するようになった幻術士の精神は破綻し、壊れ、やがて精神的な死を迎える。そうなった幻術士は、動けず、考えられず、何も感じない。
幻術士の社会ではそれを“幻滅”と称ぶ。
世界に通用する高精度な幻術を極めれば幻滅に陥ち、
幻滅を逃れようとするなら騙すことが侭ならない。
その矛盾する二律背反こそが、幻術士が抱える最大の欠陥であり、多様性に富みながら無用であると揶揄される最大の要因である。
夷とて、そのようなことはもう解りきっている。特に四月朔日家は、負幻に傾倒した幻術士の一族だ。他の幻術士に比べ幻滅により心が消滅する可能性は大いにある。
だから夷は、一周目の17年間と二周目の12年間の合計29年間に及ぶ歳月で培った想像力でそれを回避する方法を考えていた。
他にも考えなければならないことは山積みだった。いっそのこと、思考を切り分けて考えられたなら良かったのに――その着想から得た答えが、脳機能の“仮想領域化”だった。
夷はそれを可能とするために、人間の脳が持つ機能を大雑把に“思考”と“感応”そして“記憶”の三つに大別した。そしてそれぞれを幻術で複製し、自身の固有座標域に押し上げた。
以降、夷の五感が受信した情報は実際の脳ではなく霊銀の接続によって仮想領域化された霊脳が解析し、それを元に霊脳が思考、あるいは記憶する。
速度においては光を凌駕する霊銀そのものの情報伝達により、夷は極めて高速の思考・演算速度を獲得でき、尚且つ霊脳をさらに複製することで方術士がやるような並列思考や並列知覚を可能とした。
フィードバックを行わなければ、自分と同じ能力・傾向を持つ他人が演算しているに過ぎないその技法は、霊脳に幻術の現実化を、そして自身に幻術への懐疑を分担すれば、世界を欺きながら自らを疑うという二律背反を解決することが出来た。
もともと夷は一周目の時点から、仕入れた情報を仮想の記憶として固有座標域内に蓄積し続けていた――彼女の絶対的な記憶能力の正体はこれである――ため、その理論が現実に活きる技法として確立されるに要した時間は1年ほどだった。
違う世界線という形で、二人の過去を描いたスピンオフ
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」
意外と本編と違う描かれ方をしています。
お暇な方は是非ご一読を。
→次話、6/17 0:00公開です。
宜候。
【違う世界線での二人の過去はこちら】
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」(5/31完結)
→https://book1.adouzi.eu.org/n5492gg/




