Track.2-23「馬鹿野郎」
少年の体内の霊銀の変調は右目に収束していっていること。
その様子は明らかに霊銀汚染の様子であり、少年は異術士もしくは異獣になるだろうこと。
目に集まるということは、おそらく“瞳術”に傾倒した能力を有するだろうこと。
そのため、少年を抑える適任は安芸であること。
あたしと間瀬さんは、とにかく動き出した大勢の人たちを、あの少年から離すことに注力しなければならないこと。
これらのことを間瀬さんは、言葉ではなくあたしたちに触れた肩から流れ込んでくる文字情報の映像として、ほんの一瞬にも満たない間に伝えてくる。
光術士――霊銀を震わせて、光子と電子とを操作する魔術士。きっとさっきのは、あたしたちに魔術で電気信号を送ったんだろう。
もしそれが本当なら、確かに安芸が適任だ。何しろ安芸の【空の王】は、基本的に魔術や異術といった霊銀による干渉を一切受け付けない。
あたしが安芸から聞いて知っているのは、まず【空の王】は常駐型の術であること――これは行使するしないでなく常にその効果を発揮している、という意味で。
その効果は“身体に接触した霊銀の《《働き》》を止める”というものだ。
そしてそこから派生する、【空の王・君臨者】と【空の王・飛躍者】の2タイプがある。
前者は単純に【空の王】を強化する術で、行使することで視覚に霊視の能力を付与するのと、霊銀の無効化を拡張できるらしい。どう拡張されるのかは知らない。安芸もこれに関しては練習中で、どんな時でもうまくいく、というものではないと言っていた。
後者は霊銀の働きを止める、という効果が霊銀の《《動き》》を止める、という効果に変化する、というものだ。
安芸が空を駆け抜けたり、試験の最終戦で四方月さんの斬撃を弾いていたのはこっちの方だ。
ただしこっちは、保持している間、霊銀の干渉を受けてしまうと言っていた。
そしてこの場面で選択するのは――勿論【空の王・君臨者】だ。
瞳術とは基本的には視覚を強化する魔術であり、身体機能を強化する躰術から派生した魔術の系統だ。
霊基配列に意思を通さずとも、体内の霊銀を直接操作することで可能となることから、ほぼ全ての魔術士が行使可能な魔術系統とされている。
桿体細胞の働きを強化し闇を見通す【暗視】や、霊銀の流れを視覚可能となる【霊視】、可視光域を拡張したりX線などを受信して物体を透過して視覚する【透視】や、単純な視力や視野角を拡大する【千里眼】などがあると心ちゃんから聞いたことがある。あたしは練習中だ。
でも瞳術の中には、本来人間が持ち得ない能力を発揮するようなものもあると、そしてそれは取り分け“邪眼”と呼ばれる、とも聞いている。
有名なもので言えば、メデューサの逸話などがそうだ。ひと睨みで相手を石の像にしたり、他にもひと睨みで命を奪う邪眼もあると言われる。
そしてこれらの瞳術は原則禁忌であり、破門の対象になるとも。
あの少年が霊銀汚染によって瞳術に傾倒した異術士もしくは異獣になるのであれば、十中八九“邪眼”を持つだろう。
目から光線を出す、なんてのは可愛い表現だけれど、それで多くの人が死ぬのなら全然可愛くない。
あの少年はとても思いつめた顔をしていた。
いつかあたしが、助けられたように――今はあたしが、助ける番だ。
――あれ?
――あたし、誰に助けられたんだっけ?
脳裏にノイズと痛みが走り、しかし時は来る。
青信号になった横断歩道を、人の波が埋め尽くしていく。
その向こう側で、少年は苦悶の表情を浮かべた。それをあたしは見て、安芸も、間瀬さんも見ていて。
間瀬さんはあたしに「特別に許可します。推定五十名弱、いけますか?」なんて文字情報で聞いてくる。
「――当然っ」
言い終わる前に、あたしは左手首を切った。周囲の人がそんなあたしの愚行に興味を示さないのは、たぶん間瀬さんがそういう魔術を行使したんだろう。
ここ数日、肉をたらふく食べた成果か、勢いよく溢れる血潮は無数の赤い羽虫となって飛び出していく。
あたしは南へと移動しながら、羽虫を少年の近くにいる人たちから片っ端にぶつけていく。
少量でいい。あたしを追いかけてしまう程度の、そんな量でいい。
誰かを助けるためとは言え――五十人以上のそんな形相は、見たくは無いんだ。
「「「うああああぁぁぁぁぁああああああ!!!」」」
どよめいて、怒号を放ち、叫び上げて。
人々が襲来する。
それをあたしは逃げながら、振り返って安芸を見た。
「お願いっ!」
「任せろっ!」
安芸はあたしを振り返らずに、親指を立てた拳を高く掲げていた。
◆
正直言って、損な役割を押し付ける結果になったことに心苦しくないなんてことは無い。
この悔しさは、いつになったら消えてくれるんだろうか。
この悔しさを、いつになったら感じなくてもいいように――
「よう、少年。――あ、少女か?まぁ、どっちでもいいや」
苦悶に呻く少年は中洲まで渡り、漸く周囲の状況に気付いたらしい。
「あれ――どうして、何で!?」
右目だけが黒く濁り、しかし妖しく光る赤い光彩の少年は、驚きと憤りを織り交ぜた表情で叫び出す。
「折角、折角飲んだのに!みんなどこ行ったんだよ、何で邪魔するんだよ!」
「煩えよ」
そしてオレは、右足を引いて重心を載せ、五指を開いた左手を前に突き出すいつもの構えを取る――しかし、今回は右拳は腰じゃなく、脇と胸の間に心底力を込めて収めた。
――やれるか?
正直、それは五分と五分の賭けだ。狙うには、分が悪いと言える。
――やるのか?
それでも。
出来る出来ないを論じれば、この後も一生出来ないままなんだろう。
――やるよ、やってやる。
「うああぁぁぁぁあああああ――」
決め込んだ覚悟で目を見開いたその瞬間――少年が咆吼し、その右目が激しく赫いたかと思うと、その目から赤い光線が、オレの胸を突き刺していた。
「――ああぁぁぁぁあああああっっっっっ!!!」
「馬鹿野郎」
しかしその光線は即座に意味を失ってただの穏やかな霊銀へと還元される。
その様子を見て力なくしなだれる少年に向けて前進したオレは、「動くなよ」とだけ言い残して右拳を放つ。
限界ギリギリまで捻り上げた右拳は、その親指が外を向き、手の甲の小指側で胸に接しているような有様だ。
それを、突き出すと同時に内旋させ、インパクト時に再び親指が外側を向くように打ち込む――安芸家の道場では“蜷突き”と称ぶ、360度回転のコークスクリューブロー。
その突き込みに、意思を載せる。意思はオレの体内に流れる霊銀を共鳴させ、霊銀は螺旋回転に乗って食い込んだ少年の左胸を冒し、そして爆ぜた。
「―――――っっっっっ!!!」
声にならない声を上げ、悶絶することも出来ずにゆっくりと膝を崩して前のめりに倒れ行く少年の身体を受け止め抱き留めたオレは、振り返って間瀬さんに目で合図する。
間瀬さんはすでに対応してくれていたようで、森瀬の術にかかっていた人たちは歩道や車道上で皆放心していたが、やがて思い出したようにそれぞれの歩みを再開する。
心臓打ちにより意識を失った少年を肩に担いで東口前に戻ったオレは、間瀬さんが手配してくれた別の魔術士の人に少年を預けた。
その頃には森瀬も息を切らしながら戻ってきて、間瀬さんは森瀬の頭を撫でた。
「お疲れ様でした。いい働きでしたよ、二人とも」
こうして池袋駅前での小さな事件は、誰の日常も壊すことなく静かに終結した――
――筈だった。
第二部も終わりが見えてきました。
第三部はどうしましょうかと悩んでおります。
書きたい物語はいくつもあるんですけどね。
できれば、全部お付き合いくださいませ。
→次話、5/20 0:00掲載です。
宜候。




