Track.9-29「今漸く理解しました。ヤバいって」
新宿駅南口一帯を飲み込んだ孔澤流憧の異世界侵攻。
その幕引きは、飲み込まれた中にいた六人の魔術士たちによる孔澤流憧の討伐と、そして異世界の核を破壊したことによる攻略だった。
その報告書の写しを自身が持つ権限を濫用して入手した常盤美青は、自身の研究室に呼びつけた魔術学会の若き異端審問官安芸茜に確認と取りながら目を通す。
「でも孔澤流憧の異世界の核は、支配が逆転したその段階で流憧から“無幻”との契約すらも奪い取ったわけよね?そんな核をどうやって破壊できたの?」
ソファに座りながら出された珈琲を啜った茜は、カップをソーサーに戻して告げる。
カチャリと、陶器同士が触れ合う音が響いた。
「そっすね――まぁオレも中に入って見たわけじゃないんでアレですけど……」
先ず、それを説明するには森瀬芽衣と四月朔日咲およびコーニィド・キィル・アンディークのそれぞれに秘められていたものを解き明かさなければならない。
コーニィドの霊的座標の深奥、虚数座標域に預けられていたものとは、対異界特攻霊器である“焉鎖の魔杖”と“壊理の魔剣”、そしてその本来の使用者からのメッセージだ。
ふたつでひとつを成す霊器については、杖が“それが存在する異界の機能を停止させる”能力を持ち、対して剣は“突き刺した核から異世界の支配権を奪取する”という能力を持つ。
しかしそれは、本来の持ち主のDNAが無ければ使用できない、行使に限定条件がある霊器だった。
ゆえにコーニィドは自らでは使えず、四月朔日咲に渡す必要があったのだ。
「でもそれだと、どうしてこのタイミングでしか渡せなかったの?最初から抜いておけば、孔澤流憧の異世界は機能を停止していたんじゃない?」
「それがそうでも無いらしいっす。どうにもその霊器、効果対象との相性が悪いと十全に能力を発揮できないらしくってですね。孔澤流憧相手だと分が悪いんですって」
「はぁ?――相性あるとか、人間じゃあるまいし」
「でも人間が創ったものですからね」
「まぁそうだけど……」
そして森瀬芽衣に秘められていたもの――それは、彼女が芽異と呼ぶ、あの“白い異人”だ。
前の周回ではその能力の全てを芽衣に明け渡したが、それにより結局はそれ以前の周回同様、世界を滅ぼす羽目になってしまった“白い異人”の持つ異術【我が死を、彼らに】および前周で覚醒した|【彼らへの死は、我がもの】《モリ・セ・メイ》。
今周ではそれをずっとひた隠しにし、表に出さないようにしていた。
「でもやっぱ最終的には異世界攻略の決め手になりましたね。孔澤流憧の“無限”を体現する異世界を攻略するには、ほぼ等価である“永遠”を体現する森瀬の異世界が必要だった」
「あれ、異世界なの?」
「みたいですよ。聞くところによると、“黒い匣”ってのは結局虚数座標域のことですよね?で、魔女が創造する異世界も結局は虚数座標域を表に出して拡げたもの。つまりあの死の無限ループも、結局はひとつの異世界ってことらしいです」
「……よく勉強したわね」
「まぁ、そっすね。オレ、頭悪いんで」
実際には“無幻”から直接力を引っ張っている流憧の異世界の方が強くはあったが、それを対等にしたのが咲が使用したふたつの霊器だ。
連結した杖と剣が流憧の異世界を弱体化したことで、擬似的に永遠を創り出す芽衣の異世界が及び、拮抗する両者が対消滅した――――これが、異世界攻略の全てだ。
「で?その状況で、飲み込まれた人達はどうやって帰ってきたの?」
「そこはもう異世界人万歳っすよ」
そう――コーニィドが取り出した自身の黒い匣、それから創られた黒刀。
銘を“方式”という、コーニィド固有の霊器だ。
「あの黒刀は――あのおっさんの方術と動術を凝縮したような代物らしいんすよね」
「ふぅん……え、どういうこと?」
「だから――ヨモさんは、あの黒刀を装備していることで、使える方術と動術の両方を簡易的に行使出来て、なおかつ威力も桁違いに上昇する、みたいな?」
「何でそこは疑問形なのよ――成程、でも納得ね。消滅の瞬間に空間を切り裂いて脱出し、座標を特定して帰還した、ってとこかしら」
「まぁそんな感じっす」
ちなみに、コーニィドの力量では“方式”を最長で1分間しか具現できず、また一度具現すると丸一日は再具現出来ない、ということらしい。
では何故コーニィドではなく四方月航は幕張メッセであれだけの時間“方式”を具現できていたのか――――それは。
「あの時は、“一度死なないと具現できない”って制約を課してたんすよ」
「……馬鹿なの?」
「そこは多分――周回を重ねて、その方法が最も合理的だと思ったんじゃないですかね」
「……はぁ」
頭を抱えながら嘆息した美青は、報告書の写しを机の上に置くと目頭を押さえた。
「まぁ――大体解ったわ。ありがとう」
「いえいえ。色々と恩がありますから」
安芸茜は魔術師では無いが、それと同じく真理に到達した一人ではある。
真理の一端に到達しその名を刻んだ者は、その真理の一端が包括する事象から解き放たれる。
常盤美青であれば金輪際時の流れの影響を受けることは無く。
不完全ではあるものの、糸遊愛詩はあらゆる問いの回答を得ることが出来る。
そして安芸茜は――――“消失”を受けない。
だから魔術師では無いが茜は、前周の時の逆行による記憶の消失を受けることは無く。
だから茜は今周ではかなり早い段階で【空の王】の全解放を行い、そして常盤美青に口利きをしてもらい異端審問官となったのだ。
いつか起こりうる、今回の孔澤流憧の異界侵攻に対抗するために。
「にしても、結局常盤さんや四方月家とか、また何もしてなかったっすね」
「何が?」
美青もまた自身のデスクからソファへと移り、珈琲を飲みながら腰を落ち着ける。
「孔澤流憧の異界侵攻っすよ」
「ああ……別に、私たちが動くほどのことでも無いから」
「えっ、だって孔澤流憧っすよ?」
美青は珈琲を啜り、カップをソーサーへと置く。
「もしかして、孔澤流憧が一番やばい魔女だなんて思ってる?」
「違うんですか?」
羅針の魔女は嗤う。呆れたような笑みで、鋭い視線を茜に突き刺す。
「――――あんなの、ギリ水面下でどうにかするまでも無い程度よ。私が率いる調査団も、四方月家が纏めている“暦衆”も。あれよりもヤバい異界侵攻の兆しがあって初めて動くし、動くなら世間に一切手傷を負わせない。やるなら徹底的に――それこそ表面化しないままで叩き潰すもの」
「うわぁ……聞くんじゃ無かった、って感じです」
「いい?君が今所属している異端審問所もぶっちゃけこっち側なのよ?一介の異端審問官が孔澤程度の事案に首突っ込んでたら身体がいくつあっても足りないわ」
「マジすか……」
「まぁ業務の性質上、本来は孔澤流憧になんか関わらないのが異端審問所だけど。学会内の危ない魔術士をどうにかするのが異端審問所だけど――その辺、ちゃんと解ってる?」
「いえ、理解しているつもりではいました。今漸く理解しました。ヤバいって」
またも頭を抱える美青。
「……ねぇ、君がそんなんだとさぁ、口利きしてあげた私の名誉とか地位とかが危ぶまれるんですけど?」
「はい、そこはちゃんとします。出来る限り、なるべく早めに」
「まぁいいわ――――彼女さんは元気?」
「実果乃っすか?まぁ、元気っすね。明日オフなんで、三人で遊ぶ約束してるんすよ」
「へぇ……君の親友、一時期ヤバいって聞いてたけどそこまで回復したの?」
「はい、おかげさまで――――あ、やべっ」
「ん?」
腕時計の表示を見て慌てて立ち上がった茜は、ソファの背凭れに手をついて跳び越し、ドアノブに手をかける。
「呼び出し食らってるの忘れてましたっ!常盤さん、また今度!」
「はいはい。気をつけてね」
ひらひらと手を振って見送る美青、手を挙げて挨拶した茜、バタムと閉まったドア。
一人きりになった美青は珈琲を啜る。今日何度目か判らない、呆れたような溜息を吐いた彼女は窓の外を眺めた。
晴れた空の東には、やがて宵闇を連れてくる紺色が覗いていた。
次回より、エピローグです。
→次話 5/23 0:00公開です。
宜候。




