Track.9-02「君は何か悪いことをしたのか?」
「はじめまして」
「はい、はじめまして……」
その日、2020年4月3日の午後。
あたしの叔父さんだと名乗るその人は現れた。
正直その名前に聞き覚えが無く、その顔に見覚えが無かったことに対しては申し訳ない気持ちになったけれど、あたしに叔父さんがいたなんて聞いたことが無かったのは確かだ。
「森瀬世尉――君のお父さんの、弟にあたる。覚えてないのも無理は無いと思うよ、だって兄さん――あ、いや。君のお父さん、勝手に家と縁切って出て行ったんだからね」
告げられたと同時に渡された名刺には、フリーランスの魔術士であることが記載されていた。
「魔術士、なんですか?」
手元の文字から視線を持ち上げると、ベッド傍の丸椅子に腰を落ち着けた叔父さんはひとつ咳を払い、柔らかい眼差しで病室を見渡した。
「そうだよ。とは言っても、うちの家が魔術士として名を馳せていたのは随分と昔――それこそ第二次魔術大戦くらいの頃だ」
「知りませんでした」
「そうだろうね――君のお父さん、魔術大っ嫌いだったから」
今はもういない父の、秘められた一面をこんな形で知ることになったあたしは俄かに困惑を抑えきれない。
とても勝手な話だと思うけれど、こんな気持ちになるなら、もっとお父さんのことを知っていればなんて未練が顔を覗かせる。
「一応、今後は僕が君の身元引受人、っていう扱いになる。でも基本的には君の意思は最大限尊重したいと思っている。第一、僕、仕事柄一か所に留まってっていうのは出来ないんだよね」
「それなら、今独り暮らししているので大丈夫です」
「らしいね。親らしいことはしてあげられないけど、お金のことはあまり心配しないでよ」
「返します」
「返せるようになってから、それは話そうか。今はまず、完治することが先だ」
「はい……すみません」
頭を下げたあたしに、眉を持ち上げて目を大きくさせた叔父さんは苦笑いの混じる困惑顔を見せる。
「何で謝るのさ――君は何か悪いことをしたのか?」
悪いこと――いや、そこそこやった気がする。
落ちた目線の先にあるのは、包帯の巻かれた左腕だ。そしてその視線に気付いた叔父さんは再びあたしに説いた。
「――それは、君にとって必要なことだった。別に悪いことだとは思わない」
「え?」
「僕だって自暴自棄になったこともあったよ。人間、誰だってそうだよ。その手段は細かな違いがあるかもしれないけれど、概ね人間って生き物はそこを通って成長していくもんだ、って――僕は思うけど」
リストカットが。アームカットが。自殺が。
そういう風に言われるなんて思わなかった。
「あー、でもこれ内緒ね。ほら、病院でさ、自傷行為を正当化するような発言ってヤバいでしょ?」
「聞こえてますよ」
口持ちに立てた人差し指を宛てた叔父さんは、ドアを開けて入って来たその女性に振り向いた。
仄かに青みがかった長い黒髪を後ろでひとつに束ねた、全くもって年齢不詳な女性。“妙齢”という言葉の通りであり、そして“年齢が妙である”とも言える。
ただ、その格好――袖を通した白衣から、その女性が医師であることが伺える。しかしその白衣の輪郭を大きく歪める、胸部の凶悪な膨らみ。それ、何カップですか?
「常盤――相変わらず、変わらないな」
「そっちは老けたものね――丸くなったかしら」
「いつまでもギラついているわけにはいかんだろ」
え、何、知り合い?
どことなく当事者だけにしか通じない空気感を醸し出し始めた二人に、あたしは疎外感を覚えて席を外したくなった。
でもその空気はすぐに切り裂かれて、女医さんがあたしを見詰めて柔らかく微笑む。
「森瀬、芽衣さん。今後あなたのメンタルケアやカウンセリングを含めて担当することになるから、今日は挨拶に来たの。どうぞ宜しくね」
「あ、はい……宜しくお願いします」
そしてじろりと睨めつけられた叔父さんは「じゃあまた来るよ」とだけ告げて、ひらひらと手を振って女医さんの横を擦り抜けて出て行った。
あたしと同様にその背中を見送っていた女医さんは、「これまでは全然来なかったのにね」なんて漏らしたけれど――そんなにあたしは長い間眠っていたのだろうか。確か、意識を取り戻さなかった期間はたかだか3日間程度だった筈なのに。
でも、それに言及するなんてことは出来なかった。
違和感は確かにそこにあったけれど、3日間来なかったことに対する“これまでは”は、まぁ考えようによってはぼやいてもいいものかもしれない。
駄目だ、頭がぐるぐるして来た。
そんなあたしに振り向いた女医さんは、にこりと微笑む。
「改めまして、常盤美青。宜しくね」
「はい、森瀬芽衣です」
脇に抱えていたクリップボードを胸の前に持ってきた常盤さんは、左胸のポケットからボールペンを取り出すとボードに挟まれている資料に目を通す。
先ず説明をされたのは、あたしが何故この病院に担ぎ込まれたのか、ということだった。
どうやら、リストカットが原因で心臓の弁に孔が空いてしまったらしく、担ぎ込まれたとほぼ同時に緊急手術がなされた。どうにか一命を取り留めたが、空いた孔が完全に塞がった状態では無いため、日々検査を行う必要があるため入院することになったのだそうだ。
「それで、あなたのご両親なんだけど」
「はい、いません」
鮮明に覚えている――あたしが最後の自殺をした原因は、父の仕事の関係でイギリスに移り住んでいた両親が、一時帰国するために乗っていた飛行機が墜落したというニュースだった。
ニュースではその飛行機に乗っていた日本人旅客の名前が発表され、あたしの両親の名前もちゃんとそこにあった。
だから、こんな惨状のあたしの病室には見舞いが一人も――いない筈だった。
「あの」
「なぁに?」
「……叔父さんとは、どんな間柄だったんですか?」
そうね、と呟いて遠くを見ながら思案する横顔は、単純に綺麗だな、なんて思った。
見た目は本当、あたしと同級生でも通用するんじゃないかって若さなのに、その奥に潜む確かに刻まれた年月の重み。それがとても不思議だった。
「あの人が魔術士だったことは知ってる?」
「あ、はい。名刺をもらって」
入院着のポケットに突っ込んでいた名刺を見せると、常盤さんの顔は仄かに綻んだ。
「私もね、一応魔術士なの」
「そうなんですか?」
「そう。それで、世尉君とは昔、同じチームの一員として異世界調査なんかやったりしたの」
短く語られたそれは、これまでに一切聞いたことの無かった青春の物語だ。しかし十年以上前の話だと察するに、常盤さんは今何歳なのだろうと戦慄する。
「私?――36だけど?」
まさかの四十手前――――おい時間、仕事しろ。
「無理も無いわよ、だって私、魔術士の中でも時術を極めた“時間の魔術師”だもの。真理に自らの名前を刻みつけられた16歳の頃から、私の外見年齢は止まったままよ?」
外見年齢だけで言えばあたしよりも年下だった。え、魔術師怖い――
常盤さんの外見に、ようやく触れることが出来ました。
→次話 9/5 4:00公開です。
宜候。




