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げんとげん  作者: 長月十伍
Ⅷ;幻滅 と 元凶
229/300

Track.8-9「こうするしか無かったから」

   ◆



 開いた目に光が差し込んで、網膜に映し出された瞬間にそれが夢だとすぐに分かったのは、()()がそこにいたからだろう。


「……久しぶり。もう、会えないと思ってた」


 雨合羽(レインコート)だろうか。黒いそれに袖を通し、目深に被ったフードの隙間からより一層闇色の髪を覗かせる、陰鬱を描いたような表情の彼女――芽異(メヰ)

 かつてあたしが創り上げた、あたしに降りかかる全ての悪意を転嫁するためのスケープゴート、そして自分の命を投げ捨てようとしたあたしの代わりにあたしを立ち上がらせてくれたもう一人の自分自身。


 あたしの、弱さの象徴。

 記憶を失っている間は全てのあたしを芽異が担い、あたしはそれをただただぼんやりと俯瞰しているだけだった。

 そして最後に、芽衣(あたし)芽異(あたし)を切り捨てて、強くなることを誓った。


 だから、もう二度と逢えないと思っていたんだけど――


「……どうして?あたし、また弱くなった?」


 芽異は首を横に振った。ゆっくりと両手で包み込んだそれを持ち上げて――


「ごめんね」

「え?」


 “黒い匣”が、その手に納まっている。それは、忘れたくなかった忘れていたあたしと咲、そして夷との記憶が詰まった――


「ごめんね」

「――ねえ」


 ぐるりと匣が回転する。ひとつひとつの破片(ピース)が散らばって浮かび上がり、放出される白い光はだんだんと強くなっていく。


「……隠していてごめん。でも、こうするしか無かったから」


 眩しくて目を開けていられないあたしは、拒絶するように手を翳して、それでもやはり目を瞑らずにはいられなかった。


 白い――とても白い、真っ白で真っ新な――――





 その白い空間を、静謐と表現するべきか、はたまた聖櫃か。

 どれほどの拡がりを持っているのかはよく分からない。幅や奥行きや高さを測れるような境界線すら白く塗り潰され、永遠のような座標軸を体現しているかのようだ。


 正直ここには何度だって来ているし、そもそもこの空間を創り上げたのは()()()だ。だから今更吃驚(びっくり)なんてしないし、でも無意識的に来たのは初めてだからちょっとだけ戸惑ったのは嘘じゃない。


 ここに来てやるべきこと、と言うと――まずは自分を改めて認識する。

 わたしがどんな輪郭を持ち、どんな色彩に塗れているのか。でも鏡がここにあるわけじゃないし、わたしの得意とする幻術でそれを創り上げるわけでも無い。


 目を閉じ、眼識の一切を遮断する。暗闇に包まれたわたしは、閉ざされた視覚の全てを幻術でもって複製し、それを前方へと投影する。


 目を開く――眼前には、いつものわたしがいる。

 ほんのりと赤みがかった乳白色の髪、琥珀色と薔薇色とが上下に混ざり切らない歪なオッドアイの双眸。自分で言うのもなんだけど、愛玩動物めいて愛くるしいにも程がある顔貌。華奢と言うには細すぎる肢体。それを覆う、ビッグシルエットの淡いカットソー。


 遠ざけた視界で、わたしはわたしを視認する。

 それが出来たなら、今度は聴覚――耳識を。

 鼻識、舌識、身識の全てを領域化(リジョナイズ)して遠くへと投影し、意識で以て動かして認識とのズレを矯正する。


 そして意識と無意識とを一緒くたに投影したなら、わたしが視認する前方のそれはもはやただの人形だ。

 その人形と同じ形のわたしを幻創し、投影した六識を籠める。


 動くわたしと、動かないわたし。


 固有座標域(ボックス)の紐づけを切り替え、本体を動くわたしに設定し直したら、動かない――さっきまで本体だったわたしを棄却する。

 崩れたわたしは、赤黒く灼けた土塊(つちくれ)になって白い床にどしゃりと落ちた。


 これを、何度も何度も繰り返す。繰り返すたびに、切り替えの速度をどんどん上げて。

 瞬きよりも速く切り替えを終えたなら、この修業はひと段落だ。


「ふぅ――」


 少しばかりの倦怠感を吐息とともに捨て去り、その場で胡坐を掻く。ちゃんと足首を太腿に載せる、ちゃんとしたやつ――結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる形だ。

 そして両手を組んで背筋を伸ばし、目は半分だけ閉じて意識を放り投げる。


 すると、()()()が現れる。


『――全く懲りないものだ』


 形は無い。色も無い。音も無ければ、匂いも、味も、存在感も何も無い。当たり前だ、相手は“無”を体現する超越者(インペラトル)、聞こえた声すら幻聴なんじゃないかって疑うくらいだ。

 でも違う。

 形が無いのではなく。

 色が無いのではなく。

 音が無いのではなく。


 無色で、無形で、無音。それを認識するということ。


『我と対話を果たそうとは――実に久しく、昨日振りか。はたまた十億年振りか』

「えらい開きようだね」

『詮方無し――我に時は意味を持たず、我は今であり、過去であり、未来であるゆえ』

「マジそれ意味わかんない」


 こういった概念系の超越者(インペラトル)と対話をする際に注意しなければならないのが、相手のペースに乗せられてはいけない、ということだ。呑まれれば逃れることは出来ない。ただ取り込まれ、無意味に命を奪われる羽目になる。


「いい加減、契約してくれない?わたしさ、あんたの力が欲しいんだよね」

『好きに使えば善い――此れ迄のように、好き勝手借りれば善い』

「それじゃ駄目なんだよ。支配権があんたに及んだままじゃ、無も無限も本来のそれに程遠い――うちのじじいみたいに、仮初を妄信するような腑抜けにはなりたくない」

『――四月朔日玄靜と言ったか。フリードリヒのように、面白い魔術士だった』


 “無幻の魔術師”(ゼフィラムワークス)と称されたうちのじじいですら、その実、本当の無も無限も手に入れていないことをわたしは知っていた。いや、知らされたのだ、この場所で、無と無限という概念の大元に存在する超越者(インペラトル)であり、仏教では九番目の識として伝えられるこの“阿摩羅”(アマラ)に。


「上澄みじゃなくて本質が欲しい。だからさっさと契約してよ」

『無駄だ』

「はぁ――――腹立つな、あんた」


 何も無い空間を睨みつけるわたしの目には、しかし確かに阿摩羅の姿が映っている。そこにある無を視認しているのだ、常軌を逸しているとしか言いようがない。


『ならば――』

「なら?」

『無を、そして無限を超えてみよ』


 立ち込める、無色の気配。無は無でしかないけど、しかしそれをわたしは殺気のように感じ取っていた。

 途端に額や首筋に玉のような汗が浮かび、背筋にも浮かんだそれがつつりと流れ落ちた。

 寒いはず等無いというのに、何という極寒――それでも汗は浮かび、何度も何度も流れ落ちる。


「――いいじゃん、解りやすくて」


 立ち上がったわたしは嗤う。

 超越者(インペラトル)と契約を果たすためには、超越者(インペラトル)に認められなければならない。交戦による調伏というのは最も解りやすくそれでいて最も困難な方法だと言える。


『ひとつ問おう、果敢無き者よ』

「なぁに?答えられる範囲にしてよね。因数分解とか本当出来ないからさ、わたし」

『其方は、我が力を得て何を果たす』

「ああ――簡単簡単」


 わたしはさらに嗤う。そして持ち上がった口角で、淡く尖った唇で、劇烈な解を迸らせる。


「友達の笑顔を、見届けて死ぬ」


 凶悪な気配が高まる。白い世界は白いまま、さらに白く染め上げられ――――無が、溢れた。

概念系の超越者というのは、それはもう人理の及ばない、わけのわからん存在なのです。

でも対話してくれてるだけ、めちゃくちゃこっちに合わせてくれているのです。文句言っちゃいけない。


→次話 4/16 4:00公開です!まだまだ書くよ!


宜候。

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