Track.7-9「同意が無い限り、肌は重ねない主義だ」
「それで結局、どうなったの?」
暁が続きを早く聴きたくて溜まらないという表情で急かす――その過去から1年後の今日、オレは昼休みの屋上で自前の弁当を突きながらゆっくりと応える。
「結局、全然手も足も出ない感じだったけど、2、3分で警察来ちゃって」
「け、警察!?つ、捕まったの?」
「うんにゃ?コバルトさんに先導されて逃がしてもらえたよ」
コバルトさんに連れて行かれるまま、周りの様子も伺わずにその建物に入り込んだオレはその仄暗くも毒々しい配色の照明に我に返り損ね、そこがラブホテルだと知った時にはもう密室の中だった。
「大丈夫――同意が無い限り、肌は重ねない主義だ」
主義を語りながらも衣服をどんどん脱いでいく“コバルトさん”から目を逸らし、オレはどうすればいいのか判らないまま勝手の知らない部屋の中で顔に手を当てながら右往左往していた。
「シャワー、入るだろ?」
「いやそりゃ、入るか入らないかで言ったら入るけどさ」
「一緒に入る?」
「入るかっ!」
勢いよく振り向いた目に入り込んできた裸体――しかし今度は目を逸らせなかったのは、その細身ながらも鍛え抜かれた筋肉の起伏の美しさと、そしてその身体の所々に夥しく鎮座する傷跡、そのせいだった。
「その傷……」
「これ?格好いいでしょ?」
その傷の中には、明らかに銃創と思われるものもあった。火傷の痕や高圧の電流を流されたのかまるで葉脈の様に拡がった痕さえも。
「拷問か何か、ですか?」
「実験だよ」
「実験?」
「そう。人工的に魔術士を創る実験」
耳を疑った――幸か不幸か、その先はオレは聞いていない。何故なら“コバルトさん”はそこから先を話さなかったからだ。
曰く、守秘義務、だそうだ。
まるで煙に巻かれたオレは、やけに艶めいて映るその裸から漸くまた目を逸らして、バスルームに背を向けてやけに沈むソファの座面に腰を落ち着けた。ベッドに座らなかったのは、その場所がひどくアレな感じがしたからだ。感じたことの無い恐怖だった。
パタン、とバスルームのドアが閉じて手持無沙汰になったオレは、低い硝子テーブルに無造作に置かれてあったリモコンでテレビを点けた。点けてすぐ消した。だって点けた傍から男女のまぐわる嬌声が聞こえてきたら慌てて消すだろ?
「ぅぅ……何だよ、どうすりゃいいんだよ……」
自分の置かれた状況にやおら泣きたい気分になった。
確かつい先刻までは、ただただ痛みを求めて、ただただザラついた世界を彷徨っているただの喧嘩屋だったのに。いや、喧嘩屋だなんて大それたもんでもない。ただの、死にたがりの死にぞこないだった。
それがどうした。
その世界を変えてくれる、ザラついていない澄んだ声と出遭ったかと思ったら今はもうソイツと2人でラブホテルに逃げ込んでいる。剰え、そいつの裸にどぎまぎなんかしてみたりして。
ちょっと、あからさまに変わりすぎやしないか?
オレ、こっからどうなっちまうんだよ――――そう、項垂れていると。
「ひゃああっ!?」
首筋を、後ろから撫でられ跳ね退いた。
「ごめんね?君、弄り甲斐がありそうだからさ」
「ふざけんなよ、死ぬかと思っただろ」
「恥ずかしさで?」
「――――っ!」
しかしバスタオルを頭から被った“コバルトさん”から離れると、それまでアップだった綺麗な顔はズームアウトして、自然と“コバルトさん”の身体全体が視界に入る。
うん。
ぶらぶらしてる。
「――――っ!!!!」
「ちょ、物を投げるなよ」
とにかく手当たり次第、その辺にあった物を掴んで投げた。“コバルトさん”は痛がる素振りも無くただただ投擲された物が当たるに身を任せていたけれど、オレが最後に投げたテレビのリモコンだけははっしと掴み取ると、ピッと主電源を入れる。途端にテレビから溢れ出るいやらしい言葉と音――狂乱じみた奇声を上げてオレは、“コバルトさん”からリモコンを奪い取っては息を切らしながらテレビを消した。
「シャワー、入りなよ」
「……覗くなよ」
「だーかーら、同意が無いと襲わない、って言ったろ?」
「信用出来るかよ」
「――はぁ。別に信用なんて無くていいけど……そこまで拒絶されると、逆に襲っちゃいたくなるのが心情ってもんだよ?」
「ふぎぃっ!?」
顎先を滑る、長くしなやかな指先。体中にぞわりと寒気が走って、オレは再度飛び退いて閉じた窓を背にして構えた。
「なぁんだ、連れないなぁ――ほら、その気が無いんならさっさとシャワー入ってよ。あんまり遅いと、親御さんも心配するだろ?」
「心配って……多分してねぇよ」
こちらのことなど全く気にせず気怠そうに衣服を着ていく“コバルトさん”を見ないようにしながら窓の壁に凭れたオレの呟きを、“コバルトさん”は一切聞き逃さなかった。
「へぇ、心配されなくなるようなことでもしたの?」
どうしてだろうか。
本当に、どうかしていたのかもしれない。
いやきっと、どうかしていたんだ。だから、どうにかしてほしかった。
オレは“コバルトさん”に自分のことをベラベラと喋った。まるで自分の身の上話を聞いてほしいって感じに。
実際、聞いてほしかったんだろう。
その時のオレには、それを聞かせて何て言葉をかけて欲しかったかよく分かってはいなかった。
でも確実にその言葉を求めていたはずだ――今はもう、それが怖いくらいによく分かる。
結局。
その言葉は。
その夜、貰えはしなかったんだけれど。
「近いうちに、親の顔を見に行くよ」
「は?」
「だから今夜はシャワーを浴びて帰りなよ。タクシー代は取り立てに行くからさ」
「は、……え、は?」
「馬鹿な君を叱るのは僕の役目じゃない。そういうのはいつだって、君の親の仕事。そして親の顔に泥を塗りつけるのも。――いつだって、子供の仕事だよ」
「……はぁ、……え?」
何だかよく解らない言い分に丸め込まれて。
オレはその日、24時を超えて帰宅した。
玄関で仁王立ちしていた親父の顔をまともに見れずに通り過ぎようとして、親父は一言こう言った。
「ただいまは?」
「――――ただいま」
その日は、結局それだけだった。それだけだったんだ。それだけだったってのに、何故かひどく打ちのめされたような気になってしまって。
そして翌日、“コバルトさん”は現れた。
「今日は」
「はぁ!?」
「取り立て序に親の顔見に行く、って言ったでしょ?」
「え、はぁっ!?」
日曜日の正午。
まだ空手キッズたちさえいない、ただただ静かな道場の木目の床の上。
オレが“コバルトさん”に確実に恋をしたのは、その日、その場所だった。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
→次話 9/17 3:00公開です。
宜候。




