Track.6-27「反吐が出るほど嬉しい」
「ひなむー、お疲れちゃーん」
暖炉でパチパチと火花が散る北欧風の秘密基地に入ってきた実果乃に、夷は労いの言葉をかける。
彼女はつい先刻まで埼玉県の朝霞市にある紅陽大学のキャンパスにてRUBY二期生を襲撃し、それを護るクローマーク社の魔術警護員に対しては半ば圧倒したものの、駆け付けた魔術学会所属の魔術士に返り討ちに遭った。
最後の一撃は学会所属の斬術士、霧崎雀による【絶命を強いる死神の大鎌】だ。
実果乃は異骸へと変貌を遂げた際に【非実在性傷念】という能力を獲得している。
それは体表を黒く変色させ、その黒く変色した表皮で受ける全ての干渉を霊銀に転換して分解し吸収する、というものだ。
あらゆる物理的な、同時に全ての霊的な干渉を吸収することが出来るその能力は、全ての攻撃を無効化して吸収するという性質を持つが故に、体内に霊銀が溜まりすぎる――霊銀汚染の可能性を極端に引き上げる――という弱点をも孕んでいる。
しかしそこはすでに霊銀汚染された結果である異骸だ。溜まりすぎても霊銀汚染によって異形化が促されることはあるが大した被害は無い。
霊銀の干渉を無効化するという点では茜の【空の王】に比肩する能力だが、【非実在性傷念】もまた、支援のために行使された魔術ですら無効化・吸収してしまうという弱点も同様だ。
そんな実果乃の【非実在性傷念】を破ったのだから、学会所属の魔術士というのは侮れない。
単に相性の問題だが、あの場に駆け付けたのが雀だけだったならばその結果はありえなかっただろう。
碧枝初の有する契器――対を成す双剣、“阿形”と“吽形”。
阿形は“切り開く剣”とされ、吽形は“断ち閉ざす剣”と言われている――夷はその知識を、自身の祖父である玄靜から聞いて覚えていた。
夷の用いる焉鎖の魔杖と壊璃の魔剣の元の持ち主は玄靜だ。
そしてその2つの霊器は、その阿形・吽形を祖として創られたものだとされている。
異界を鎖してその機能を奪う焉鎖の魔杖は吽形を真似て。
鎖された異界の支配権を奪い再び開く壊璃の魔剣は阿形を真似て。
だから夷は当然その双剣の知識は得ていたし、PSY-CROPSの際に異界に攻め入って来た際にそれがそれであると特定できた。
もし夷が幻術を用いず、単純な杖術と剣術とで初と競い合ったのなら、その技術は張り合えても扱う得物の性能の差で負けてしまうだろう。
焉鎖の魔杖と壊璃の魔剣はあくまでも対異界特攻器――その機能は異界に対する限定的なものなのだから。
対して“阿吽の双剣”は代唱器だ。その真っ直ぐに伸びた刀身の内には空間に作用する方術が刻まれており、如何なる堅牢強固な防御力を誇る黒皮も、その表面を開かれては意味がなく。
如何なる距離も閉じてしまえば無いのと同じであり。
如何なる異界も開いてしませば離脱でき。
如何なる傷も閉じてしまえば塞がり癒される。
性能の差は歴然だ。
しかし互いに魔術を用いれば変わるだろう。
そして寧ろ夷は、自らが戦線に立つ時は“錠鍵一対”のこの霊器を主兵装として用いる気はさらさら無い。
そもそもそれは、対異界特攻器なのだ。魔術士はおろか、ヒトに対して使うような代物ではない。異界を相手にしないそれは、ただの細身の剣を内蔵したただの仕込み杖なのだ。
「どう?返り討ちに遭った気分は」
「……最高ですよ」
実果乃に発した問いに、思わぬ答えが返ってきたことでノートに目を落としていた夷は再び実果乃に視線を移した。
暖炉傍の木製の揺り椅子に腰掛けた実果乃は、敗戦したのにも関わらずうっとりとした表情をしている。
しかし夷はその理由を知っていた。
「――あいつがいる」
「そうだね、いるね」
気味の悪い薄笑いを貼り付けた顔から出てきた、“あいつ”という言葉。
考えるまでもなく、それは森瀬芽衣を表していることを夷は悟った。
「うふ、うふふふふ」
「へー、そんなに自分の手で殺したい?」
「ふふふ、ふふふふふふふふ」
薄ら笑いは度を越えてすでに嬌笑だ。夷もまたいつもの意地の悪い笑みを浮かべていたが、傍から見ても笑い合うこの2人の間にただならぬ雰囲気が漂っていることは感じ取れただろう。
「まぁあんたが芽衣ちゃんにどんな感情抱こうが知ったこっちゃねぇって話だけどさぁ――芽衣ちゃんの最愛はわたしだよ、あんたじゃない」
「らす……ぼす……?――――ふふ、うふふふうふふふふふ」
クツクツと、まるで煮え滾った魔女の闇色の鍋のような笑い声を上げる実果乃の様子に意思の疎通を諦めた夷はその笑みの湿度を失って再びノートに目を落とした。
相変わらず実果乃は壊れた笑いを上げているが、意識から除外すれば案外静かなものである。街中の雑踏や車両の通過音などと何ら変わり無い。
「ちゃんつかれおー」
そこに、独特の“お疲れ様です”を放って飄々と入ってきたのは――やたら収納部の多いダボっとしたカーゴパンツにダウンジャケットを羽織った“カゲ”だ。
カゲもカゲで相変わらず、その言葉は明るくて軽いのにその佇まいと表情は重苦しく鋭敏だ。
「ああ、カゲくんお疲れちゃん」
「夷ちぃちゃんつかれお。お、ひなむーもちゃんつかれお。今朝方は残念だったな、まさか魔術学会が駆け付けてくるとは思わなかったわ」
カゲはお菓子やらジュースやらが入ったコンビニのビニール袋をテーブルの上に置くと、テキパキとそれらを戸棚に仕舞ったり、冷蔵庫に収めたりする。
「うんうん、おかげで計画ちょっとは弄らないといけなくなったよ」
「本気?そりゃかったりぃな」
「でもカゲくんのおかげでクローマークの動きは殆ど筒抜けだからさ、感謝してるよん」
「はぁ?感謝すんのもされんのも、俺たちそういう間柄じゃなくね?提供と受領だろ?俺たちはさ」
「うん、まぁそこは、カゲくんに対しては徹底したいと思ってるよ」
「俺だけかよ」
「君だけだよ。だってわたし、基本的に君のことは信用できないから」
「何でさ」
「いくら利害が一致しててお互いに魅力的だからってさ――たったそれだけでこれまでともに歩んできた仲間を平気で裏切れる君の神経は理解できそうにないからさ」
「本気?」
「本気」
冷蔵庫の扉を閉め、その手で鼻頭をぽりぽりと掻いたカゲは、しかしやはりつまらなさそうな感情に乏しい表情のままで嘆息混じりに返す。
「あんたにとっちゃ、信用できないくらいの方が仲間としては妥当だろーが――糸遊愛詩みたいに泥沼りたくは無いだろ?」
「……ああ、確かにね」
「だから俺はこれでいーんだよ。理解?要らないね。信用?要らないね。俺があいつらを裏切る?有り得ねぇ――そもそも徒党を組んでいるってだけで、俺はあいつらを仲間だと思ったことは一度も無ぇ」
「――そっか。あーいやあんたそーゆー人間だったね」
「じゃろがい。だから俺は、あんたらだって裏切らないぜ?裏切るってのは、仲間に対してやる行為のことだからな。そういう意味では俺は世界中の誰だって裏切らない、裏切りようが何処にも無い」
「ふぅん……くそみたいな人生だな」
「おいおいやめてくれよ、褒めても突きと蹴りくらいしか出さないぜ?」
「そしたらそれをぐぅの音に変えてあげるよ」
「やったー、反吐が出るほど嬉しい」
夷とカゲの会話好き。
しかしトカリセの話をこれでもかと言うくらい引っ張りますな……
→次話 8/28 3:00公開です。
宜候。




