Track.6-14「……どいたま」
下腹部、鼠径部、臀部。
水着の内側に張り付いていて待ち構えていた赤い蜉蝣たちはそこから玲冴の皮膚に融け込んで体内に侵入すると、篭められた意思の通りに玲冴の精神を蹂躙し、数多の憎悪を捏造した。
簡単な話だ。
通信を傍受し返した望七海は相手が水門付近にて履物を転送しそれを履くことを知ると、それよりも速く水着を用意し芽衣の元へと転送、瘡蓋を剥がして【自決廻廊】を纏わせるとさらにそれを水門の手前に転送した。
今回の戦闘訓練にて水中でも【自決廻廊】が――形は変わってしまうとは言え――有効であることが確認できていたから出来た策略だ。
そしてその策は、予想以上の戦果をチームFLOWに齎すことになる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
すでに玲冴は冷静さを失った。
早緒莉は回線が遮断されたことで通信を繋げられず、指揮を執るどころではない。
身体能力が向上したとは言え、単純思考の馬鹿力が単身真っ向から突進してくるだけだ。
もはやそれはもう戦闘ではない。
『――冴玖!?』
『もう終わりだ』
だから、外部から強制退界の命令構文を受けて川面を跳び出した玲冴の周囲に空間の罅が入る。
空間が割れると同時に極彩の渦が彼女を取り込み、すでに対象を失った虚空を、“咲き誇る”鬼灯の赤熱する伸びた刀身が両断した。
『芽衣ちゃん、心ちゃん、お疲れ様。相手チームが降伏した。これで戦闘終了よ』
「降伏?」
告げられ、そう言えばそういう機能もあったなと芽衣は思い出した。
OSを介し、事前に定められた地点へと転移する機能だ。調査団員は自らについてを、チームリーダーおよびオペレーターはチーム内の全団員についての権限を有しており、実際の異界調査時にも緊急的に使用されるほか、こうした戦闘訓練では専ら“降伏”として使用され、自発的もしくは強制的に退界する。
ただしそもそもOSが稼働していなかったり、調査団員がこの離脱機能が付随する乙種兵装或いは丙種兵装を装備していない場合は機能しない。
飯田橋での異界攻略の際は芽衣を守る必要があったために航は敢えて離脱機能が付随した兵装を用いず、PSY-CROPSの際は魔術学会が主体となったためにクローマーク社のOSは稼働していなかった――無論、それに替わるオペレーションシステムを学会側で用意していたのだが、生憎調査の途中で回線の制御権を奪われてしまっていた。
何れにせよ、戦闘訓練は終わった。
結果だけ見れば、茜は離脱したもののその原因は自爆であり、芽衣も負傷しはしたが現在の損傷の半分以上は異術を行使するための自傷行為によるもの、心に至ってはまるで無傷である。
「――ふむ……航の言う“新装備”とやらは1種類しかよく解らなかったが、ひとつの戦闘訓練としては面白かった。なぁ?」
食い入るように画面を見詰めていた常務・和泉緑郎がひとつ感嘆して両隣に座る事業本部長・佐渡島良治と警護部長・倖田郵次郎の顔を見渡す。
「ええ――ですが、オペレーター同士のあの回線剥奪争いというのは……社内の戦闘訓練では有効かもしれませんが、異界調査・攻略を視野に入れたものでは無いのでは?」
「私も――どこか、足の引っ張り合いをしているような……あまりいいものとは思えませんでしたが……」
「成程――航。だ、そうだが?」
呼ばれ、航はにやりと口角を上げた。そして椅子から立ち上がると、自慢気に口を開く。
「概ね、仰る通りとは思います」
遠隔で離脱機能の命令構文を作動させた冴玖は、インカムによる無音通信にて4人――早緒莉と玲冴、そして灘姉弟だ――を労い・慰めながら、隣で立ち上がった自身の先輩が何を言うのか耳を欹てた。
「ですが開発部の立場から言わせてもらえば、交戦中に敵陣営の用いる通信回線を傍受・奪取できるという強みはご覧いただいた通りかと思います。異界調査では無用の長物と思われがちですが、結局異界を創り上げているのも同じ人間ですし、先月のPSY-CROPSの件に限らず、敵が徒党を組んでいないという保証は何処にもありません。今回は訓練ですし、互いに徒党を組んでいることは最初から露見されており、偶々両陣営がクローマーク社独自の霊銀通信回線を使用してはいましたが――一般の電話回線や衛星回線、たとえ軍用回線が相手でも、やろうと思えば出来ます。今後は秘匿・暗号化された霊銀回線の傍受・奪取の訓練を今後はオペレーター向けに組み込むことで、徒党を組み魔術などによって通信し合う敵を相手とする異界調査・攻略や魔術警護等の依頼に有用となってくるでしょう」
「成程――――」
常務・和泉は深く頷く。しかしその顔は難しく、両隣の役員たちも同じ表情をしていた。
「取り敢えず航、あと、石動支部長。電話回線と衛星回線と軍用回線の件で話がある、後で役員室に来なさい」
「はい。ちなみに常務、資料は何部必要ですか?」
◆
「と、ゆーわけでー。第……何回だったか忘れたけど定例会議を始めまーす」
火の燃べられた暖炉が照らす、少しだけ薄暗い部屋。木製の少しだけ歪なテーブルに向かい合って座る5人の人影。
所謂“お誕生日席”或いは“上座”と言うべき、暖炉を背にした席に座る白い少女はいつもと変わらない快活で小馬鹿にしたような口調で語りを続ける。
「えーっと、今日の欠席者はー、いとちゃんと、あと土師ちゃんの2名だねー。その代わり、いとちゃんの代理としてリニちゃんに来てもらってます。リニちゃんよろしくー」
夷を向いて左側の遠くに座る褐色肌の少女が立ち上がり、簡潔に名前だけを告げる自己紹介をしてぺこりと頭を下げた。
「土師ちゃんの代理は、こちらも会議では初めましてだね。ひなむーです」
そしてリニの対面に座るのは、対照的に白い肌の――夷ほど病的なほどでは無いが――見た目や佇まいから何処となく育ちの良いお嬢様といった印象を受ける少女だ。ブレザーに袖を通していることから学生――おそらくは高校生――であることが伺える。
胸元まで伸びた毛先が波打つ黒髪。虹彩もまた黒く、時折パチと火花を弾けさせる暖炉の火の揺らめきを映している。
その少女に関して、薄暗くて傍目にはよくは判らないが、しかしその場にいる誰もが気付いていることがある――目の奥が濁り、輝きを一切纏っていないということだ。
ひなむーと呼ばれた彼女が内に孕む闇は確りとした粘性を持ち、薄ら笑いの奥で密やかに息衝いている。
黒く長い髪を揺らしながら立ち上がると、リニに倣って少女もまた頭を下げた。
「比奈村実果乃です」
「はーい、しくよろー。リ二ちゃんもひなむーも、本番の日には当然、ひなむーに関してはそれまでの間に動いてもらうので、会議は確りと聞いておいてください。議事録は前回までと同じく書記の阿座月くん。阿座月くーん?」
一同が呼ばれた真言を見遣る。腕を組んで目を細めている青年の手元にある筈のノートと筆記具は、隣に座る実果乃の手元にあった。
「ほら、僕が字を書くと、アレじゃないですか」
にこりと細めた目で微笑む真言に、夷もまた笑顔のままで大きく舌打ちをした。しかし誰もその遣り取りには触れない――日常茶飯事だからだ。
「何がどうアレなんだってツッコミは置いといてー――リニちゃんはいとちゃんに、ひなむーは土師ちゃんに伝えておいてくーださいっ」
両者が共に頷き、そして会議は本題へと移る。
「クローマーク社の魔術警護の日程が決まりましたー。今回も前周同様、11月16日から12月27日までのよんじゅー……」
「42日間です」
リニの隣――リニと夷の間――に座る青年が横槍を入れる。肩や頭の位置からして真言よりもおそらく背は低め、小柄だろうと推察される。
真言がシャツにジレを纏う小綺麗な格好をしているのに対し、彼の格好は粗野だ。
室内のため外着は脱いでいるが、上衣は黒いぴっちりとしたTシャツ、下衣はテーブルに隠れて見えないがミリタリーパンツだ。靴も軍から払い下げられた軍靴を履いている。
額を見せたアップバングの髪は茶けており、左耳には髑髏を冠したピアスを着けている。見た目だけの印象で語るなら、お世辞にも大人しいとは言えず、どちらかと言えばやんちゃだと形容出来た。
「カゲくん、ありがちぃ」
「……どいたま」
一見朗らかに見えるその遣り取りも、片方は仏頂面だ。カゲくん、と呼ばれた青年は実につまらなさそうに虚空に目を泳がせている。
「ありがち」⇒ありがとうございます。
「どいたま」⇒どういたしまして。
どちらも夷語録ですね。
→次話 8/15 0:00公開です。
宜候。




