Track.6-8「あたしは、囮だから」
さらに空中を蹴って後方へと宙返りながら着地した茜。一度は肉薄した距離も開戦した時よりもさらに開いてしまった。
「――ん?」
しかし追撃は来ない。あくまで直雄は茉莉を庇える位置に立ち、棍を構えている。
「|“水泡に帰す螺旋の夢”《バブルガム・フロートマイン》」
そして、地面の水溜まりからいくつもの泡が湧き上がった。しかしそれらも、茜を襲来する様子は無く、ただふわふわと双子の周囲を取り囲んでいるだけだ。
「あからさまに時間稼ぎか?」
『安芸君、気を付けて。その泡、大量の霊銀が練り込まれてる――たぶん、近付くか触るかすると爆発するんだと思う』
「ああー、機雷みたいなもんすね」
望七海からの通信を受け、改めて自分でも【君臨者】に切り替えてまだまだ湧き上がる泡を眺めた。――確かに、野球ボール程度の大きさに対して考えられないほどの霊銀がその内側で渦巻いている。
「で、それはいいとして――それをこっちに差し向けない理由とか、追撃しない理由が何かあんの?」
「っ――――」
「――あんだな?」
直雄が口を噤んだその様子から何かを察知した茜は意地が悪そうに笑う。
そして、自らの内部、心象領域に映る【空の王】を切り替える。
「大方、後ろの姉ちゃんがやってるのは、あんたが近くにいないと出来ない、ってとこか。姉ちゃん離れしないと、姉ちゃんもあんたも婚期逃すぜ?ま、オレも大概他人のこと言えないんだけどさ――」
シュウ――白い靄が、茜の両手から迸る。
「まあ、ご覧遊ばせ――――“空の王・封殺者”」
空気が、変わった。
それは茜の雰囲気も同様だ。
直雄は【霊視】を賦与した自身の双眸で視たその変わり様に驚愕と戸惑いを隠し切れなかった。
色で例えるなら。
それは夕焼けの赤が、途端に真っ白に塗り潰されたようだった。
シュウ――迸る靄が収まる。
何の気なしに茜は歩みを進め、やがて泡の機雷が立ち込める領域の一歩外側まで寄った。
その、まるで散歩に出掛けているかのような弛緩に眉根を寄せながら棍を振り翳した直雄は、【断裂する流刃】を茜の足元から繰り出しながら|【水泡に帰す螺旋の夢】《バブルガム・フロートマイン》の泡の機雷を茜目掛けて殺到させる。
「――寒っ」
しかし茜はただそう呟いた。吐息すら白く靄がかっている。
そして。
茜に触れた泡は爆発せずに表面が凍結し、また茜の足元から衝き上がる流水の刃もまた茜の表皮で氷結し、それらは全て直後にガシャリと氷の塵へと崩れ落ちた。
「な――っ!?」
眼前の出来事を信じきれないまま振り下ろされた棍は本来の鋭さを失っており、茜はそれを右腕の上段受けで受け流すと、滑るように棍を掴む右手を掴む。
「ああっ――!!」
パキパキと音を立てて白い靄がその手を包み込む。表面に白い霜が立ち、それは肘先まで。
「くそっ!」
振り払おうと身体を揺する――そこで、直雄は自分の足元を強く認識した。
地面と足とを、氷が繋げている。
「あ――」
「遅い」
棒立ちになった直雄の腹部に、強烈な一撃が突き上がった。悶絶しようにも、倒れ込むことすら氷に拒まれる。
バキン――その瞬間、空間に罅が入る。致命傷を負う場合、それを避けるために強制的に送還されるこの訓練用の異界のシステムだ。
「あー、やっぱ調整が必要だな」
しかし罅は、茜の周囲に走った。
望七海が見つめる画面には、『致命的な体温の低下を検知』と表示されている。
「悪ぃ、後よろしく」
告げると、茜ごと空間を割り裂いた亀裂が極彩の渦となり、瞬時に茜を飲み込んで消えた。
直雄は何が何だかわけがわからない、と言った顔でしばらくその空間を見詰め呆けていた。
【君臨者】が霊銀の“働き”を“ゼロ”にするのに対し。
【飛躍者】が霊銀の“移動”を“ゼロ”にするのに対し。
【封殺者】が“ゼロ”にするのは“振動”である。
温度は分子の振動によって決まる。
振動が強ければ強いほど熱エネルギーが発生して高温となり、振動が弱まれば弱まるほど熱エネルギーが失われて低温となる。
茜が新しく開花させた【封殺者】――それは支配領域内の任意の場所に存在する霊銀を通じて分子の振動を“ゼロ”にすることにより、絶対零度の領域を創り出す異術である。
しかし多くの氷術士がそうであるのとは違い、茜には低温に対する耐性は無い。そして魔術の訓練など最近までしてこなかった茜は魔力に乏しく、干渉しうる霊銀の支配領域も自身から半径1メートル程度と狭い。
自分の1メートル先に絶対零度がある――その影響を、茜自身も受けないわけが無く。
結果、自身からすらも熱を奪われて急性の激しい低体温症を発症したために茜は離脱する破目になってしまった。
それを望七海から聞いた芽衣と心は、しばし頭を抱えた。
当たり前だ――満を持して披露した新技は、諸刃の剣どころか現時点で悪手でしかない。
「――安芸らしいっちゃ、らしいけど」
「そうですね、安芸さんらしいです、実に」
しかしきっと、茜はその弱点を解消して昇華させるだろうという確信めいた期待が2人にはあった。
だから悲観はしないし、それにこれは訓練だ。何度だって失敗していい。
「じゃあ今度は、私の番ですね」
以前は完璧主義者だった心がそうじゃなくなったのは、かつて茜と出逢ったからだ。
その非完璧主義者は「さて」と呟くと、右眼に装填した瞳術を切り替える。
『ちょっと心ちゃん!切り替える時は言ってって言ったでしょ!』
その目まぐるしい変化についていけない望七海は、慣れるまでは切り替え時に連絡するよう言いつけていた。
「あ、ごめんなさい」
PSY-CROPSの異界攻略の際に獲得した右眼に宿る新たな霊基配列。
瞳術専用のそれのおかげで、心の右目は本来の虹彩の色からがらりと変わり、また瞳孔の形も可変式となった。装填した瞳術によって縦長・横長・菱形・十字型・星型・ハート形、と移り変わるのだ。
その分、霊銀の活性率の問題という弱点すらも獲得してしまったが、すでにその対策は練られている。
「水位、増してきたね」
入社試験で茜と恒親が闘った屋根付き橋の上で合流した2人は、建物の二階部分に達するほど高まった水位を見下ろした。
水位の上昇の原因は間違いなくこの降り頻る強い雨だ。【霊視】で視れば視るほど、降り注ぐ水滴の一粒一粒に調整された霊銀が凝縮されているのが解る。
「でも、やることは変わりません――あの双子さんはあの場から動けないようですから、ここから狙い撃ちます――問題は、あと1人の方ですが……」
心が不安げな顔で芽衣を見る。
芽衣は心配されていることを察すると不甲斐ない自分をしかし奮い立たせるように言い放つ。
「大丈夫」
鞘から、手渡されたばかりの鬼灯を抜き放つ。この雨では炎術系統の機能は軒並み弱まるだろう。しかも相手は前情報によれば流術と氷術の使い手だ。さらに、この雨に含まれる霊銀は相手を強化する類のものだろう。
「あたしは、囮だから」
それでも芽衣は腐ることも、愚痴ることも無い。
3人の中で最も自分が弱いことを自覚しているからだ。だからこその自分の役割を、確りと認識しているからだ。
芽衣が担うのは、相手を打倒する撃破役じゃない。勿論、それが出来れば一番いいのだが、まだそうじゃない。
相手の攻撃を引き付ける囮役であり、それを以て心という撃破役から攻撃を遠ざける防衛役だ。芽衣はそれを自覚している。
弱くても。
それを知っていれば、戦える方法がある。
それは、つい今しがた戦線を離脱した戦友が、二番目に教えてくれたことだった。
「じゃあそろそろ――」
「うん、やろう――」
そう2人が呟いたと同時に、望七海は高速で接近してくる敵影の存在を警告として2人に報せる。
心が攻撃を開始するために【命を視る眸】を解除してしまったために失念したのだ。しかし逆に言えば、それまでに動きを把握し望七海が注視していたから気付けた、とも言える。
『敵影、前方400メートル。時速およそ100キロメートルで進来』
「時速100だと、」
「およそ15秒弱で到着しますね――でも海崎さんは、あの2人と合流する進路を取っていた筈なのに……」
すでに茜の視覚情報から、合流した2人は灘姉弟だと判っている。つまり残った1人は海崎玲冴だ。
玲冴は最も遠くに転移されたため、いち早く合流した灘姉弟を始めは目指して移動しているように見えた。
しかし突如、軌道と速度を変えて芽衣・心の2人目掛けて急襲している。
それが敵を発見したからなのか、オペレーターからの指示だからなのか、それとも他の理由があるかは定かではない。
ただ言えるのは、あと15秒弱で交戦が始まる。
PSY-CROPS戦では消化不良だった2人の実力が、問われることになるのだ。
新技・新装備お披露目祭第一弾は
安芸茜――【空の王・封殺者】でした。
次は心かな?芽衣かな?請うご期待。
→次話 8/9 0:00公開です。
宜候。




