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げんとげん  作者: 長月十伍
Ⅴ;幻術 と 弦術
134/300

Track.5-34「え、えっちく、なければ……」

「お口に合うといいんだけれど……」


 愛詩の母は専業主婦だ。家事は手慣れ、そして料理の腕はご近所の追随をちょっと許さない程度にはある。

 そして食卓に並ぶ料理の数々は、いつもと勝手が違っていた。油分と硬さ、そして味気に幾分も欠けていたのだ。

 圧力鍋で時間をかけて調理された鶏肉のトマト煮込みは舌で押すだけで解れるほどであり、素材の味をふんだんに活かした――とても薄味とも言えるマッシュポテトはバターの代わりにほんの少し豆乳が加えられ、より滑らかな舌触りとなっている。

 ポトフもそう。茶碗によそわれたご飯も、夷に対しては雑穀米では無くお(かゆ)だ。


「夷ちゃん、食べられそう?」


 本来ならば夷の食事とは、朝昼晩の別なくただ8種類の薬剤を大量に嚥下するだけだ。最早味覚などとうの昔にかなり意識的にならなければ感じなくなってしまっているし、それ故に食に対する喜びなどは同時期に切って捨てた。


 しかし夷は手を合わせて「いただきます」と告げると、箸で柔らかい白米を少しだけ摘まみ上げて口に運び入れると、今度は小さく切った鶏肉のトマト煮込みを含んで一緒にもぐもぐと咀嚼する。

 幼子のように発達していない小さな顎は、噛んで食事をするという習慣を失った弊害でもある。


「食べる相手(ひと)のことを、とっても考えて作られてるんですね」

「え?」

「おいしい。――とても、おいしいです」


 夷の尖った薄い唇から漏れた言葉に愛詩の母は胸を撫で下ろし、愛詩もまた自分のことのように嬉しくなった。無論、愛詩の対面に座る父も、誇らしげに母を見遣る。

 しかし全ての食材を少しずつ口に入れて嚥下した夷は、申し訳ない表情を見せて(おもむろ)に箸を置いた。


「本当は、ぜぇんぶ平らげたいところなんですけど……ごめんなさい。わたし、これ以上は食べられそうに無いや」


 ぐしゃりと、その愛らしい表情が歪み。ぎゅっと瞑った目頭と目尻のそれぞれから涙の筋を零す。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 突然の慟哭に愛詩の母はおろおろと唾を飲み、どうしていいのか解らず愛詩の父は固まってしまう。

 ただ隣に座って同じ食事を摘まんでいた愛詩だけが、その箸を置いて夷の身体を抱き締めた。


 泣きじゃくるその姿は子供そのものだ。

 その顔貌の愛玩性もあって、どうしようもなく庇護欲に駆られてしまう。

 気が付けばただただ泣く夷を、愛詩の母も父も、抱き締める愛詩の上から覆いかぶさるようにそっと抱き締めていた。


 五分くらいはぐずっていただろうか。漸く泣き止んだ夷は、どうしていいのか解らないと言った顔で愛詩を見詰める。


「ちょっとだけ待ってて」


 そう告げて愛詩は、急いで目の前の食卓を平らげる。それは夷の分までもだ。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせて頭を下げると、夷は困った顔のままやはり愛詩を見詰めていた。


「……夷ちゃん」


 手を合わせたポーズのまま促すと、恐る恐ると言った風に夷は自らの両手を鼻先に持ち上げて合掌を作った。


「……ごちそう、さまでした」

「いいえ、お粗末様でした」


 愛詩の母がその頭頂部を優しく撫でると、実に不安そうな顔で夷はやはり愛詩を見る。

 その様子は、まるで幼児退行にでも罹ったかのようだ。


 口数も少なければ表情も乏しい。


 そのような夷の姿は――短い付き合いだが――見ることは無かったし、だから唐突に不安感が湧き上がり、愛詩は胸が締め付けられるような思いに駆られる。



「じゃあ、電気消すね」


 共にお風呂に入るも何も無く、そのことは却って愛詩の不安を増徴させた。

 こくりと頷いた身頃と丈感の遥かに大きな寝巻に着替えた夷は、体つきに相応した寝巻の愛詩とともに寝床に就く。

 月明かりが薄いカーテンを突き抜けて青白く染まった愛詩の部屋で、ベッドの上、広い1枚のブランケットを被った2人は、向かい合って横になっている。


 目を瞑っている夷。しかし愛詩は一向に訪れない微睡みの中、その愛らしい顔を眺めていた。


「……ごめんね」

「……何が?」


 目を瞑ったまま呟いた夷に愛詩は問う。すると薄く目を開き、しかし視線を合わせないままに夷は唇を仄かに動かした。


「わたし。……こんなんで」

「……ぎゅってしていい?――ううん。ぎゅって、するね」


 マットレスに接している左肩と左頬の隙間に右腕を通し、左腕は天井を向いている右側頭部を抱え込むように背なに回す。そうやって幻想的な白い頭を、自らの(おお)きな胸に押し付けるように抱え込んだ。

 本当は目いっぱいに押さえつけたかったが、そうしてしまうと窒息させてしまうため逆に出来る限り優しく抱き締めた。するともぞもぞと夷の右腕が動き、愛詩の上着の裾を小さく摘まむ。


「……わたし、こんなんされたら襲っちゃうよ?」

「え、今はそうしてくれた方が何か安心するんだけど――まぁでも、……うん、お胸と、お尻くらいなら頑張る」

「……摘まんでいい?」

「駄目っ、さわさわするくらいなら……」

「……揉むのも駄目?」

「ぅ――え、えっちく、なければ……」

「――――言ったな?」

「えっ、わ、ひゃん――っ!?」


 咄嗟に身体を硬直させ身構える愛詩。しかし一向に、来る筈の魔の手がやって来ない。

 思わず瞑ってしまった目を開くと、自らの胸元で呆れたような表情で見上げる夷の顔があった。


「――こんなに甘える筈じゃ無かったんだけどなぁ」


 溜息のように呟くと、自分の身体を包み込む愛詩の両手を外して、そして夷は寝返りを打って壁側を向く。無論、愛詩に対しては背中を向ける形だ。


「そう言えばさ、話してなかったね」

「話?」

「うん。ほら、弓削家の問題が片付いたら話す、って言ったじゃん」


 口調は少し戻ったことに安堵しつつも、やはり何処か遠くへ行ってしまいそうな雰囲気を漂わせる夷に、愛詩の心は騒めいたままだ。寧ろ、少し戻ってしまったことでその焦燥感は加速したようにも思える。

 今では聞きたくないとさえ、愛詩は思う。聞き終えてしまったら、もう二度と手の届かない場所へと消えていきそうなほど、目の前の背中は小さくか細い。

 背丈は、自分よりも僅かに高いはずなのに。


「わたしさ、――双子の妹がいたんだよ」

「――うん、」

「わたしのせいで、おかしくなっちゃったんだ」

「――――うん」


 それから語られた経緯(これまで)は、想像を絶する、荒唐無稽で、しかし確かに事実だと思える話だった。

 17周目の現在に至る全てを洗いざらい語った夷は自嘲気味に笑うとそれを機にだんまりと口を噤み、愛詩は語られた言葉の一語一語に接続(アクセス)した弦から、より詳細なイメージとそして感情とを読み取り、夷の拙い言葉以上の物語を全て把握するに至った。


 目を瞑ると、鮮明に情景が映し出され。

 瞼の裏で上映されるその光景に、時に息を飲み、時に固唾を呑んだ。


「そっか――」


 四月朔日咲という、最愛だった筈の妹のことも。

 森瀬芽衣という、現実になってしまった幻想上の友人のことも。

 全てを受け取った愛詩は、零れ出る涙にくしゃりと顔を歪ませ、小さく鼻を啜り上げる。


「ははっ――何でいとちゃんが泣いてんのさ」


 ごめんと呟き、それでも愛詩は鼻を啜る。

 叫び上げるような慟哭があるのではなく。

 どうしようもない、そこにあるのは(から)だ。


「だから夷ちゃんは、幸せになるのが(いや)なんだね――幸せになって、自分の真ん中に空いてる空虚(あな)が埋まっちゃうのが怖いんだ」

「……いとちゃんは凄いなぁ。本当、わたしが一番欲しい言葉や、一番欲しくない言葉をドストレートズバリ真ん中でぶん投げてくるんだもんなぁ」

「安心してよ。私なんかじゃ、その空虚(あな)は埋められないよ」


 もぞり――身を捩って、夷が再び愛詩を向く。

 その表情は睨みつけるそれだ。夷には解らなかったが、どうやら愛詩は酷く怒っているらしい。

 生まれも。育ちも。そこで育まれた性質や思考も。

 何もかも違う2人だからこそ、夷には愛詩の憤慨の要点(ポイント)が解らない。


「甘えないでよ。私は君の友達の、()()()()()()()()()()


 視線が逡巡し、しかし夷は突き刺すような冷ややかな表情を双眸に宿す。


「本当はこんなこと言いたくない。でも、言ってあげるよ。私は君の大切な友達の代わりになんかなれないし、なるつもりもない。だから私じゃ、その空虚(あな)は埋められない。本当に、本当に本当にこんなこと言うつもりじゃないけど……夷ちゃんはそういう言葉が好きそうだから言ってあげるよ。あと何回言ってほしい?何回言えば満足する?」

「……何度言われたって、満足なんかしないと思う」


 どん――愛詩が夷を突いたのだ。遠ざけるように、左手を突き出して夷の右肩を押し遣った。


「悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい!まだ逢ってから二日しか経ってないけどさ――私は夷ちゃんのこと、友達だって思ってるのに。それって私だけなのかなぁ?私って馬鹿なのかなぁ?」

「……わたしよりは、莫迦じゃないよ」


 どん――再び愛詩が夷を叩く。今度は振り被った左腕を、夷の右側面にぶつけて。


「独りぼっち気取らないでよっ、――勝手に消えないでよっ、――18歳なんかで、死なないでよ――っ」


 どん、どん。

 ぼすっ。

 どん。


「18歳なんてこれからだよ?……大人になったら死んじゃうって何だよぉ……」

「――蜉蝣(かげろう)ってさ」

「……うん」

成虫(おとな)になると口が退化して、ご飯食べられなくなって死んじゃうんだよ」

「……何それ」

「それで交尾しようとして空を忙しなく飛び回る姿とか、寿命の短さ・儚さとかが、陽炎(かげろう)に似てるってとこからその名前がついたんだって」

「……うん」

「交尾して子供を産むために大人になって、そして大人になったらご飯も食べられなくなってあっという間に死んじゃう――それって何だか、空しいなぁ、なんて思ってたんだけど」

「……うん」

「でもある日、もしかしたら蜉蝣(かげろう)にとっての人生の本番は、成虫(おとな)の時代じゃなくて幼虫(こども)の時代なんじゃないかなぁ、って思ったんだよね」

「……子供時代?」

「うん、そう。蝉とかも一緒。大人になってすぐに死んじゃうのは儚いんじゃなくて――子供の時代にたくさん冒険して、遊び回って、大きくなって、その時代を全うした証なんだって――そう思ったらさ、何だか愛しく思えてきちゃってさ……あんな気持ち悪い見た目なのに」

「……うん」

「わたしん()ってお寺じゃん?本尊が摩利支天なんだけど、摩利支天って日光とか月明かりとか、それに陽炎の顕現なんだって。四月朔日の一族が負の幻術に傾倒したのも、行方を晦ましたり実態の無い陽炎をモチーフにしてるかららしいんだけどさ」

「……うん」

「だったらわたしはカゲロウなんじゃん、って」

「……うん」

「そう思ったらさ、成虫(おとな)になったらすぐ死んじゃうのも、それはそれで悪くないかなぁ、なんて思えるんだ」

「……っ、」

幼虫(こども)時代を全うしたらさ、別に、すぐに死んじゃっても……最悪交尾できなくてもいいやって――」


 もぞりと身を捩って仰向けになった夷の隣で、愛詩は再びしゃくり上げ、鼻を啜っていた。


「ごめんね、いとちゃん。わたし、さっきは本当に、いとちゃんと出遭わなければ良かっただなんて本気で思ったんだ。でも死ぬ頃までにはきっと、いとちゃんがいてくれて良かった、って人生にするよ――――約束する」


 愛詩はその言葉に答えない。ただ込み上げる嗚咽のままにしゃくり上げ、鼻を啜るばかりだ。

 それに夷が()いたのは大きな罪悪感(「ごめんね」)と、そしてほんの少しの幸福感(「ありがと」)だった。

次で第五部も終わりますね。

いや、ほんと。ほんとほんと。本当に終わるってば。


→次話 7/26 0:00公開です。


宜候。

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