Track.5-33「18歳になったら死んじゃうのに?」
「いとちゃん。“結実の魔術師”にも弱点あるから気を付けてね」
諸々を片付けた夷と愛詩の2人は、夕食の時間が過ぎ去った午後9時の夜道をオレンジ色の街頭に照らされながら歩いている。
弓削一家――その一家という言葉には、褐色肌の兄妹がもう含まれる――は、今後の話をしながら遅い夕食を摂るだろう。夷も愛詩もそれに誘われたが、今夜は初めての一家団欒だ。水を差す2人では無かった。
「弱点?」
その名残惜しくもある帰路で差し出された言葉に愛詩は小首を傾げる。自らの認識では、全ての願いを成就させることの出来る“結実”に、弱点など無いように思えたからだ。
「例えば、どういうの?」
「そだなー……酷い話するけど、例えばいとちゃんの目の前にボタンがふたつあって、」
愛詩はそれを聞き、脳内で鮮明にその光景を想像した。
「右側のボタンを押すとゆげくんが死んで、」
「えっ!?」
「左側のボタンを押すと知らない他人が100人死ぬ」
「お、押さなかったら?」
「10秒後にいとちゃんのご両親が死ぬ」
「えぇっ!?」
「そーゆー状況だったらどーする?」
愛詩が咄嗟に接続した“結実”の回答は、“右のボタンを押す”だ。
真理は個を区別しない。右を押すと1人が死に、左を押すと100人が死に、押さなければ2人が死ぬのなら、1人の死を選択するのが人間にとって最適解だと導く。
無論、その解に愛詩が愕然としたのは言うまでもない。
「――ね?」
「そっか……“結実”の導きはあくまでもこの世界の真理にとっての解でしか無いんだ……」
他にもあるよと夷は告げる。
赤い石と緑のハンカチ、どちらを選ぶべきか。――比較し得ない二者を、“結実”は選べない。
孤独と喪失、どちらがより不幸か――人間の感情のようなあやふやな基準を、“結実”は判断材料としない。
同列であるべき複数の解から、“結実”は特別としてひとつを選ばない。
「結局さ、“結実”は“最適なひとつの解”を導くに過ぎない。だからひとつを選ばなきゃいけない時はこの上無いくらい頼りになるけど――正解がひとつじゃなかったら無意味だよ」
告げられ、改めて愛詩は2つのボタン問題を想起してみた。万が一そのような状況に本当になってしまった時、自分はどうするべきなのか――考えてみても答えは出ない。
「……夷ちゃんなら、どうするの?」
「何が?」
「ボタン。右と左、どっち押す?それとも、押さない?」
「はぁ――莫迦だなぁ、いとちゃんは」
「えっ?」
「全員助かる3つ目のボタンを創るに決まってんじゃん」
「――ぁ」
駅の改札を通り抜け、階段を上った先のホームで電車の到着を待つ。
「魔術学会の祖と言われるラプラスはさ、真理を解き明かすことで“人間に出来ないことが無いと証明する”って目標を掲げた。でもそれは、魔術士の命題が真理を解き明かす、ってことじゃないとわたしは思う」
「うん、」
開いたドアから電車に乗り込み、乗客のまばらな座席に並んで座る。
「解き明かして尚、そこには無い何かを求める。あらゆる運命にそれを願うだけで導かれる“結実の魔術師”は、導くことの出来ない運命こそ手繰り寄せるべきだし、あらゆる有象無象を具象し消去できる“無幻の魔術師”は、創造し得ないものこそ幻創するべきだ。覆せないものにこそ挑んで、それを覆してみせることこそ、魔術士の、もっと言えば人間の根源的な命題だよ」
「……うん」
2つ目の駅に到着した電車から降りた2人は、淡々と言葉を交わしながら糸遊家へと歩を進める。
ふたつ並んだ肩を間に、ふたつの顔は時折もう片方を向き、そして前を向く。
「だからいとちゃんは間違えないでね、わたしみたいに」
「夷ちゃんみたいに、って?」
「わたしは多分間違った。両方選ばないといけないのに、いっつも片方ばっか選んで――わたしにとって、そうすることが正解だって思い込んでた」
塀の格子を押し開き、愛詩は玄関の扉へと歩む。しかし靴音の足りなさに気付いて振り返ると、夷は格子の外側、歩道の上に立っていた。
「夷ちゃん?」
「――今夜は駅前のビジネスホテルにでも行くよ。独りになりたいしさ」
目を伏せたその姿がとても小さく見えて。
愛詩は、咄嗟に手を伸ばして夷の枯れ枝のような細すぎる手首を掴んだ。
「駄目だよ」
「ぷっ、……何で?」
「独りになんてならないでよ――少なくとも今は、物理的な距離の上でも私が傍にいるでしょ?」
覗き見るように伺う。前髪の下に隠れた夷の双眸は、どうしても泣きそうに見えてしまう。
だから愛詩は、堪らなくなってその華奢と言うには細すぎる身体を抱き締めようとした。
「――夷ちゃん」
その細腕のどこにそんな力があるのだろうか。振り払われた愛詩は、しかしそのおかげで逆に触れてしまいそうなほど肉薄した。
「――わたし、いとちゃんと出遭わなければ良かった」
「夷ちゃんっ、」
「思い知りたく無かった。わたしが、間違ってたって気付きたくなかった。でももうどうしようも無いよ、取り返せないっ――」
今度こそ、抱き締める。
その細い両腕を巻き込んで背中に自らの両腕を回し、ぎゅっと押し込むように自身に引き寄せる。
夷は愛詩よりも少しだけ背が高い。だからそれは、傍から見れば少し不格好だろう。しかし当の2人は勿論そんなことは気にしない。
「取り返す方法を考えるのが、夷ちゃんじゃないの?」
「無理だよ。そればっかりは、無かったことに出来たことが無いから」
出来るよ、とは言えなかった。到達してはいてもまだ未熟な愛詩は無意識に“結実”に接続してしまい、望まない解を得てしまう。
「でも、覆せるまでやるんでしょ?」
「ううん、もう終わりにするって決めた。この世界線で無理なら、もう諦めるよ」
「私がいるのに?」
密着していた身体を引き離し、愛詩は目を赤く腫らす夷と向き合う。
「今は出来ないかもしれない。でも、“結実”が判断するのは現在の私たちの未来だよ。もっと未来の私たちは、覆せるかもしれない。夷ちゃんだってもっと強くなれるし、私だって――」
「わたし、18歳になったら死んじゃうのに?」
「ぁ――――」
ガチャリ。音に振り向くと、愛詩の父が扉を開けてそこにいた。咄嗟に愛詩は夷の両肩を掴んでいた両手を放してバツが悪そうにおろおろとし出す。
「軒先で何やってるんだ?井戸端会議も時と場所を選びなさい。ご近所さんの迷惑になるだろう?ほら、そんなところにいないで、二人とも早く入りなさい」
「いえ。わたし、今晩は他で泊まりますから」
感情を抑え込むような、淡々とした余所行きの態度。“結実”はこういう時、弦術で抗えぬよう雁字搦めにした上で運び入れるべきだと実に無用な解を導き出して愛詩はほとほと困り果てる。
「何を言ってるんだ、四月朔日さん。お疲れだろう、昨晩みたく泊まっていけばいいじゃないか」
だからこそ父の言葉に愛詩は驚いた。確かに常日頃から社交的な父親だが、まさか先日顔を合わせただけの夷に泊まっていけと言うとは思わなかった。
「もうそろそろ22時だろう、夜道は危な――ああ、四月朔日さんは生粋の幻術師だったね。そんなあなたにこういう物言いは失礼かもしれないが……娘に魔術を手解きしていただいた恩もある。ここではいそうですかと見送るようでは、恩人に対して失礼になってしまう」
「別に、失礼でもいいんですけど」
「駄目だよ。親である僕があなたに失礼ならば、その娘である愛詩もあなたに対して失礼ということになる。愛詩はあなたの弟子なんだろう?弟子が師に失礼であるというのは、僕は魔術士の業界のことは知らないが、どの業界であっても拙いものだ。四月朔日さん、泊まっていきなさい」
愛詩もまた、夷を見詰めた。肩を掴んでいた手は放したが、その手は再びその細い手首を掴む。
懇願するような目。夷は目を伏せて鼻で溜息を吐くと、観念したように丁寧に頭を下げた。
「……本当は嫌なんですけど。ご厚意に、甘えさせていただきます」
4,000字切ったよ!
→次話 7/25 0:00公開です。
宜候。




