Track.5-32「……男なんて、何がいーんだか」
「それは確かに、そうだけど、――」
夷にはあらゆるものを無に帰す【伽藍ノ堂】がある。言ってしまえば、契約そのものを対象に限定的に行使すれば、何も弓削絲士を殺害することも不要だったのだ。
「私、本当に弓削君が死んじゃったと思ったよ。だから、もうそんなことしないで」
「時と場合による」
「し・な・い・で」
「……善処します――――痛い!痛い、痛い痛い痛いいったぁぁああぃぃいいいっ!」
夷は絶叫する。自宅の伽藍ノ堂にて“無幻の魔術師”へと到達するために黒匣と接続するあの修行を始めた頃から、夷は自らを護るために基本的には痛覚を遮断している。
それ故に、【千陣の棘】によって左肩を穿たれた後に舞い戻った久方ぶりの痛みは悶絶に値した。
その様子をにこにこと眺めながら愛詩は種明かしをする。
「私ね、本当に怒ってるんだよ?勿論夷ちゃんの傷は治すし、夷ちゃんの身体の霊銀汚染も取り払うよ。でもその代わり、夷ちゃんが外してる痛覚は元に戻しておいたからね。罰が当たったんだと思って」
左肩に突き刺さった弦創の矢は愛詩が後付けで付加した術式によって分解されると即座に穿たれた血肉に変換された。また、その血肉は瞬く間に夷の気道と食道、そして肺に弦を充満させると、呼吸器系と消化器系を冒している荒れ果てた霊銀と結びついては引き剥がしにかかる。夷の痛みの原因はこれだ。
夷自身、汚染されて気道や食道、肺の細胞と結びつき変貌させようとする霊銀は強制的に引き剥がして排出するように身体の仕組みを弄ってはいるが、愛詩の弦はそれを再現するものだ。
夷の左肩を穿った【千陣の棘】の矢と愛詩の間に張った不可視の弦から、愛詩はその仕組みに関する情報を入手したのだ。
突き抜ける痛みに悶絶し、危うく意識を喪失しそうになりながらも夷は床に突っ伏しどうにかそれを耐え切った。
耐え切ったのなら、それまで自身を苦しめていた霊銀汚染からも解き放たれ、悶絶の残響はありながらも身体は幾分か軽く感じる。
「夷ちゃん。解ると思うけど、あと一仕事残ってるんだからね?」
「あー、はいはい。ったく、師匠遣い荒くない?」
快調したアリフに先導させ、向かう先は絲士の父――善継の部屋だ。
全身が呪術によって刻まれた毒に変質した霊銀に冒された善継は、ここ数日でもはやベッドから立ち上がることすら困難となっていた。
調子がいい日は伝手を当たって解呪を試みたが、アリフの用いた呪術とは途方無く珍しいもので、またその術式は複雑なものだった。
解呪を施しても霊銀を祓おうとも、そうされた傍から新たに霊銀が毒へと変貌していく厄介な術式だ。魔術学会に所属する一流の療術士でも嘆いただろう、そして弓削家は過去の確執から魔術学会より身を退き、そして頼らないと決めていた。
「誠に、お恥ずかしい……」
「いえ、お気になさらないでください」
霊銀汚染から解放された夷は愛詩に、善継の身体の内の毒を取り払うよう請われたが、それはアリフの役割だろうと言って譲らなかった。
愛詩の見立て――“結実”に接続して得た最良効率の導き――によると、行使者であるアリフ自身が解呪を行うと、その毒はアリフに返ってくる。
“人を呪わば穴二つ”という諺があるように――呪術は、それが抵抗されたり解呪・消去されると術の行使者自身に同じ危害が及ぶようにすることで術そのものの強度や精度を高める付加効果を得ることが出来る。
しかし夷の操る“無幻”ならば、その付加効果すらも無かったことに出来る。“無”とそして“無限”を司るのが“無幻の魔術師”であり、そして夷は四月朔日という幻術士の家柄上、“無”の方に傾倒している。だからこそ彼女にとっては、生じさせるよりも消してしまうことの方が容易い。
それによりアリフが苦しむことを愛詩は避けたのだが、夷は寧ろそうだからこそアリフ自身に解かせた。
そして自らが行使した毒に自らが蝕まれ、苦しんだ果てに夷はその毒を拭い去ったのだ。
「ってーことでさ。おじさんも赦してくれるよね?」
「いや……むぅ、……」
「父さん。たぶん、もう大丈夫だよ」
しかし善継にはやはり、これまで自分たちを護ると言いながら自ら危害を与え続けたアリフとリニを受け入れ難かった。当然だ、二度あることが三度あるのではない。一度あることは二度あるのだ。前例を作ってしまうと、驚くほどに人は容易くその境界を踏み越えるようになる。赦そうとした絲士の言葉にさえ、やはりそう簡単には頷けない。
だから愛詩は、自らがアリフおよびリニと契約を交わすことを持ちかけた。無論霊銀を介した、魔術士としての契約だ。
契約の内容は、これまで通り使用人として弓削家を護ることに加えて、これまでとは異なり弓削家に対して危害を加えないことを条件にした。それが破られない限り、弓削家に引き続き身を置くことを許される、というものだ。
破った際は即座に命を失い、その時点で行使されている全ての魔術は破棄されるとした。行使されている、としたのは、効力を発揮しているものも発揮されていないものも含めて、という意味だ。だから死に際に何らかの魔術を行使したところで、それは契約内容によって無力化される。
その他の細かいところも含めて、愛詩は“結実”に接続して抜け目ない契約書を作成した。現時点ではアリフおよびリニに謀反の意思は無いことは解っているが、未来に人がどう変わるかは判らない。
“結実”に接続して解るのは、あくまで現時点でどうすれば願いが成就されるかであって、そこには時が過ぎることで得られた経験や成長などは加味されないのだ。
「――異論は無い。私は、敗者だからな」
戦意をすでに喪失しているアリフは契約書に自身の血を使って署名する。その名の下に、リニも同じく自らの血を用いて署名する。
それを見届けた愛詩は、さらにその下に自身の血で署名すると、契約書は宙に舞い上がり、三つに分かれてアリフとリニ、そして愛詩の胸中に飛び込んでその魂と融合を果す。――魔術士の契約が成された証だ。
それを見届け、漸く善継も首肯した。それ以降、アリフは決して弓削家に対して悪意・害意を持つことが出来ないとされたからだ。
「これで正式に、ライバルだね」
愛詩はリニに笑いかけるが、リニの表情は優れない。
それは明らかに、勝者から敗者への施しに他ならないからだ。それを受け取るには、リニは余りにも魔術士である自身に誇りを持ち過ぎていた。
本来、勝者とは敗者に目もくれないべきである。かけた言葉は嘲笑に他ならず、向けた慈悲は侮蔑に他ならない。だからリニは、差し出された手を受け取ることが出来なかった。
それでも。
絲士を諦められない気持ちは、ほんの一瞬でも抑えたくは無い。
逡巡。
葛藤。
手を取れば。
そうすれば、誇りある魔術士である兄に背くことになる。
兄は家族のために戦い続けてきたのだ。生まれは魔術士の血筋に無くとも、兄は気高き魔術士なのだとリニにはきっぱりと言い切ることが出来たし、そんな兄に助けられ、救われ、だからこそついてきた。同じように家族のために手を汚そうと誓い、それを実行してきた。
尊敬と憧憬――裏切れる筈などあるものか。
しかし。
手を取らなければ。
そうしなければ、自らの最愛を切り捨てることになる。
そうなってしまえば――兄妹2人のこれまでは、一体何だったのかと。
リニは絲士のことを想っていたし、アリフはそれを叶えてやりたかった。無論それだけのためにあったこれまででは無かったが、間違いなく今現在の最も大きな願いとはそれだった――切り捨てることなど、出来るはずがない。
二律背反。
リニは、そのどちらをも選ぶことが出来なかった。
親愛と最愛。その片方を切り捨てるには、高々15歳のリニはまだ幼過ぎたのだ。
差し出された手を見詰め、主張を曲げずぶつかり合う二つの意思はその小さい褐色の身体を震わせる。
愛詩は何かを言おうとして、やめた。
その震える肩を、後ろから優しく抱き締めたのが彼女の兄だったからだ。
「――リニ。手を取りなさい」
「でもっ、」
「駄目だ。我々は敗者だ、勝者の取り決めには服従しなければならない。――いいじゃないか、命を削るでも無く、未来すらほんの一握りの可能性に過ぎなかろうと権利がある」
「……それでも、兄さんをっ、」
「リニ――――私に、これ以上の恥をかかせるな」
抱き締めていた身体を解き、自身に向かい合わせる。
アリフにとって最重要項目はリニの幸せだ。そしてそれは、差し出された手を取った延長線上にある。
だからアリフは自分がどうなろうと知ったことではない。確かに家族を養うために手に入れ、護るために戦ってきた魔術はアリフの誇りそのものだ。
しかしそれを泥塗れにして妹が幸せになるならば、アリフは喜んでそうしただろう。
リニはそんなアリフに泣きながら小さな顎でこくんと頷くと、振り返り、恐る恐る差し出された愛詩の右手を自らの右手で握った。
「私、絶対に負けないからね」
「――リニだって」
褐色肌の少女の顔貌に、漸く笑みが宿り。
悔しさを歯噛みしながら兄がそれを目を細めて眺めている。
当事者の筈の絲士はどうしていいのか判らないといった顔をしており、同じような顔で嘆息した善継の傍には、どこか安堵した表情の彩弓が付き添い、彼の手を握っていた。
夷は。
その光景を、何処かつまらないと言いたげな表情で溜息を吐きながらそっぽを向いている。
「……男なんて、何がいーんだか」
そう呟いた彼女の独り言は、その場にいた誰しもの耳には入らなかった。
夷の脳裏には、かつて融合を果たした妹の幻影が映っている。
四月朔日咲――――アリフにとってのリニのように。或いは、糸遊愛詩やリニにとっての弓削絲士のように。
四月朔日夷にとっての最愛とは、確か彼女だった筈だ。
思春期に溺れた色のために、浅はかな繋がりを求めながらもやがては自らを壊した、馬鹿な妹だ。そんな馬鹿な妹を陥れたとして、夷は男性に対して気を許すことが出来なくなってしまっている――阿座月真言を除いて。
しかし馬鹿な妹だからこそ、本当に愛しいと言えたのかもしれない。彼女が出来た妹だったのなら――それでも自分は彼女を愛してやまなかっただろうと、夷は心の中で独り言ちた。
けれど今はどうだ。
もう何度も、違う誰かのために世界を繰り返している。
森瀬芽衣。
四月朔日咲が幻想した、架空の友達。
おそらく幸せな結末のひとつの形である筈のその光景に目を背けながら。
夷は。
彼女のことを、考えていた。
本当にデフォ4,000字オーバーになってまう……
書き始めたころなんて2,000字いかない話もあったのに!
→次話、7/24 0:00公開です。
宜候。




