Track.5-31「どっちが弓削君を、射止められるか」
「貴様、何をぉおっ!?」
夷が絲士の身体から抜き出した心臓を握りつぶすと、狼狽しながらアリフは床に膝をつく。がくがくと震えを上げ、驚愕に苦悶を混じらせた表情でアリフは声にならない声を上げる。
契約が不履行となったために体内の霊銀が荒れ狂っているのだ。不履行とは勿論、弓削家の一員である絲士を守れなかったことに対するものだ。
驚愕し、呆然と事実を飲み込めないのは愛詩だ。床に伏し動かなくなった絲士の身体をただ見下ろし、思考が停止してしまっている。
絲士の母、彩弓ですら、クリアになった脳がその事実を受け入れることを拒否、いや拒絶して床に尻もちを着いたままの体勢でいる。
激しく慟哭を叫び上げるのはリニだ。彼と彼女に約束された未来は契約による、不条理なものではあった。しかしリニは純粋に、絲士を好いていた。彼と結ばれる未来を心待ちにしていたのだ。
激しい感情と感傷に揺さぶられる面々の中、唯一人夷だけが、悪魔のような笑みを浮かべて佇んでいた。しかし誰も何も動けない様子を見ては嘆息し、途端に表情を失う。
「――何だよ。おいおい、まさかこれで終わり?」
「貴様がっ、終わらせたんだろうっ!?」
アリフだけが激昂を口にする。しかし思いの外それは弱弱しい口調だった。当然だ、体内の霊銀の荒ぶりをどうにか抵抗しようと張り詰めているのだ。それでも尚、アリフの霊銀は身体の部位ひとつひとつをバラバラに分断させるような激しい苦痛を彼に与える。
どさり――愛詩が、床に両膝を落とした音だ。漸く事態を飲み込めたのか、その円らな双眸からは大粒の涙がぽろぽろと零れ出す。
「――何で?何で、弓削君……」
「何でって、わたしはもともとこうするつもりだったよ。言ったじゃん、弓削家の問題を解決する、って。ゆげくんには婚約者がいて、その婚約っていうのは魔術を介した契約によるものだった。契約の内容は、おおまかに弓削家を守るからゆげくんとそこのリニってコの婚姻と、それを以て呪術士も家族として扱うってもの。契約の有効期限はゆげくんの命がなくなるまで――ほら、無効になったでしょ?」
「でもこれじゃ、――弓削君が、……」
「契約が無効になったことでゆげくんは誰のものでも無くなったよ?わたしちゃぁんと、約束守ったでしょ?おめでとう、これで結ばれることが出来るね」
絲士の亡骸を見詰め続けていた愛詩は目を見開いて夷を見上げた。口調とは裏腹に、すでに全ての興味を失ってしまったかのような表情。
そこで漸く愛詩は思い知る。
自分はとんでもない人物にお願いをしてしまったんだと。
そして愛詩は、こんなはずじゃなかったと頭の中で繰り返した。その一節は不意に口を衝いて漏れ出し、くぐもったその言葉を耳で拾い上げた夷は無表情に返す。
「じゃあ、どんな筈だったのさ」
「だって……私は、ただ、――――あれ?」
違和感。
夷の言葉を借りれば、糸遊愛詩はすでに“結実の魔術師”に到達している。
ただそれは、無意識に於いての話であり、今の愛詩は意図的にそこに到達することが出来ないだけだ。
それならば何故、無意識に愛詩は夷を探し出したのか。
こうなる未来を求めていなかったのなら、そして夷がこうなる未来をしか用意しなかったのなら。
そもそも、夷に導かれる筈は無いのではないか。
「いとちゃん。わたしはもう、きっかけはあげたよ。あとは自分で考えなよ」
「――うん、考えるよ」
見開いた双眸の意味が変わる。
そうだと独り言ちて。
愛詩は高速で思考をフル回転させた。
糸巻車のように回転する傍から思考の弦は引き出され、そしてミシンのように解を固定する。
「――リニちゃん。まだだ、まだ終わりじゃないよ」
「――――え?」
慟哭しかし得ないか弱い少女に微笑みかける。愛詩の中ではもう、答えは出ていた。
擦り寄り、絲士の胸に空いた風穴に手を翳すと。
「――“弦創”」
幾万本もの弦を迸らせ、愛詩はそれを創り上げていく。
「大丈夫です――絲士さんは、まだ死んでいません」
絲士の身体に残る情報の残滓から、その心臓の形状を読み取り、完全に複製する。
それを千切られた動脈に繋ぐと、隙間を埋めるように体組織をも複製。
心臓は止まっても、人はすぐに死亡するものではない。確かに衝撃により死ぬことはある。しかし身体情報の残滓にはショック死したという事実は確認できない。
実際のところ、夷は祖父から受け継いだ【腸抜き】を行使する際、“阿摩羅”の力によってショック死が起きないよう衝撃を零に抑制していた。
だから心臓が停止しても慣性である程度は血は巡り、脳への酸素の供給も即座に失われるわけではない。
弓削絲士はこの時まだ、心臓は停止していても脳死状態では無かったのだ。
脳が生きているのなら。
喪失された体組織を復元できたのなら、まだ蘇る可能性はある。
「お願い――っ!」
血液とその流れをも複製した愛詩は最後に弦創した生命力を注いで待つ。
完全に死んでいないのなら、愛詩にも蘇生は可能だ。自らの意思で接続した“結実”も、そのように愛詩を導いている。
そして。
「――――ぐ、ぅ……」
苦悶に顔を歪めながら、弓削絲士は息を吹き返した。
痛む胸を押さえながらゆっくりと上体を起こした絲士に、愛詩は我を失って抱き締めた。
「……先、輩?」
「よかった、よかったよぉぉおお!」
彩弓はまだ状況を飲み込めずおろおろとしており。
リニは安堵しながらも、二人の姿を見て沈痛な面持ちとなった。
「い、痛い、痛いです、先輩……」
「わ、わわわっ、ごめんっ!」
蘇生したとは言え、一度心臓がすっかり無くなったのだ。また、そのために脳に対する酸素の供給が滞った時間が数秒ではあったが確かにあった。
しかしその影響が無いのは、それぞれの目が蘇生した絲士に向いたその瞬間に夷が不可視の腕を伸ばして【罪業消滅】により脳の損傷を無へと帰したためだ。
ちなみに同様に、アリフの体内の霊銀の暴走もまた、同時に夷の手によって鎮静されている。
そしてそここそが、夷の限界だった。
「ぁ――ごめん、ちょっと、もう、無理」
呟くと、その鼻孔から赤黒く変貌した血肉の泥を垂らし、ぺたりとその場に座り込む。
そして前傾姿勢になり両手を床についたかと思えば、大きく開いた口から同じく赤黒い泥を盛大に吐き散らかすのだ。
「っ、――――ぇお――――あー、本当、嫌になるなぁ」
ぐらぐらとした酩酊感に打ちのめされながら、両膝をついた状態で夷は緩慢に天井を仰いだ。そして横目でアリフを見遣ると、赤黒く濡れた唇の端を持ち上げる。
「どうするー、呪術士?今ならわたし、殺せるけど?」
全ての痛みと苦悶が消え去った身体で立ち上がったアリフは、己が霊器を握る右手に力を込めたが、しかし目を伏せると、その霊器を解除して無手となった。
「兄さん?」
「……今の貴様がどれだけ疲弊し弱体化していたとしても――私には、そのような貴様すら全く殺せる気がしない」
「あ――っそ、つまんなぃの。……そっちのちっこいのは?」
「え――」
静かに泣き出していたリニは顔を上げ、夷の顔を見た。その顔は確かに弱まっており、息も絶え絶えだと隠すことなく表している。
だと言うのに、やはりリニもまた兄のアリフと同じく、そんな夷ですら戦う気にはなれなかった。
満身創痍かそうでないかに関わらず。
弱体化しているしていないに関わらず。
どんな瀕死の状態ですら、四月朔日夷という魔術士とは戦うべきでないと今は強く思えた。
奇跡的な運びで討ち取れたとしても。
その後、決定的な不幸に見舞われる。何故だかリニはそう直感していた。
「――いい。もう、戦う、必要が無い」
「ふぅーん――じゃあ、いとちゃんが君の大好きなゆげくんを奪っちゃうけどいいんだね?」
「――っ!」
その言葉にリニは立ち上がり、安堵し消沈した心が違う懸念を燃え上がらせた。
契約は無効化された。もうすでに、弓削絲士はリニの婚約者ではない。
「――――――――ゃだ、――嫌だっ」
「リニ、」
私たちは負けたのだ、とアリフは告げたかった。未来の選択権を、敗者は持ち得ない。
しかしその言葉をアリフの喉は紡げなかった。
アリフ自身、リニがどれだけその未来を切望していたか、それがアリフとは異なる熱を帯びていたことさえ知り及んでいた。
その未来が奪われてしまったことを、自らの言葉で突きつけることは出来なかった。
血が滲むほど拳を握り締め、奥歯が砕けそうなほどに強く歯噛みする。
しかしリニの切望と、アリフの後悔と。それらをまた弛緩させるのもまた、勝者の言動だった。
「駄目だよ、諦めたら」
絲士を彩弓に預けた愛詩が、二人の前に立ちはだかった。
「でも――私は、」
「諦めたくないんでしょ?だったら私たち、おあいこだよ」
「あいこ?」
「うん、あいこ。私だって、リニちゃんって婚約者がいるって知って一度は諦めたんだから。でも諦めきれなかったからここに来たよ、戦いに来たんだよ。だったらリニちゃんだって、諦めちゃ駄目だって思う。それとも、諦めるの?」
目が点になるようだった。
眼前の弦術士は自分から最愛を奪った張本人だ。それなのに、その張本人が諦めるなと言っている。わけがわからない。
馬鹿にしているのか。それとも本気なのか。リニには俄かに判断など出来なかった。
それでも、絲士を諦めきれないことだけは確かだった。
「諦め、たくない……」
「そうだよね。だから、こうしようよ――今まで通り、アリフさんとリニちゃんはこのお家で使用人として働く。勿論これまでとは違って、裏切ったりとか謀ったりとかは駄目だよ?そして、私と勝負するの」
「勝負?」
「うん、勝負。どっちが弓削君を、射止められるか」
「は?」
「え?」
絲士とリニが異口異音で疑問を掲げる。アリフすらも眉根を寄せている。夷に至っては、霊銀汚染による倦怠と呆れの両方の意味で頭を抱えて突っ伏していた。
「何でそーなるのさ」
「え?いい案だと思うんだけどなぁ。弓削君や弓削君の家族に手を上げずに、純粋に女の子として弓削君と恋に落ちることが出来るか勝負」
視界が歪んだままふらふらと立ち上がった夷は実に辟易とした顔をした。
しかしその顔を歪めたのは、他ならぬ愛詩の放った【千陣の棘】の一撃だった。
左肩を弦創された矢に穿たれた夷はたたらを踏んで後退し、口角を持ち上げて睨み付ける双眸を愛詩に向ける。
「いとちゃん?――これはなぁに?」
「私、夷ちゃんに怒ってるんだよ?夷ちゃんは確かに、私を“結実の魔術師”に仕立て上げるためにそうしたかもしれないけど、ただ弓削君のお家の問題を片付けるだけなら違う方法も採れたよね?」
またも4,000字を超えました。
このままだと第六部はデフォルトで4,000字オーバーになってまう……
→次話、7/23 0:00公開です。
宜候。




