Track.5-23「わがままでしかありません」
「そ、そうなんですか?」
絞り出すように訊ねる父の言葉に、夷は「はい」と力強く頷く。
「日本は第二次魔術大戦で敗戦国となってから現在に至るまで、魔術という分野においては後進国と呼ばざるを得ない状況が続いています。敗戦した際の国際条約で国家が魔術士を擁せなくなったことが最大の要因ですが、日本の魔術の特異性も――日本の魔術というのは多岐に渡り過ぎ・細分化され過ぎていて、うまくひとつにまとまることが出来ないんです。交易で栄えた島国という側面が他国からの魔術の流入に拍車をかけた歴史的経緯がその全てなんですけど……魔術の本場である同じ島国イギリスさんはもっと理路整然と体系化されています」
「はぁ……凄いですね」
愛詩の父が感嘆し、愛詩の母と顔を見合わせた。魔術士という職業が浸透しつつあるとは言え、そのような歴史があったとは糸遊家は知らなかったし、改めて自身の血筋が魔術士を起源に持っていることに感慨深く頷く。
夷は出されたアイスティーを一気に飲み干して喉の渇きを鎮めると、ふぅと一息吐く。そして再び薄く尖った唇の上下が別たれ、甘い声色が淡々とした抑揚で魔術の歴史を紡ぐ。
「日本において魔術の教育が導入されたのは10年前。これも世界水準から比べると後進国と言わざるを得ません。こと義務教育だけで語るなら日本での魔術の義務教育導入は4年前、欧米諸国とはもう20年以上の開きがあると言われています。でもだからこそこの国は伸びしろに溢れた国だとも言えます。10年20年と年月が経つにつれ日本における魔術士の役割・需要は増えていくでしょうし、評価や地位も高まっていくと思います」
すらすらと続く言葉の段落が変わり、再び愛詩についてを夷は語る。
「とにかく愛詩さんが生まれ持った弦術の才能の恐ろしさは先程述べた通りです。現実的な話もさせていただきましたが、結論を言うと、愛詩さんが魔術師となった場合、愛詩さんが望むもので手に入らないものはそもそもこの世界に存在しない、もしくは生まれ得ないものだけとなります」
「「「え?」」」
隣にいた愛詩までもが情けない疑問符を言葉にして漏らす。
「真理が有する面のうち、弦術に繋がる面は“結実”という法則を司るだろう、と言われています。実を結ぶと書いて結実、つまりは願いの成就です。弦術はそれを極めると、最終的にはそういうことが容易に出来てしまう魔術系統なのです。“運命の赤い糸”って言葉があるじゃないですか。弦術という魔術系統は、それを具象するための学問だと思っていただければ」
説かれ、愛詩は無意識のうちに両手で胸を押さえていた。
「願いの成就には対価が必要です。それは時間や努力などの概念的なものだったり、またはお金や物品などの物質的なものだったり。でも普通はその願いが叶うために何を対価とするかは解りませんよね?弦術を極めた“結実の魔術師”は、それを理解し認識することが出来ると言われています」
「それって、た、例えば……す、好きな人と結ばれる、とかも?」
押さえる胸の内側から、はるか遠くへと家具や壁を透過して続く赤い線。愛詩が度々幻視するそれは、今ははっきりと視覚出来る。
「勿論。そうなる運命に無い人とでも、きみが望めば――」
愛玩動物めいた相貌いっぱいに笑みを称えた夷の言葉に、愛詩の父が「何だ、いい男でも捕まえたか?」とおどけてみせ、母も両手を口元にあてて驚いたような嬉しいような表情を見せた。
しかし愛詩の胸中はそれどころでは無かった。
何度も浮き沈みし、そして誰にも譲りたくない・奪われたくないと誓った恋心は、自分が切る舵に委ねられているのだと知った。
ごくり、と、唾を飲む。
「しかし本当に、そんなことが――?」
「はい。魔術師というのは、現時点でまだ世界に10人もいませんがそれくらいの常識を逸脱した力を持っています」
落ち着かない素振りで訊ねる母に落ち着き払った夷は説く。
「現在確認されている魔術師――“神言の魔術師”は言葉を司る魔術師で“100%の相互理解”を可能とします。自分でさえも理解が及ばない感情や無意識も含めて、“神言の魔術師”は完璧に他人の言葉を理解できますし、逆に完璧に意思を伝えることが出来ます」
「相互理解、ですか……?」
「そこだけ切り取るとそこまですごく無いように聞こえますが、“神言の魔術師”の真骨頂は、相互理解の対象が人間に留まらない点です。動物でも虫でも植物でも、意思を持つ存在が相手なら何だって繋がりあえます」
「動物とも?それは確かに……」
「凄い……」
「わたしが祖父から受け継いだ“無幻の魔術師”は幻覚を司る魔術師で、“無から有を創り出す”ことが出来ます。想像することが可能なものなら何だって創れますし、それは現実に存在しないもので可能です。あとは逆に、現実に存在するものを無かったことにすることも出来ます。どちらかと言うと、わたしは後者に傾倒していますけど――あとは時間の流れを制御する“時空の魔術師”ですとか、エネルギーを支配して永久機関まで創り出せる“車輪の魔術師”ですとか、死者を蘇らせる“不死の魔術師”ですとか、到達したものの現在では失われてしまっているものや禁忌として指定されて使い手のいないものもありますけれど、魔術師が出来ること、というのは常識の範疇から逸脱した、人間の理解の埒外にあると言っていいと思います」
「その、魔術師、ですか?それに、うちの娘が……?」
「はい。先程も述べたように、愛詩さんはすでにほぼ“結実の魔術師”に到達していると言えます。わたしは些細なきっかけを与えたに過ぎませんが、出来ればその到達する瞬間まで愛詩さんに寄り添い、見届けたいと考えています」
両親はまるで打ち合わせていたかのように同時にごくりと唾を飲んだ。そこに、愛詩も自らの気持ちを言葉に込めて声に出した。
「私からもお願いします。私、魔術を極めてみたい」
父母は一度顔を見合わせて唸った。しかし向き直ると父がやはり疑を唱える。
「まさか、今度は学校を辞めるとか言い出すのか?」
「お父様、ご安心ください。愛詩さんは学校を辞める必要は無いですし、弓道部も続けて大丈夫です。わたしの都合で年明けくらいまでは彼女を呼びつけることもありますが、概ね、魔術の修業は夏休み中には終わると思います」
「そ、そんなすぐに?」
「ですから、彼女はそれほどまでに“結実の魔術師”に近しい高みまで到達しています。別につきっきりで授業を行うものでもありませんし、わたしに物理的な距離は関係ありませんので」
首を捻る両親。しかしそこに夷は、誰しもを安心させる柔らかさと、誰しもをも説き伏せる凄みを表情と声音に載せて言葉を紡いだ。
「と。まぁ、長々と語りましたが、結局のところわたしには“結実の魔術師”となった愛詩さんの力が必要なんです。わたしの目的を果たすためにそれは必要不可欠で、そして代わりなどありはしません」
そしてその言葉は、彼女自身の物語へと続く。
「実を言うと、わたしは18歳まで生きることが出来ません。年明けまでは持つでしょうけど、春先には死んでしまうでしょう」
「――え?」
その言葉に、誰よりも驚愕を表したのは愛詩だ。だが夷は口を噤まない。
「わたしにある魔術士としての致命的な呪いみたいな欠陥のせいです。魔術の行使に必要な霊銀が水銀や放射線みたいにわたしの身体を蝕んでいて、12歳の時に呼吸器系を、その後消化器系をやられました。14歳の時にわたしは祖父の教えにより“無幻の魔術師”となりましたが、魔術に没頭するあまり友人もいなく、魔術以外の喜びを知らないわたしの人生は何とも無意味なのかと思い知らされたんです」
声を発する者は夷以外にいない。
まるで客間という空間で上映された映画の衝撃的な場面に息を飲んだように、語る者と聴く者とは出演者と観客とに隔たれていた。
「でも先日、愛詩さんがわたしを訪ね、魔術を教えて欲しいと乞いました。愛詩さんの才能に気付いたわたしは、終わりの無い夜の闇に光を見た気分でした。わたしの力で、知識で、彼女を新しい魔術師にすることが出来たなら――ですから言うなればこのお話は、わたしと、そして愛詩さんのわがままでしかありません。これまでに語った魔術の何たるかということに比べたら、わたしたちのわがままは何ともくだらなく、動機だって不純です。でも何よりも叶えたくて、それが叶わない人生なんか要らないくらいの――お願いします。わたしに、わたしの人生に意味はあったんだと思わせてください」
頭が下げられ、綿毛のように白い髪の毛がはらりと宙を舞った。隣でそれを何も言えずに見つめていた愛詩は、助けを求めるように両親の顔を見たが、その瞬間にそれは違うと確信して彼女に倣い頭を下げた。その直前の視線は、この白い少女を助けたいという強い意思が込められていた。
しばしの静寂。父は何かを言おうとして、それを言うことに憚られ、やがて腕を組んで隣の母を見た。
母もまたともすれば泣きそうな表情で逡巡を見せ、父に縋ろうと手を伸ばしかけたがやめた。
そして。
「――わかりました。あなたのためにも、どうぞ娘を、よろしくお願いします」
両親の説得だけで2話分使うとか贅沢にも程がある。
しかし次回、いよいよ第五部ラストバトル突入ですよ!?
⇒次話、7/15 0:00公開です。
宜候。




