Track.5-18「そういう病気なんだ」
今頃、ヨモさんや森瀬は打合せを始めた頃だろうか。
そんなことを考えながらオレは、指定された立川駅の駅ビルにあるカフェに入って店内を見渡した。
約束の相手はまだ来ていない――一番安いホットコーヒーを頼んで、カップの載ったトレイを持って一番奥の席に落ち着く。
スティックシュガーの端を破ってさらさらとコーヒーに一本を投入、次いでフレッシュをふたつ。
そうしたところで、オレをここに呼びつけた約束の人物が現れた。
「やあ、早いね」
脱いだコートを引いた椅子の背凭れにかけ、オレと同じくホットコーヒーの載ったトレイをテーブルに置いたそいつは、狐のような目を細めて微笑み、腰掛けた。
◆
大量の錠剤のみを夕食とする者の目の前でその者に買ってきてもらった弁当を食するといいうのには酷く抵抗のあった愛詩であったが、気にせず食べろと再三言われ、結局はデミチーズハンバーグ弁当(大盛)を黙々と平らげた。
そして二人は宵闇が蔓延する、四月朔日邸裏の雑木林に出向き対峙する。
「いとちゃんは“弦を張らない”が出来ればそれで終わりと思ってるんだろうけどさ」
「え?……はい」
「わたしがいとちゃんに望むのはそんな単純明快なものじゃなくて、取り敢えず魔術学会の魔術士相手に余裕で戦闘れるくらいにはなってもらわないと困るんだよね」
「え?バトる?」
「うん、そー」
頷き、そして夷は左手を真っ直ぐに、掌を愛詩に向けて伸ばす。
「でもいとちゃんはその点、弦術を極めるのに必要な“接続”と“繊維”に関しては到達してるから、あとは“伝達”を覚えちゃえば終わりなんだよね」
「え、は、はい……」
「大丈夫だよ、“伝達”なんて“何がしたいか”と“何をさせたいか”がはっきりとしていれば“繊維”なんかより全然楽勝だよ――ただ、それを履き違えてるんなら話は別」
「……はい」
「“弦を張らない”を覚えて、ゆげくんを安心させるんだっけ?わたしは、いとちゃんがやりたいことは違うと思ってるよ」
「え――?」
「自分に正直になんなよ、いとちゃん――きみの本懐はそんなもんじゃない」
何か、圧が飛来したとしか言いようの無い衝撃が、愛詩の胸を叩いた。
たたらを踏んで後退った愛詩は、自らと夷とを繋ぐ一本の腕の存在に目を丸くする。夷の左腕が長く伸び、虹色に煌めきを纏って胸に融け込んでいるのだ。
「大体さぁ――“弦を張らない”を覚えるだけってんなら、幻術士に頼んでんなよ」
「――ぅ、」
弦を伝い、何かが流れ込んでくる。それは灼けつくような熱と、そして蔓延るような粘性を持って身体を蹂躙し、四肢は自らの意思に反して首を目掛けてゆっくりと持ち上がる。
「いとちゃんは無意識のうちに気付いてるんだよ、違う違うそうじゃないってさ。だからきみの本懐を遂げるために、きみの弦はわたしを探し当てた。弦術を学ぶだけなら弦術士に頼むはずでしょ?」
「っ――夷、ちゃん?」
両掌が、自らの首を掴んで十指に力を篭める。抗おうにも、両手はまるで他人の腕かのように意思を受け付けない。
喉が締まる。しかしまだ、声も絞り出せるし息もかろうじて出来る程度の締め付けだ。
「ちゃんと視なよ。今きみの腕には、わたしの意思を通してる。きみはもうそれの解除方法を知ってるはずだよ。だってゆげくんにそれを受けているんだから。“霊糸結紮・凪縫い”だっけ?それと同じことが出来れば、その手の動きは消えるよ」
「――っ!」
言われ、薄く息を吸って愛詩は自らの首を締め上げる自らの両腕を視た。胸に突き刺さった長い腕が融けた虹色の霊銀の粒子が、螺旋状の渦を巻いて両腕に流れる奔流を創り上げている。
あの時の感覚は覚えている。霊銀のみを断ち切る鋼線と化した弦に霊脈を細断された時の感覚は――
しかし合点がいかないのは、“弦を張らない”では無いと糾弾する夷の言葉だ。
私は“弦を張らない”を覚えて、何度も恋をした後輩に、安心してほしいのだと。そのために来たんだと。愛詩は心の中で糾弾する声に対抗する。
『何で安心して欲しいのさ』
「だ、――って――」
在らざる腕から伝わる糾弾。呟きすらもう漏らせない喉から飛び出せなかった言葉を、想いを、愛詩は心の中で叫んだ。
『だって、もし私が弦を張り続けて弓削君に迷惑をかけることになったら嫌だから』
『何で迷惑をかけることになるの?いとちゃんとゆげくんは、もう交わらない人生なんじゃないの?』
『交わらないって――』
『だってそうじゃん。婚約者が相手にはいて、それでいとちゃんは身を引いたんでしょ?もう未来の無い他人じゃん。弦を張り続けることで迷惑が降りかかるのはきみであって、ゆげくんじゃない』
そうだ、身を引いた――心で呟いた途端に、込み上げてくる未練は涙となって双眸から零れる。
「目的を履き違えてはいけない。そして、目的のために手段を選んじゃいけない――わたしたち魔術士は、一番最初にそう教わるんだよ」
ああ、そうかと独り言ちて。
愛詩は、身を引きたくなんか無いことに、漸く気付いた。
「――っ!」
瞬間――夷は跳び退いた。左腕は肩口から綺麗に断たれ、愛詩の胸に突き刺さった残骸は細切れになって落ち葉の積もる地面に落ち、くすんだ虹色の蒸気を放って焦げ付いた泥へ変貌し、それ自体もやがて霊銀の粒子へと分解され、大気へときらきらと舞い上がって霧散した。
「――四月朔日さん、」
首絞めから解放され咳込んでいた愛詩の両の十指からは、霊銀を断ち切る鋼線と化した弦が伸びている。
ゆっくりと顔を上げたその表情は、“身を引く”などと諦めた女性のそれじゃない。
「……同い年だし、名前で呼んでよ」
「……夷ちゃん、ありがとう。私、漸く自分の本当の気持ちに気付いたよ」
弦が意味を失って霊銀粒子に分解される。
真剣の鋭さを称えた“女”の表情が、視線が、夷に突き刺さる。
「私、弓削君が好きだ」
「うん」
「弓削君を、他の人に譲りたくない」
「うん」
「だから――私に、魔術を教えてください」
「わかった。一度体験したから判ると思うけど、わたし普通のやり方出来ないよ?」
「うん、それでいい。――よろしくお願いします」
頭を下げた愛詩に、【罪業消滅】で左腕を復元した夷は「こちらこそよろしくね」と微笑みかけた。
◆
「で、何でオレを呼び出したんすか?」
銀色の匙でフレッシュの混じったコーヒーを掻き混ぜながら、茜は真言に訊ねる。
真言は答えずに、狐の笑みを称えながら鞄から5冊のノートを取り出した。
「それ――」
「正直、君じゃないとこれの話が出来ないからさ」
コーヒーを避けたテーブルの上に5冊のノートがどさりと積まれる。
「僕らは“筋書”と呼んでいるけど――」
「ゲームブック?」
「そうだね」
にこりと笑みを深めた真言は、それを手に取るようジェスチャーで促す。
積まれた最上の1冊を取り上げた茜は、その表紙を眺めた後で引っ繰り返して裏表紙を見た。
「これ、ノートの種類が違いますけど?」
「そう。原本は僕たちのアジトにあって、それは写し」
それを聞きながらパラパラと頁を捲った茜は眉根を寄せる。
「センテンス、並べ替えたんですね」
「うん。ゲームブックのままだと、正確に流れが掴めないからね」
「あと――これ、オレが知ってる内容と違う」
茜が手にしたのは5冊にも渡ってシリーズ化してしまった、かつて常盤総合医院にて芽衣と咲が書き上げたゲームブックの、その最終巻である5冊目だ。しかしその最後の頁にあるはずのエンディングが、まるでまだ続くかのように存在していない。
「そう――問題はそこなんだよ」
「どういうことだよ」
睨み付けるような目線を真言は受け流す。
「君さ、――こっち側に着きなよ」
「はぁ?」
「だって君、お嬢の幻術、全く効いてないでしょ?」
「どっすかね」
茜は一応、はぐらかした。茜の中で目の前の阿座月真言という言術士はまだ味方ではない。この呼び出しに応じたのは、この言術士が「攻撃はしないし、戦闘行為もしない」と語ったからだ。
言術士が嘯くとどうなるかと言うのは、先のPSY-CROPS戦で理解しているし、それにこの言術士は百目鬼瞳美の件で手を貸しはした。
だから茜は、この言術士が味方で無いにせよ敵でも無いという曖昧な位置づけをせざるを得ず、それを確かめるという意味合いでもこの場に馳せ参じたのだ。
「僕はね――お嬢には幸せになってもらいたいと思っている」
「そっすか」
「でもそれは、あくまで彼女の基準の上での幸せだ。一般的な幸福という概念じゃ、彼女はそれを手にすることが出来ない」
「――どうして?」
「お嬢は、18歳まで生きられない。そういう病気なんだ」
物語がクライマックスに向かいつつある感ある。
→次話、7/10 0:00公開です。
宜候。




