表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
げんとげん  作者: 長月十伍
Ⅴ;幻術 と 弦術
113/300

Track.5-13「当初の予定を変更しようと思います」

 弓と矢がどうのこうのでは無く、そんなことよりも今のこの状況こそが愛詩に混乱を齎している。

 絲士が華奢ながらも筋張った両腕で掴んでいるのは弓と矢とを握っていた両手首だ。そしてそれぞれの手がそれぞれの手を掴み上げるために絲士は愛詩に肉薄した。


 (ゼロ)距離であるということは、まさか互いの心音が露聞してしまうかもしれないという距離だ。そして愛詩の身体は肉付きが良く、言い換えれば発達に富んでいる。

 弓を引くのには全く向いていないゆっさりとした双丘は下着のワイヤーフレームに支えられつんと上向きに張り詰め、二枚の布越しに絲士の引き締まった胸板に密着している。

 そんな二人の姿は、その瞬間だけを切り取って傍から見たなら、まるで慣れないチークダンスを踊る男女に見えただろう。


 絲士に去来するその戸惑いは、思えば再び弓道場に出向いた矢先の、あの美しい射法とそこから派生した弦の張り、それを見たときから始まった。

 見せつけられた才能の片鱗。それに対する嫉妬。しかしそれは、真っ向から挑んだ勝負の最中に後暗さが祓われ、“負けたくない”と“負けてもいい”という潔い二律背反に変わった。


 絲士を変えたのは愛詩だ。彼女に魔術士の才能はあっても、おそらく弓の才能は無かっただろう。だからこそ彼は、彼女のその直向きさを見せつけられ、魅せられた。

 真摯さと愚直さはまるで信仰だ。何度も反復する射法や所作はさながら祈りだ。

 それほどまでに人は、何かと向き合えるのかと自分の愚かさを打ちのめされた絲士は、打ち立てた誓いを破ることを、そして自らの心に突き刺した刃を折ることを決めたのだ。

 だからこそ姿勢を正し、言葉を直し――もう一度、誰かと繋がりたい・何かにのめり込みたい・笑顔と幸福を共有したいという欲を解き放った。


 絲士を変えた愛詩は絲士にとって恩人であり、そして恩師としたかった。

 しかし今、眼下にて頬を紅潮させ、目を潤ませる少女はまるで果実だった。その唇は瑞々しく蜜に濡れる林檎の赤だ。長らく欲を封じ込めていた絲士には少なくとも、それは奪うべくして色づいているように思えた。


 潤んだ目がゆっくりと細まっていく。目鼻の先にある果実は齧られることを期待している。

 心音が煩くて堪らない。だから絲士は、両の手首を掴み上げていた両の手を、その両の肩に置き――


 ――ゆっくりと、


 ――遠ざけた。


「――っ、」


 隔たれ遠ざかった蕩ける熱に目を開いた愛詩は、絲士の行動そのものにではなく、今しがた期待してしまった自分に困惑し、それ故に尚更頬を赤らめた。

 一度目を伏せた絲士は一線を超えてしまいそうだった自らの欲を押し込め律し、何事も無かったかのような表情を偽造した。


「ごめんなさい――手、痛かったですよね?」


 苦し紛れの声を無理やり絞り出して、それを悟られぬようにいつも通りを演じてみせる。

 しかし愛詩は愛詩で自らの早合点――実際にはそうも言い切れないのだが――に恥ずかしさが暴走して真っ赤な顔に両手を当てて隠そうとしながら、「だっ、だだ大丈夫っ」と捲し立てる。


「やっぱり先輩には、弦術士の才能があるみたいです――一度中に入りましょうか」

「う、うんっ――」


 そうしてバルコニーから室内へと舞い戻った二人は、互いにどこか他人行儀にガラステーブルを挟んでソファに対面に座る。

 愛詩は先程から恥ずかしくて絲士の顔を直視できず、その様子に絲士は何と自分は浅はかな行為をしかけたのだと自らを責めた。


「ちょっと、霊薬の作用かどうかは判らないんですけど――先輩は先ほど、弓と矢を“弦創”しました」

「げ、弦創?」

「はい――霊銀ミスリル(いと)を織り上げて、定まった形を成す――例えば、」


 告げて絲士は、右掌を天井に向けて差し出し、その五指から虹色の細い線条を放出するとそれらを空中で規則正しく動かし、やがて編みこまれ織り上げられた弦たちは一輪の薔薇の花を(かたど)った。


「ゎあ――」

「こんな風に、線と線を重ねたり縦糸と横糸を織って作った生地を重ねることで、立体の造形を創るんです。これを、“繊維”(ファイバー)と言って、弦術の三大要素のひとつなんです。先輩も訓練すればこれくらいはすぐに出来ると思います。無意識のうちにとは言え、いつも使っている弓と矢を創れたんですから」


 しかし愛詩は答えない。ただ呆けたような顔で、絲士から受け取った赤い薔薇をまじまじと見詰めている。

 絲士は何の気無しに、数ある花の中でも単にただ庭でよく見ていて輪郭や色を鮮明に覚えている、というだけの理由で赤い薔薇を創り上げたが、愛詩にとって赤い薔薇を貰う、という意味合いは全く異なる。


 赤い薔薇の花言葉は『わたしはあなたを愛しています』なのだ。もう何が何だか解らない、真実と虚実の境が不明瞭すぎて混乱している。

 だったら先程の自分を遠ざけたあれは何だったのか。

 そもそもかつて『女として見ていない』くらいの発言をしたのにも関わらず、態度が変わり過ぎなのは何なのかと、愛詩は憤慨にも似た感情を危うく漏らしてしまいそうな紙一重で耐えている。

 浮いては沈み、しかしまたすぐに浮かれ、やはりすぐに墜とされる。いっそ期待を捨ててしまえばいいのだが、胸中に幻視する赤い線は、もはや切り離せないほどの硬度を誇っていた。

 一体、いつからこんなにもこの後輩を好きになってしまったのかと、愛詩は赤い花弁の縁をなぞりながら小さく溜め息を吐いた。


「――先輩、聞こえてますか?」

「えっ!?あっ、ごめんっ、何かなっ?」


 ずい、と身を乗り出してかけられた声に驚きながら、愛詩は平静を装って返す。

 絲士はその様子を自分のせいかもしれないと嘆息するが、愛詩はその溜め息を違う意味として捉えてしまう。


「取り敢えず――当初の予定を変更しようと思います」

「当初の予定って?」


 絲士は乗り出した身体を戻し、ガラステーブルに置かれた小瓶を持ち上げて説明する。

 当初の予定と言うのは、小瓶に入った霊薬を希釈して愛詩に飲ませ、霊銀ミスリルを不活性状態にさせた上で弓を引き、“弦を張らない”という感覚を掴んで、霊薬の効果が消えたところでその感覚を実践して覚える、というものだった。

 しかし蓋を開けてみれば、霊薬は霊銀ミスリルを不活性にさせるどころか、愛詩はその効果に対して抵抗(レジスト)した上で、本来ならば修得していない筈の“繊維(ファイバー)による弦創”を行使した。


 魔力の強い魔術士は広域の霊銀(ミスリル)に対して作用を与えるが、魔力は霊銀(ミスリル)汚染や魔術などによる霊銀(ミスリル)の干渉に対する抵抗力にも直結する。

 愛詩の魔力は尋常じゃないをすら逸脱するほどだ。霊薬の原液ならば効果は受け付けるが、希釈したもの――その濃度にもよるが――では本人の意思に関わらず抵抗(レジスト)してしまうのだ。


「だから――先輩には、俺と同じ弦術士になってもらいます。弦術についてを俺が教えて、一介の弦術士にさえなってしまえば、“弦を張らない”方法や感覚、技術も体得できる筈です。今日明日では流石に無理ですけど、先輩さえよければ、これから時間をかけて、それこそ何か月もかけて、俺が教えられたら、って――」

「え――えええっ!?」


 結果から言えば。

 右往左往とする感情を御してそれを承諾した愛詩は、絲士の教えを受けて“接続”(アクセス)を用いた弦による探査の魔術を修得した。

 そもそも、愛詩の張る弦は“接続”(アクセス)によるものだ。自らを起点として、終点には“的”という検索対象を条件付けしているのだ。だから後は、検索対象を変更すれば良かった。


 絲士は頻りに愛詩に対して「先輩にはやはり、弦術の才能があります」と唱えた。それは勿論本心からの言葉だったが、その度に愛詩は申し訳ない気持ちになった。

 それは、愛詩が魔術士の生まれではなく魔術士ではなく魔術士になるつもりが無かったからであり、そして絲士が魔術士の生まれであり魔術士であり魔術士として生きていくことを決めていたからだ。

 その才能は、本来なら彼にこそ齎されるべきものだったのだと、どうしてもその考えが愛詩の胸を締め付ける。


 しかし絲士は嫉妬など微塵も見せず、表しない。

 勿論嫉妬は存在した。存在したのだが、それは存在“した”のであり、過去の産物だ。

 今ではそれは敬意に変貌を遂げた。そしてその中に芽生えた淡く色づいた感情に、絲士は戸惑っていた。


 日が落ち始め、意識的な“接続”(アクセス)を体得した愛詩に絲士は休憩を提案する。

 空になったティーサーバーをトレイに載せ、絲士は階段を降りてキッチンへと向かった。


「リニ。おかわり、もらえる?」

「はい、畏まりました」


 乏しい表情でぺこりと頭を下げたリニは、しかし丁寧な所作でトレイを受け取り、キッチンの作業台に静かに置く。

 浄水器越しの水が薬缶(ケトル)の底に跳ねて踊り、ざぶざぶと水位を増していく。リニは蛇口を捻ると重くなった薬缶(ケトル)をコンロに載せ、コンロに火を点けた。


「――ところで、絲士さん」

「何?」


 踵を返し戻ろうとする絲士に向かい、振り向きながらリニは冷ややかな眼差しを刺し通す。


「まさか()()を、破るおつもりではありませんよね?」

第5部の話を短編スピンオフ化するかどうかで迷っています。

書いててめっちゃ楽しいのです。


→次話、7/5 0:00公開です。


宜候。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ