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最終話


「……速人!」


 黒塗りの車から、黒服の男性によって運び出された従兄を眺めた瞬間、黒沢環は叫び声を上げた。


「あなたたちっ!

 一体、速人に何をっ!」


 そのまま環は、従兄を運んでいる目の前の大柄な男性に向かって詰め寄る。

 堅気の人間ではあり得ないような、黒服の男性が放つ独特の威圧感すら、頭に血が上った今の彼女は意に介していなかった。


「……大丈夫ですわ」


 だけどそんな環の叫びに応えたのは黒服の男性ではなく、車の中に乗っていた黒いドレスの少女だった。

 彼女は優雅に微笑むと、速人の寝顔を少しだけ名残惜しげに眺め。

 環の方を振り返り、微笑む。


「心配しなくても……次に目覚めた時、彼は昔の彼に戻っていますわ。

 恐らく……貴女が知っていた頃の、彼に……」


 黒いドレスの少女の瞳に哀しげな輝きを見つけ、環はそれ以上の言葉を失う。

 そう告げることは、目の前の少女にとって不本意だと……何となく理解してしまったからだ。

 ……そして、言葉を失った環に速人の身体が渡される。

 その身体はずしりと重く、環にとて支えるだけでやっとだったが……それでも、その重みは彼女にとって苦になる重さではなかった。

 そのまま環は腕の中の重みを両手で抱きしめる。

 少年を手渡した時点で仕事が終わったということなのだろう。

 黒服の男達は車に乗り込み、黒いドレスの少女もまた、車に乗り込もうとして……


「ですが……」


 ふと、彼女は振り返ると、環に妙なものを手渡す。

 それは仮面だった。


 ──目の部分だけに穴が開いてある、真っ白な仮面。

 ──不要な飾りも突起すらない、酷く単純で、だからこそ不気味な、そんな仮面。


「……これは?」


「彼がもし生活に違和感を覚えて、社会という檻の中では満足できないようであれば……貴女がそれを渡してください。

 本当の自分に出会えます……そう伝えて下されば」


 それは、未練だったのだろう。


 ──雪菜という少女の、未練。


 だからこそ、こうして……自分と彼との間に、一本の細い糸を残しているのだ。

 ……普通の高校生に戻った彼が、戦士に戻るための糸を。


「では、彼のことを、よろしくお願いしますね、黒沢環さん」


「……ええ」


 車に乗り込んだ黒いドレスの少女の意図は分からなかったし、自分の名前を知っている理由も分からなかった。

 それでも環は、彼女の言葉に頷いた。

 そこは頷く必要があると思ったからだ。

 何しろ、立ち去ろうとする名前も知らない彼女の瞳に見えたのは……間違いなく哀しみの涙だったのだから。





「……お嬢様、良いのですか?」


「……ええ。

 私たちには、彼が二度と私たちと会わないことを祈るしかありません」


 酷く聞きづらそうなメイド服の少女の声に、雪菜は頷く。

 その表情を見た碧は、結局何も言えずに黙る。

 ……彼女の隣に座る雪菜と同じように……俯いたままで。

 自らの主がそう決めたのなら、彼女は従うべきだと信じていた。

 例え、それが自らの主以外では、生まれて初めて肩を並べて戦った戦友の別れであったとしても、だ。

 だから、彼女は俯いたままだった。

 恐らくは雪菜も同じ気持ちだったのだろう。


 ──不要な一言を言わないように歯を食いしばり。

 ──これ以上の未練を残さないために、窓の外の景色を瞳に入れないよう、俯いたままで。


 そして……彼女達を乗せた車は動き出した。




 黒塗りの車が去った後しばらくして……環が腕の中の従兄をどうやって彼の部屋まで運ぼうかと途方に暮れていた頃。

 その少年は目を開き……


「おい、環。暑苦しいから手を離せよ。

 ……ったく、一体何なんだ?」


 と、本当にいつも通りの、彼女を少しだけ鬱陶しがるような言葉を吐き出した。

 その言葉を聞いた環は、彼の言葉には従わず、その両手で思いっきり彼の身体を抱きしめたのである。


「お、おい。どうしたんだ、おい?」


 そんな、戸惑ったような速人の言葉を聞きつつ。


 環はもう暫くの間、従兄の帰還をその体温で感じていたのであった。


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