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第六章 第六話


「へっ! 雑魚がっ!」


 一般社会と決別した所為か、それとも戦いこそ自分の居場所と痛感した所為か。

 速人はその漁村に着いた瞬間から、暴れ回った。

 碧が創り出したマグナム銃を連中の顎の中に突っ込むと、躊躇いもなく引き金を引く。


 ──それが、この漁村での戦いの合図だった。


 ……その銃弾を叩き込んだのは、まだ戦闘態勢も取っていない、ただ普通に暮らしていた魚人相手だったというのに……速人は微塵も躊躇や憐憫を感じない。


「っ~~!」


 脳髄を吹っ飛ばされた魚人は、磯臭い血を撒き散らしつつ、その身体はまだ死を理解していないのか、血をまき散らしながら痙攣してのたうち回る。


「ぎゃぎゃ?」


「ぎゃぐぎゃ?」


 物音を聞きつけた連中が集まってくるものの、速人の形相と手の大型拳銃と、そして何より返り血塗れの禍々しい姿に脅えるばかりで襲って来ようとしない。

 ……血に飢えていた速人が気付くことはなかったが、前回の戦闘でこの連中の戦闘要員はほぼ死んでいる。

 この場に残っているのは、もう戦えない老人や女性ばかり……いや、老人や女性だった連中ばかりだった。

 尤も……今の速人がそれを知ったところで、引き金を引くことに躊躇うことはないだろうが。


「はっ! どうしたどうしたっ? 

 来ないのか、化け物どもがっ!」


 速人は身体の奥底から湧き上がる衝動に任せ、吼える。

 吠えながらも戸惑い脅え逃げ惑う魚人どもを次から次へと物言わぬ死体へと変えていく。


 ──背後にいる仲間たちをも置き去りにして。


 そんな速人の姿を見つめた碧は、主に向けて呟く。


「……完全に力に飲まれています。

 アイツは……大丈夫、なのでしょうか?」


「いえ、アレが彼の本質なのでしょう。

 ミツバチなどの、集団を形成する生物には必ず一定数が存在する、我が身を省みず天敵を滅するためだけの個体。

 種を保存するための捨て石となるように遺伝子設計された、生まれながらの殺戮者。

 西洋の神話で言うところの、バーサーカーですね。

 ……今のような平穏な人間社会では、稀有な存在でしょうが……」


 返り血に塗れ、楽しそうに笑いながら、無抵抗な魚人を次々に殺し続ける速人を、雪菜は頼もしそうに眺めていた。


「……ですが、現代社会では不要な存在でもあります。

 このままでは、彼に訪れるのは死か破滅のどちらかだけです。

 もし彼の身を思うなら、早急に手を打たないと……」


 そんな主に向けて、碧は自らの考えを告げる。

 主の身以外はどうでも良いと考えている碧には珍しい、速人の身と将来を案じるその言葉を聞いて、雪菜はまじまじと自らの従者を眺めるが……

 すぐに首を左右に振ると、海の方角を睨み……


「いえ。今はまず、『アレ』を滅ぼすことが先決です。

 分かっていますね、碧」


 ……そう告げる。

 その視線の先では……懲りない侵入者を撃退するために、防波堤の向こうからあの巨大な化け物が、また上陸してくるところだった。





「……はっ。ははっ!

 ひゃはははははははは~っ!」


 海から触手が上がってきた触手を見た瞬間から、速人の笑いは止まらなかった。

 海から現れた『その存在』は以前と変わらない凄まじい威圧感を放ち、その目が合っただけで速人でさえも気が狂いそうなほどの圧力を放っている。

だが、今の彼はそんなことすら意に介さない。


「……待っていた、ぜぇっ!」


 ……いや、やはり『その圧倒的な存在』に速人という一個の生命体が威圧されているのはどうしようもない事実だった。

 戦いへの期待に笑いながらも、好敵手を歓迎する叫びを上げながらも……速人の足は震えている。


 ──だが、速人はそんな恐怖より遥かに強く、この戦いを望んでいたのだ。


「は~~~っはははははははははははははぁっ!」


 恐怖を殺意と狂気で塗り潰してやるとばかりに速人は思いっきり笑うと、震える右足を地面に叩きつける。

 痺れと痛みによって震えが止まったと分かった瞬間、速人は脇目も振らずただ目の前の化け物へと突撃を開始し始めた。

 突っ込んだ速人を感知したその化け物の反応は……前回と全く同じだった。

 頭部と見られる場所に生えている触手を、横薙ぎに思い切り振るうことで侵入者を蹴散らそうとしたのである。


「甘いっ!」


 だが、速人は以前の彼とは違う。

 右腕から四メートルを超える黒い球を現出させ、あっさりと触手を引きちぎる。

 千切れた触手が陸まで吹っ飛び、のたうち回っているのも意に介さない。

 その、豆粒程度の小動物の抵抗を、化け物はどう思ったのだろう。

 今度は触手数本をその小さな生き物に突き立てようとしたのだ。


「ひゃははっ!」


 だが、速人は既に自らのサイズよりも大きな能力(ナイトメア)を発現させている。

 彼を貫こうと迫ってくる触手を見るや否や、速人は己の身を庇うように手のひらを前へと突き出し、その黒い球を盾とした。

 黒い球に突き刺さった化け物が放った数本の触手は、黒い球に触れた部分から消滅して行き、結局、速人の身体には触手は一本足りとも届かない。


「……流石」


 その様子を見た雪菜は一言呟くと、自らの職務を果たすため海面に近づく。

 彼女も『アレ』の恐怖からは逃れられない。

 今も足は震え、歯の根は合わず、指先は冷たく、胃が痛い。

 身体中の全細胞が、「この場から逃げ出せ」と訴えている。

 ……だけど。

 今、目の前で暴れ回っている少年の、狂気混じりに戦いを望むその哄笑が、彼女を恐怖から奮い立たせていた。


「碧。護衛は任せました」


 そして、自らの従者に一言命じると、すぐ側にある海水……いや、海水を構成する一酸化二水素に向けて右手を突きだし、命令を下したのだ。

 『分解せよ!』

 ……と。





「はははっ!」


 雪菜が準備を始めた頃、速人はその化け物に取り付いていた。


 ──先日、蚊にヒントを貰った通りに。


 即ち、自らよりも遥かにでかい化け物と相対する場合、敵の身体を盾とするほどの接近戦こそが唯一の活路だと。

 次々に変化をしていく化け物の身体の、鱗を階段代わりに、触手を踏み台代わりに、能力(ナイトメア)で抉り取った傷口を足場代わりにと、敵の巨大な身体に常に張り付き続けたのだ。


「ひゃひゃひゃひゃひゃっ!」


 そんな速人の目の前を巨大な鉤爪が襲う。

 ……一撃で速人の身体をミンチと化すだろう、凄まじい速度と力を秘めた、鋭い鉤爪のついた凶悪な鉤爪が。


 ──速人が消し飛ばしたというのに、未だに彼を狙う触手は健在だった。


 ……と言うより、次々と再生され続けている。

 さっきから数十本は消し飛ばしたというのに、化け物の攻撃は一向に止む気配がない。


 ──だが、速人にはそんなこともあまり関係なかった。


 敵に張り付きながらも、能力で化け物の鱗を削ぎ、肉を抉り続けていたのだ。

 速人の能力が削り取った部位からは、腐ったヘドロのような酷い悪臭を放つ緑がかった黒い血液が飛び散っている。

 ただ……そんな傷を何度負わせても、この化け物のサイズがサイズである以上、あまり効果な見込めないだろう。

 その挙句……この化け物には再生能力があるらしく、傷つけた傍から傷は次々と塞がっていく始末である。


 ──だが、回復を続ける化け物とは言え、速人の攻撃に効果がない訳じゃない。


 さっきから陸へと向かっていた化け物の足は完全に止まり、延々と触手が速人を振り払おうと暴れ回っている。

 それに……速人が化け物に傷を負わせる度に、彼に向かってくる触手の動きがわずかにに乱れるのだ。

 どうやらこんな化け物でも……苦痛は感じているらしい。


 ──だったら、そこに付け入る隙はある。


 その事実を前にした速人の身体は、無意識の内に少しだけ重心を前に傾けていた。

 攻撃に意識が向かったそのわずかな変化を、この巨大な化け物は見逃さなかった。

 僅かに出来たその隙を狙い、速人の死角から鉤爪が襲い掛かる。


「……ちぃっ!」


 速人がその一撃を避けられたのは、ただの勘でしかなかった。

 顔面スレスレを鉤爪が掠め、皮膚を軽く削いでいく。


 ──さっきの一撃が直撃するだけで……いや、あと数センチ深く突き刺さっていただけで、速人の頭蓋なんて粉々になっていただろう。


 それはれっきとした事実で、どうしようもない両者の差……だった。

 何しろ……速人とこの化け物の間には、人間対蚊ほどの体重差があり……


 ──しかも、速人は蚊のように飛ぶことも出来ないのだ。


 ……だけど。


「楽しいなぁああああぁぁあああっ!」


 そんな状況であっても、速人は自分と敵との力の差なんて一切考えていなかった。

 いや、残りの体力や疲労や痛みや……死への恐怖すら頭の中にない。

 何しろ、これは……彼が望み続けていた死闘(ゲーム)なのだ。


 ──こんな楽しい時間に、要らないことを考えるなんて勿体無いにもほどがある。


 そんな状態にある速人が、それでも敵に取り付くという戦術的な行動を取っているのは、恐らく、彼が純粋に戦闘だけを望む状態にあるからだろう。

 いつものように頭に血が上った上での暴走ではなく、闘志に全身が焼かれ続けているのに、頭の芯だけは冴えているという、最も戦闘に適した状態。

 だからこそ速人は、人間が虫けらとしか思えないほど巨大な化け物相手に戦いを挑み、痛撃を与え、だけど敵の攻撃は冷静に見切り……。

 ……見事に足止めを果たしていた。

 

 そしてその時間こそ……背後で彼の戦いを見守る雪菜が最も欲しているものだったのだ。


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