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第六章 第五話


「よっ、速人。

 夏休み、どうだった?」


「……あ~。

 寝てばっかりだったな~」


 それから一〇日あまりが経過し夏休みが終わりを告げた頃には、彼の「武器」は数メートルを超え、ようやくあの化け物を穿てると確信が持てるほどになってきた。

 その代償と言ってはなんだが、ひたすら訓練ばかりしていた所為で……夏休みに遊んだという記憶が全くない。

 とは言え、それを正直に言う訳にもいかず、速人は級友たちの問いを誤魔化すしかない。


「彼女とかできたか?」


「遊び相手なら出来たがな~」


 誰にでも問うような、お決まりの級友の挨拶に速人は笑い返す。

 ……いつもの通り、表面だけ取り繕って。


 ──結局、俺の生き方も、雪菜とそう変わらないじゃないか。


 などと考えた速人は、そんな自分が馬鹿馬鹿しくなり……取り繕った仮面の笑みはやがて自嘲の笑みへと変わって行く。


「速人は良いよな~。従妹がいてさ」


「……環のことか?

 アイツは家族みたいなもんだぞ?」


「それでもだよ。

 うちなんざ家の中、男ばっかだ。

 むさ苦しいことこの上ないぜ?」


 そして笑顔のままで級友たちとそんな言葉を交わしながらも、速人は心の中でずっと鬱屈を感じていた。


 ──下らない。早く終われ。

 ──早く殺し合いをさせろ。

 ──この不自由な時間を終わらせろ。


 そんな、心の奥底の命令を押し殺しつつ、笑う。

 ……実際、この人間社会というのは何と不条理なんだろう。


 ──「暴力はダメ」という絶対の掟がある。

 ──だというのに経済的な圧力はあり。

 ──権力・立場的な圧力はあり。


 圧倒的多数によって決められた法律などというお為ごかしに手足を縛られていきなければならない。

 そんな……表面ばっかり取り繕っただけの、言葉遊びばかりの下らない仮面劇が毎日毎日続けられる。

 社会へ出る準備期間と言われている学校ですらこうなのだ。

 社会に出ればこれと同じように……いや、もっと酷いのだろう。

 ……考えれば考えるほどに下らない。


 ──面倒だ。この鬱陶しい蚊トンボを数人殺そうぜ。

 ──そうすれば全員黙るぜ?


 心の奥で、狂暴な自分がそう笑う。

 ……確かにそれは単純で楽だろう。

 何しろ、嘘偽りが一切存在しない。


 ──ただ生きるか死ぬかだけの世界なのだ。


 自分の全てを「殺すこと」と「生き延びること」だけに向けていれば良い世界なのだから。

 速人の心の奥底での声は、甘い誘惑にも聞こえてくる。

 一度戦いの歓喜を味わった人間にとってこの人間社会というヤツは……嘘まみれで醜く、社会という泥に足を取られて動きが取れず、それでも建前を取り繕わなければならず……。

 本当に面倒で、嫌になるほど下らない。


「ちょっと! 速人!

 あんた、また勉強もせずに……」


 少しギクシャクしていたものの、何とかこの夏休みの間に機嫌を取り続けたことで何とか元の状態に戻った、いつもの環の声を聞き流しつつ。

 そんな平和の中、速人は心の底から戦いを望んでいた。



 ……そして、それから数日後。

 待ちに待ったその日が訪れたのだった。





「……何処へ行くの?」


 雪菜からのメールを受け取り、休みの日の早朝に家を出た速人を待っていたのは、そんな……酷く沈んだ従妹の声だった。


「……何の、ことだ?」


「とぼけなくても良い。

 あんたの顔見れば分かるから」


 恐らく彼女はここ数日間の速人の、上辺を取り繕っていた筈の、だけど隠し切れない何かを感じたのだろう。

 その従妹の顔を見て……速人は足を止める。

 生まれてから延々と顔を突き合わせてきた筈の環の顔は、泣きそうな、諦めているような、言いたいことがあるのに言えないような……そんな、速人が未だに見たこともない表情だったのだ。

 速人は身体中が戦いの高揚に疼いて仕方なかったし、この従妹の存在なんて口うるさくて鬱陶しいとしか思っていなかった。

 ……それでも彼は、こんな従妹の顔を見て無視して歩くほど人でなしにはなり切れていない。


「……戻って、来るよね?」


「……」


 恐る恐る窺うような環の声に、速人は答える術を持たない。


 ──勝算はある。


 いや、あるとは聞かされているのだが、絶対に勝てる戦いじゃないのだ。

 ……もしかしたら負ける可能性の方が高いかもしれない。

 だけど、そんなこと、この従妹に言える筈もない。


 ──死ぬかもしれない、なんて。

 ──しかも……そんな地獄のような戦いをこそ欲している自分がいる、なんて。


 だから胃が痛むのを、後ろ髪を引かれるのを承知の上で、速人は自分をまっすぐに見つめる従妹から目を逸らし、彼女の存在などないかのように彼女の隣を通り過ぎる。

 ……人生で最も長い付き合いだった、肉親に最も近い相手に背を向ける。


 ──それはある意味……速人にとっての決別だった。


 この現代社会の中で人間として平穏無事に生きることよりも、命がけで血と臓物まみれの、地獄のような戦いの日々を……彼にとって大事な方を選んだのだから。


「……どうして、何も言わないのよ!」


 歩き出した速人に背に向けられた従妹の声には、涙が混じっていた。

 その姿は、速人に大昔を……よく喧嘩した頃を思い出すのに十分だった。


(いつか、彼女のそんな姿を見てなかったか?)


 そんな追憶を振り切るように足を進める速人を、環は追ってこなかった。

 背後から罵倒の声すら上がらない。


 ──そして、速人ももう振り返る気すらない。


 それでも……一抹の後味の悪さを感じながら、速人は仲間との待ち合わせの場所へと急いだのである。





「……良いのですか?」


「……ああ」


 近くの国道沿いに止めてあった、いつもの黒塗りの車に乗り込んだ速人を待っていたのは、そんな雪菜の尋ねるような声だった。

 どうやってかは知らないが、先ほど家の前であった出来事を彼女は知っているようだった。

 だけど、速人は今更、その程度のことを不快に思いさえしない。

 その程度のことなんて、これから始まる戦いへの期待に比べれば……本当に些細ない、どうでも良いことでしかないのだから。


「……勝ちましょう!」


「ああ。当然だ」


「はい。お嬢様!」


 仲間に向けられた雪菜の号令に、速人は頷く。

 ……頷きながらも、彼は別のことを考えていた。

 雪菜は、過去の呪うだけで何も出来なかった自分が許せなくて、『アレ』に勝とうとしている。

 碧も、過去の主を守れなかった自分を消し去るために、強くなろうとしている。


(……なのに、俺は何だ?)


 ──ただ楽しいから戦って。

 ──ただ自分より上位の、自分の命を好き勝手できる存在が許せなくて……ただ暴れているだけ。


 もしかしたら、自分以外の人間全てがそうなのかもしれない。


 ──過去の自分を殺すために、必死になる。

 ──それは向上心とか学習とかいう、人間の本質的なものではないだろうか?


(だったら、俺は人間か?

 こんなんじゃ……ただの獣じゃないのか?)


 速人は、違和感が拭えない。

 この世界に自分が許されていないような、根源的な違和感。

 馬鹿馬鹿しいと分かっていつつも、考えを止められない。

 そして……考えれば考えるほど速人は、もう自分には戦いしか居場所が残っていないことを痛感してしまう。

 ……学校も、家も、もしかしたらこの仲間との間にも。


(早く、着け!)


 あの場所に着けば……戦いの中ならば自分の居場所がある。


(こんな下らないことなんて考える必要もない)


 だからこそ、速人は戦いを心の底から望んでいた。


 ──そして。


 そんな速人の様子を、雪菜は静かに見つめていたのだった。


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