第六章 第三話
速人が暴走族相手に暴れ始めた頃、碧は自室でパソコンをいじっていた。
タイピングも指一本で銃器と比べると酷く有様だったし、マウスさえも爆発物を扱うかのように恐る恐る触れている。
その姿は本当に、小学生が初めてパソコンに触れたような感じだった。
何しろ……彼女の能力が「性への無知」からなる以上、性知識も膨大にはびこっている『インターネット』なる存在は、碧にとっては毒薬に等しい。
だからこそ今までは雪菜によって、碧がパソコンに触れることは固く禁じられていた。
だが、こうしてインターネットの使用が彼女を強くする最も効率の良い行動だと、碧自身が理解していたからこそ……珍しく雪菜相手に我が儘を通し、こうして使わせて貰っているのである。
「……ふむ」
ちなみに、碧が見ているのは主に重火器などのサイトである。
──彼女の能力は武器を産み出す能力。
だが、産み出すには実物を見、触れる必要があった。
そのために碧は、必要な武器をまず探すことから始めているのだ。
取り寄せること自体は、雪菜の配下である黒服たちが「色々と頑張ってくれる」お蔭で、それほど問題はないのだが……
「……難しいな」
幾つかのサイトを眺めた碧が抱いた感想は、そんな一言だった。
先ほどから『アレ』に通じるような武器を探しているのだが。
残念ながら人間の作った武器というのは、基本的に「人間を殺す用途」で作られている。
だからこそ……碧が産み出せるサイズの武器で、あれほどの大きさの生物を殺す武器なんて存在していないのだ。
今のところ実用可能な武器は、取り寄せる手間やコスト、自分の 能力で使える範囲を考えると……対戦車ロケットランチャーと対戦車ミサイルくらいのものだ。
だが、それらはあくまで十メートル程度の乗り物を破壊する武器に過ぎず、『アレ』に効果があるかと言われると首を傾げざるを得ないだろう。
何しろ……『アレ』は自らの肉体を自在にコントロール出来る。
この程度の火器を用いて多少の傷を与えても、すぐに再生されて終わってしまうだろう。
つまり、『アレ』に勝つには……もっと凄まじい威力の武器を……
「……あ」
そんな時だった。
碧の目に一基の爆弾が映る。
コレならば……小さな少年とか太った男とかいう名前のコレは……確かに威力だけは十分だろう。
何しろ、たった三メートルちょいのコレ一つで、都市一つを壊滅させ、一〇万人余りを虐殺してしまうのだから。
──だけど……コレは使ったら最後、こちらも確実に死んでしまう。
例え爆風の直撃を何らかの手段で避けたところで、爆弾が残すだろう傷跡……放射能という毒に対する術は、碧の手には存在しない。
それ以前に、この類の武器を直接見て触れること自体が至難の業だが……
「……一撃で倒すのは、無理、か」
そう世の中上手くいかないらしい。
碧はあっさりそう悟る。
そうなった場合、自分たちたったの三人が力を合わせて『アレ』に打ち勝つなんて……
──やはり、無理だ。
──何とかしてお嬢様だけでも止めなければ……
碧が出した結論は、そんな当然のものだった。
そうと決まれば話は早かった。
今度は人間を止めうる武器を探すため、碧はインターネットを使い始めたのである。
「……どうですか?」
「……無茶苦茶ですわ、こんなの」
雪菜の提案に、セラ=グリモワールは掠れた声でそう呟いていた。
目の前の少女……即ち彼女の雇い主が突然セラの研究室を訪れたかと思うと、凄まじいことを呟いたのだ。
「可能かどうかを聞いていますのよ?」
酷薄な声で、雪菜は自らの部下に問いかける。
その声は……彼女が不要と判断したならば、どんな道具だろうとあっさりと切り捨てられるのがはっきりと分かる声で……
「……理論上は、可能です」
──何が理論だ。
ただの道具に過ぎないと自覚しているセラは、内心で嘆きながらもそう答えていた。
この場所で研究を始めてから、セラが悟ったことがある。
それは……『科学的な理論なんて超能力者を前にしただけであっさりと覆される』という科学者としてはとても認めたくない現実である。
──何しろ、如何なる法則、如何なる観測すらも無駄にするのだ、この連中は。
真面目に研究を続けるのが馬鹿馬鹿しくなるような、ふざけた存在である。
そして実際、セラ=グリモワールは未だに自らの存在価値を……この職場に見出すことが出来ずにいた。
だけど、この職を辞すれば彼女は普通の女性に戻ってしまう。
その才能も今までの研究をも全て捨て去り、誰にでも出来るような簡単な事務をただ淡々とこなすだけの、一介のOLになり下がってしまうだろう。
──セラには、それだけは耐えられない。
だからこそ、科学者としての自尊心を切り売りし続ける職と分かっていても、この場所で研究を続けているのだ。
「ですが、問題があります。
原子の個数・命令の手順を間違えただけでお嬢様まで焼け死ぬことになります。
ですから……」
何とか首だけは免れようと、自分の無価値を理解していながら、それでもセラは雇い主に売り込もうと必死に食い下がる。
そんなセラの態度をどう思ったのだろう。
雪菜は自らよりも一回り年上の研究者の瞳をまっすぐに見つめると……
「ええ。計算は任せますわ。
これでも私は、貴女のことを信頼しているのですわよ?」
誰もが魅了されるような笑みで、そう告げていた。
そして、その雪菜の一言は、自分の価値を見出せなかったセラを奮い立たせるのに必要にして十分な一言であったのだ。
「ふん。雑魚か」
黒沢速人は二十人余りの若者をものの数分で蹴散らすと、退屈そうにそう吐き捨て、欠伸を一つ洩らす。
「ば、化け物かよ」
比較的ダメージが少なくまだ声を出せた一人が恐怖で濁った眼で速人を見つめながら、そう叫んでいた。
……だが、速人はもうそちらには目を向けさえしない。
ふと、そのときだった。
──耳元に小さな羽音。
どうやら蚊が飛んできたらしい。
「……むっ? ……お?」
中空で掴もうと速人は手を伸ばす。
だが、夜。
それも薄暗い街頭の光しかない場所だ。
……その上、相手は空を舞う小さな蚊一匹である。
夜魔の反射神経と筋力を得て、常人離れしている筈の速人の手が、一度は空を切ってしまう。
「ちっ!」
だけど、所詮は蚊である。
蚊が血を吸おうと頬に触れた刹那、速人の手は見事蚊を叩き潰していた。
(……なるほど)
自分の手のひらの中で潰れている蚊の死体を眺め、速人は思わず頷いていた。
自分の一撃で頬が少しだけ痛むものの、無駄な被害ではなかった。
……何しろ、ヒントを得たのだ。
あの馬鹿でかい化け物を倒すなら、コレしかないだろう。
──即ち、思いっきり接近して、徐々に削り取る。
問題は……ダメージを与えうるほどの一撃をどうするか。
あの化け物に勝つには、足を一瞬で再生させるほどの回復速度を超えてダメージを与え続けなければならない。
と言うことは、一撃で切り取る体積がよほど大きくなければ、効果は見込めないだろう。
──蚊の針では……人間は殺せない。
……所詮、人間だろうと夜魔だろうと……あの化け物を前にしてしまえば、どんな攻撃もくすぐられた程度のものだろう。
──だが、蚊が蜂の毒針を持ち得たならば?
「……結局、地道な特訓か」
最低一〇メートルを超す黒い球を出せなければ、アレの再生を超える速度で削り取ることは不可能だろう。
速人はそう考えると、倒れたまま呻き声を上げている連中に目をくれることもなく、家路に就くことにする。
帰り着いた家では、従妹と彼に何かがあったことを悟っている家族の、何か言いたげな生暖かい視線によって、非常に気まずい空気が流れていた。
だけど……既に敵を倒すことしか頭にない速人には、そんな些細なこと、全く気にもならなかったのだった。




