第五章 第七話
「言ったでしょう? 私達が負ければ、どうなるか。
……これが、その答えですわ」
「~~~っ!」
雪菜の声に、速人は絶句していた。
漁村まで下りてきた彼ら三人の周囲は、現在人垣で覆われている。
と言っても、小さな漁村である。
周囲の人たちと言っても、凡そ五十人程度だろう。
──いや、『ソレら』を『人』と呼んでよいものか。
確かに頭がある。
手足がそれぞれ二本ずつある。
体型も人間とほぼ変わりない。
服も着ている。
……だけど、明らかに違う場所がある。
まずは、顔。
──速人たちを取り囲んでいる『ソレら』の顔は、何処か人間の面影を残しつつも、蛙と魚を混ぜて二で割ったような、異形の顔をしていたのだ。
そして、首の付け根には、明らかに人間とは異なる亀裂が入っている。
それは……魚で言えばエラとしか思えない形状をしていて、『ソレら』全員の背中が異様に膨らんでいるのも気になった。
更に、周囲の連中のあちこちの皮膚は、かさぶたのように硬質に変異しており、それはまるで鱗のようで……
そんな特徴、一つだけ一人だけならまだ分かる。
──たまにそういう顔・体質の人間もいるだろうから。
だが……速人たちを取り囲んでいる五十人近い『ソレら』全てがそういう異形としか思えない、同じ特徴を持っているのだ。
いや、一番の問題は『ソレら』異形の服装と……村のあちこちから窺える、『ソレら』の生活臭とも言うべき人間臭さが窺えることだろう。
──つまり『ソレら』は異形の化け物の分際で、『ここで生活をしている』のだ。
「……何か、歓迎されてないな」
そして、速人たちを取り囲んだ五十人全てが、手に銛や鎌、包丁など……文明の利器の中で、銃刀類を除けば最も殺傷力に長けた品を持ってこちらを睨んでいるのである。
その様子に冷や汗をかきつつも速人が軽口を叩く。
「いや、アレは彼らなりの歓迎だ。
……全身全霊で受け止めろよ?」
速人の軽口を切り返したのは、いつもの調子を取り戻した碧だった。
いや、いつもの調子はまだ戻っていないのだろう。
碧の顔は未だに青ざめたままだった。
……だけど、その青ざめた顔に無理矢理な笑みを浮かべ、表面を取り繕う程度の余裕は出来たらしい。
ただ、その声はやはり少しだけ震えている。
「おい。碧のヤツは大丈夫なのか?」
そんな碧の様子を見かねた速人は、お嬢様に耳打ちする。
「ふふふ。私達が負ければ、その度に一帯が『こうなります』から。
碧が震えるのも仕方ありません。
それに、少々因縁がある相手ですし……」
(……こうなる?)
速人は、その言葉の意味を一瞬捉えかねた。
そして、その意味を理解したとき……ふと全てが分かった。
──自分たちが負ければどうなるのかを。
この場所に踏み込んだ時に感じた、強烈な違和感。
そして、周囲でこちらを睨みつけている、彼ら。
──普通の漁村に住んでいるらしき、人に似ていて、それでいて明らかに自分たちとは違う連中。
……そして彼らに染み付いている、凡そ一年程度では在り得ない生活臭。
「───っっ!」
それらの意味を理解した瞬間、速人は脳髄に氷を差し込まれたかのように、とてつもない寒気に襲われていた。
つまり、この世界への侵略者というのは、文字通りの『侵略』ということなのだ。
今まで出てきた訳の分からない連中に負ければ、その地域はこんな感じに……その場所に住んでいた人々はこうして『別の存在に創り変えられる』ということなのだ。
奴らの着ている服が、持っている道具が、それぞれ使い込まれているのを見て速人は悟ってしまう。
──速人たちを取り囲んでいる連中は、この場所が侵略されるまではこの村で普通に暮らしていた人間であったということを。
「……あら。大丈夫ですわ。
彼らにはもう人権なんて御座いません。
政府も承認して下さっておりますわ。
ですから、何をやっても治安機関の追及はありませんわ」
青くなっている速人をどう誤解したのか、雪菜はそんな言葉を吐き出す。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
その言葉は、速人を安心させる効果よりも、むしろ周囲の連中を挑発する効果があったようだった。
周囲の一人が、もう人間とは思えないような怒声を上げつつ、雪菜目掛けて銛を突き出そうとして……
「~~っ!」
突如響き渡った轟音と共に、ソイツは脳漿をまき散らしながら崩れ落ちる。
一瞬で主を庇った碧の手の中には、いつの間に取り出したのか真っ黒で凶悪な拳銃があり、その銃口から硝煙が上がっていた。
彼女の手の中には、いつの間に取り出したのか真っ黒で凶悪な拳銃があり、その銃口から硝煙の匂いが漂っている。
その拳銃は碧が使えば、反動で本人が吹っ飛びそうなくらい巨大な銃だったが、夜魔となった彼女の小さな手はその銃の反動を完全に抑え込めるらしい。
「ぎゃぎゃぎゃっ!」
仲間を殺されたことで激昂したのか、『ソイツら』の叫びが周囲に響き渡る。
そして……その碧の放った一発の銃弾は、そのまま戦闘開始の引き金になった。
「……ちっ!」
周囲の連中が蛙のような叫びを上げながら一気に襲い掛かってくる。
連中の動きはそれほど速くはない上に、蛙のように飛び跳ねる直線的な動きだった。
碧の動きに慣れている速人には、問題なく回避できるレベルの攻撃である。
「──っ!
~~~っ!
どわっっっ!」
……一つ一つの攻撃は問題なく回避できるレベルの攻撃なのだが……生憎と速人は多対一には慣れていない。
それほど脅威ではない攻撃でも、一度に数人がかりで襲われると対処し辛く、速人は三人目の攻撃で、あっさりと体勢を崩される。
──『ソレら』が以前に人間だったと聞かされた所為か、速人は攻撃へと踏み切れず、ついつい後手に回ってしまったのも原因だった。
……だけど。
体勢の崩れたところへ突き出された、明らかに殺意の込められた包丁の鈍い光を見た瞬間。
「このっ!
いい加減にしやがれっ!」
頭に血が上った速人は、『ソレら』に対する一切の躊躇も捨てて能力を発動していた。
速人の能力は相変わらず凶悪極まりなく、その黒い球体は僅かな抵抗を感じることもなく、迫ってきた刃ごと『ソレ』の頭部を消滅させる。
さっきまで頭部があった場所へ血液を送ろうと心臓が頑張ったお蔭か、『ソレ』の首からは噴水のように血が飛び散った。
魚の腹を開いた時のような、磯臭さが鼻の奥を突き刺す刺激に、速人は思わず顔を歪める。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
だが、飛び散った血の匂いは、速人以上に襲ってきた連中を怯ませていた。
「へっへへへっ!」
その怯みを見逃さない程度には、ここ何度かの戦闘を経て速人も戦闘慣れしている。
一気に相手の集団に飛び込むとその右手を振るう。
三匹ほどの頭部を消し飛ばし、もう二匹ほどは腕を消し去った。
「「ぎゃぎゃ~~~っ!」」
身体の一部を吹っ飛ばされた二匹が激痛に悲鳴を上げていた。
「あっ?」
その悲鳴が痛がる仕草が「あまりにも人間らしかった」ことに、殺意に我を忘れる寸前だった速人は冷や水を浴びたように、一瞬で身体の奥の熱が引いて行き……
一瞬だけ、身体を硬直させてしまう。
「ぎゃっ!」
そして、当然ながらその隙を敵は見逃してはくれない。
「──っ!」
……鎌の刃が、硬直していた速人の脇腹を薙いでいた。
だけど、速人のジャケットは刃を通さない。
先の尖った鉄の棒で殴られたのだから、痛いことは痛いものの、そのダメージは死ぬほどじゃない。
ただ、その痛みが……我に返っていた速人の理性を一瞬で消し飛ばしていた。
「……流石は碧。
良い仕事してるなっ!」
速人はそう叫ぶと自分に鎌を叩きつけたヤツに何の躊躇もなく右腕を叩きつける。
胸部に大穴を開けたソイツは、生臭い血を吐き出しつつ、胸部の穴からこぼれでる内臓をかき集めようと地面で惨めにも手足をばたつかせていた。
「へっ。
……てめぇらは死ににくいのか。
そいつは、ご愁傷様だなっ!」
笑う。
……今度は欠片も同情せず、ただ笑う。
脇腹に走った痛みと、周囲に蔓延した血の匂いにより湧き上がってきた身体の熱に浮かされるように、速人の笑みは殺人鬼すらも脅えて道を譲るほどの凶悪な笑みへと変わっていた。
その笑みに呼応したかのように、右腕の前に浮かんでいる黒い球体の半径が少しだけ増す。
「はっははひゃははははははっ!」
身体の奥底から湧き上がってきた衝動に任せ、大声で笑う速人。
笑いながらもその両腕は『ソレら』を殺し続ける。
自分目掛けて振り下ろされる鎌や包丁など意にも介しない。
ただ頭部に向かってくる一撃のみ避ける。
……いや、それだけで十分だった。
碧が創ったジャケットは、鎌や包丁なんかは通さない。
ただ尖った物で叩かれて痛いだけである。
──そして今の速人は、痛みなんてこれっぽっちも感じやしない。
「無茶な!」
「……頼もしいですわ、ねぇ、碧」
その無茶苦茶な戦いぶりを呆然と眺める碧と、恍惚とした表情で見つめる雪菜。
速人の暴れっぷりが酷すぎて、彼女達にはそれほど敵は寄って来ていない。
「無茶苦茶なだけですっ!」
いや、連中が二人に寄って来ないのは、人並みに知能があるから、だろう。
幾ら常人よりは死ににくいと言っても、44口径の銃弾で胸部や頭部を吹っ飛ばされれば致命傷は免れない。
そんな凶悪な銃器を持っている相手に対し、銛や鎌などという前時代的な武器で対抗しない程度の知能はあるらしい。
だけど、銃器は射程が長いからこそ凶悪なのだ。
速人たちに恐れをなしたらしく、彼らを遠巻きに見つめる連中に対しても、碧は平然と銃弾をぶち込んでいた。
二匹・三匹と碧の銃弾を浴びた連中は、穴の開いた水袋のように血を噴出しつつ、地面でのたうち回る。
……が、そこで碧の拳銃は弾切れになった。
弾切れという銃を使う人間にとって致命的な隙が出来たにも関わらず、碧は慌てることもなくスカートの中からマガジンを取り出し、交換する。
その隙を好機と見たのだろう。
碧の背後で戦闘開始から全く動いていない雪菜目掛けて、連中の一人が銛を手に襲い掛かる。
「ふふふ。『死になさい!』」
……だけど。
──ソイツが襲い掛かったのは、三人の中でも最も性質の悪い相手だった。
たったその命令一つで、銛を手にしたソイツは、急に心臓辺りを掴むと……そのまま倒れて動けなくなる。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
「ぎゃぎゅぅふっ!」
「ぎゃぎゅぅふ!」
それを見た瞬間、連中たちの蛙のような鳴き声が響き渡ったかと思うと、それを期に『ソレら』は速人たちから遠ざかろうと後ずさり始める。
どうやら自分たちでは、この三人の夜魔には勝てないと悟ったらしい。
『ソレら』は何やら海の方角を向いて詫びるような仕草をしたかと思うと、踵を返し三々五々と散っていった。
「……そろそろ、来ますわ。
碧、撤退の準備を……」
周囲を眺めつつ、雪菜がそう指示する。
その指示を聞いた碧は、手にしていた銃を虚空に消すと、暴れ回っていた仲間の方へ目を向ける。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
そこには、周囲の敵が撤退したことで正気に戻ったらしき、速人の姿があった。
今になって疲労と痛みが一気に襲い掛かってきたのか、地面に座り込んで身体中の激痛に耐えつつ、肩で息をしている。
「無茶をするから……」
呆れたように碧は呟くが、不意に首を振る。
──現状を思い返したのだ。
此処は『敵地』で、今の彼女達は『侵入者』でしかないと。
そして、雪菜が「そろそろだ」と指示を下した。
……ならば、本当に「そろそろ」なのだろうから。
「速人、そろそろ満足しただろう?
撤退するぞ?」
「あ? 撤退だ?」
碧の声に、怪訝な顔をする速人。
返り血に塗れ、肩で息をしているというのに、彼の表情は「まだ足りない」と訴えていた。
「何故だ?
俺たちは、勝っただろう?」
「馬鹿野郎っ!
こんなに簡単に終わるなら、私たちは此処での戦闘は負けていない!
まだ、『アレ』がいるんだっっ!」
「……『アレ』?」
その碧の慌てたような物言いに、首を傾げる速人。
目を向ければ、雪菜もいつもの優雅な笑みではなく追い詰められた表情で、いつもの余裕が感じられなかった。
……考えてみれば今日の雪菜も碧も、どこかおかしかった。
それはつまり。
──来る途中予感していた通り……あの二人が慌てなければならないほどの化け物が、この場所に居るということではないのか?
胸の奥がざわつく。
さっきは敵が逃げていったから、まだ身体の奥に灯った火は完全燃焼していない。
(そんな化け物を潰せば、どれほど楽しくなるのだろう?)
そんな期待が身体の奥底から湧き出てきて、速人の唇は知らず知らずの内に歪んでいた。
「……おもしれぇ」
「ちょ、速人!」
酷く好戦的な笑みを浮かべる速人に、碧はますます慌てる。
そんな碧の様子に注意を払うこともなく、速人は立ち上がる。
「で、雪菜。何処なんだ、そいつは?」
「……アレですわ」
流石の雪菜も、呆れたような顔をしつつ、海の方を指差す。
「……何もいないぞ?」
雪菜が指差した方角に速人が目を向けても……そこには防波堤と水平線があるだけだった。
他には近くに浮かぶ小さな島が見えるくらいだろうか。
……それ以外には何もない。




