第四章 第二話
「あ~。終わった~!」
「これから、何して遊ぶ?」
「って、まだ半分終わっただけじゃん」
「でも、土曜日曜もあるし……」
木曜・金曜と続いたテストの終わりは、そんな感じだった。
例え折り返し地点とは言え、苦労を共にした戦友がお互いを慰めあい、妙な達成感や開放感と共に友情を確かめ合う……そんな感じ。
……だけど。
速人はそんな風景に入っていけない。
──何しろ、苦労していないから。
いや、彼らと同じ問題を解いたのは事実だが、それでも速人は苦労したとは思えなかった。
──ついでに言えば……全く勉強してなかったから。
──そして、それでもそれなりに何とかなったから。
今まで自分が属していた筈のクラスという枠の中に、明らかに「自分の存在がない」と感じてしまうのだ。
──彼らと同じ笑顔、同じ開放感を味わっていない。
……そんな思いが、彼が周囲に溶け込むのを妨げてしまう。
一番親しかった友人を突如として失い、そしてその友人がいないのに教室はいつも通りに回っている……そのことに対する抵抗もあったのかもしれない。
「おい、黒沢、どうだった?」
そんな速人の心情を察することなく、級友の一人が無遠慮にそう尋ねてくる。
「あ。ああ。
……まぁまぁだった、な」
取りあえず、心の中の疎外感を押し殺しつつ、それっぽく答える。
それで通じたのだろう。
そいつは他の級友に向けているのと同じような笑顔で一つ頷くと別の誰かのところへ歩いていった。
「……はぁ」
そんな級友の背中を眺め、ため息を吐く速人。
──はっきり言って、教室に居辛くて仕方がない。
別に誰一人として彼を拒絶している空気がある訳でもなく、みんながみんな笑顔なのだが。
それでも何となく。
……「この教室は自分の居場所じゃない」という感覚は強まるばかりで。
「あっ」
だから。
校門に黒塗りの車を見つけた瞬間。
速人は、これ幸いと教室を飛び出したのだった。
「速人っ!」
黒沢環が従兄の教室に飛び込んできた時、教室の中には既に半数の生徒しかいなかった。
「……いない、か」
周囲を見渡した環は、目的の人物がいなかったことに少しだけ落胆したが、ある程度は予想していたことだ。
──何しろ、彼女のクラスのホームルームは長い。
担任の教師がそろそろ老齢で敏捷性に欠ける上に、その干からびかかった脳内の何処に入っていると尋ねたいほど、兎に角よく喋るのだ。
そんな理由もあって、彼女が従兄の速人に放課後遭遇できる確率は凡そ三割といったところである。
だからこそ彼女は、速人に会う度に言わなければならないことが沢山あるのである。
半年くらい前、速人が留守の時に部屋に入った時に『裸の女性が移っている本』を見て以来、彼の部屋は「男の子」を意識してしまって入り難いし……
「あ~。速人?
あいつならさっき飛び出していったけど?」
「うん。彼、最近速いよね」
立ち尽くす環に話しかけてきたのは、速人のクラスメイトだった。
環の放課後の行動はまず隣の教室に駆け込むことであったため、環には自分のクラスの友達と同じくらい、速人のクラスにも友達がいたりする。
環は確かに速人に対して口うるさいのが玉に瑕だが、面倒見は良いし人付き合いも良いという、欠点を補ってあり余るほどの長所も持ち合わせているのだ。
尤も、速人は環に対して「説教ばかりで鬱陶しい」という感情しか持っていないため、そういう長所が存在することすら知らなかったが。
「彼女でも、出来たりして」
「あはは。ないない。
ほら、最近暗そうだし……」
「「……あ」」
環の友達たちの一人が、環を励まそうとして地雷を踏む。
確かに、速人の一番の友人だった白木があのアーケード街で亡くなってから、まだそれほど時間は経っていないのだ。
──それほど落ち込んでいる様子は見えなくても、やはり堪えているのだろう。
……と、周囲は勝手に考えていた。
当たり前ではあるが、彼が化け物と戦うために訓練を繰り返しているなんて、誰一人として想像もしていない。
「じゃ、じゃあ。私も帰るね」
「う、うん。じゃあ、また来週」
「じゃあね」
そう言って、環は教室を出ると家路を急ぐ。
速人にどんな理由があるにしろ、彼が最近勉強を欠片もしていないのは明白なのだ。
窓からお互いの部屋が見えるので分かるのだが、最近の速人は夜遅くまで、いや、夕食を食べて以降に起きていた例がない。
深夜まで変な映画を見て、授業中に昼寝ばかりする癖がなくなったのは良いことだけど……一切勉強しないのはやっぱり困ったものである。
「また、勉強を教えてあげないと……」
そろそろ赤点もやばそうだし……と、環は心の中で呟きつつ。
彼女は知らず知らずの内に駆け足になって、家路を急いでいたのである。
「えっと。やっぱり、まず着替えなきゃいけない、わね」
……何しろ、彼女が従兄の部屋に入るのも凡そ半年ぶりである。
彼女は無意識の内に、家に帰ってから従兄の部屋に入るために何を着ていけば良いかを考え、箪笥の中にしまってある服装を頭の中で検索し始めていたのだった




