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第三章 第七話


「ぜ~っ、ぜ~っ、ぜ~っ」


 夏の日差しの中、四方八方から突っ込んでくる白熱した塊を回避し続けてもう数分。

 そろそろ速人は限界を感じていた。

 身体中は高熱に蝕まれ、咽喉は刺すように痛く、熱気にやられたのか頭は朦朧として思考回路はまっとうに働かず、手足はもう痛みすら感じない。

 ……これがマラソンの授業ならとっくに完走を諦めて歩いているところである。

 それでも……速人は何もかも諦めてスーパーマーケットに置いてある照り焼きチキンの仲間入りをするつもりは欠片もなく……未だに必死で走り続けているのだが。

 だが、このままではウェルダン風に美味しく焼かれるのは間違いないと、酸素不足の速人の脳みそでも理解出来始めた……

 ……その時だった。


「どきなさい!」


 雪菜お嬢様の声が7番ホールに響き渡る。

 ……と、同時に、速人はソレを見た。

 恐らく、池丸ごとの体積を凍らして運んできたと思われるほどの大きさの氷塊を中空に浮かべた、少し苦しそうな笑顔のお嬢様の姿を。

 一瞬、何の冗談かと自分の目を疑った速人は瞬きを繰り返し……

 その所為で一瞬だけ逃げ遅れる。


「喰らいなさい!」


「おい~っ!」


 そのまま雪菜はその氷塊を速人目掛けて、いや、速人の背後から迫ってきていた敵目掛けて放つ。

 ようやく我に返った速人は、巻き込まれては堪らないと必死で全身を前に投げ出して、その氷の塊をやり過ごす。

 丁度、逃げ回っている内にグリーンまで来ていたのが幸いだったのだろう。

 地面の芝生は柔らかく、速人が身体を投げ出すのに躊躇せずに済んだからだ。

 そして、背後で、その両者が接触した瞬間。

 やっぱり大爆発が起こった。


「どぉわぁあああああああああぁぁぁぁ~~~!」


 その爆発に見事に巻き込まれる速人。

 水蒸気爆発の威力で吹っ飛ばされていなければ……速人は今頃美味しく蒸しあがっていたことだろう。


「む、無茶苦茶だ……」


 水蒸気爆発で吹っ飛ばされた速人は、もう立ち上がるのが精一杯で、自分を蒸し料理にしかけた相手を怒鳴る気力さえも湧かない。

 呆然とそう一言呟いただけだ。

 そんな速人に対し、雪菜は微笑みを返す。


「あら、そうですか? 

 能力とは即ち、常識の破壊。

 ……その限界を決めるのは、結局のところ自分自身ですのよ?」


 その雪菜の言葉に、ふと自らの右手を見つめる速人。

 ……そうだ。


 ──自分の能力が、テニスボール程度のままだと誰が決めた。

 ──自分の能力が、右手からしか出ないと誰が決めた?

 ──自分の能力が、一つしか出ないと誰が決めた?


 もっと自分は色々出来る。

 ……出来る筈なのだ。


「やっぱり……まだ、動くわね」


 雪菜のため息混じりの言葉に、速人は背後を振り返る。

 ……そこには、まだ炎の塊が浮かんでいた。

 もうその大きさは最初の半分にも満たないくらいではあったものの、それでもまだ『ソイツ』は真紅に輝いていて、人間を焼き殺すには十分な威力を持っていると窺わせている。

 いや、人間を殺すなんて、数ミリの穴を重要器官に開ければ事は済むのだ。

 ……欠片でも残せば自分が殺される。


 ──殺される?


 ……何故?


 ──あんなただの球体に?


 ……こんなに追いかけられ回されて。

 ……脅えさせられ、逃げ回させられ。


 ──小動物みたいに。


 そう考えた瞬間、速人の脳みそのスイッチが入る。

 殺されるだけのか弱い生命体から、死をもたらすほどの圧倒的な存在に対して牙を向く抵抗者として。


「う、うおおおおおおおおおおわああああああああああ!」


 叫ぶ。

 疲労と衝撃で重くなった全身を強引に突き動かして。

 いや、それさえも気にならないほどの怒りが、身体中を駆け巡っている。


「速人さん?」


「お、おい!」


 後ろで仲間が呼ぶ。


 ──だが、速人はそんなこと、もう気にならない。


 殆ど無意識に発動した右手のコレを、目の前で瞬いている『アレ』にぶつけるだけだ。


「もっと大きく。

 もっと強く!

 もっと! もっとっ!」


 呟く。

 唱える。

 叫ぶ。

 右手にある、この黒い球体に。


 ──そう。

 ──もっとだ。もっと。

 ──アレを飲み込むほどに、大きく。


(念じるんだ。限界なんてないと。

 ……怒りに任せ、ただ『アレ』を喰らいつくすと)


 そう思えば思うほど、速人の右手の黒い球体は大きくなっていく。

 テニスボールから、硬球、ボーリング玉。

 半径はドンドン大きくなり続け……


「あああああああああああああああああああああああ!」


 最後には、人間一人を髪の毛一つ残さずに消し飛ばせるくらいの大きさになったその黒い球を、彼目掛けて突っ込んできた敵に向けて真正面から立ち塞がり……


 ──渾身の力を込めて、叩きつける!


 ……抵抗はなかった。

 悲鳴も、破壊音も、手の感触も。

 ただ、その大きくなった黒い球体に流れ込むような風の音だけが耳に響いて。

 黒い球体が消え去った後には、敵がいたという痕跡すらその場所には残っていなかった。


「……凄い」


 そう呟いたのは二人の少女のどちらだったのか。

 ただ、速人の目の前には、大きな半球状の穴が一つあった。

 丁度、グリーンの半分を消し飛ばす形で。


「……勝った……」


 速人は、目の前の惨状を見てそう呟く。

 力を使い過ぎた所為か、膝が震える。

 身体に力が入らない。

 ……目の前が暗くなる。

 けれど……これは彼にとって自らの手で掴み取った、自覚ある初めての勝利なのだ。


「ふっ。ふふふっ。

 ひゃぁぁああああはははははははははははは!」


 笑う。

 ただひたすら、身体の奥から噴き出るかのような、歓喜の沸き立つがままに。

 ヒトの笑い声というよりは、狂気に満ちた化け物の咆哮にも聞こえるその笑い声を上げ続けていた、その時。


「ははは……ん?」


 ふと、違和感を覚えた速人は、笑いを止める。


(……何か、さっきと比べて、グリーンの穴、小さくなってないか?)


 そう感じた瞬間……違和感は確信へと変わる。

 速人の能力によってグリーンに開けられたすり鉢状の穴が……さっきよりも確実に小さくなっている。

 さっきまで人間が横たわれるくらいの半径があったハズなのに、もう碧くらいしか入れない大きさになってしまっているのだ。

 ……見間違いであるハズもない。


「……なんだ、こりゃ?」


「恐らくは、あの『老人』の仕業ですわ」


 速人の声に、雪菜が答える。

 いつの間にやら近くまで来ていたらしい。


「老人?」


「ええ、あの『声』の持ち主。

 私たちを選んだモノ、と言えば分りますか」


「……ああ」


「向こう側から来た連中を倒せば、こうして戦闘の痕跡を消してくれるのですわ」


 雪菜の言葉を聞いている間にも、地面に開いた穴や水の涸れた池が徐々に元通りに戻っていく。

 まるでビデオの逆再生のような不思議なその光景は、こうして見ていても本当に目の前で起こっているとは思えない、非現実的な光景で……


「……隠ぺい工作でもしてるみたいだな」


「そんな可愛いものじゃないな。

 あの『老人』は……連中の残した痕跡すらも徹底的に残したくないらしい」


 思わず軽口を叩いた速人に言葉を返したのは碧だった。

 消え残しがないのか周囲を見回ってきたようだった。

 速人はいまだに警戒を解いていない様子の碧に少し感心する。


(確かに、今狙われたら俺は間違いなく死んでいただろうな)


 武術で言うところの残心を目の当たりにし、今後からその癖をつけようと彼女の真似をして周囲を見渡し……

 ……ふと気付く。


「でも、あれは」


 火の玉が通り過ぎた跡が……焼け焦げた芝生が緑色に戻らず、茶色く枯れてしまっていることに。


「死んだ生き物は、流石の『老人』でも治せません。

 勿論、私の能力でも……」


「お前の時も、そうだっただろう?」


「……ああ」


 その言葉で、もう忘れかけていたかつての友人を思い出す。

 もし『老人』が戦いの痕跡を全て消せるなら……化け物に食われた彼は生き返っていなければいけないのだ。


「アイツの、遺体が、残っていた、のは?

 通り魔、とか、何とか……」


「ある程度、不自然じゃないように偽装される、ようです。

 外部の世界との辻褄合わせは、どうするかは『老人』のさじ加減ということですわ」


「ま、私たち程度じゃどうなってるかさっぱり分からないがな」


「……そう、か」


 ──死んだ生き物は生き返らない。


 二人も原理は分かっていない様子だが、どうやらそういうものらしい。

 突然戦いに巻き込まれ、相変わらず訳の分からないままではあるが、そんな細かいことを気にしてもいられない。

 下手に迷うと……戦場では簡単に命を落としてしまうのだから。

 多分、雪菜と碧の二人も、同じように悩み、そして同じような結論を出しているのだろう。

 いつも「原理は分からない」と言葉を付け加えるのは……恐らくは『分からなくても戦いに支障はない』という意味の筈だから。


「では、そろそろ帰りますか」


 速人が納得したのを見極めたかのような雪菜のその言葉が、ゴルフ場での戦闘を終える合図となった。




 帰りの車の中。

 気を抜いた瞬間に、速人は一瞬で意識を失ってしまっていた。

 恐らくは、体力と能力の使い過ぎが原因だろう。

 ただ、彼の寝顔は一仕事を終えて満足したかのような、軽い笑みを浮かべていて。


「……ったく、いい気なものだな」


「まぁ、そう言わないであげて下さい。

 初めて自分の力を使い、敵を倒したのですから」

 

 そんな言葉を交わしつつ、二人の少女は気絶した速人を眺める。

 渋面で速人を眺める碧と、愉しげな笑顔で彼の寝顔を眺める雪菜。

 表情こそ対照的な二人ではあるが、両者の胸中には少年のあの凄まじい能力と狂ったように戦いを求める姿を思い出されていた。


「相変わらず、動きは遅い。

 判断も遅い。

 これから、使い物になるでしょうか?」


「だけど、彼は彼でしたわ。

 ……やはりあの時と同じ」


 その雪菜の言葉に、碧は少しだけ躊躇して、頷く。

 彼女としては否定したかったのだ。

 今までの言動の情けなさから、何となく『違う』という期待を持っていたのだが……今日、その期待は完全に打ち砕かれた。

 だからこそ、碧は主の言葉に対し、首を横に振る。


「いいえ。同じではありません。

 ……予想以上です、お嬢様」


「ええ。本当に。これなら……」


 そう呟いた雪菜は南西の……海のある方角の空を眺める。

 その顔に浮かんでいたのは、いつも余裕の笑顔を絶やさなかった雪菜にしては珍しく……


 ──『怒り』という感情だったのである。


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