第三章 第六話
「ですから、能力というのは、発動者の意志のみが制限となり……」
──リィィィン
と。その音が鳴り響いたのは、速人の特訓が終わってすぐ、雪菜によるお茶会が開かれていたときだった。
お茶会で話していたのは、彼らの能力の話だったのだが……速人にはさっぱり分からない。
彼の成績が赤点寸前の点数まで落ち込んでいたのは伊達や酔狂ではないのだ。
「……あら」
能力の話をしつつも、スコーンをホイップクリームでトッピングする作業に励んでいた雪菜は、その音を聞いた途端、さっきまで加工していた真っ白なソレを口の中に放り込み、紅茶で一気に流し込む。
……意外にはしたない。
同時に、これから紅茶を飲もうとしていた速人も、手元のカップをテーブルに戻す。
「さて。いきますか、碧。速人さん」
「はい、お嬢様」
「……ああ。そうだな」
雪菜のその言葉に頷き合うと、三名の夜魔は他の言葉を挟むこともなく戦場へと向かい始めた。
「さて。ここ……ね」
雪菜の車に小一時間ほど揺られて向かった先は、屋敷から少し離れた山の中だった。
「ゴルフ場…か?」
周囲を見渡した速人が呟いた通り、そこはゴルフ場だった。
足元は芝生で覆われており、バンカーや池もそれほど遠くない場所にある。
「遮蔽物は、なし」
碧も周囲を見渡しながら、足元を確認するように踏みしめ、そう呟く。
ただ周囲をただ呆然と見渡している速人と違い、確認すべき事項が分かっているかのように手短に要点のみを調べている様子だった。
……これが、戦闘経験というヤツなのだろう。
「ええ。7番ホールらしいですわ」
これから敵が来るというのに、雪菜は余裕のあるその笑みを全く崩していなかった。
それどころかいつの間に手にしたのか、このゴルフ場のパンフレットを広げて見ている。
「この辺りはちょうど……1番ウッドでショットした辺りですわね」
雪菜は周囲を眺めつつ、そんな感想を呟く。
だがゴルフをやらない速人にとって、そんな情報は古典の授業で流れる、教師の催眠誘導言語と大差なかった。
「……っと」
何となくすることもなく速人は、頭上に降りかかる陽射しを受けつつも周囲をうろつき回る。
実際、こういう待つ時間というのは苦痛だった。
……特に、これから命を賭けた大一番がある、こういう場面では。
速人は延々と耳元で鳴り続ける鈴の音を気にしながらも、何となく歩き回り、屈伸して、周囲を眺めて。
また落ち着きなく周囲を歩き回り始める。
──彼が緊張するのも無理はない。
……何しろ、速人がまともに戦力として、巻き込まれた訳でもなく自らの意思で戦闘に参加するのは今回が初めてなのだから。
「ふふ」
そんな速人の様子を見る雪菜には微笑むだけの余裕があった。
こういう時に落ち着けるかどうかも、戦闘経験であろう。
そういう意味では、思いっきり普段と変わりない雪菜は、歴戦の勇者とも言えた。
──その時だった。
耳元で鳴り続けていた鈴の音が、一際大きな音を奏でたかと思うと……
「……来ますっ!」
碧が緊張した言葉を放つ。
と、同時に、いつかのアーケード街で聞いた、あの、世界が砕けるような音がした。
「また、かよ。こんなっ……」
出現した敵を見た瞬間、速人は呆然と呟いた。
事実、出現した『ソレ』は今までの敵と同じく、彼の常識の範囲を軽く逸脱していたのだ。
『ソレ』は、言うならば球だった。
だが、完全な球体には見えない。
何しろ、周囲の空気が陽炎のように歪んでいるため、正確な形すら認識出来なかったのだ。
ただ、白く輝くソレがとんでもない高温だということだけは、物理学や熱力学に全く詳しくない速人でもその空気の揺らぎを見るだけで理解できた。
「炎の……塊」
速人に続いて放たれた碧の言葉は、『ソレ』の正体に最も近い言葉だったのだろう。
『ソレ』は、確かに「そういうもの」だったのだ。
直径は二メートルくらい……だろうか。
少なくとも、陽炎によって色がついている直径はそのくらいだった。
「さて、来ますわよ」
と雪菜の声帯が震えた瞬間、『ソレ』は突然、三人の方へ突っ込んできた。
足元の芝生を焦がしながら、街中を走る車と同じくらいの速度で、である。
「どわわっ!」
慌ててソレを避ける三人。
いや、慌てていたのは速人だけだった。
必死に避けた速人が体勢を崩している間にも、雪菜と碧は冷静に敵の動きを見抜き、既に反撃に移っている。
「喰らえっ!」
碧がいつの間に出したのか、拳銃……大口径のリボルバー式のを取り出し、放つ。
「……無駄、か」
だが、鉛弾はその炎の塊をあっさりと通り抜けただけだった。
射線の延長上にあった木に着弾した様子がない以上、弾はあの炎の塊を通り過ぎる間に、あっさりと蒸発してしまったのだろう。
それを見た碧は、あっさりと銃撃を諦め、手元の拳銃を虚空へと消し去る。
「来るっ!」
同時に、炎の塊は急ブレーキしたかと思うと、また同じような軌道で戻ってきた。
「ちっ!」
「わわわわわっ!」
慌ててそれを回避しようとする碧と速人。
その時だった。
『水よ! 我が敵を穿て!』
という声が聞こえたのは。
いつの間にやら後方の池まで移動していた雪菜の、その声に従うように池の水は固まりとなって、その白熱した塊に向かい……
──爆発した。
高温の塊に、ほぼ同体積の水を高速で接触させたのだ。
雪菜が思っていた以上に、敵の保持している熱エネルギーは高かったようで……雪菜の放った水弾は一気に蒸発し、大爆発を起こしたのだ。
「どわわわわわっ!」
「ちっ」
吹っ飛ぶ速人と碧。
速人は見事に肉体前面で着地し、身体の摩擦係数を使ってその爆発によって与えられた運動エネルギーを減耗させていた。
だが、碧は上手く回転するだけで、特に問題もなく立ち上がる。
これは経験の差と言うよりは、運動神経の差と言った方が正しいのかもしれない。
「何よ、あれ……」
自分の起こした行動に、呆然と呟く雪菜。
火属性は水に弱いというRPGの基本は、実はあまり当てにはならないようだった。
──いや、ダメージはあったらしい。
炎の色が白から黄色・赤色と変化を繰り返している。
ただ、敵の姿があまりにも地球上の生物と違うため、ダメージの度合いが分かり難くい。
その挙句、爆発の突風も凄かった。
しかもその突風は水蒸気だったため、速人も碧も、外気に肌を晒している部分が真っ赤に晴れ上がっていた。
……もう少し近ければ速人も碧も、蒸籠の中の饅頭みたいに見事に蒸しあがっていただろう。
「大丈夫?」
「問題ありません!」
「……ああ。何とか」
雪菜の問いかけに返事を返した碧は、立ち上がると同時にスカートの中から、真っ赤な消火器を取り出して構える。
速人もようやく全身の痛みを振り払い、立ち上がろうとしているところだった。
「喰らえっ!」
反転しようと動きが鈍った敵に対し、碧は手元の消火器を作動させる。
その消火器は、雪菜の屋敷にあったのと同じタイプ……即ち、強化液消火器というヤツだった。
──炭酸カリウム水溶液を放つことで、天ぷら油火災に有効な、家庭用消火器。
その効果は、天ぷら油を不燃化することと、水による炎の温度低下。
そして脱水炭化作用による木材の不燃化である。
残念ながら空気中の膨大な熱量を食い止めるような効果を期待出来る筈もない。
水溶液による温度低下も、放つ側から蒸発されていて……まさに焼け石に水である。
「……効かない?
何故っ!」
消火器の原理を詳しく分かっていないだろう碧は、そう叫ぶと消火器を放り出し、反転して迫って来ていた炎の塊を避ける。
「たたたっ!」
だが、碧自身は炎を避けられても、周囲の空気までは回避不可能だった。
恐らく、敵周囲の空気の温度が、既に彼女のスカート素材の酸化温度を突破していたのだろう。
幾ら空気の熱伝導率がコンマ0024とは言え、本体の熱量そのものが膨大だったのだろう。あっさりと碧のスカートの裾から炎があがる。
「ちっ!」
碧は慌てて自らのスカートを、何処からともなく取り出したナイフで切り取ってしまう。
瞬く間に超ミニスカメイドの出来上がりだった。
お蔭で……またしても向かってきた敵の一撃を避けるため彼女が飛び跳ねた時、やっと動けるようになった速人は、ピンクのウサギさんと目があってしまう。
──が、はっきり言って今はそれどころじゃない。
「どうすればっ!」
碧が歯ぎしりしながらそう叫ぶのも無理はない。
何しろスカートを犠牲にしても、ただ回避力が上がっただけで……事態は全く推移していない。
それどころか、碧が作り出す武器の数々は、完全に効果が無いと分かってしまったのだ。
「~~~っ、速人っ!」
その手詰まりになったメイド服の少女は、仲間に向かって叫ぶ!
「こうなったらお前の能力を食らわせてやれ!」
「……へ?」
少女の叫びを向けられた速人は……その言葉に動けない。
ただ右手を見つめるだけだ。
──たったテニスボール程度のサイズの武器で、こんな巨大な敵にどうしろと?
速人の頭にあったのは、そんな理屈だった。
何しろ、硬球一つ止められないのだ。
……こんな人間を丸ごと飲み込むような巨大な塊、どうやって食い止めろというのだろう。
「……へ?」
──だけど。
敵はそうは思わなかったのか。
それとも、単に目の前のメイド服の少女を最早脅威とは思わなかったのか。
突然、その球体は進路を速人に向けて走り出したのだ。
「わわわ」
速人は反撃を思いつくこともなく、向かってきたソレを這う這うの体で回避する。
「こら~~!
避けるな~~っ!」
「……無茶言うなっ!」
そのまま、メイド服の仲間の抗議に反論し、逃げ回る。
敵の動きは、如何に速いとは言っても直線的。
ここ数日の訓練で、速人は不恰好ながらも逃げることだけは上手くなっていたため、見事に逃げ回っていた。
……恐怖で足が竦むことがないのも、やはり特訓の成果なのだろう。
全く望まない形ではあるものの、地獄を見た成果があったことに速人は少しだけ嬉しくなる。
「あの、馬鹿!」
その様子に碧は、苛立ちに任せて叫ぶ。
逃げるだけで勝てるなら苦労は無い。
──なのに、あの馬鹿はこちらの訓練に従わず、自分勝手に能力の訓練をした挙句、その能力を使えないと来たものだ。
……だが、このままではいずれ彼の体力が尽きて炎に飲まれてしまうのが目に見えていた。
ならば、自分が囮になってでも敵の注意を引き、速人の一撃に期待するしか……
と、その時だった。
遥か背後に離れていた上に、速人の身のこなしがあまりにも危ういため、従者の身でありながら存在を忘れていたお嬢様が一人。
敵にも気付かれないまま、とんでもないことをしようとしているのに気付いたのだ。
「無茶なっ!」
だからこそ、碧は己の主人の下へ走った。
もし、雪菜の行動が敵の注意を引くことになった時に、自らが盾になるために。
尤も、今は速人が『囮』として見事な働きを見せていたので、彼女が雪菜の下にたどり着くくらいの時間は稼げそうだったのだが。




