第三章 第四話
次の日の放課後。
速人が半ば諦観混じりに予想していた通り、授業終了時から五分後かっちりに黒塗りの車が現れていた。
昨日気付けば自宅に運ばれていたことと、酷く錯乱した母親が「黒塗りの車から出てきたメイド服の小学生に送られてきた」と話したこと。
その二つの事実は、あまり成績が良くない速人にも「自分の行動があの二人に筒抜けだった」ということを簡単に推測させた。
結局、彼は……あの二人から逃げることすら出来ないのだ。
そんなことを考えていた所為だろう。
何となく連れて行かれる子牛のような気分になった速人は、お嬢様の家へと向かう車の中で気付けばドナドナを歌っていた。
その歌声が聞こえたのか、彼を車に載せた黒服の一人が笑い出した。
「お前も大変だな。
……あのお嬢様に気に入られるとは」
とは、その黒服の言葉である。
「そんなに恐ろしいんですか、あの雪菜ってお嬢様は?」
ちょっと好奇心を出して聞いてみる。
強面の黒服の男が放つ威圧感に負けて、いや、年長者に敬意を表してあくまでも敬語で。
「ああ。ありゃ化け物だ。
下っ端が下手な軟派しでかして機嫌を損ねただけで……俺たちの組を丸ごと潰しやがったからな」
「……組?」
何か不穏な言葉が出てきて、速人は口を噤む。
実際、この黒服連中はそういう雰囲気のお方ではあるのだ。
「酷かったぞ。
高校生くらいの女と小学生にしか見えないメイドが、事務所に押しかけてきて全員を叩きのめしやがったんだからな」
──あの優雅なお嬢様とは思えない所業である。
──あの暴力メイドなら納得だが。
速人は脳内でそんな感想を抱く。
だが、実際のところ、拳銃もまもとに通じない異形の化け物……しかも人間を丸ごと齧るようなヤツと、一般人からちょっとはみ出した程度の暴力団構成員と……直接的な暴力としてどっちが強いかなんて、考えるまでもない。
──雪菜も碧も……そんな化け物と戦って勝つような人間だ。
異形の化け物や暴力団構成員よりも、彼女たちの方が遥かに凶悪だと思うべきなのだろう。
「その直後に、追い打ちをかけるかのように経済的な圧力をかけられて……見事俺たちの組は消えちまったって訳だ」
そう言って、その黒服は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「……最悪だぞ?
金はある。
力もある。
その挙句に外見がああだから、命令されたら何となく従う気になってしまう。
……どんな悪魔だよ、ありゃ」
速人の前で紫煙を吐き出しながら、その黒服はぼやき続ける。
「そりゃ、俺みたいな下っ端にとっちゃ、組にいるときより給金は良いんだがな」
それが、速人とその黒服が車内で交わした最後の会話となった。
その黒服の男は喋りすぎたと思ったのか、それ以上なにも喋らなかったし、速人は速人で変に口を挟めない空気を感じて黙り込んでいたし。
それに、運転手の黒服は……元々車内では一言も喋らなかったのだから。
「ようやく来ましたわね」
速人が自らの意図と関係なしに運搬された先では、美貌の悪魔がそう言って微笑んでいた。傍らには、相変わらずメイド服を着た碧も佇んでいる。
「……けっ」
その、いつもと変わらない微笑に、何となく反抗したくなる速人。
(化け物は強力で、いつ死ぬか分らない。
だから、生き延びる確率を少しでも上げたいのなら、特訓するしかない。
それも、土曜日曜で味わったような、死ぬ一歩手前の特訓を……)
この特訓の意味を、速人は心の中でそう諳んじてみる。
だけど……そんな理屈くらい、頭のあまり良くない彼にも分っていた。
だからこそ、彼は本気で逃げ出さずにこの屋敷まで連れられてきたのだ。
──だけど、理屈で分っていたとしても、あの地獄のような特訓を受けることを素直に頷ける筈もない。
彼にとっての最善を考え、だけど彼の意思とは関係なしにそれを押し付けてくるその行動は、彼が毛嫌いする……母や従妹の環の行動と全く同じだったからだ。
「ふふ」
そんな彼の葛藤を知ってか知らずか……雪菜は面白そうに微笑んで、呟いた。
「速人さん。
貴方はどうやら能力を使うのに執心なようですから、今日はその特訓を致しましょう」
……と。




