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第三章 第三話


 ……だけど。


「……何、やってんだろうな、俺は?」


 結局、一時間も経たない内に、速人は近くの河川敷にいた。

 それも鉄橋の下である。

 そこで彼は今、能力(ナイトメア)発動の訓練をしようとしていた。

 ……早い話が、逃げた先で自由を満喫できるほど、黒沢速人という少年は面の皮が厚くなかったのだ。


 ──自由時間に出来たのは、ラーメンを一杯食べただけである。


 そうして、「死にたくない」という当然の感情と、「強くなりたい」という願望。

 「逃げてしまった」という良心の呵責と、「あの地獄の特訓は避けたい」という切実な欲求。

 ……そんな二律背反に陥った速人が妥協点を必死に探した結果として、こうして近場で人目につかず、破壊対象が沢山ある場所……即ち河川敷の鉄橋の下で自主トレを行うという、無難なところに落ち着いたのである。


「攻撃は最大の防御だ!」


 取りあえず速人は、心の中の言い訳を声に出す。

 そうすることで、胃の上辺りの痛みを……即ち、妥協点を見つけても多少は残っていた良心の呵責というヤツを吹き飛ばそうとしているのである。


「……まずは」


 一昨日と昨日味わい続けた地獄の最中、疲労でぶっ倒れている間にお嬢様から聞かされた、能力発動の手順を思い出す。

 実のところ、能力を発動するってのはそう難しいものでもなく……必要なのは単に『慣れ』らしい。

 夜魔(ナイトゴーント)であれば、誰でも慣れれば考える必要もなく使えるらしい。

 慣れた人ならば特に手順を意識することなくピアノが弾けたり自転車に乗れたり編み物出来たりするように……その「考える必要なく」ってところが重要なんだとか。


「要は、ゲームと同じか」


 トリガーを引くことで射撃する。

 そのプロセスが脳内に入っているか否か。

 やり込めばそんなこと、いちいち考えるヤツはいない。

 ……それと同じことだろう。

 速人は目を閉じ、まず念じる。


 ──『右手の先に、黒い球がある』


 そう信じ込む。

 それが当然であるように。

 ……前にも出たのだ。


 ──今回も出ない筈がない。


「よしっ!」


 そう考えていると、本当に出た。

 速人の掌の先に、真っ黒に見える球状の何かが存在している。

 じっくり見てみると……『ソレ』はテニスボール程度の大きさの、黒い『何か』だった。

 とは言え、『ソレ』が黒といっても本当に黒いと言えるのか、こうして冷静に自分の目で見ても首を傾げざるを得ない。

 何しろこの球体には全く光沢がない。

 こうして出現させても……重さすら感じない。

 ただ、手の先にふわりと浮いているだけ。

 だけど……速人は『ソレ』が何かは深く考えなかった。

 『物理的に……』とか考えると、間違いなくこの黒い球体は消えるだろう。

 出した本人が存在を疑って尚存在できるほど、超能力というのは強くない……とは、土曜日にお嬢様から聞かされた言葉だったか。

 さっそく速人は発動した自らの能力の性能を試してみようと、鉄橋の基礎コンクリートに黒い球を触れさせてみる。


「……うわ。すげ」


 自分がしでかしたことながら、驚くほどのあっけなかった。

 その黒い球が触れたコンクリートは完全に消滅しており、小さな半球状の穴が開いていた。


 ──しかも、何の抵抗も感じずに、だ。


 それを速人は数度繰り返す。

 左手で触ると、硬いただのコンクリートなのに、その黒い球で触れると何の抵抗もなく穴が開くのだ。

 何度か繰り返している内に、速人はそのギャップが……何となく、楽しくなってきた。


「うわ、うわ、うわ」


 そんな速人は次に行ったのは、コンクリートに球を触れさせ、そのまま右へと動かすことだった。

 プリンを削るほどの抵抗もなく、コンクリートが削られていく。

 取りあえず「大」の字を描く。

 それから点を足して「犬」に変更。

 隣に「猫」と書く。


「ははは。無茶苦茶だ、これ」


 速人は笑いながら隣に「鹿」と書く。

 次はその上に「馬」。

 まるでペンキで落書きをしているようで、正直楽しかった。


「はははははっ。

 こりゃ便利だっ……あれ?」


 そうやって笑いながら落書きをしていた時だ。

 何の前触れもなく、速人の掌から黒い球が消える。


「……お、お。おおお?」


 と、同時に彼の身体が傾いでいた。

 速人は必死に踏ん張ろうとするものの、全く足先に力が入らない。

 ……意識はあるのに、身体が動かないのだ。


「あ。やっぱ無限に使える訳じゃない……か。」


 速人はすぐに理解した。


 ──これは、能力を使いすぎた所為だと。


「ととと」


 そのまま、バランスを崩して倒れこみ……

 そして、彼の意識は闇の中へと飲み込まれていったのである。





「……全く」


 碧は足元に倒れている速人を眺めつつ、ぼやく。


「なんで、こんなヤツをお嬢様は気に入っているのか」


 そう呟くと同時に吐き捨てるように舌打ちを一つしていた。

 彼女自身がその答えを理解しているからだ。

 さっきから使い続けていた彼の能力の破壊力こそ……いや、『能力を自ら、それも無意味に使おうとすること』こそ、その答えなのだから。

 そのまま、倒れている速人の襟首を掴むと、片手で引きずりながら歩き出す。

 私生活で腕力を使う必要のなかった速人はまだ気付いていないのだが、夜魔に選ばれると、身体能力が桁違いに上昇する。

 小学生とも見紛うばかりの碧が、大の大人が扱うのも苦労するような大型拳銃の反動を抑え込んだり、高校生の少年を片手で引きずって歩いたりする程度には、腕力が上昇してしまう。

 あの『声』と契約を交わした瞬間から、異世界から訪れる化け物たちと戦えるように、身体を作り替えられてしまうが故に。


「……ふん」


 その事実に改めて実感したのだろう。

 碧は苛立たしげに鼻を鳴らすと、遠慮や配慮など欠片もなしに、気を失ったままの速人を引きずって早足に歩き出す。

 ……まるでその脳みそが地べたとの摩擦で消滅してしまえと願うかのように。



 ……そうして。

 速人はメイド服の少女に引きずられ、家路へと向かうことになったのである。


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