第三章 第一話
「速人!
……ちょっと。どうしたのよ、その顔っ?」
土曜日曜と休日が明け、学校に着いた速人を待っていたのは、従妹の悲鳴だった。
だが、そんな悲鳴を上げた環を礼儀がなっていないと責めるのは酷というものだろう。
何しろ黒沢速人の顔は……世界で最も無茶苦茶な造形で知られている画家による人物画と比べても、勝るとも劣らないような有様だったのだから。
「黙れ、環。
……傷に響く」
普段は従妹の喚き声なんて無視する速人も、今日ばかりは無視できなかった。
と言うか、さっきから環の甲高い声に併せて、顔面のあちこちが痛むのである。
「それ、どうしたのよ?」
「……特訓、だとさ」
環の心配そうな声に、速人は何とか返事を返すと自分の机に座り。
そのまま崩れるように机に突っ伏し、動かなくなる。
「……特訓って……何の?」
その様子を、黒沢環は心配そうに見つめていたが。
生憎と速人は既に夢の世界に突入していたため、彼にはそんな環の様子を窺い知ることは出来なかったのである。
彼がこうしてボロボロの風体をしている原因は……三日前、即ちあのひもとの戦いの直後。
闇の中からようやく意識を取り戻したばかりの速人を待っていた、優雅なお嬢様の、これまた優雅な笑顔が元凶だった。
「このままでは、貴方は死にます。
……確実に」
優雅な笑顔のまま、雪菜お嬢様のその言葉に対して言い訳をする余地なんざ、速人にある筈もない。
彼女が「雑魚」と言い放った化け物相手に、速人は何も出来ずに一撃で意識を失ってしまったのだから。
「ですから、特訓しましょう」
だからこそ、次に言い放たれたお嬢様のその言葉に頷くしか出来ず。
……そして、地獄が始まった。
速人は、自分より頭二つ以上小さいメイド姿の少女に、銃撃され、バットでぶん殴られ、スタンガンで電流を浴びせかけられ、投網で動きを封じられ、手榴弾で吹っ飛ばされ……凡そ、人間では生命活動を維持できないだろう極限まで追い込まれたのである。
──無茶苦茶という言葉さえ逃げ出すレベルの特訓である。
その地獄で速人はただ一方的に嬲られるばかりだった。
何しろ……逃げようにも反撃しようにも、彼は素手だったのだから。
そもそも、速人が超能力を少しばかり使えると言っても、前回の戦いと同じく、今までの人生で身に付いていない行動が咄嗟の時に出来る筈もない。
その挙句に、あの碧とかいう小柄なメイド姿の少女は、その子供と見間違うほどの外見とは裏腹に……化け物みたいに強かった。
その上、碧は速人を「致命傷ギリギリ」というところまで追い込む度に、冷たい目で彼を見下ろしながら……
「この程度ですか?」
と、表情一つ変えずに呟くのだ。
速人は身体どころか自我も自尊心もズタズタに打ち砕かれてしまっていた。
だが、そこまでならただの特訓……ただの拷問である。
それを地獄と表現するのには、他にしっかりとした理由がある。
「怪我したのでしたら、任せてくださいな」
と、特訓する寸前に笑顔で言い放ったお嬢様の言葉こそが、その特訓・もしくは拷問を本当の地獄へと変貌させている原因でもあった。
実際、医学の最先端の、どんな高級な薬品・治療法を使っているのか分らなかったが、速人が気絶する度に、どんな致命的な怪我も全て消えているのである。
何故か打撲傷は治らなかったのだが……お嬢様曰く「痛みを忘れないための教訓」らしい。
だから速人は、怪我と疲労を理由に特訓を休めない。
……拷問から逃れられない。
ただ、気を失うまで恐怖と激痛を味合わされ続け、気を失うと疲労も怪我も完治している。
──所謂、永遠に続く無間地獄というヤツだ。
その甲斐あってか、速人は取りあえず、逃げることだけは上手くなった。
……そう。
土曜日曜と丸々二日かけても、速人が成長したのはたったのそれだけだったのだ。
早い話が……人間が強くなるということは、一朝一夕で何とかなるほど簡単なことじゃないらしい。




