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第二章 第五話



 速人が連れて行かれた先は豪邸だった。

 その豪邸の方ではなく、門と豪邸を繋ぐ道から少し横へと外れ、庭にぽつりと建てられた東屋へと案内される。

 周囲の庭はまさに薔薇園という言葉を聞いて連想するそのままの様相で、実際、辺り一面は薔薇の香りに満ちていた。

 正直、地下室か病院に連れて行かれ、白衣の怪しい医者に実験体にされたり、解剖されたり、改造手術をされたりと、そういう展開を想定していたのだが。

 そこまでの未来を予期していた想像力豊かな速人でも、連れて行かれた先が豪邸にある薔薇園で、その中の東屋に黒いドレスの少女が優雅に座っているというのは、速人にとって全くの想定外だった。

 その上、その少女は何の警戒もしていないように椅子に腰掛け、傍らにメイドを控えさせ、静かにカップを傾けていたのだ。


「ようこそ、黒沢速人さん」


 少女は優雅にそう挨拶をするものの、こんな方法で連れて来られた速人にとっては、その優雅さはただ彼の感情を逆撫でする行為でしかない。


「お前かっ! 俺を連れてきたのはっ!

 一体どういうつもりで……」


 速人は思わず声を眼前の少女を怒鳴りつけていた。

 そんな速人の剣幕を見ても、お嬢様は優雅にカップを傾けるだけだった。

 ただ、彼の怒鳴り声はお嬢様の眉一つ動かすことがなかったものの、彼女の背後にいるメイドの柳眉を逆立てる効果はあったらしい。

 殺意に慣れていない速人は、その小柄なメイドの視線に気圧され、あっさりと意気消沈してしまう。


(……この、二人、確か)


 小学生と見紛うばかりのメイド姿の少女に気圧されてしまった速人は、バツが悪くなって咳払いを一つすると、そうしてようやくその少女とメイドのことを思い出す。

 世間とも彼の常識とも大きく乖離している筈の速人の記憶が正しいとするならば……この黒いドレスの少女と小柄なメイド姿の女の子は、血の海に沈んだアーケード街で、あの化け物と戦っていた二人に間違いないだろう。


(……夢じゃ、なかったのか)


 内心で速人は舌打ちする。

 まぁ、正直なところ……彼自身、アレを夢だったと信じ込むのはそろそろ限界だったのだが。

 少なくとも二人の少女がこうして目の前にいて、彼女たちにこうして呼び出されている以上、世間的にはどう扱われていたにしても、『アレは速人の夢なんかじゃない』と証明してくれる第三者が現れたということだった。


「……どういうこと、だ?」


「そろそろ知りたいのではと思いまして」


 何となく身構えて尋ねる速人を見ても、その黒衣の少女は優雅な姿勢を崩さなかった。


「碧。お客様に紅茶を。

 さぁ、速人さん、どうぞおかけになって」


 お嬢様のその言葉で、近くに控えていた小柄なメイドが手元のポットからカップに向けて、ちょっと高い位置から紅茶を注ぐ。

 小学生とも見紛う小柄な少女がジャンピングという技法で紅茶を入れる様子は妙に危なっかしいのだが、その手際は悪くない。

 ……どうやら意外と手馴れているらしい。

 そのギャップに見とれていた速人だったが……


「大丈夫、危害を加える気はございませんから」


 という黒衣の少女の言葉に素直に頷き、椅子に座ることにした。


「まず、私は白河雪菜と申しますわ。

 貴方の名前を知っている訳は、言わずともお分かりですわね?」


「……ああ」


 頷きつつも速人は、彼の身辺を探っていた黒幕が出現してくれたことに感謝していた。

 事実、誰かも分からない相手に狙われているという感覚は、肉体的・精神的に凄まじく負担がかかるものだ。

 長年逃げ回っていた犯罪者が、逮捕されたときに安堵するというのも納得出来る……それほどの疲労感である。

 ……速人が気を張っていたのは、わずか数時間に過ぎなかった上に、彼の警戒なんて何の役にも立たなかった訳だが。


「……んで、何の用なんだ?」


 そう聴きつつも速人は、何となく手元もカップに手を伸ばし……

 此処へ連れてこられた経緯を思い出して手を引っ込める。

 いや、幾らなんでもここまで手の込んだことをして、速人を毒殺しようなんてことはないのだろうが。

 尤も……目の前のお嬢様が、目の前で服毒した少年が血を吐きながら悶え苦しむのを至近距離で眺めることで性的興奮を得るような……倒錯的な性的嗜好をしていない限り、という前提が必要だが。

 つーか、そんなことを疑い出すと、すれ違う人全てに警戒していないと道も歩けやしないのだけど。


「あら。飲みませんの?

 ……碧の淹れた紅茶は美味しいですのに」


 そんな彼の警戒を感じたのだろう。

 雪菜と名乗った少女は少し微笑みながらカップを傾ける。

 まるで「中には何も入っていませんよ?」と、その証拠を見せつけるように。

 その笑みを見て、何となくバツが悪くなった速人はソッポを向いて……自分が此処に連れてこられた要因を、即ち黒服の男達をふと見つけた。

 これ幸いと、速人は話題を逸らすことにした。


「……あいつらは?」


「ああ。彼らは私の部下ですわ。

 たまに、ちょっとしたお願いごとを聞いてもらうのですけれど、なかなか良く働いてくださいますわよ?」


 速人の質問にも、彼女はその優雅な笑みを全く崩さずに答えた。

 ただ、その笑みを見た黒服の人間の一人が舌打ちし、それを周囲の黒服が抑える。

 どうやら彼女は、あの黒服の男達をあまり本意ではない状況に置いているようだった。

 ……それがどういうことなのか、流石に怖くて速人には聞けなかったが……


「さて。そんなことより……」


「ああ」


 やっと本題に入る。

 速人がそう思って身体を乗り出した時……



 ──リィィィン



 と、何処からともなく音が鳴った。

 いや、幽かにだが……未だに速人の耳の奥で鳴り続けている。


「……鈴の、音?」


 速人は、周囲を窺いつつその音の出所を探す。

 その音は、普通の鈴の音でもなく、携帯が奏でるような電子的に模した鈴の音でもない。

 それらの音に似てはいるものの、どこか音の出方が空気の振動とは決定的に異なる……そんな音だった。


「あら。これからでしたのに」


 その音を聞いた速人が周囲を見回しているのを確認した後で、雪菜はカップをテーブルに戻し、立ち上がる。


「碧。車の準備を」


 雪菜の声を聞いて、小柄なメイド姿の少女はそうされるのが当然のように頷いていた。

 アーケード街で見たこの少女は、どうやら碧という名前らしい。

 その碧という名のメイド姿の少女は、主の命を受けてすぐ、手にしていたポットをテーブルに置くと、小さな手足を器用に動かしながら館の方へ走っていた。

 と、その姿を見送った雪菜はくるりと速人の方を振り向いて、


「さて。貴方も来られますわよね?

 ……黒沢速人さん?」


 ……穏やかな笑みを浮かべつつも「反論なんて一切受け付けない」と言外に匂わせながら、黒衣のお嬢様はそうのたまったのだった。


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