第60話 俺はあいつの
◇◇◇
築30年、白い外壁の賃貸マンション。その一室、303号室のインターフォンが鳴る。
「おじゃましまーす」
「シロウ~、マキト君が来てくれたわよ~。起きなさ~い」
トントンと母がシロウの部屋の扉をノックすると、今の今まで眠っていた様な声で返事が返って来る。
「起きてるっつーの。ふわぁあ……」
その言葉に一切の信用を置かず、間を置かず母は扉をノックする。
「待たせるなんて失礼でしょ~?起きなさ~い。シロウ~。シロウちゃ~ん?」
ガチャリと勢い良く扉が開いて、不機嫌そうな顔でシロウが現れる。
「……いい歳して『ちゃん』はやめろ、おばさん」
「あ、ひどい。マザコンの癖に」
「マザコンじゃねぇ!」
「あはは、照れなくてもいいじゃないかよ」
「うるせぇ!」
シロウの母は小さくため息を吐いて、呆れ顔でマキトを見る。
「ごめんね~、マキトくん。うちの子ちょっと反抗期みたい」
「うるせぇ!」
「こら、シロウ。お母さんにうるせぇはひどいんじゃない?」
「……へいへい、申し訳ありまおんせん」
シロウ母はシロウの謝罪を無視して、マキトに微笑む。
「それじゃあマキトくん。汚い部屋だけどごゆっくり~。あ、シロウ。母さん午後から仕事だから御飯適当に食べてね」
「へーい、お金ー」
二秒ほど我が子を白い目で見ると、そのまま無言でシロウの部屋から立ち去る。そして、立ち去って少ししてから『机の上~』と声が聞こえてくる。
マキトはクスリと笑い、母の方を指さす。
「良いお母さんだよね」
「……そう思うならお前の美人のかーちゃんと交換してくれよ」
「あはは、またまたぁ」
ケラケラ笑いながらシロウの背中をパシパシと叩くマキト。
マキトの手を払いながら大あくびをするシロウ。
「風呂入ってくる。漫画でも読んどいて」
「オッケー」
と、軽く答えてからシロウの本棚の一番下の段に目がいく。
本棚の一番下の、一番端に並ぶ大判の一冊。どんなに大きい本屋でも売っていない一冊。
「卒アル見ても良い?」
「ダメ」
「あはは、ケチだなぁ」
◇◇◇
「ほれ、別に珍しいもんは写ってないぞ」
風呂上がり、タオルで髪をワシワシと拭きながら部屋に戻るや本棚から小学校の卒業アルバムを取り出してマキトに渡す。
「わ、マジで?」
「そのかわりと言っちゃ何だけど柏木の事でも聞かせて貰いましょうかね」
ベッドの上で胡座をかきながらシロウは言うと、マキトは眉を寄せて首を傾げる。
「柏木さんの事……って言ったって、ご存じの通り告白されたこと以外特に何も無いけど」
「振られたとは聞いたけど、それにしては随分仲良さそうに見えましたがその辺はどうなんでしょう?」
渡された卒アルを持ったまま、言葉を選ぶマキト。
「仲良さそうにって……、まぁ友達だし。普通に話してくれる様になったのは嬉しいね」
「つーか、お前に好きなやつがいるって初耳なんすけど」
誤魔化すように笑い、アルバムを捲り視線を落とす。
「あはは、言って無いからね」
少し不貞腐れた様にしながらシロウは口を尖らせる。
自分を差し置いて柏木弥宵に『好きな人がいる』事を告げた事が不服なのだろうか?
「ふーん、別にいいけどな。別にな」
不貞腐れるシロウにクスリとしながらマキトはシロウの卒業アルバムを捲る。
クラスは6年1組から3組までの3クラス。校舎の写真、校歌の歌詞、全体写真や校長先生の写真と挨拶が載り、クラス写真。皆が笑顔のクラス写真で、一人だけ仏頂面の男子生徒がやけに目立つ。当然それは穂村司郎。6年1組でシロウを見つけて、順番に2組3組と眺めて行く。
分かり切っている事だが、4年の途中で転校した霧ヶ宮泉はクラス写真にはいない。
更にページを捲り、1年生の頃からのスナップを纏めたページ。運動会、遠足、学芸会。様々な行事の風景を切り取った写真達。
「あ、霧ヶ宮さんみっけ」
2年の時の遠足の写真。まだ髪が長くないイズミの隣には女の子らしい格好の金森すずがいる。
「よくわかるな、髪短いのに」
「あはは、まぁね。ていうか、髪型違う位すぐわかるだろ?あ、シロウみっけ」
今度は後ろに小さく写るシロウを見つける。
「……あ、マジだ。知らなかった」
「また霧ヶ宮さんみっけ。シロウと違ってよく写ってるね」
やはり隣には金森すずの姿。
暫くそんな風にアルバムを眺めて過ごす。
だが、マキトは今日はアルバムを眺めに来たわけでは無い。
「あのさ、シロウ。今日は話したい事があって来たんだけど」
やや唐突な話の切り出しにシロウは訝しげな顔をする。
「んん?お前が好きな相手ってのが、実は俺ってので無ければ聞くけど」
「あっ、じゃあいいや。あはは」
「えっ!?」
「冗談だよ」
マキトがケラケラと笑いながらアルバムを閉じると、シロウはふーっと胸を撫でおろす。
「つまんねぇ冗談はやめろよ。一瞬柏木に何て言おうか考えただろうが」
「まぁしょうがないよ。応援されてるからねぇ」
軽口を叩きながらも、マキトの脳裏には中学の頃の『親友』が浮かぶ。彼が好きな相手は、マキトの事が好きだった。紆余曲折あり、結局彼と話すことは無くなった。
――『そんな人は友達じゃ無かったって事ですよ!』
次の瞬間、必死な顔でマキトの両頬に手を当てた弥宵の顔が浮かんだ。
彼女の好意に縋っているだけかも知れない。信じたい言葉を信じようとしているだけかも知れない。
でも、それまで疑ってしまうのは無礼に思えた。弥宵に、シロウに。
「シロウ。僕――」
どうか、何も壊れませんように――。
独りよがりで、甘く幼い祈りと共に小さく息を吐き、マキトはシロウを見る。
困った顔で、或いは助けを求める様な顔で。
「霧ヶ宮さんが好きなんだ」
締め切った窓の外では蝉が鳴いている。
シロウはマキトの真意を探る様にジッとその瞳を見据える。
何秒かそうした後、下を向いてフーッと息を吐く。
「あー……、マジか」
「うん、マジ」
「……どこがいいんだ?元男女で胸だって小さいぞ?」
「胸は関係無いだろ……」
「本人には?」
マキトは首を横に振る。
「まだ」
シロウはベッドを下りて、立ち上がると部屋の扉を開けてマキトを外に促す。
「外行こうぜ。できればボールとゴールがある所」
彼らにとってのボールとゴールとは、言うまでも無くサッカーの物だろう。
「……何で?」
薄々分かってはいながら、マキトは敢えて質問をする。
マキトに背を向けて、外出の為に衣服を着替えながらシロウは呟く。
「あいつは馬鹿だからさー。……で、恋愛にも鈍感だからお前の気持ちにも気が付いてなんて無いだろから……。きっと、自分のせいで柏木は振られたって思うと思うんだよ」
無言で言葉の続きを待つマキトに、着替えながらシロウも言葉を続ける。
「あ、勿論お前が悪いってわけじゃないんだ。マジで。誰が誰を好きになるかなんてしょうがない事だし、ただあいつが馬鹿で気にしいなだけだからさ」
言い終えて、少し気恥ずかしそうに引きつった笑いを浮かべるシロウ。
「悪い。まぁ、只の独り言みたいなもんだ。つまるところ恋愛なんてのは個人の自由な訳で、告白でも何でも俺なんかに言うまでも無くお好きになさったら?って事だ」
「……そんな言い方――」
「――俺に勝ったらな」
マキトの言葉にシロウが言葉を被せる。
「俺に勝負で勝ったら告白でも何でも好きにすればいい。その代わり、負けたらすっぱり諦めろ」
マキトはクスリと笑い、わざと挑発的な物言いをする。
「随分勝手な物言いに聞こえるけど、シロウは霧ヶ宮さんの恋人か何かだっけ?」
「そんな訳ねぇだろ。俺はあいつの……幼馴染だ」




