第六十六話 噂話
秀吉が体調を崩し、政務に顔を出さなくなり、秀永が代行をすることが多くなった。
政務は、三成を始め家臣が行っており、遅延も混乱もしてはいなかった。
しかし、諸大名の中には、秀永の幼年を危惧し、豊臣家の将来を暗いと考えるものが出て来ていた。
「岩覚さん、噂が出ているとは」
「はい、秀永様が大殿の子ではない、幼年であり不安があり、秀次殿の方が豊臣の当主としてふさわしいというものです」
岩覚をはじめ、周囲のものは噂を聞き、広がり具合と出所を調べていた。
秀永への報告は、調べが終わってからと岩覚は考えていた。秀永は、小太郎から報告を受け、風魔と信繁に情報を集めることを命じていた。
岩覚は、噂の内容を考え、秀永が気をやまないように裏どりして、犯人を特定したからと考えていた。
しかし、秀永から問われて、答えざる得ないと思い、今まだの経緯を説明した。
「そうですか」
「大殿の体調を考え、噂を広めているようです」
その言葉に、秀永は苦笑した。確かに、秀吉は政務には出ず、寝ていることも多いが、未だに頭はさえている。噂の事も知っており、怒り心頭ではあったが、秀永に一任すると言われていた。
秀吉に任せていると、噂に関わったとして、聞いただけとか、話しただけなどの人たちも処刑してしまう恐れがあった。
「殿下、何かわかりましたか」
岩覚たちが分かったことは、噂の出た時期が、秀吉が正月のあいさつ以降、秀吉が体調を崩したことが知れ渡った時と重なること。諸大名の家臣から庶民に広がっていったことぐらいで、出所はまだわかっていなかった。
「小太郎さんや信繁さんからは、絞り込んだ情報を受け取ってはいます」
その言葉に、岩覚は驚きと、風魔と真田の忍びの腕の良さを再認識した。
「それでは」
「ええ、出所は、忠興さんのようです」
秀永の拾の父親であると調べがついている人物が出所であると聞いて、岩覚は眉をひそめた。
秀永を追い落として、実父として豊臣を支配し、天下を差配することを夢見ていることが読み取れた。
「真ですか」
「ええ、そうですが、広めているのは忠興さんではないようです」
「確かに、噂の広がり方が早いとは思いますが、誰かが手を貸していると」
秀永は顔を左右に振った。
「いいえ、噂を利用して、豊臣を貶めたいようです」
その言葉に岩覚は頷いた。
「なるほど、では……」
「まあ、岩覚さんが思い浮かべた人も含まれますね」
岩覚は眼を細めた。
「他にもいると」
「ええ」
「天下を狙っている者でしょうか」
「いいえ、どちらかと言うと、現在の政策に不満を持っている者、領地を削減されたものたちが手を貸しているようです」
「なるほど、では、どのようなもの達が」
「島津、大友などの九州のものたち、佐々など取り潰された家のものたち、南部とかでしょうか」
「島津は、外に出ることで利があり、豊かになっていると聞き及んでいますが」
「琉球の取り扱いで不満があるようですね。それ以外の島々も含め、寄港地として確保できなかったことが不満があるようで、その地域の影響力を下げたいのでしょう。あわよくば、割譲できればと考えているかもしれません」
「発覚すれば、大事になるのですが。あの島津が考えないと思えませんが」
「ええ、だから噂を広める程度で、責められても聞いただけで、広める意思はなかったと弁明する気でしょう。まして、あそこは、家が義久さん、義弘さんに分かれていますから、どちらかが生き残れると思ってるかもしれませんね」
「大友は、耶蘇教に関することでしょうか」
「名門の意識が高いわりに、実力が伴わず、家臣の統制が出来ていない状況なんですけどね。あそこは、宣教師を通して、南蛮ともやり取りをしているようで、怪しい動きをしていますね」
「はい、日本の耶蘇教とも連絡を取り合っているようで、対応が必要かと」
「一部を除き、大半の領民が寺社を破壊したことを恨んでいることを気が付いていないようで、危ういですね。まして、未だに隠れて領民を奴隷として南蛮に売っているようです」
「国内では無理なのでは」
「なので、外に連れ出して売っているようです」
その話に岩覚は顔を歪めた。南蛮への奴隷売買を含めた、奴隷の売買は秀吉によって禁止のお触れが出ている。
戦もなくなった状況で、かつてのように攻め入ったところの領民を奴隷として売り払うことは出来なくなった。もし、そのようなことをすれば、一族郎党を含めて獄門になってしまう。その為、日本の外で隠れて行っているものがいる。日本の外でも奴隷売買は禁止されており、見つかり次第とらえ調査のうえ打ち首にされている。
大名は家臣が勝手にしたとして、言い逃れはしているが、所領がヘラ出されたり、罰金を科されたりしている。
「如何するのです」
「売られた時点で、取り押さえ、売られたものたちは保護ののち、土地を与えていますが、義統さんは、知らぬ存ぜぬといったところですから、処罰もしにくいです」
「……泳がしますか」
「そうです。父上からも泳がして、関係するものたちをまとめて処罰すればよいと言われています。小物日取り潰したところで意味はないと」
「確かにそうですね」
「まあ、父上からは、それを利用して目障りなもの達も関係者として処罰しろとは言われていますが」
「それは、家康殿も含まれているのでしょうね」
「それだけではなく、大身の大名や玉虫色の動きをするものたちを指しているとはお思います。もし、家康さんを含め、大身のものを取り潰せば、諸大名は動揺し疑心暗鬼に陥る可能性があります。大義名分があったとしても、かつての信長さんが行ったように、年来の重臣を追放したかのようにはできません」
実父である信長の話を聞いて、岩覚は苦笑する。
宿老として付けられた林通勝、反信長の多い家中で重臣の立場で数少ない支持者であった佐久間信盛。
敵対して敗れた以降は信長に従っていたが、過去の敵対行為を理由の一つとして追放された通勝。過去の話を引き合いに出され、罪状とされた事に家中は信長に対して疑心暗鬼に陥った。そして、大身として支持し続けていた信盛の追放により、家中の年配の者たち動揺してしまった。
一定の年齢のものたちは、信長に敵対したものも反目的な行動もしたこともあり、何時、処罰されるかびくびくしていた。
勝家は二人の追放により、家中の地位が最高位に上がっていったが、通勝のように追放されることを考え、敵に対して苛烈に対応するようになった。
ある意味、家中は引き締まったが、余裕がなくなったと岩覚は秀吉からかつて話を聞いていた。
通勝も信盛も織田家の家臣であった。しかし、家康は家臣とはいえ、実質的には主従の同盟に近く、一豊や秀政など、家臣として従ってきたものや縁戚に対するようには処罰は出来ない。ましてや、強力な家臣団と広大な所領を持つため、一戦で決着を付けなければ、蠢動する大名も出てくるだろう。戦乱を生き残った古豪であるため、油断はできない。
津軽の事で承服していない南部、乱世の血を受け継いだ伊達、豊臣に協力的だが油断の出来ない上杉、現当主は良いが次代がどうなるか分からない前田、隆景亡き後流動的な毛利、所領を削られ和解は出来た長曾我部、琉球のこと兄弟の死で恨みの残る島津、それ以外にも油断の出来ない者達も多い。
その数家が手を結んだだけでも、大規模な合戦が起きることは想像できる。
海外に出ている者達が船を使い駆けつけてくることも、海外の者たちと同盟を結んで攻めてくることもありえる。
日本を売り飛ばすものたちが居ないと思いたいが、追いつめられたら何をしても驚かない。まして、キリスト教のものたちが蠢動することもありえる。
愚かなことに比叡山の横暴、南都の暴虐、一向宗の醜悪、日蓮宗の暴挙など、権力者による支援による制御の不能になった失敗を繰り返している現状を考えれば、キリスト教徒の暴発を考慮しなければならない。
「なんにせよ、南蛮への奴隷売買禁止に反したものは処罰します。たとえ、それが引き金になって、反乱が起きたとしても許せるものではありません」
「身売りが行われない世にしなければなりませんが、道は長いですね」
「ええ、そうです。豊かにするために、他国を侵略する行為は不毛ですし、結局、この国が貧しくなるだけです」
「それが分かるものは少ないでしょう。日本の外の富を奪えば良いと考えている者も多いです」
「なればこその教育です。まあ、ある意味、刷り込みとも言いますが……」
「致し方ありません」
「分かっていますが、難しいところです。こつこつ積み上げるしかないでしょう。引き続き、父上の身体についての噂を広めて、あぶり出しましょう」
「わかりました」
「弥八郎」
「大殿の事は、向こうが広めているようです。確かに体調がすぐれず、寝ていることが多いようですが」
「そうか、その噂に踊らされている者がいるようだが」
家康の言葉に頷き、忠興の事を説明する。
「浅慮だな」
「はい」
「ただ、あのものそこまで愚かであったか。確かに感情的なものであったが、冷静さもあったはずだ」
「確かに、知勇を備えた武士ではありましたが、現状への不満が爆発してるやもしれません」
「ふむ、信長殿の天下、もしくは織田家の天下ではなく、下賤の成り上がりものの下には付けぬということか」
「そうやもしれません。重要視もされず、藤孝様に比べられ、何時まで経っても当主とみられないことが不満なのかもしれません」
「まあ、藤孝も腰が定まらず、義昭殿を裏切ったものだからな。いくら公家からの受けが良くても、細川家を信じることは難しいだろう。利用はできるが、政務の中枢に置くことは難しいだろう」
「藤孝様は理解しているようですが、忠興様は理解しておられぬようで、自己評価が高い御仁は始末に負えぬものです」
「確かにな。愚か者を見るのは、よそから見るのは面白いが、巻き込まれてはたまらん」
「直政殿の事で」
「そうだ。外に出して、少しは変わってくれたかと思ったのだが、無理だったようだ。もう少し、柔軟に対応できるようになってくれれば、徳川の柱石として次代を任せることが出来るのだがな」
「……」
「まあ、平八郎たちとは違い、お主を嫌っているわけではないのは良いのだが、ままならん」
「忠興様は、直政殿に外の事を聞くことを目的として、茶の席を設けているようですが、相も変わらず、煽っているようです」
「目障りなことよな」
「隠すことなく行っていることが、離反を狙っているかと思ったのですが……」
「そうでもないのか」
「はい」
「ただの浅慮か、配慮する必要がないのか、判断に苦しむな」
「こちらが訴えることがないと分かっているのでしょう」
「確かに、訴えれば疑いの目がこちらに来るからな。と、言っても大殿が分からないはずないのだがな」
「ええ、しかし、それを口実に何を言ってくるか、わかりません」
「本当に面倒なことだ」
「……」
「まあ良い、こちらは、じっと待つだけだ」
「はい」
相変わらず、忙しいため、色々、停滞して申し訳ありません。




