第三十五話 調査
※二千十七年六月一日、誤字・文章修正
大坂城の一室で、秀吉は音をたたるほど踏み込みながら不機嫌に部屋を動き回っていた。
利休の不審な切腹による自害に対して、不愉快な思いで心が染まっていた。
信長に茶頭として仕えていたが信長の死後、秀吉に仕え天下統一が進むにつれ側近の地位を確固たるものにし利休の権力・財力が強まった。諸大名との交流が増え、茶室にての茶会を開くことも多くなり、利休の存在感が諸大名の中で大きくなっていく事になった。秀吉は利休が茶会で諸大名とよしみを通じ、何かを謀を巡らしていないか猜疑の眼を向けていた。
陳情など相談事について、利休が聞き秀吉に報告する事となっていたが、秀長の体調が悪くなって以降、内外に関わらず相談事を受ける事が多くなり、諸大名も利休のご機嫌伺が多くなったと三成から報告を受けていた。
寧々の錯乱に利休が南蛮より入手した薬が関わったと聞いた時は、怒りで気を失ってしまうほどだった。猜疑の目を向けていたとしても、長年の友誼と信頼をしていた利休に裏切られたと思った秀吉に精神的に傷ついた。
三成も精神的に打撃を受けていたが、綿密に物事を進める性格から秀吉に確認することを進言した。利休が死んだとしても何ら問題ないし、いずれ豊臣政権にとって害になると判断すれば排除してもよいと考えていた。しかし、秀吉の苛立ちや雰囲気を見れば、原因が判明しなければ秀吉の心の均衡が崩壊すると判断した。心の均衡が崩れれば、豊臣政権にとって決して良くない方向に進むと考えられた。秀吉は了承し、かん口令を引いたうえで、調査することを命じた。
数日後、三成は調べた情報を持って秀吉に報告した。
「どうであった」
「はっ、利休殿と親交のある南蛮人と繋ぎが取れ話を聞くことが出来ました」
「……」
「南蛮人の話では、一昨年から数回、利休殿が求めた薬は妊娠をしやすくするための薬がないかという事でした」
「錯乱させるための薬ではなくか」
問いに三成は頷いた。
「そうです。その薬について心当たりはあると話し、国元に確認すると返答した為、数度会うことになったようです。利休殿は副作用について尋ねられ、商人である我々には分からないと言ったそうです。錯乱作用について確認しましたが、そのようなことはないと南蛮人は言っていました」
「……そうか」
「ただ、何度かあった際、1度だけ同席した人物がおり、そのものから心に作用する薬を尋ねられたそうです」
「誰だ、何を確認した」
「儀兵衛と名乗っていたそうで、利休殿の弟子の家臣との事です」
「何だと」
利休の弟子の家臣と聞いて、秀吉は眉をひそめた。利休の弟子で家臣となると、諸大名のだれかとなる。
最有力候補は蒲生氏郷あたりになりそうだが、信長に才を認められ、その実力をいかんなく発揮しており天下を狙うには十分の器量があると秀吉は見ていた。ただ、戦場で大将であるにも関わらず、先陣を行く姿はまだまだ未熟であろうとも併せて思っていた。
しかし、氏郷がそのような証拠が残るような動きをするのだろうか。伴天連により洗礼を受け、キリスト教徒になっているのに、利休を通して南蛮人と会うのだろうかと考えた。伴天連あたりに薬を頼めば怪しまれることもないだろう、それ以上に、氏郷の性格から言って回りくどい謀をするとは思えない。
では、誰かと秀吉は考える。
「分かったのか」
「未だ分かっておりません」
三成は畳に額を付けながら平伏し、秀吉に謝罪した。
「早く見つけよ!」
「はっ」
苛立ちながら、三成を怒鳴りつける。
氏郷以外に何人も候補がいたが、天下を狙うほどのものがほかにいたか、右手に持った扇を左手で受け止める動作を繰り返しながら思考にふける。
「……それで、儀兵衛とやらはその薬を手に入れたのか」
「はっ、昨年の事のようです」
「用途については何と」
「南蛮人は聞いておらぬようです」
「その薬の効果は」
「少量で、短期間であれば心が落ち着く薬のようです」
「長期間使えばどうか」
「……幻覚、幻聴などの副作用が出るようです」
「そうか……まさか、常習性があるわけではないな」
秀吉の言葉に、三成は顔を左右に振った。
「それも分からぬと。ただ、寧々様の状態を考えると、常習性は低いとは思いますが、道三殿に確認をしてもらいます」
「頼む、そういえば、岩覚の話では鶴松の方でも調べていると聞いているが」
「はい」
秀吉はそのまま襖を開ける。
「佐吉、鶴松にも聞きに行くぞ」
「分かりました」
「鶴松様」
「小太郎さん?」
「はっ」
鶴松の部屋に小太郎が現れた。
「どうしたの」
「利休様の事にて、報告があります」
利休と聞いて、岩覚と顔を見合わせる。
寧々の事件と関係があると聞いて、小太郎に調べさせていた。寧々の件について、調べなかなか進まなかったし、自害とも聞いていたので、報告はもっと後だと鶴松は考えていた。密室での自害の原因なんて、そうそう見つかるものではないし、ドラマのようなものでもない限り大半は迷宮入りとも思っていた。
「何か分かったの」
「はっ」
三成が秀吉に報告した似た内容を小太郎は話す。
「その儀兵衛っていう人が一番怪しいけど」
「確かに……」
岩覚は不思議そうな表情になった。
「何か気になることでも」
「ええ、そんな簡単に形跡を残すなんて、不思議なことだと」
「でも誰の家臣か分からないし、偽名かもしれないですよ」
「その者ですが」
鶴松の疑問を口にしたとき、小太郎が会話に入って来た。
「誰か分かったのですか」
「はい、調べたところ細川忠興殿の家臣に、田中儀兵衛という者がいました」
「……忠興殿」
岩覚は眉を顰めた。
(忠興って、玉子さんの対応を見る限り性格が歪んでいると記憶しているけど……)
「その儀兵衛ですが、どうも武士というより忍びでもあると思われます」
「影働きの者ですか」
「岩覚様の言われる通り、影働きも行うようですが、ここ最近雇われた新参者とのことで家中でも重きを置かれていないとの話です。孝蔵主と接触していた者と聞き及んだ顔かたちが似ております」
「でも、接触したのは徳川の者だったと聞いたけど」
「立場が上の者が来ることは考えられません。下の者を使うので、書状など筆跡を真似られれば誤魔化すこともできるでしょう」
「そっか……じゃ、その人を取り調べればよいよね」
「それが、そのものは殺害され打ち捨てられていたのを確認しております」
「え」
「それは、何時の事ですか」
「死体の状態から、利休様が殺害される前のようです」
「でも、その人が儀兵衛という人なの」
「はい、手の者に遺体の特徴や顔絵などを控えさせておりましたゆえ、南蛮人、孝蔵主様にも確認しております」
「似顔絵捜査!?」
「似顔絵?宗佐?人の名前ですか」
「え、あ、違う、違います。人の顔を絵にかいて、似ている人が居ないかを調べることです」
「ふむ、そうですか」
岩覚は首をかしげた後、小太郎を見つめる。
「その者は、どのように殺害されていましたか」
「後ろから心臓を一刺しです」
「であれば、顔見知りか、心を許していたものか」
「影働きの者を殺害する以上、腕も相当なものであると思います」
「そうですね……」
岩覚が考えていると、襖が開き秀吉が部屋に入って来た。
鶴松以外の者は平伏した。
「父上」
「鶴松、元気か」
「はい」
「岩覚」
「はい、利休殿の事、それとも朝鮮の事でしょうか」
「利休の事だ」
秀吉の言葉を受け、鶴松を見た岩覚は頷いた後、小太郎の話したことを秀吉に説明した。
話を聞きながら三成の表情は険しくなり、自分が調べた以上の情報があることに自己嫌悪に陥っていた。
「忠興か……」
「はい、今のところ一番怪しいですが、証拠がなく問い詰めたところで逃げられる可能性が高いです」
「確かにな」
「岩覚様」
立場を考え、小太郎は秀吉ではなく岩覚に話しかけた。
「どうしました」
「利休様が、最後に会われたのは忠興様のようです」
「なに」
小太郎の言葉に、秀吉は低い声で反応した。
「誠か!」
言葉を出さず、小太郎は平伏した。
「小太郎、気にせず殿下に話しなさい」
その言葉に頷き言葉を続けた。
「子である道安様にお聞きした所、利休様の屋敷は忠興様に譲るとのことで、自害された日に忠興様に会われる約束をされていたとの事です。その話を聞き当日の利休様の屋敷の周辺を調べた処、偶々通りかかり屋敷から出ていく忠興様を見たという河原者が居ました」
「その者が生きているという事は、忠興は関係がないか」
「そうかもしれません」
「いえ、その河原者は我らの協力者であり、利休殿の屋敷を監視しているものです」
「ほう、何ゆえに」
「寧々様の事を調べた際、利休様も監視対象となった為、潜ましておりました」
「そうか、では、利休は外まで見送ったか」
「いえ、出てきたのは忠興様のみで、利休様の見送りはなく、血の匂いがしたと言っておりました」
「利休は、来た客人為は必ず外まで見送りに出ていた。弟子の忠興であってもそうだったはずだ。それに、血だと」
「そうです。ただ、微量の匂いだった為、どこか傷を得ていただけかもしれないとのことです」
「……そうか」
忠興は、家を割ったとは言え藤孝の子である。朝廷との交渉や公家どもの折衝など欠かすことの出来ない人材であった。忠興を処分した時に隔意が出来れば、今後問題が生じるのと秀吉は考えた。
「岩覚、佐吉よ、藤孝は知っていると思うか」
「知らないと思います」
「私も岩覚様と同じ考えです」
「ふむ、鶴松はどう思う」
「関係ないと思います」
「……そうか、家を割ったことはどう思うか」
鶴松は岩覚と三成の顔を見た。
「詳細も含め、藤孝殿は何も知らないと思います」
「岩覚」
「ただ、忠興殿に不審を感じ万が一のことを考え、家を残すために分けたのではないでしょうか」
「藤孝殿は、今までさまざまの方を見続けた方、危険を感じたのかもしれません」
「そうか、だが、薬の件と、儀兵衛とやらの件は聞かねばなるまい」
「それさえも、罪をかぶせて逃げるでしょうな」
「致し方あるまい、天下を統一して間もない状況で、証拠もなく処罰すれば諸大名は動揺するであろう。嫌なことをしやがる。だが、忠興は今後監視対象だ、佐吉」
「はっ」
鶴松と秀吉の会話の後、数日たち忠興が呼ばれた。
部屋には、秀吉、三成、岩覚が座り、隣の部屋には鶴松たちが控えていた。
「忠興」
「はっ」
「利休の事について、聞きたいことがある」
「何なりと」
秀吉の代わりに三成が質問を投げかけた。
「忠興殿、道安殿の話では利休殿の屋敷を受け取るため、利休殿が亡くなった日に行かれたと聞いたがまことか」
「ええ、三成殿その通りです」
忠興は薄ら笑いを浮かべて、三成を見て答えた。三成は表情を変えることなく、それを受け止めた。
「その際の利休殿はどのような様子でしたか」
「憔悴しきったようなお顔をして、何か思いつめられていた感じでした」
「何か言われていましたか」
「屋敷の引き渡しについて言われただけです」
「帰られる際は、利休殿はお見送りされましたか」
「ええ、師の見送りを受けて帰りました」
見送りに出たという回答に、秀吉は眼を細めたが、三成を見ている忠興は気が付いていなかった。
「利休殿は、何時も玄関先まで見送りを」
「ええ、何時もされています」
隣の部屋で聞いている鶴松は、小太郎の話と矛盾する回答に首を傾げた。
(見送りに出てないという小太郎の話と齟齬がある。けど、何時の事だったので勘違いしていたとか言い逃れしそうだな)
「その師と二度と会えなくなるとは、あの時、お話を聞き心のつかえを取って差し上げれば自害などという事を防げたと思い、悔やんでも悔やみきれません」
そう言いながら忠興は涙を流し出した。
その姿に、秀吉と三成は片眉を上げたが、岩覚は逆に冷めた表情になっていた。自己陶酔の強いものは、思い込むことであたかも他者に対する哀悼ではなく、自分自身の妄想に酔う場合があり、涙が利休に対するものか判断を控えた。
忠興の涙が止まることを待って、三成は儀兵衛について聞き始めた。
「忠興殿」
「お見苦しいところをお見せして、申し訳ございません」
「いえ、利休殿が亡くなられた悲しみは私も同じです」
「そうですか」
言いながら下を向いて涙をふく忠興の口の口角が少し上がり、小ばかにしたような表情になっていたが気が付いたのは岩覚だけだった。
「まだお聞きしたいことがあります」
忠興は涙を拭いて、顔を上げて再度三成を見た。
「貴殿の配下に儀兵衛という者がおりますか」
その問いに、一瞬表情が変わったのを岩覚だけが気が付いた。
忠興は、誤魔化しても調べられているのが分かっていたので正直に話すことにした。
「かつて、儀兵衛なるものがありました」
「かつてとは」
「なかなかの者と思い雇いましたが、手癖が悪く屋敷から追い出しました」
「それは、いつの事ですかな」
「ひと月ほど前になります」
「そうですか……」
「儀兵衛に何かありましたか」
「いえ、利休殿の事と関わり合いが疑われましたので」
「なんと」
忠興は目を開いて驚きの表情を浮かべた。
その驚きの声を聴いて、鶴松は考えた。
(忠興さんが利休さんを殺害していたなら、儀兵衛さんが関わり合いにあると言えば驚くかな。確かに、三成さんはうそを言っていないよね、利休さんと関わり合いがあるんだとすれば)
「いやいや、そのような手癖の悪い者を身近に置いたなど、師になんとお詫びすればよいのか」
「殿下、何かありますか」
「ない、忠興下がってよいぞ」
「はっ」
忠興は平伏した後、部屋から出て行った。
足音が遠ざかっていくことを確認したのち、鶴松と護衛たちは部屋に入ってきた。
「お主らどう思うか」
「忠興殿の言葉や表情に嘘があります」
「風魔の者の話が違いますが、決定的な証拠とはなりませぬ。やはり、儀兵衛なるものに罪をなすりつけてもおかしくないです」
「岩覚さん、私は表情が見えなかったので分からないのですが、忠興さんの表情はどうでしたか」
「先ほどのお伝えしましたが、嘘がありました。涙を流し悲しみの表情をしておりましたが涙を拭く際、口の端があがり、儀兵衛の名が出た時も表情が変わりました」
「涙を流した後、笑っていたの」
「ええ、顔を下に向けていた時に」
三成はその言葉を聞き、口をへの字に曲げた。
「どうした佐吉、気が付かなくて悔しいのか」
「……そうです、気が付きませんでした」
「三成殿の位置からは見ることはできませんでしたよ」
少し三成は肩を落とした。
「利休に見送られたと言っておったが、風魔の者の話とは違うな。儀兵衛の事も口封じだろうな」
「そう思われます」
「佐吉、もう少し、調査を続けよ。忠興如きになめられる気はないぞ」
「はっ」
「鶴松、風魔にも調べさせよ」
「分かりました」
「しかし、これで、大陸を調べるための者が居なくなったな」
「……」
明を攻めるためにどうしても、朝鮮を通りたい。もしくは、支配したいと秀吉は考えていた。今は亡き、信長の想いを継承すると自分に言い聞かせていた。
それと同時に、諸大名の弱体化も狙っていた。関東に家康を移していたら、領地安定のためにとして出兵を断られていたかもしれないが、移していないため引きずり出すことが可能と目論んでいた。
朝鮮や明を取れなくても、家康の力を落とせれば良いかとも考えてはいたが、鶴松の反論を受け悩みだした。
そこで利休を正使として、朝鮮から中国沿岸を調査させようとした矢先の利休の死は、秀吉にとっても計算違いだった。
利休の代わりを考えていたが、なかなか見つからなかった。
「利休の代わりか……そういえば」
「何か思いつかれましたか」
「ああ、藤孝はどうだ」
「藤孝殿ですか」
三成は、忠興の事を考え、藤孝を使う事に難色を示した。
「大丈夫だ、藤孝は忠興と手を切っている。今のところはな」
「しかし……」
「三成殿の危惧も理解できますが、問題ないでしょう。藤孝殿は時勢を読む方です」
「……わかりました」
「よし、藤孝を代わりに出す」
「はっ」
(藤孝さん、送り出すのは良いけど病死とかしたら、古今伝授が喪失するかも。それにしても、誰に行ってもらおうかな。信繁さんは聞いたら行きたそうな顔してたけど、無理だよ……)




