第百三十六話 懐妊
南方から帰国した秀永は大坂城に戻り、政務を行っていた。
国内で行われている事に関して、まとめられているものを確認し、既に、留守を任せていた三成が承認したもので、修正が必要なものがないか内容を確認していた。
「薬草の増産は、畿内に設定した場所以外にも、増やす必要がありそうですね。気温の関係上、琉球や高山国の方が収穫が上がりそうなものあると…現地で栽培した方が、運送費を抑え、緊急時の対応もできますね」
独り言をつぶやきながら、書類の確認を行い続けた。
「秀永様」
「重成さん、どうしましたか」
「昼食の用意ができております」
「ああ、そんな時間か」
「はい」
「駒を待たせたら悪いな、行こうか」
「はっ」
そういって、秀永は見ていた書類を脇に置いて、立ち上がり執務室から移動した。
駒姫と食事をなるべく時間が合う時は一緒にするようにしていた。
価値観が違うとはいえ、なるべく意思疎通と、会話をしていた方が良いと秀永は思っていた。
「待たせましたね」
「いえ」
駒姫が待つ部屋に秀永に入った。
「殿下」
秀永が座ると、駒姫が声をかけてきた。
「朝は調子が悪かったようですが、なにかありましたか」
「玄朔殿に診察して頂き、子ができたようです」
「そうですか、子ができましたか…ん?子供?」
一瞬、秀永は思考が停止し固まってしまったが、駒姫の言葉を頭で反芻して、正気を取り戻した。
「そうですか子が…、母上には?」
「玄朔殿の診察の後に使いを送りました」
「そうですか」
「それと…」
駒姫は言いにくそうな表情を浮かべた。
「ああ、ご隠居様とおふくろ様には私の方から伝えておきます。ご隠居様の事ですから飛んできそうですが」
そういいながら秀永は笑った。
呂宋から高山国経由で帰国した際に、秀吉らも一緒に帰国して、今は有馬温泉に湯治に行っていた。
秀吉も表立って、生存を公表していないので、表向きは寧々が湯治に行っているということになっていた。
目立つ為、秀吉がいくら顔を隠しても、知っている者にとっては分かってしまうが、公式的には亡くなっているとされている為、見て見ぬふりをしていたか、他人の空似と思われていた。
「身体をいたわってください」
「はい、ありがとうございます」
「出産についても、玄朔殿らに通達を出しているので、最近は出産時、産後で母子が亡くなることも減っていると聞いています。まだまだ、衛生的には満足はできていませんが、食事の面も含めて、気を付けるように言っておきます」
「お気遣いありがとうございます」
「ただ、しばらくはこの件は周囲に言わないようしておいてください」
「はい」
「あとは、義光殿ですが…」
「父上は、はしゃいでしまいそうですが、今は、遠い地にいますので」
「書状を送ったら、大急ぎで帰ってきそうですが、帰国できるのは出産した後になりそうですね」
「ええ、鮭と孫、どちらを大切にするのか、楽しみです」
そういいながら二人は顔を見合わせ、笑いあった。
「一応、義光殿は、三年を目途に戻ってくるという話ですし、向こうの段取りが早く終われば、もっと早くに戻ってきそうですが、さて…どちらにしろ、元気な孫を見せてあげてください」
「ええ、鮭には負けません」
そういって再び笑いあった。
昼食が終わり、秀永は執務室に戻ってきた。
「重成さん」
「はい、先ほどの話は」
「わかっております」
秀永は軽くうなづいた。
「三成さんを呼んでください」
「わかりました」
しばらくすると、三成が執務室に入ってきた。
「お呼びとのことですが、如何いたしましたか」
「近くに来てください」
「はっ」
秀永に言われ、三成は近く移動した。
「もそっと、近くに来てください」
その言葉に、右の眉を一瞬動かしたが、三成はさらに秀永の近くに移動した。
それに満足して秀永は頷いた。
「実は、駒に子ができました」
秀永の言葉に、三成は目を見開いた後、満面の笑みを浮かべ、生真面目な表情に戻った。
その表情の変化を、微笑んで秀永は見ていた。
「おめでとうございます」
内心ではうれしさで、声が大きくなりそうなのを抑えながら、小さな声で周囲に漏れないように気を使いながら、三成は頭を下げた。
「ありがとうございます。それで、ご隠居様に伝えてきてほしいのです」
「私がですか」
「はい」
「且元殿で良いのではないでしょうか」
「…ふむ」
「有馬へ湯治に行ってもらうということにすればよいかと」
「なるほど」
「且元殿も政務がありますが、私の方で処理できますが、私の政務は片桐殿では扱えないものも多いので、それに色々な手配も必要になります。公にするにはもう少し時間が必要ですので、それまでに出来ることを」
「確かに、守役でもある且元さんの方が城を開けやすいですか」
「はい」
「重成さん」
「わかりました」
「では、且元さんが来るまで、東の大陸に送る薬草の苗、種などの物資の話をしましょうか」
「わかりました」
三成は守役である且元に伝える事無く、秀吉への報告は責任感の強い且元の心を傷つける可能性があるのではないかと考えて、秀永に提案した。
実際、三成の仕事量は膨大で、あまり大坂の地から離れすぎると、政務が留まる恐れがあったので、且元に報告の仕事を押し付けたともいえる。
「且元です」
「入ってください」
部屋の中に、三成が居ることに首を傾げながら且元が執務室に入ってきた。
「何かありましたか」
「ええ、近くに来てください」
秀永の言葉に、内心疑問に思いながらも秀永のそばに移動した。
「実は、駒に子ができました」
「ほう、おめでとうございます」
且元はそう言って頭を下げた。
「そこで、有馬にいるご隠居に知らせてほしいと思いまして、お呼びしました」
「なるほど」
秀永の守役となり、政務に関わるのが秀永に関わることがのみのとなり、三成と話し合う機会もあまりなかった為、三成同席で話す理由も見つからなかった。
だが、駒姫の出産であれば、守役としても関係のある事の為、納得できた。
「まだ、懐妊が分かったばかり手紙などであれば、万が一のこともありますから責任を持ってお伝えしてきます」
「お願いします」
翌日、且元は早朝に大坂を出て、有馬に向かった。
秀永からの注意もあったが、慌てて向かうのは周囲に何かあるのかと勘繰られる可能性があった為、ゆっくりと慌てずに向かった。
高山国へ向かった秀永の代りに、政務を携わり忙しかった為、心身を休めるのも良いかと思っていた。
それに、有馬について秀吉に懐妊を伝えたら、大急ぎで帰る可能性もあるのでそれまでの短い休みと考えながら、有馬に到着した。
秀吉の宿泊しているところは、風呂の設計を秀吉が命じていた宿だった。
宿の近くまで行くと、清正と正則が散策しているところが目に入った。
そして、その手には酒の壺があることが見えた。
「清正殿、正則殿」
且元が声をかけると、二人は視線を且元に向けた。
「ん?且元殿か」
「なんで、こっちに?」
そう二人は且元に声をかけた。
「ああ、ご隠居様に殿下からのお言葉を伝えにな」
その言葉に、二人は首を傾げた。
「何か問題が起きたか?」
「いや、問題というか、まあ、ここでは」
そう且元が言うと、二人はその表情が深刻なものではない事に、悪しきことではないと思った。
「わかった、今は湯につかられているだろうから、少し待とうか」
そういって、正則は酒壺を掲げた。
且元は深いため息をつき、顔を左右に振った。
「それは、お言葉を伝えてからで、旅の汚れと、茶を貰いたい」
「確かにそうか」
「市松よ、お前の酒癖は良くないんだから且元殿を困らせるな」
「なんだと!?」
「正則殿」
清正と正則が言い合いになりそうなところで、且元が待ったをかけた。
昔見た光景だが、ここ最近はここまで気を許したやり取りは見てなかったと、且元は感じた。
「そういえば、二人は隠居したとか。まだまだ、動けるだろう」
そう且元が声絵掛けると、二人は見合った。
「まあそうなんだが、ご隠居様の身を守るのと、殿下の身を守る事を考えると、当主の地位は邪魔だ」
「そうだ、ふと考えたんだよ」
「何をだ、正則殿」
「まだ、俺たちが元気なときに、家督を譲って貢献しつつ、駄目なら殴り飛ばした方がよいとな」
「ははは、市松の言葉は極端だが、距離を取って子らを政務を任せ、足りない部分を補って、鍛えた方が良いとな」
「俺の場合は、甥の正之に譲った」
「ふむ、正勝殿はどうするんだ」
「別家をたてる事を殿下に認められたから、今は小姓として仕えているよ。下手に家督をいじれば家中が乱れるからな」
「そうか」
「だから、俺が元気なうちに家を分けた。両家でもめる事無く、殿下を、豊家をまもれと命じているし、正之は国外に所領を得るように願い出ている。国外の方が活躍できる場がおおいしな。そういえば、秀次様にしたがって東の大陸に向かったな」
「そうだな、家督争いは家にとって利益はない」
「うちの忠正は少し、線が細いから戦働きはなかなか難しいが、領地の政務は十二分にこなしているし、虎藤は小姓として殿下に仕えている」
「良いではないか、これからは将が前線に出るよりも、後方で差配することも多いだろう」
「まあ、そうなんだがな。ほら、お前のところもそうだろうけど。家臣たちを抑えるのが」
そう言って、清正は苦笑した。
国内の戦乱の中、家中では荒くれ物が多く、統制するには当主には一定の武功がないとまとめることが難しい事が多かった。
その為、当主が亡くなり代替わりで、若すぎる後継者が跡を継ぐと、家中が乱れることがよく見られた。
「痛しかゆしか、太平の世とはならぬが、国内が落ち着いた現状では政務は大事だがな」
「そうだが、そこを理解できないものがな、ほら、そこにも」
そういって清正は正則を指さした。
「あん?俺だって政務はしっかりしているぞ」
「な、気が付いていないだろ」
清正はあ笑いながら言うと、正則は怒りだし、且元は苦笑を浮かべた。
「はっ、では、これより行ってまいります」
「いえ、今からだと夜遅くに着くことなります」
「早馬で行けば、もう少し早く着きます」
且元の言葉に、秀永は顔を左右に振った。
「それでは、何事か起こったと周囲が勘違いします」
「あ、それは確かに…うれしさのあまり、冷静でなかったようです」
その且元の言葉に、秀永は微笑んだ。
「有馬に行くのは、且元さんが湯治に行くという異にします。三成さんに頼んで、前に願いが出されたとして置きますますので、明日か明後日の朝に向かって頂ければよいです。ご隠居様たちもしばらくは向こうで過ごすと言っていましたので」
「わかりました。しかし、早い方が良いと思いますので、明日の早朝に行くことにします」
且元の言葉に苦笑しながら秀永は頷いた。
「私が不在の時は、弟の貞隆に任せますので、御用があれば申しつけ下さい」
「わかりました、よろしくお願いします」
「はっ、では、支度がありますゆえ、失礼させていただきます」
その且元の言葉に、秀永は頷いた。
一礼をして且元は部屋を出て行った。
「さて、三成さん、先ほどの話の続きをしましょうか」
「はっ」




