第百二話 御簾
忠興は、御所の近くまで来ていた。
御所の周りには警備の兵は配置しておらず、人影がなかった。
それを見つつ、忠興は内心、秀永を笑っていた。
玉体の意味と価値を理解していない秀永は、下賤の子よと嘲った。
幕府がない今、朝廷を押えれば、すなわちこの国を押えたと同じこと。
それにも関わらず、兵を配置していないとは、愚か者よと思った。
「では、お主たちは、此処を守っていろ。誰が来ても通すな」
「は!」
家臣たちに、御所の入り口を守らせ、数人の側近と共に忠興は御所に入っていた。
鎧姿で入るのは不敬ではあるが、緊急事態であり、問題があれば兵によって黙らせれば良いと考えていた。
口先だけの公家どもであれば、脅せばなんとでもなると忠興は考えながら中を進んでい行った。
忠興は直ぐに帝に直答する事は不可能であるし、お目見えも煩雑な手続きが必要であった。
まして、側近が御所に入ることなど、無理な話であったが、それを承知で忠興は側近を引き連れ、奥へ進んでいった。
御所に入って、不信に思ったのは、人の気配がほとんど感じなかった。
忠興は、眉を顰めながら一旦立ち止まり周囲を見渡した。
一見おかしなところはないが、何か、建物に違和感を感じた。
かといって、何がおかしいと指摘できる事もなく、表情が厳しくなって行くだけだった。
「殿」
忠興の行動を不思議に思い側近は忠興に声をかけた。
その声に、顔を左右に軽く忠興は振った。
「何でもない」
違和感を感じつつも、御所の奥に進んでいった。
居るはずの下級貴族や官吏などが見当たらない事も気にかかった。
京内で騒乱が起きたから、退避したか。いや、帝がいる以上、そのようなことはないはずと、忠興は思った。
しばらく歩くと、人影が見え、こちらに歩いてきた。
「お待ちを、此処をどことお思いか」
人がいた事で、忠興は安堵しつつ声をかけた。
「私は、参議の細川忠興である。お急ぎ、帝にご注進したき事があり、参内した。お取次ぎを願いたい」
「今は夜半、帝もお眠りです。日を改められよ」
「そのような悠長な事をしているは出来ません。急がなければ国が滅びるのです」
その言葉に、眉を顰めなた。
「もし、そのように思われるならば、今、火の手が上がっている場所がある。まずは、その騒乱をおさめられることに尽力されては如何か。また、急を要すと申しても、国に関わる事ならば、近衛卿など、公卿も呼ばねばなりませぬ。まして、そのような報は受けておりませぬゆえ、改めて、明日皆様方を招集し、審議すべき」
その物言いに、忠興は怒りを覚えた。
「何を言われる!このやり取りの間にも、刻々と騒乱は広がり、国が乱れようとしているのですぞ!お主ごとが咎める立場にあると思ってか!」
言いながら、柄に手をかけ抜くそぶりを見せた。
その姿に、眉を顰めながら咎めた。
「この場所で、刃物を振り回し、血で穢れさせる思いか。此処をどこと思っておられる!逆賊の汚名を得たいのか!」
その発言が言い終わるか、どうかの間で、忠興は刀を抜き相手を斬りつけた。
相手を右切り上げ、切り捨てたと忠興は思った。
しかし、相手は、半歩後ろに下がり、刀をよけた。
それを見て、忠興は信じられない表情を浮かべた。側近たちは、まさか御所で忠興が刀を抜くとは思わず、まして、御所にいるものを殺害する事を躊躇わない事に、表情が固まった。
「貴様……」
「なるほど、あなたのお考えは分かりました」
そういうと、相手は踵を返しながら走り去ろうとした。
まずいと思い、背後から忠興は斬ろうとするが、相手の足の方が速く、斬る事が出来なかった。
そして、相手は、上着を脱ぎ、後ろを向いた時に忠興に投げつけた。
忠興は投げつけられた服を手で払うと、既に、人影が無くなっていた。
何処の部屋に逃げ込んだのかも分からず、探すには時間がかかると考え、放置するしかないと思った。
しかし、早く帝を確保しなければ、逆賊になると思い直し、側近を即して、帝の元に急いだ。
「殿、あの後にも関わらず、誰も出てきませぬ」
帝の元へと急いでいると、側近がそのような事を言った。
先ほどから人の気配もなく、先ほどの者以外とも合わない。まして、あのような事の後、衛士なり、蔵人なりが出てきそうなものであったが、誰も出てこない。
まるで、誰もいないかのような気配に思えた。
「帝は居られる。手の者が既に調べておる。急げ」
忠興はそう側近に言い、先を急いだ。
おかしいと思いながらも、忠興は進むしかなかった。
このまま戻ったところで、事が露見すれば身の破滅であり、帝を手に入れるしかなかった。
秀永が、新しい帝を即位させる可能性もあるが、それを行えば、南北朝時代の再来であり、この国は乱れるのは必定だろうと。
そうなれば、帝と自らの血を引く豊臣の子を擁立すれば、勢力を作ることが出来ると考えていた。
そして、国内の野心を持つ愚か者が争えば、乱世の世に戻り、天下を伺うことが出来るはずと。
「何者か」
紫宸殿の前に来ると、奥から声が掛った。
隅に置かれている光では、奥の人物を確認する事が出来なかったが、そこは帝が座る場所であり、何人たりとも座ることが出来ない場所であると忠興は認識した。
「陛下に置かれましては、足元を騒がした事深くお詫びいたします。これも尊王の志を得て、この国を思い、この国の乱れを正したいと思い参内」
「……」
忠興は、中に入ると素早く座り、頭を下げながら話し始めた。
「現在、この国は、下賤なるものが愚かにも関白の位を簒奪し、国を乱しております。この内患を正さなければ、国が滅びます。あのもの達は、卑しき蛮族の国を攻め、その者たちをも取り立てております。このような愚かなる行為は、祖霊を汚す行為であり、断じて許すべきものではありません。高貴なる位に下賤のものが就くなど、秩序の乱れであります。何卒、豊臣を滅ぼす直視を願いたく。臣として、陛下のお心を乱す存在を、身命をもって滅ぼす所存です」
「……」
何も反応しない事に、疑問を感じながらも、直答という本来ありえないことが起きているから反応できないのかと考えた。
なるほど、これならば、愚かもな秀永でも話ができるのかと。
沈黙が四半刻続き、忠興がしびれを切らし始めた。
「陛下、如何お考えでしょうか」
そう言いながら、語気が強くなり、批判の思いが強い口調となったが、忠興は気にしなった。
反対すれば、背後にいる側近を使って、話をすれば良いと思っていた。
「そうか、忠興は、そのように考えていたのか、愚かよのぉ」
帝が言うはずのない言葉に、忠興は顔を上げ帝と思った人物を注視した。
周囲は暗く、奥に座る人物の姿は分かりずらく、御簾がさらに分かりずらくしていた。
しかし、その声色は、帝の声ではないと思った。
「貴様何者だ!」
忠興は、素早く立ち上がり、刀を抜き放った。
それと同時に、忠興の声に反応し後ろに控えていた、側近たちも忠興の元に、抜刀しながら集まってきた。
「まあ、この暗さでは分からんか。まあ、簾もあるし」
御簾と言わず、簾と言った事に、忠興は眉を顰めた。
簾の奥から、手を二回たたくと、紫宸殿の前の庭に数多くのたいまつを持った兵たちが現れた。
それと同時に、紫宸殿の左右の扉が開き、硝子の容器の中で火が灯っているものを持った兵たちが現れた。
現れた兵たちはコの槍を持っている者も数十人おり、逃げ場がないと忠興は思った。
「貴様!この不敬ものめ!帝のお座りになる場所に何故座っている!」
「……帝のとは」
「此処は、紫宸殿であろう、そして、その場は帝のみ座れる場所だ!そのような事も知らぬのか!」
「何時から此処は、紫宸殿になったのかのぉ……ああ、以前は、紫宸殿が建っていたな」
「何を言っている!この地は御所であり、この場所は、紫宸殿が建っている場所だ!」
「ふふふ」
「何がおかしい!」
簾の奥から笑い声が聞こえてくると、忠興は激高した。
「それは、今年の初めまでだな。既に御所は新しき場所に移ったわ」
「何を馬鹿な事を行っている!御所が新しき場所に移ったなど、聞いておらぬわ!」
「お主などに伝えておらん。伝える必要もないし、お主の手の者にも言い含めておいたわ、いや、その前にわしが雇ったものだったがな」
「な!?」
手の者が既に雇われていた埋伏の者と驚きながら、御所が移った事を知らされていなかったことに驚きと怒りで、忠興は顔が紅潮した。
「公家どもは何も言っておらぬぞ!」
「ん?お主に情報を漏らすような愚か者始末したに決まっておろう。まあ、秀永は優しいから一度は許せと言ったから許したが、二度目はなかったな」
「!?」
伝手があった公家たちからは、手紙が何通も来ていた。
但し、御所に関しては一切記述されていなかった。
手紙の内容は京の状況や、豊臣の情報などは書かれていたのに。
「そんなはずはない!公家どもは手紙を送ってきておったぞ」
「内容は全て確認したに決まっておろう。黙って送ったものは……そういえば、お主に手紙を送っていたものが何人が病死していなかったか?」
その言葉に、忠興は目を見開き、唇をかみしめた。
「お主は、有能だ。亡き信長様がその才を認めた者の一人だ。だからこそ、秀永を支えてくれればと思ったがな。野心を持つことは悪い事ではない、しかし、身に余る野心は身を滅ぼすことを理解できぬほど、お主は愚かだったようだ」
怒りで、相手の言葉をまともに聞けていなかったが、ふと、秀永を呼び捨てにしている事、信長を様付けて言っている事に違和感を忠興は覚えた。
「貴様何者だ?秀永の事を呼び捨てにするだと、そのようなものは、今、この国にはいないはずだ……」
「わはははは」
忠興の言葉に、御簾の奥から盛大な笑い声が聞こえた。
今度は、激怒することなく、忠興は簾の奥を凝視した。
当初より、明るくなり簾の奥も何とか人影が見えるようになっていたが、先ほどは怒りで注意してみる事ができなかったが、今は冷静に見ることが出来た。
「分からぬか?ん?」
先ほどの笑い声、この人を試すような言葉、そして、先ほどの秀永を呼び捨てにする言葉、忠興は、思い当たる人物はいた。
いたがしかし、その人物は既に亡くなっているはずであり、どれだけ蔑もうか、武技で勝てようが、器として勝てないと、屈辱の敗北感を味わされた人物。
「まさか……」
「思い出したか?」
「まさか、まさか、まさか、もう死んだはずだ!死んだ者が居るはずがない!いたら亡者ではないか!あの世からよみがえったのか!?」
「わひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
忠興は震える声を押えながら、刀を前面に突き出しながら叫んだ。
その叫びに答えるように、簾の奥から盛大な笑い声と、膝を叩く音が響いた。
「亡者か、おもしろい!ここは、紫宸殿ではなく、閻魔大王がいる屋敷か!」
「笑うな!あの世に送り返してくれるわ!」
「そもそも、此処は御所でもなければ、あの世でもない。欲まみれの愚か者のいる現世じゃのぉ」
「くっ!死ね!」
「いや、亡者なら死んでないか?」
忠興がそう言いながら、簾に斬りかかった。
それに答えるように、簾の奥から声があったが、忠興は無視した。
しかし、忠興が前に出る前に周囲からコの形をした槍を突き出してきた。
それを斬り払いながら忠興は前に進んだ。
しかし、多勢に無勢であり、前に行くことが出来ず、また側近たちも周囲の兵たちの対応に負われ忠興の支援が出来なかった。
そして、周囲の兵から綱の両端に重りを付けたものを投げつけられた。
何度かは跳ね返したが、数個が両足に絡みつき、忠興は前のめりになってこけた。
その際、受け身をとることが出来ず胸から落ちた為、息が詰まり咳をし続けた。
周囲の兵はそれを見て、忠興の腕を蹴り、刀を飛ばして、押さえつけた。側近たちも同じようになり、全て押えられ取り押さえられた。
忠興は押さえつけられ、縛り上げられながら、簾をにらみつけた。
「この過去の亡霊め!」
その言葉と共に、簾が上げられ奥から人が出てきた。
にやにやした表情を浮かべながら。
「秀吉!」
「そうじゃ、わしが秀吉じゃ」
秀吉の顔を見ながら、苦々しく吐き捨てた。
「亡霊が何故いる!」
「そりゃ、わしが死んでないからだ」
「嘘をつくな!」
「ここにおるでな、足もあるぞ」
そう言いながら、秀吉は足を叩いた。
「織田の天下を簒奪した、謀反人め!」
その言葉に、肩を上げながら、両手を肩まで上げて、首を傾げた。
「簒奪も何も、三法師様は元服され、今では立派に大名として活躍しておられるぞ」
「天下は織田の、信長様のものぞ!」
「ふむ、あのまま横死されなければ、そうだったかもしれぬがな」
「貴様が!貴様が!光秀殿をそそのかしたのだろう!」
「さて、どうだったかのぉ。真実を言ったところで、お主は都合の良い事しか頭に入らぬだろう?」
「口から出まかせしか言わぬお前の話など信じれぬは!」
「だろうな、だから言わぬよ、あの世で光秀に聞けば良いわ」
秀吉は苦笑を浮かべて、手を振った。
それに合わせて、兵たちは縛り上げた忠興たちを引きずりだしていった。
「あの世で、信長様に訴えてやるわ!光秀殿と共に貴様を地獄に送るためにな!」
「いや、その前に光秀は信長様に切り刻まれているのは?」
「ああ言えば、こういう減らず口を!」
「早う、牢に放り込め。五月蠅いようだったらさるぐつわをはめておけ、どうせ、打ち首だ」
兵たちは、秀吉に頭を下げ、忠興たちを牢へと運んで行った。
「さて、この建物は立て直したものだからな、どう使うつもりか。まあ、秀永の好きにすればいい。良い余興になったわ」
「大殿」
「紀之介か、ご苦労だったな」
「はっ」
「忠興もお前も同じ反応だったなぁ、わしを見ると!」
そう言いながら、秀吉は大きな声で笑った。
それを見て、吉継は苦笑を浮かべた。
既に亡くなっていると伝えられていた秀吉が、目の前に現れた時は、魑魅魍魎かと驚き、斬りつけようとしたが、一喝されて押しとどまった。
寧々が後ろから秀吉の頭を手のひらで叩いたのを見て、「あ、これは生きていたのか」と吉継は実感した。
その後、経緯を秀吉から聞いたのち、今回の帝の成り代わりが提案され、了承せざるえない運びとなった。
その事を伝え聞いた秀永は、吉継に詫びの書状を送ることなになった。
「さて、わしは有馬に行くことにするか。久しぶりに動いたら疲れたわ」
秀吉の言葉を聞いて、寧々は深いため息をした。
「有馬や城崎で、動き回っているじゃないですか。若い子のお尻や胸を触ったりもしているし」
「いいではないか、別にそれ以上の事はしておらんのだから」
二人のやり取りを聞いて、吉継は秀吉がまだ現役なのか、寧々様も大変だと思って、表情に出さずに心の中でため息をついた。
「では、紀之介、京の事を頼むぞ。お主の事だから、問題ないだろうが、火の動きや野盗共も予想外の事をしてくる恐れがあるからな」
「はっ」
そう吉継に言い残して、秀吉は出て行った。
明けましておめでとうございます。
旧年中はお付き合いのほど、お世話になりました。
今年一年が皆さまにとって、良き年になりますようお祈り申し上げます。




