第19話「芽吹いた命」②
「本日はタルトを半分ほどと、果物を数切れ召し上がった程度でございます」
「……そうか。報告ありがとう」
セシルが帝国へと出立して数日。
侍女からの報告で、リエルの食事量が目に見えて減っていることを知らされた。
共に食卓を囲む時はそこまで極端な減少はないが、一人きりの時にはほとんど口をつけず、侍女が必死に懇願してようやく数口。
読書の合間に必ず摘んでいたはずの菓子皿も、今はほぼ手つかずのまま残っている。
さらに夜。彼女は何度も泣きながら目を覚まして様子もある。
聖夜祭の時にも一度大きく落ち込んだことはあったが、あの時は数時間で立ち直った。
それが今は、数日どころか一週間近くも尾を引いている。
数回顔を合わせただけのセシルのために……。
まさか、リエルにここまで脆い一面があったとは思いもしなかった。
どうしたものか……無理やり食事を摂らせても解決にはならない。
もしこの状態が続くようであれば宮廷医を呼ぶべきか。
ただ、后妃にリエルの精神的な弱さを知られれば、あらぬ憶測を生む可能性もある。
医者を呼ぶという、それだけのことに余計な思慮を巡らせねばならないとは……
王太子とは名ばかり、己の無力さが情けなく思える。
セシルが出立して何日経っただろう。
初めて主治医を任された患者を助けられなかった時ですら、ここまで長く引きずらなかった。
何度となく執刀した手術の緊張も、凄惨な現場の惨状も、すべて平常心で乗り越えてきた。
自分は人より強靭な精神を持っている……そう信じていた。
だが今のこの有様はどうだろう……気のせいなんかじゃなくて、私は決して強くなどなかった。
午前は所作の復習に臨み、午後はワンワンの散歩に出て、そのあとは何をするでもなくぼんやりと過ごす。
以前なら心待ちにしていたはずの『何もせずに済む時間』が、今はただの空虚な時間にしか思えなかった。
もちろん、胸にあるのはセシルへの心配。
けれど、それだけではない。喪失感に似た何か、もっと別のものが心の奥に重く沈んでいる気がしてならない。
なにか……メンタルの病気か……考えられるのは適応障害あたりだろうか。
こんなことなら精神科の勉強もしておけば、もう少し対処法でもわかったのかも。
……あれ?
ふと、思考が途切れた瞬間、胸の奥で小さな違和感が弾けた。
結婚式が四月一日。そして今は、もう五月。
慌てて卓上の暦をめくり、指折り数える。
最終月経は三月中旬……その週を『0週』とすると、今はちょうど……。
「……これ、妊娠六週だ……!」
セシルのことで気落ちしているのだと思い込んでいたけど、違う。
情緒不安定も、ここ数日の食欲不振も、妊娠初期特有の症状に当てはまる……!
待て、落ち着け。
私は専門は外科だったが医師免許を持つ身。初期研修の時に産科も回った。
妊娠初期の流産率は確か二割程度。心拍が確認できる週数まで安心はできない。
少なくとも、今エドに伝えるべき段階ではない。
あと二週間……心音が確認できるであろう八週前後までは……。
妊娠を自覚したその足で、宮殿の図書館に駆け込んでいた。
この世界で、どの程度まで妊娠や出産に関する知識が体系化されているのか……それを知る必要があった。
周産期医療?NICU?そんなもの、この世界に存在するはずもない。
医学書を片っ端から抱えて席に積み上げ、必死にページを繰る。
だが読み進めれば進めるほど、絶望だけが胸に積もっていく。
無痛分娩、当然存在しない。自然分娩一択。
産婆頼み。医者はいるが、基本は出産の現場に関わらない。
出生前診断?夢物語だ。エコーなど望むべくもない。
陣痛促進剤もない。長引く陣痛に延々と苦しむ可能性。
帝王切開も存在しない。逆子なら……母子ともに命を落とすことすらありえる。
週数の概念も曖昧で、妊娠の仕組みすら十分理解されていない。
不妊の原因は大半が女性側に押しつけられ、生理中だろうとお構いなし。
『コウノトリが運んでくる』などという迷信が、未だにまかり通っている。
妊娠はガチャじゃねぇ。
本を閉じ、額を押さえた。
無駄に打たれる『外れ球』のせいで、子どもができるか否かが国家の一大事に扱われる……それも当然かもしれない。
けれど。
「マジか……とんでもない世界で、妊娠してしまった……」
自嘲気味に呟いた声が、誰もいない静かな図書館に吸い込まれていった。
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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ
※本作には、この物語の前段階にあたるお話しがあります。
ご興味のある方はそちらもご覧いただけると嬉しいです。
https://book1.adouzi.eu.org/s6427j/




