5.繰り返しの不幸論
都、という規模の大きい都市は基本的に『華やか』なものである。
息を呑むほどに、どこからどこまでも整ったものである。
地方では――例えばカティがセドリックと暮らしている周辺などでは、基本的に道は土むき出しであるのが普通だし、街を移動するのに庶民すら馬車を利用するなんていうことはない。そもそもそこまで広くはないので、全部徒歩で何とかなるともいうのだが。
その道には我が物顔で雑草の類が広がって、通行するのによほど邪魔だということにならない限りは放置。最低限のメンテナンスはするが、そのラインはどこまでも低い。
夜は月がない限りは薄暗く、家々の明かりも寂しいものだ。
なのでこんな時間に外を歩くのは、家を抜けだして逢瀬に向かう若者か、あるいはたいていの街にある大衆酒場などで飲んだ帰りの酔っぱらいぐらい。
そんな住まい周辺のことを思い出し、カティは目の前を通り過ぎる景色を見る。
カティがいるのは、とある『都』の外れだ。隣にはセドリックがいて、二人は馬車に揺られている。……揺られていると言っても、その揺れは眠りを誘うような優しいものだ。
窓の向こうに流れていく街並みは統一された色調を厳守して創りだされ、石を敷き詰めた道は馬車の中を実に穏やかにしている。セドリックは静かだ、寝たのかも知れない。
ドールの機能を活かし最大限に目を凝らすも、彼女の視界にはゴミらしい姿形をしたゴミも無く、故郷では飽きるほど目にする雑草の類も確認できず、どこまでも美しかった。
カティは、しかしそれそのものには驚きを見せない。
むしろそれらに気づかせた、この夜を浮かばせる光の強さに驚いた。
「さすが『都』ともなれば夜も明るいのですね」
馬車に揺られるカティは、窓の外を興味深そうに眺める。
すでに夜が深まったというのに、外は手元を見たり道を歩くことに関して不自由がないほどに明るく照らされていた。昼間ほどではないが、月明かりよりはずっと頼もしい。
光源は、道のところどころにある凝った装飾が施された鉄柱、その頂点付近に添えられた光を放つランプのようなものだ。鉄柱の頂点はまるで天秤のように左右へと広がっているのだが、その両端に一つづつぶら下げるような形で、ランプは光を放っている。
地下、地中に埋めるようにして這わした管を通して動力を与える、という仕組みのランプだとカティが教わったのは結構昔の話だ。街灯、と呼ばれているのだという。
特にこういう『都』などと呼ばれる、規模の大きい街では必須アイテムでもある。
この街灯そのものを作る技術はまだ発展途上で、コストがかかるのも一因だ。さらに設置するには地中に動力を通す管などを入れる必要もあり、なかなか面倒なのだという。
ゆえに、豊かさと技術の高さの象徴のように語られることも少なくない。
同じような扱いを受けるものといえば、カティのようなドールもその一つだ。ヒトのように立ち振る舞えるが、決してヒトにはなれない――とされている、文字通りのお人形。
ドールを所有するのは上流社会において一種の自慢、ステイタスだった。
物言わぬ、ただ命じられるままに動くだけの人形ではなく、調律師によって仮初ではあるものの個性を与えられたドール、ともなるとなおさらその価値は高まっていく。
――だからといって、セドリックの横っ面を札束で叩くバカがいるとは。
思い出すのは、さっきまで出席していた夜会のこと。
ドレス姿のカティがドールだと気づいたどこかの貴族が、所有者がセドリック――若い少年と見るやいなや、大金を投げるように差し出してカティを連れて行こうとしたのだ。
結局、そこにセドリックと面識のある貴族がいて、相手が魔人セドリックだとわかるなり顔色を変えてすごすごと退散したのだが。少しは楽しんでいた気分もさすがに消えた。
主催者には申し訳ないが、あれが来るなら二度と来たくはないと思う。
自分はさほど気にしていないのだが、セドリックの機嫌が最高潮に悪いのだ。一瞬、懐に忍ばせた愛用の武器、知り合いに作ってもらった二丁拳銃を取り出そうとした時にはさすがに驚いたし、今も静かな様子で隣にいるが抑えきれない怒気を仄かに感じる。
セドリックの怒りはわからないでもなかった。
カティは、彼の理想なのだから。
けれども――あの貴族の態度こそが世界の『普通』だと知っている。
有機物を一切含まない身体と、いくらでも操作して作り替えられる精神と記憶。ヒトの形をしている道具に、人間のような扱いも権利もあるわけがないのだから。
ため息のようなその息に、隣にいる彼が目を向けた。
「……物憂げだね、カティ」
くすり、とセドリックが意味深に呟く。
不機嫌そうだった彼は、整えてあった髪を掻き上げるようにぐしゃりと崩す。華やかな場所に一点の黒を落とす黒衣はそのままに、装飾に特徴を持たせて夜会用のデザインだ。
そういう格好をしていると、美少年ではあるので様になる。
貴族の少年と思われたのもたぶん、そういうところにあるのだろう。セドリックは華やかな装いと、それをして出向く場所が似合う顔形をしている、カティはそう思う。
調子に乗るに決まっているので、絶対に本人には言わないけれど。
「幸せ、というものについて少し考えていました」
「……幸せ?」
はい、とカティは答える。
「ドールとは、所詮『ああいう』扱いをされるものです。それはきっと、誰かが変えようとしない限りは世界のルールでしょう。そして、変えようとも思わず、変わりたいとも思えないわたし達は、仮に誰かが変えてくれたところで『同じ』なのだろうと思いました」
所詮、ドールには自主性や個性といったものがないのだ。仮にあってもそれは『与えられたもの』で、ドールが自分でつかむものではない。カティの人格なども、セドリックがそう形作ったからこそで、何かを得たとしても調律されなければ自分のモノにならない。
模造品、という言葉をよく使われる。
けれどカティは、模造品ですらないのではないかと思う。
人の手を借りなければ、ドールは自分を理解することさえできないのだ。人間が無意識の無意識で当然のように行うことを、意識して意識して、しかし自力では不可能で。
「どこからどこまでも造られるものであるドールは、幸せになれるのかと。その幸せは本当にそうなのか、錯覚誤解まやかし、そういうものではないか。そんなことを、少し」
「それは……『彼女』がそうだったから、かな」
セドリックに、カティは少し迷うように時間を置いて小さく頷いた。
彼女、というのは、以前出会った一人のドール。
カティのように個を認められているわけではない彼女には名前はなく、ただ主の覚えがいいので少しばかりの個性を与えられ、主のためにしずしずと働く少女型ドールである。
――明るくて前向きで、心のやさしい少女。
取ってつけたような薄っぺらい設定の上で踊る、そんな彼女は、それでも躊躇いなく言ってのけたと聞いている。自分は幸せだと。カティにはまだ言えない言葉を、当然と。
主を起こし、主の食事を並べ、主の部屋を整え、主の話し相手をする。それを延々と繰り返すだけの日常について、幸せです、と人間の少女のように笑って彼女は言った。
日々の些細なことが、彼女にとっては『幸福』なのだ。
なぜなら、その名も無きドールは『主』に恋をしているから。
だから、その音色だけを抱えて存在できるなら。
セドリックが名もない人形に施したのは、裏を知ればただただひたすらに残酷なばかりの忘却だ。個を認められず認識されない彼女から、個を認識するための音色を奪った。
ヒトである限り『主』は老いて死んでいく、彼女の『主』は代替わりする。
それもわからないままに彼女はただ、己の『主』を恋い慕う。そして慕った心すら、毎日消去されていく。残されるのは、主を慕っているという薄っぺらい設定だけ。
その設定の上に作られた恋は、花を咲かせながら踏みつけられる。
けれど花は咲いてしまうのだから、だから彼女は笑う。
幸せです、と。
そんな繰り返しの幸福は、これからもずっと続くのだろう。
傍目にも、本人にも、世界や世間という観点でも。
それは紛れもない『幸福』で『幸せ』で『満ち溢れた光輝く日々』だ。
主はよく気の利く素晴らしいドールを手に入れて満足だし、彼女は愛する人にお仕えすることができるだけで幸せだと満面の笑みを持って言う。それは何の違和もない世界だ。
けれどカティは知っているのだ。
セドリックは、きっと本人よりも理解しているのだ。
その舌先に乗せた安い『幸福』の足元で、踏み潰された花々が在ることを。誰も気づかないまま踏み潰されるその花弁は、徒花にすらなることができない無音の花だろう。
しかし彼はこう囁く。
苦笑ではなく、静かな笑い顔で。
寝入る直前のような、穏やかな表情で。
「だけどね、それもまた彼女が望んだ、彼女の在り方なんだよ。そこに他者の意思など入ってはいけない。本人がそう望み、本人がそう思う限り、それに与える名前は一つだ」
彼女の世界は紛れなく、幸福に満ちているのだ。
それがどれほど陰惨で歪んでいても、どれほど不幸であろうとも。彼女がそういう仕掛けであることを理解して、その上で『構わない』と微笑み続けるというのならば。
■ □ ■
在りし日の彼女は笑う。
セドリックの前で、静かに笑う。
自分の状態を知って、先をわかっていてもなお。
「それだけで、生まれてきてよかったのだと、思えました」
思惑も何も関係ない。
存在理由など知ったことではない。
そこにあったのは、聞いているこっちが泣きそうになるくらいの感情。あまりに尖すぎて触れることもできないそれは、己の身を削るようにして自ら歌い続けた、それは。
彼女の、紛れない『初恋』だった。
だからこそ、セドリックはすべてを終わらせた、今、思う。
あの日、あの在りし日に笑っていた彼女は。もう取り戻すことがかなわない、ひとつの恋を胸の中に、必死に抱えていた『少女』はきっと――そう、きっと。
その恋の病で死ぬことを願っていたのだろうと。
今だったら、気づくこともできたかもしれないのに。




