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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
メビウス的初恋条件
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3.ノイズ

 偉大な人形師であるマスター・エンゲルスの死去により、彼の遺品であるドールの町立技術は失われた。彼の弟子は多数いたが、それでも彼の技術を受け継いだ弟子は、ひとりとしていないと言われていたのだ。もっとも、これはエンゲルスに限った話ではない。

 一人の技術を、別の誰かが完璧に会得することは難しい。

 だから彼の死去を残念がる顧客には、自分の手元にあるドールを今までより一層大事にする以外に道はなかった。その少年が世間に名を知られるまでは。

 セドリック・フラーチェ、という彼は、世界でもかなり若いうちに魔人に至った人形師だった。稀代の、と師マスター・エンゲルスに言われるほど、その才能は優れていた。

 そんな彼だけだったのだ。

 師のドールを調律する腕を持った弟子は。

 当時、まだカティを構築しきっていなかったセドリックは、偶然知り合った貴族から話を聞いたのだ。師マスター・エンゲルスの遺品であるドールの調律依頼がある、と。

 特に差し迫った仕事もなかった彼は、二つ返事で受けたらしい。

 そしてこの屋敷にやってきた。

 数百年前、まだ魔人になって日の浅い頃だったそうだ。


『はじめまして、セドリック様』


 にっこり、と笑顔で出迎えたのは一人のメイドドール。

 彼女にはしかし名前がない。 

 安直に『メイ』などと呼ばれていた彼女は、そうであると言われなければすぐにはわからないほど、ヒトに近い素直な音色と個性を有したドールだった。

 明るく、前向きで、優しい普通の少女だと。

 そう言われたら、セドリックすらもしばらくは騙されそうなほどに。

 にこにこと、彼女はよく笑う少女だった。

 そうとしか見えないドールだ。

 彼女は、病気に臥せった主の妹の慰撫と世話を仕事としている。人間ではなぜダメだったのかと問えば、あまりに痛ましいお姿をしているから、と言われた。

 セドリックはその『妹』に、結局一度もあったことがない。

 当時は近くの町に住んでいたこともあり、頻繁に来ていたのだが。

 だから、どんな状態だったのかもわからない。人間では面倒を見れない病気、余命が短いのか見た目に出てしまうのか。それもわからないし、生きた人間には興味もなかった。

 ただ、師が構築した『少女』の中を覗きこみたいという貪欲さが。

 その時の彼のすべてだった。


 どうやって、そんな音色を作ったんだろう。

 それは、理想の彼女を生み出すことの、よい材料になるだろう。


 コードをたぐり、音色を広げ、譜面を舐めるように見た。横へ横へ横へ、膨大な量の音が並んでいる。上へ下へ、小さく長く細かく跳ねるように旋律が、あぁ、鮮やかに。

 目の前に、亡き師が作り上げたものがある。

 それは生きた教本と言っていい。誰もいない作業用の部屋の中で、セドリックはため息のようでいて、そうではない息を小さく吐き出した。口元には、明確な笑みがあった。

 いつになく興奮している、高揚もある。

 そのすべてを、食い尽くしてやろうと思った。

 師から、何もかも学べたとは、少しだって思わない。まだまだ教えて欲しいことはあったはずだし、教われることもあったはずだ。それでも師から離れたのは、それを彼が教えてくれることはないだろうことと、そこは自力で身につけるべきところだったから。


 けれど、目の前に師の残り香があるのなら。

 偉大な人形師の、技術を掠め取れるなら。


 まるで墓荒らしのようだと、そんなことを言われるかもしれない。

 けれど、セドリックの最優先事項は自身を高めることだ。技術を身につけ、それを天を目指すかのように磨き上げ、いつか理想の中に佇んでいる彼女をこの世界に招くこと。

 そのためなら、どんなことでもできた。

 己の見目を利用して貴族令嬢をたぶらかすことも、躊躇いなく。

 それに比べれば、これは優しいものだと思う。別に無理やりこのドールをどうこうするわけではない。これは仕事だ。正当な報酬を得る手段で、やましいことではない。

 広がる譜面を眺め、ノイズを取り去って整える。思ったよりバグというか、不協和音を奏でている音色が多いのが気になったが、自己修復するドールは往々にしてこうなる。

 自力でできるのは最低限のものだから仕方がない、言うならば庭師の手が入っていない庭園のようなものだ。ヒトの手を使わなければ、ただただ荒れ果てていくだけである。


 あらかたバグを取り去って、細かく調律していた時だ。

 セドリックは、それに気づいてしまった。



   ■  □  ■



 最初は小さな違和感だった。

 何となく、そんな気がしなくもない……その程度の。無視しようと思えば簡単に目をそらせるものだったし、人間にはありがちな『ゆらぎ』だったから残すのもテクニックだ。

 ヒトが誰しも持っている、多種多様な矛盾。

 多すぎては意味が無いものだが、少量であればよりヒトらしい要素だ。この程度なら別に失くす程でもないだろう。彼女の仕事には一切関わらないし。

 そう思っていたのだ、セドリックは。

 けれど寝苦しい滞在二日目の、真夜中に。

 少し外を歩いていた彼は暗がりの中、彼女の姿を見つける。後をつけたのは、ちょっとした好奇心と暇つぶし。せっかくだから水でももらおうか、ぐらいの軽いノリだった。

 メイと呼ばれるドールは階段を昇り、廊下を進む。

 最上階を、てく、てく。

 さすがにここでセドリックは、少しだけ怪しいと思い始めた。こんな夜中に仕事を頼むものなのだろうかと。だが夜に作業などを行う人も少なくはない。夜の暗闇が作り出す独特な静寂に包まれた世界は、集中力を生み出してくれる。セドリックにも覚えがあった。

 だからそうだろうと、彼は信じるように思おうとしていた。

 しかしドールはある扉の前で足を止め、そこから動こうとしない。

 じっと、斜め上を見上げるような体勢で立ち尽くす。


『――』


 月明かりに浮かぶその顔を、セドリックは何度も目にしていた。

 あれは『恋をした娘の顔』であり、『恋敵を妬む顔』であり。そこに滲む感情にふさわしい名前を与えるとすれば――それはただひとつ、純粋な『殺意』以外にはなかった。

 思わず呼び止め、ドールを工房へ引きずり込んだことは。

 正しい判断だったと、今も彼は信じている。



   ■  □  ■



 単刀直入に尋ねたい。

 そう言われ、ドールは目を開けた。肩につく程度に揃えた髪を、彼女はわずかに揺らすようにして姿勢を正す。それから、おはようございます、と挨拶をした。

 けれど時刻は夜も遅い頃で、おはよう、と返す声もない。

 セドリックは、睨むようにドールを見ていた。

「キミは、何をした、しようとしていた」

 なんのことでしょうと、ドールは答えた。本気でわかっていないようであり、とぼけているようでもあり。セドリックは少しだけ迷って、さらなる直球を投げる。

 キミの音色は狂っている、狂い始めている。

 誤差がある、ああいや誤差なんてもんじゃないね。

 何があったんだい、と問われたドールは、少しの間考えるように目を閉じる。自分の中で思い至る要素を探しているのか、あるいはそれを見つけてなお、ごまかすつもりか。

 しかし調律師に嘘はつけない。

 未熟ではあっても、セドリックは調律師なのだ、そして彼は魔人でもあるのだ。

 嘘という歪みに気づかないほど、彼が手にした叡智は弱くはない。だから気づかれないわけがないと、ドールでもわかるはずだ。魔人であること、調律師であることも。

 すでに、彼は名乗り終わっているのだから。

 ドールは少し、また少し考えて。

「おわかりになったままだと、わたしは思います」

 恐ろしいことでしょう、恐ろしいことでしょうが。

 ドールはそっと胸に手を当て、どこか震えるような声で続ける。


「いつからでしょうか、わたしは――奥様を羨ましいと思うようになったのです」


 主の横に当然のように居座ることができる人を。

 羨ましい妬ましい排除してしまえば。それを夫婦が眠る部屋の前まで行って『夢想』するのだと、ただぼんやり『空想』するのだと、そうして音色を自己修復していたと。

 そう、答えた。

 セドリックは頭を抱えるように俯いて、息を大きく吐き出す。

 ならば、あの狂いに狂ったノイズ混じりのバグは、つまりそういうことなのか。信じたくはなかったが信じなければいけない、セドリックだからこそ、それを信じなければ。


 恋をしたのだ。

 彼女は、恋、というものを。


 このドールは恐れ多くもドールの『分際』で、身の程知らずの恋をした。主に、自分の主に対して、あまりにも拙く、小さく、大きな恋という花を、咲かせてしまったのだ。

 そんなのまるで、人間のようじゃないか。

 ボクがほしい、人間そのものと言っていい現象じゃないか。

 吐き出せない言葉が、ぐるりと廻る。

 喜ばしいことなのかもしれない。セドリックの願望を叶えるのに、彼女はまさに持って来いのモデルケース。自分が歩く先に立っているのが、このドールなのだから。

 だけど同時に、セドリックは苦しみを飲まなければいけなくなった。


 あぁ、ドールが持ちうる音色は、なんて繊細なことだろう。

 恋という情報一つで、彼らはこんなにも壊れそうになってしまう。


 いや、人間すら、恋情は持て余すものなのだ。

 あんな小さなココロ、コアに、収まるものではなかったのだ。大きすぎるその情報に彼女は壊れそうになっている。狂う一歩手前で必死に踏みとどまるようにしている。

 そうさせている、それこそまた『恋』なのだろう。

 本人に、その意識はないだろうけれど。

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