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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
或る人形師達の狂愛
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4.悪夢が牙を向く

 レン、と名付けられた俺という存在には、元になった『モデル』がいるらしい。

 正しくは、モデルが『いた』というべきかもしれないけれど。

 それは所詮、主の片思いの相手であって、すでにこの世に亡き人だ。主はヒトの枠組みから外れた不老長寿たる『魔女』であるから、当然周囲はあの人をおいて逝く。

 故に、こういうのはよくあることだ、よくあることなのだ。

 魔人や魔女といった、叡智を賜り永い時を得た存在は、それ故に周囲に置き去りにされるのが常である。魔人や魔女は、ドールか同族としか生きられない存在でもあった。

 友人、家族、すべてに置き去られたあの人が、それでも望んだのが『俺』だ。かつて恋煩いをした相手、その人格などをできる限り、知る限り映し込むよう調律したドール。


 俺の主には、家族が当然あった。きょうだいとの仲も良好だったと聞く。それでも彼らではなく片思いした相手を模したのは、結局片思いで終わってしまったからだろうか。

 所詮ヒトの模造品でしか無いドールたる俺に、主のココロはわからない。

 主を慰撫するためだけの、俺はそんな存在だ。

 孤独を舐めるあの人を、存在のすべてを持って慰めるためだけの。

 昔は知らなかった、けれど俺はそのことを知ってしまった。

 主が書き続けた日記を、偶然目にしてしまった時に。

 ドールだからこそ平然と直視できた内容は、結局のところ叶わぬ恋に悶え苦しみ、しかし捨てられなかったという堂々巡りばかり。葛藤と苦しみと、相手への恋情があった。

 まっすぐな感情を叩きつけたそれは、普通なら読み進められない。


 あまりに重く。

 それは狂気のようだった。


 普段は淡々として、氷みたいに冷ややかな目をする主の態度からは、こんな激情を感じられないから。ドールよりもドールのようだねと、そう言われるあの人だから。

 驚いた、という言葉が似合うと俺は思う。

 あの人にこんな感情があったのかと。

 だから日記のいたるところに乱舞する相手の名前、それは今の『俺』の名前だったことに気づいたのは、何度か読み返してからだ。彼の名前は一人の友人が師のもとを巣立った頃から極端なほどに少なくなって、百年以上前の記事を最後に日記は書かれていない。

 そこにはこうあった。


 ――レンが、死んでしまった。


 どうやらこの日、俺の『モデル』は死んでしまったらしい。あるいは、その死を主が知ったらしい。主は自分のことを話さないから、当然俺は何も知らないままだった。

 けれどもそういえば、この頃から俺は更新されなくなった。

 メンテナンスだけを施され、変わらない音色で動くようになった、まさにその始まりがこの頃ではなかったか。あぁ確かそうだった。あぁ、だからそうだったのかと思う。

 俺と同じ名を持つ誰かの死と共に、きっと『俺』は捨てられたのだろう。

 主はずっと『モデル』を愛していて、好きなままで、俺に注がれたのはその残骸だったのだろう。だから彼の死と共に消えたのだ。俺に『それ』は少しも向けられないから。


 ――これは『嫉妬』だ。


 同じ名の、同じ顔の、モデルになった死者への。人間に嫉妬を、死者に嫉妬を重ねたところで意味などないのに。何をどう足掻いても、主は俺に同じ感情はくれないのに。

 愛してなど、くれるわけがないのに。

 ぱきん、と何かが壊れるような、小さくも明確な音がした。

 綺麗だった俺の音色に、初めて濁りが浮かんだ。

 主は不思議そうにそれを直すけれど、直しても直してもそれは消えない。濁りは、俺の記憶から生み出されている。俺という存在を捨てなければ、絶対になくなったりしない。

 音色の濁りはだんだん大きくなっていって、頭がおかしくなりそうだった。

 レン、そう呼ばれるのが苦痛になったのはいつからだった?

 あんなに好んだ主の笑顔、それは結局『俺』のものではないと気づいたから?

 もう俺には何もわからなかった。

 痛い、苦しい、息ができない。

 呼吸はしなくても壊れない、けれど苦しくて壊れそうだ。

 思わず抱き寄せる。

 華奢で小さい身体を腕の中へ。


 身をかがめて首筋に舌を這わせた。そうするとヒトは悦ぶと聞いている。腕の中で跳ねるようにもがくのを、無理やり押さえつける。嬉しいのかな、悦んでくれているのかな。

 やめろ、と主は怒る。照れ隠しはなく、ひたすら怒りだけで。そういう慰撫を求めていたわけじゃないのか、単に身代わりにしたかったわけじゃないのか、俺を、彼の。

 じゃあなぜ、俺は彼を模して作られた。

 同じ顔と名前を与え、ココロすらも似せたのはなぜだ。

 青年になった彼が娶った女のように、彼に愛されたかったからじゃないのか。彼と同じ口調と声で、愛してる、と囁かれて抱かれたかったからじゃないのか。

 もしもそうでないのなら、どうして俺はここにいるのか。

 何のために、あなたは『俺』をここに作り上げたというのだろうか。

 生み出される音色の濁りは、次第に自分勝手な音をばらまき不協和音を作る。

 嫉妬が怒りに変化する。俺という存在が壊れそうな騒音がココロに満ちて、なのにどうしてあの人は、平然とした顔ですべてを受け流すだけで、受け取ることもしないで。


 ――そんなだから言われたんだ。


 昔馴染みだという、赤い目をした黒い『人形師』に。

 いつか、自分の願望に食い尽くされるよ、と。

 そんな気がする、なんて。

 呑気なことを日記に書いている場合じゃないと、きっとこの人は今も昔も気づいていないのだろう。俺が噂に聞いているあの人形師は、理想を至高とする『狂人』だ。

 己の頭の中にしかいない理想の少女を、見事作り上げた『狂信者』。

 だからこそ、彼は忠告した。

 俺という存在に、自分の理想を描きながら――それを手折ることもしない主に。

 ドールのココロは確かにヒトの模造品だ。最初からその目的で作られた俺などは完全にそう言い切っていい。けれども、俺に自我がある限り音色は変化して、主がそういうふうに調律しない限りは同じ形を保つことは決してない。そんなことはありえないと。


 しかし人形師、あなたがした忠告はきっと無意味だった。

 だって主は『狂気』を煩わせても、その手をとっては踊れない。

 どれだけ願望に酔いしれても、主は必ず夢から醒める。

 だから主はあなたの忠告を受け取って、俺から心を離していった。わずかに恋情が滲んだ目を見るのが好きだったのに、それを隠した『主』の目をするようになってしまった。

 捨てられた、気がした。

 本当は俺はそんな気がしていたんだ、あの頃からずっとずっとずっと。

 同時に、思い知った。

 この人は、俺のココロに答えてくれないのだ、と。願望を抱くだけで、その先を少しも見てくれていなかった。この人の中に、俺と生きる未来など、一欠片もなかったのだ。

 だから簡単に捨てられた。

 たやすく夢から逃げ出した、俺をここに残したまま。

 この胸の中、静かに息づくパーツが紡いだ音色を、それを毎日調律しているはずのこの人は聞いておきながら無視した。許せない、そう思ってもいいはずだ。だって俺は。

 幻想に等しい自我しかなくとも、それでも主を愛したのだから。


 今の俺は、かつてのあなたと『同じ』だ、主。あなたの愛を求めて、必死にあがこうとしているのが今の俺だ。彼の心を求めて足掻いたあなたと、俺は『同じ』なんだ。

 あなたが己の願望のままに俺を作り、俺を『彼』に染めたなら。

 こちらも、それと同じだけあなたを染めてみようか。

 それでもしあなたが壊れるなら、その時は一緒に壊れるだけだから。何があっても安心していい、この腕はあなたを決して逃さない。それが『俺』の存在意義なのだから。

 そんなことをいい、俺は主の細い手首をつかむ。そのまま寝室へと足を向けて、少し前に俺自身が整えた寝床へと引きずり込む。力技なら決して負けはしない、簡単なことだ。

 覆いかぶさり、涙を浮かべる主に口付ける。

 されたかったんだろう、してほしかったんだろう。

 あなたは、彼に、奪ってほしかったんだろう。

 幼子のように泣いて嫌がる姿に、言葉を浴びせながら俺は笑う。こんな顔を、きっと彼はしないのだろうと思いつつ。これがあなたの選択の結果だと、主に音色を突きつけた。

 この日、俺はきっと壊れてしまった。

 彼女の幻想、理想、願望の中にいた『俺』はもういない。あなたが作った優しい夢はあなた自身が壊したのだから。これは、そう、俺の夢。あなたにとっては悪夢だろうが。


「ちがう、こんなのレンじゃない、レンはこんなことしない……」


 泣いているその涙を舌先で味わう。

 認めるといい、彼ではなく俺を愛したいということを。そうすれば、そうしてくれたなら俺は、あなたをもっと強く抱きしめて、優しく囁いて夢を見せて、大事にして。

 永遠に等しい時間を、あなただけを愛して生きていこう。

 目が醒めたなら、もう一度。

 その口の中へ、愛を注いで眠らせてあげる。

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