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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
或る人形師達の狂愛
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2.純粋で無垢で不毛な

「不毛なんだってさ」


 背後から聞こえた金髪の少年の声に、ナズナは自分の作業の手を止めた。振り返ると夕日に近づいた明かりの中、彼が纏う黒色がぼんやりと浮かんでいるのが見える。

 ここは二人に与えられた、二人のための作業部屋だ。

 元は倉庫で、今も片付いているとは言いがたい。そこかしこに機材や道具、使い終わった残骸が散らばって、床には積み上がった書籍の山と、投げ捨てられたメモ書き。

 セドリックはナズナに背を向けたまま、淡々とした様子で作業を続けていた。腕の動きから伺えるその手元にブレはなく、どこか楽しげにも見える。

 ナズナにとってこの同期の弟子は、よくわからないもの、の一つだった。

 人間で、人形師志望で、自分と同時期に弟子になった。金色の髪に、赤い瞳に、薄笑いをよく浮かべる感情の読めない、黒をよく好む少年。今は背を向けているから見えないけれど、彼の瞳の赤は本当に血のようで、それを見るとナズナは少しだけ恐ろしいと思う。

 マスター・エンゲルスが日々教えてくるものと並んで、このセドリック・フラーチェという少年は理解の手がいまいち届かない。掴みどころが不明、という感じだろうか。

 だというのに彼とナズナは、比類なき『理解者』同士でもある。


 奇妙なものだと思う。

 わからないのに、理解しているのだ。


 互いに、互いのことを。


 おそらく――少なくともナズナは、この世界で彼以上に自分を理解する相手はいないだろうと思っている。同時に、自分だけは彼のことを一番に理解できると確信する。

 傍目には別物に見える二人の、しかし根っこは同じだった。

 理解できないのは所詮枝葉のみで、理解するのにそれらは不必要だっただけの話。

 そんな彼が口にした『不毛』という単語に、ナズナは目を伏せる。

 不毛、それは大雑把にすると『意味が無いこと』と言い換えられる言葉だ。意味が無いと言われて、そして自分と彼の共通項を照らして、そこから真っ先に思いつくのは。


「理想? それとも願望?」


 この二つだろう。

 ゆっくり振り返ったセドリックは、薄く笑って言う。

 赤い目が、嘲りの不穏な光を宿していた。


「さぁ、両方なんじゃない? お前ら、だったからね第一声」


 その口ぶりから、発言そのものはさほど気にしていないらしい。

 気にする価値もないと思ったのだろう。

 複数形だったことを伝えつつの言葉の裏には、キミもそうでしょ、という彼の意志が見え隠れする。キミだってヒトが叫ぶ戯言になんて興味ないでしょ、と言うようだ。

 まさにその通りなので、ナズナは反応しない。話を聞くために止めていた自分の手を動かしながら、バカなアホがいたものだなと、心の奥底で吐き捨てるだけだ。

 無言の肯定で不足しない、セドリック相手だと。

 それにしても誰が、そんな――それこそ『不毛』なことを言ったのか。

 相手は誰か、他の弟子か。住み込んでいるのはセドリックとナズナだけだが、外から定期的に通ってくる弟子ならまだ数人いる。彼らの敵意は、セドリックとナズナに向いた。

 それは、実に浅ましい嫉妬だ。

 自分の努力と実力の足らなさにつきまとう責任を、ヒトに押し付けるバカな行為。セドリックに偉そうなことを言うその一瞬で、もっと違うことをすればいいのに。

 師が人の前で自分や彼のことを天才と呼称することは知っている。褒められているようで嬉しいから、そうありたいと、セドリックは知らないがナズナは自分に命じている。

 自分はともかくセドリックは確かに生まれながらの天才だろう。けれど、そんな彼はナズナ以上に努力もしている。自分が持って生まれた原石を、今も必死に磨いている。

 それもしない彼らは、なんと愚かなことだろう。

 生まれを嘆き牙を向く程度の低さは、ため息も出ない。


「ほっとけばいいだろう」

「知ってる」


 二人で笑う、嘲笑う。

 不毛だと彼らが笑ったそれこそが、叡智を手にする力だというのに。人形師の技術は数十年単位で培うものだ。特にセドリックとナズナが専攻する、ドールのココロ、ヒトで言う魂であり自我であり精神である部分の調律は、一生涯を賭してなお極められない。

 なぜならそこに限界はないのだ。命じられるまま動く人形でいいなら、それこそ無数に答えが転がっている世の中であるが、少なくとも彼や自分の目的はそれでは賄えない。

 人間ごときの、長くても百年にもならないような時間では役に立たないのだ。

 彼らは何も、なんにもわかっていない。

 そこに至るためには、才能、なんて言葉など気にしていてはいけないのだ。そんなものをねじ伏せるほどの努力を重ねて、高嶺に揺れる叡智にこの手を伸ばさなければ。

 どんな才能も、意味も、価値も無い。

 届かなければそれまでの時間に、何の意味もないのだ。


「ほんと、何しに生まれてきたんだろうねぇ、彼ら。たった百年でできることなど、せいぜい繁殖ぐらいしか無いだろうにさ。他の誰かでもまかなえる程度の生産しかできないくせに、ヒトの足を引っ張ることだけは一人前。もっとやることあるんじゃないかなぁ」


 くすくすと、楽しげにセドリックが笑う。

 そうだな、と声に出さずに同意して、ナズナな片付けを再開した。

 ナズナにとっては友人である彼は、その少女のように細く、白く整った指先で、彼の理想を紡ぎ上げる。この世のどこにもいない誰かを模る譜面を作り、自我を構築する。

 それはまるで人間を作るかのよう。


 ――ボクは、人と見紛う音色がほしいんだ。


 うなされるように叫ぶ声は、彼の中で響く本音という名の旋律だ。彼は本気で、無から有を作り出し、無機質な身体と虚構の精神を有する『ヒト』を創ろうと言っているのだ。

 人はそれを狂気と呼ぶかもしれない。

 恐れ、慄き、蔑み、誹りの対象にするかもしれない。

 夢と現実の境もみえないのかと、そういうのかもしれない、けれど。彼の純粋な思いは着実に形になろうとしている。一人の少女という形を手に入れようとしているのだ。

 その素晴らしさは、誰にも否定できやしない。

 たとえ素晴らしいことでは無くても、否定など許されない。


「同族嫌悪だよセドリック」

「ん?」

「君に振りかかる言葉は、全部同族嫌悪だ」


 彼が理想としているその音色は、赤子と同じ。良きことも悪しきことも、何も知らない純真無垢で、真白。そこにセドリックは理想を刻み込んでいく、彼女を形作るために。

 これと同じことを、ヒトは行う。

 不安定な自我を自分の好みで固めていく、それは子育てと呼ばれた。

 所詮それは、鏡に映る己の醜さを見たくないだけなのだ。

「……あぁ、そうだね」

 セドリックが笑う。

 無邪気で、美しくて――だが鋭い刃物のような冷たい笑み。首を傾げるように振り返りながらそんな顔を向ける彼の、形と色艶のいい、蠱惑的な唇が曲線を作る。


「キミも同じだったね、ナズナ」


 慈しみすら感じる優しい声に、ナズナは小さく頷いた。

 人はきっとセドリックの理想を誹り嘲り、侮辱して。その不毛さを小馬鹿にするように嘆くフリをするだろう。傍らにいるナズナの気苦労を労ることも、するかもしれない。

 けれど、一皮むけばナズナだって同類なのだ。

 対象が人間だというだけで、結局はナズナも闇路を歩く恋の途中。

 セドリックが理想の少女に恋をするように、ナズナも不毛な恋をしている。

 ある意味で、セドリックよりもたちの悪い『恋情』だ。

 わたしは、とナズナは口を開く。


「レン、レンに逢いたい……逢いたい、レン、レンのところ帰りたい。わたしは、早くレンを手に入れたい。わたしの世界にはレンがいればそれでいい、レンだけがいればいい」


 震える唇で、ナズナは恋い慕う人の名を呼ぶ。

 すでに、他人のモノになった『親友』の名前を何度も何度も。

 あんな女のどこが良かったのかと、呟く。強いて言うなら顔がカワイイだけで、こども好きなだけで、料理が得意で、やりくりも得意で、それからそれから――彼に愛された。

 ただそれだけの女だ、学もない平凡な。

 故郷でナズナは『神童』だった、それこそバケモノと呼ばれるほどの。そんな自分に優しかった彼なら、愛してくれるのではないかと思ったのが間違いだったのだろうか。

 彼はナズナではない誰かの手をとった。

 数年前に知り合ったばかりの、その程度の付き合いしかない。

 掃いて捨てるほど、世界にあふれたくだらない女を。

「なんでわたしじゃないんだ」

 どうして、と叫ぶ。


「わたしはずっと彼と一緒だった、レンはわたしのものだったのに」


 ずっとずっと、わたしと一緒だったのに。

 ナズナは小さく叫んで、ひぅ、と息を吸い込んでうずくまる。

 弱くなった、そんなことも思った。こんなことでなくほど弱くなかった。不毛なのはわかっている、意味が無いことだって知っている。それで捨てられるなら、とっくの昔に。

 だけど捨てられないから、願望にすがっている。

 ナズナは、愛しい人を模したドールを作ろうとしていた。

 自分を愛してくれない人の代わりに、自分だけを愛する人を作りたくて。

 ナズナもさぁ、とセドリックが肩を揺らす。


「だいぶ『不毛』で、狂気患ってるよね」


 ヒトのこと言えないボクが言うのも何だけど、と笑う。

 慰めではないそんな言葉すら、今のナズナには優しい包容のように思えた。

 セドリック・フラーチェとナズナ・ヒオ。

 ここに集った二人の天才『稀代の人形師』は、不純で純粋で不毛を極めて、誰からも認められないし祝福一つ得られない愛を抱いて、一歩先が闇に染まった恋をしている。

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