4.イミテーションにもならない
わたくしは正しいことをしたのだ。
なぜなら、このわたくしこそが最高の歌姫。
それ以外は全部フェイク、偽物なのに。存在している意味もないのに。添え物でも付け合せですらないのだ。彼女達は雑草だ。わたくしという、美しい大輪の花に群がるクズなのだ。
クズのくせに不正を使って、花を枯らそうとするから悪い。
だから消してやったのだ。
だから黙らせたのだ。
――それの何がいけないというの?
だってわたくしが、最高の歌姫なのに。フィリア・レムスウェイナーなのに。どうしてそれ以外の雑草如きクズ如きが、このわたくしを蹴落とすことを、黙ってみている必要が?
あの人達、なーんておばかさんなんでしょう!
真実の歌姫に、たかが偽物が敵うわけがないじゃない!
だけど何だか怒っている人が多いのだ。理解し難いことだけれど。
黒い格好の見知らぬ人はニコニコ笑っているけれど、もう一人の黒い髪の知らない誰かは無表情だけれど、それ以外はみんなこのわたくしを怒鳴りつけ、やたら偉そうに糾弾する。
あらあら、おかしいことだ。
わたくしは何も悪いことはしていない。
だってわたくしが歌姫、それ以外がいなくなっても問題もないというのに。そのことがわからないなんて、お祖父様と変わらない年齢のくせに、あの人達はおばかさんなのか。
あらあら、だけどおかしいこと。
――どうしてわたくしは、天井を見上げているのかしら。
■ □ ■
一人の少女の大量殺人に、ホテル――もとい、歌姫財団は揺れた。
当然である。五人いた候補のうちの一人、最年少だった『無垢な純白の歌姫』が、他全員を殺してしまったのだ。しかも、自分こそが歌姫であるという主義主張ゆえに。
当の本人は、にこにこした様子で椅子にちょこんと腰掛けている。
返り血で赤く染まったドレスは脱いで、真新しい白のドレスに着替えていた。その姿だけを見たら、とても陰惨な所業をしたようには見えず、あれもこれも夢であるかのようである。
そして彼女は右手首と左手首を鎖でつないで、自由を奪われた状態だ。
彼女は、自身に施された拘束に、納得していないようだった。
だが同時に、気にしてもいないようでもあった。
――すぐにどうにかなる、という確信があるのでしょうか。
財団の上層部が集められた大広間。
その壁際のポジションに立ち、カティはぼんやりと室内を眺めた。事前に聞いたセドリックの話によると、歌姫の選定も兼ねて財団の上層部は全員集められていたのだという。
そのためにこうして顔を合わせるはずが、とんだことになった。
この一件の被害者は六人。
四人の歌姫候補に、うち二人の従者だ。
歌姫候補には一人ずつ世話係として人がつくが、残り二人は偶然にも主に用事を承って部屋を離れていたらしい。問題は被害者の中に格のある家柄の娘がいたことで、最悪の場合は財団の存続にも関わるということ。罪を犯した張本人も、それ相応の良家の子女であるゆえに。
普通に考えて、もはや天変地異レベルのスキャンダル。
――にっちもさっちも、とはまさにこの状態のことでしょうか。
腕を組むなどして重く押し黙ったまま、無駄に時間だけが流れていた。
時刻はすでに夜中すぎである。
事件発覚から、もう数時間も経過していた。
唯一の好材料は『良くもならないが悪化もしていない』ことぐらいだろう。だが、見方によっては、最悪だけで作られた状況が、際限なくどんどんと積み重なっているだけとも言える。
今はそれが一つしか見えていないだけ。
候補はもう彼女だけ、という『最悪』が空気を急速に重くする。
殺人をおかした、白い姫だけだ。
フィリアとしての教育を受けた中で、その才能を認められたのは、もう。
だがそれを『歌姫フィリア』とするのには抵抗がある。
いくら箝口令をしいたところで、どこからか情報は漏れるものだ。もし新しい歌姫が他の候補を文字通り蹴落としてその座に経ったとなれば、これまでの歴史が汚れてしまう。
財団はおそらく、批判にさらされてすべてが潰されてしまうだろう。
だがそれ以外の候補は、もはや無い。
そんな空気が漂っている、諦めが満ちた部屋の中。
「あぁ、めんどくさいな」
ぼそり、と誰かがつぶやいた。
金色の髪、赤い瞳の少年――魔人セドリック・フラーチェである。
彼は周囲の視線を集めるかのように、大きく腕を広げた。
「賄賂を積むような親なんだからさ、結局は金の問題だろう? 適当に金を包んでおけばいいじゃないか。金を払ったということは、つまり自分の娘は自力ではどうにもならないと思っていたということだ。その程度の娘なんだから、適当な額の金を押し付けて『黙れ』と言ってやればいいさ。歌姫の位を金で買おうとした顛末だ、ってね。得意だろ、そういうの」
「で、ですが特別顧問……っ」
「都合のいい『犯人』が鎮座しているわけだしね、財団は知らぬ存ぜぬ、頭のおかしいガキがやらかしたことだと、適当に言い放って悲しんだふりでもすればいい。あるいは彼女の身内に全部押し付けるのも悪くないよね。実際元凶はそこだろうし。キミ達だって、本当はそうしてしまいたいんだろう? 人間なんて『一瞬』なんだから、素直になるべきだと思うけど」
それは決定事項として、とセドリックは肩を揺らすように笑い。
「あぁ、こうしてみるとやっぱり気に入らないね、キミは」
椅子に座った白い少女の方を、じっと見た。
そこに浮かんだ笑みに、カティは何か重いものを感じる。
「飛行船で見かけた時から、態度とかが恐ろしく気に入らなかったんだよ。どこがと言われると困るんだけど、まぁあれだね、嫌悪がするよ。ひどい吐き気でめまいがしそうなほどの」
射抜くように赤い瞳を向けられ、しかしきょとんとしている白い少女。
そこには無邪気と表現されるだろう笑みが浮かんでいて、状況がどういう色をしているのかなどわかってすらいないのだろう。この状況の意味も、何もかも理解していないのだろう。
かつ、かつ、とセドリックは少女に歩み寄る。カティと並んで壁際にいた彼は、周囲からの視線など気にならない様子で、ただ一人、状況を理解していないであろう彼女の前に立つ。
乱暴にその長い髪を掴み、なぎ払うように腕を横に振った。
「……っ」
たったそれだけの動きで、簡単に床へと転がされた白い身体。
だが両方の腕が戒められているために、彼女は受け身も何もとれない。痛みに表情を歪ませながら、少女はごろんと転がって仰向けになった。悲しげに歪む顔が、見える。
そこに影が落ちた。
少女が驚いた表情で見上げた先には、腕を組んで立つセドリックがいる。
赤い目が、明確な怒気を燃やしながら彼女を見ている。
もっともその炎に気づくのは、きっとカティだけだろう。なぜなら彼は絶えず笑みを浮かべ続けている。穏やかそうに、温和そうに、優しげに、そう見えなくもない笑みを、べたりと。
それは、カティもあまり見ない顔だ。
本気で怒っている、顔。
「キミは自分が素晴らしい歌姫だと思うかい? あぁ、答えなくていいよ、その声は耳障りだからね。キミのその浅ましい脳みそがそう思っていることは、わざわざその声を聞いて確認するまでもなくわかっているよ。自分が最高の歌姫だから、自分こそが最高の歌姫だと言われ続けたから、それ以外はいらないと思ったんだね? だから、それ以外を殺したわけだね?」
うんうん、そうだね、と一人で頷いてから。
その笑みを――ふっと、殺した。
「フィリア・レムスウェイナーはね、純粋な女性だったよ。ボクはね、魔人になってから過去を振り返ることをしないようにしているんだけどね、特に故人はどう願っても会えないものだから。意識してね、できるだけ思い出さないようにしてきたわけなんだけど。だがそれでも忘れてしまったわけじゃないんだよ。ボクは彼女を、あえて思い出さないだけであって忘れたりはしないんだよ。例えばフィリア・レムスウェイナーが、素晴らしい歌姫だったことを」
セドリックの下にいる少女の、その瞳が輝く。
自分のことを言われている、と思ったのかもしれない。
だが違う。
彼が語っているのは本当のフィリア。オリジナル・フィリアのことだ。少女がなろうとしていた、自分以外になれるわけがないと思い込んでいた『偶像』的な存在ではない。
セドリックは、笑みを声に乗せて続ける。
「フィリアは高潔で、真面目で、不正を許さない女性だ。誰かと切磋琢磨しあうことをとても好む人でね、間違っても自分が『最高の歌姫』だなんて驕りもなかった。いつだって自分は足りないのだと言って、だから彼女に依頼されたフィリア・シンガードールの調律だって苦労したものさ。あれが違うここが違うって、もううるさくてね。妥協なんてしない人で、間違ったことを許さない人で――だからこそ、キミのこと、キミがしたことを彼女は許さないだろう」
自分こそ歌姫だと驕り高ぶり、その手で他の候補を殺し。
己がしたことは正しいことだと信じて疑わない、おぞましいほどの歪み。
狂っているね、とセドリックが笑い。
「キミの汚らわしく臭くて臭くて仕方がない吐き気がするような雑音が、あのフィリアだとどこかの誰かに言われるのは――彼女を知り、彼女に関わったボクにとっても耐え難い屈辱だ」
だから永遠に黙っていろ、と。
ゆっくりと足を上げて、その白い喉めがけて靴底を――。
■ □ ■
首の前面を赤くして、呆然としたままの少女が引きずり出されてすぐ。
静かに椅子に座っていた一人の女が、恭しく立ち上がった。
「さて、選定結果を発表いたしましょう」
澄んだ音色でそう言ったのは古の歌姫――その面影と声、歌を繋ぐドール。立ち上がった彼女はとても穏やかな表情で、それでいてとても冷たく、まるで切り裂くような響きを持って。
「歌姫の候補はもう一人おります」
そう、言い出した。
どういうことだ、とざわめく室内に、彼女の声は高らかに響く。
「最初から、わたくし『フィリア・シンガードール』が選んだのは、候補であった彼女らではない彼女たった一人だけでした。ですが彼女は候補ではない、だからこの胸の中に秘すことにしていました。それでもあまりに惜しく思い、時々歌を教えていたのです。こうなったからにはあの子に、歌姫として歌ってもらうしかありません。その子が次の『フィリア』です」
よろしいですね、という声に反論はでない。
血なまぐさい次代の歌姫の選考は、公式にはつつがなく終了したと記される。
四人の犠牲や一人の狂気が、そこに添えられはしない。
歌姫フィリア・レムスウェイナーという存在は常に光の中にあるべきで、誰からも清らかな存在であると認識されるべきで、それに反するものはすべて排除されるべきなのだから。




