2.誘いの言葉
うふふ、うふふ、と少女が笑う。
赤いドレスを翻し、くるり、くるりと踊っている。
そのたびに床に散らばっていく手紙を、数人のメイドが必死にかき集めていた。時にその手を踏みつけながら、彼女は笑いそして踊った。誰一人として咎めることなどないままに。
「お嬢様」
と、執事が呼ぶ。
メルローズはやっと踊るのをやめた。そして動かない。視線が自分の足元に向く。あぁ、何か肉のようなものを踏みつけていた。あぁ、そういえば最後のターンをしていないじゃない。
そして彼女はくるり、と。片足だけで器用に回って。
「話は向こうで聞くわ」
執事の腕にすがりつきながら、その部屋を出て行く。残されたのは左手を抱えてむせび泣く一人のメイドと、彼女に視線をチラチラと向けながらも何もしないそれ以外のメイド。彼女らは手紙を集めることが仕事だ。もしもそれができていないと――同じ目に合わされてしまう。
メルローズという少女への敬愛はなかった。
畏怖と恐怖だけが、主従関係の中に満たされていた。
「お手紙をお書きになられておりましたのですか?」
「そうよ。……といっても、わたくしのサインを入れるだけだったけど」
「それはひと月後の?」
「えぇ。このわたくしにふさわしいパーティの招待状。みんな、わたくしのこの屋敷を見てせいぜい腰を抜かせるだけ抜かしてほしいものだわ。いいえ、そうなるに決まっているもの」
「当然です、お嬢様。なぜならここはあなたの屋敷なのですから」
廊下を進みながら、二人は言葉をかわす。
主のすべてを肯定する執事は、自分に甘えてくる彼女を受け入れていた。周囲に、二人はただならぬ関係だと囁かれても、メルローズは気にしない。だって取るに足らない、そこらに転がっている小石が喚くこと、一々気にしていては一日の時間が足らなくなってしまう。
そんなことに時間を使ってやるなら、その間我が身を磨く方がいい。
いっそ、惰眠を貪っている方がよほど有意義だ。
なのでうるさい小石は排除する、永遠に。
「今回はね、魔人とかいう変なものを招待してやったのよ。お爺様の日記にあったから、とりあえずそいつを呼んでやったわ。せいぜい面白いものを見せてくれたらいいけど」
「お嬢様のお眼鏡になかったのです、きっと良い余興となりましょう」
「そうよね、だってわたくしが決めたことだもの!」
日記によるとその《魔人》は、祖父の知人だったらしい。時折パーティに招いては、人形を操る不思議な力を披露してくれていたという。すごい、すてき。メルローズは日記を見て真っ先にそう思った。だから、わざわざ調べて手紙を出した。祖父の日記の内容が間違っていなければいい余興となるだろうし、何よりその《魔人》は見目のいい美少年だというし。
「わたくしの装飾にふさわしい、そう思わない?」
見目がいいなら、しばらくこの屋敷で飼ってやってもいいだろう。
向こうもきっと他の男のように傅いて、このつま先にキスをするに違いない。
そう、自分に靡かないものなどいるはずがないのだ。
噂に聞く稀代の《魔人》も、寒気がするほど見目のいい執事も。果ては二つ年上だというこの国の王子や他国の数多いる上流階級の男たちも。みんながみんな自分に傅き、ひれ伏す。
彼女はそう、信じ込んでいた。
■ □ ■
手紙を受け取って数日。
二人は荷物をまとめてしっかりと自宅に施錠し、最寄りの駅から列車に揺られて、途中で受け取るべき荷物を受け取って、目的地であるとある《都》に辿り着いた。
水源に恵まれたその《都》はその国の王都ではないが、在住する貴族といいそこを領地としている領主の格といい、それに匹敵する規模を持っている。聞いた話ではここの領主は数代おきに王家から姫君が輿入れしているような家柄らしく、王妃を何人も出しているという。
治安も安定していて、貴族のみならず富豪も多く暮らしているとか。
列車が到着した駅もかなり立派なもので、改めて《都》のすごさを感じさせる。
「さて、向こうの迎えが来るまでちょっとお勉強しようか」
駅の中にあるカフェテリアに入り、セドリックが入り口のメニューを見つつ言う。
ここは列車待ちをする客向けなのだろう、飲み物と軽食が中心で、先にお金を払う仕組みになっている。テイクアウトもできるので、それ用のカウンターの前には数人の客がいた。
適当に飲み物と、それから簡単な軽食を注文する。
どちらも手で掴んで食べる、サンドイッチタイプの料理だ。挟まれている具材や、挟んでいるパンの種類が違うが。料理と飲物を受け取った二人は、窓際の席に向かう。
「……で、お勉強とは?」
「ボクを招待してくださった、貴族令嬢について」
「メルローズ嬢、と書いてありましたが」
「そう。メルローズ……下の名前は忘れたな。あんまり見ない名前だ。ボクが記憶する程度の歴史はない、おそらくは成金からの爵位持ちだろうねぇ。この国には結構多いから」
「そうなのですか?」
「ここは歴史が浅い国だ。ボクより『若い』よ。カティよりは年上かな。だから古い家柄が残ってないんだよね。……なぁに、簡単なシナリオだ。ただの戦争だよ。近隣にあるとある大国の属国なのさ、ここは。属国という名の、ただの自治領みたいなものだけどねぇ」
「自治領……なのですか?」
そうだよ、とセドリックは笑い、料理を口に運ぶ。
指についたソースをなめて。
「この国は、一度名前以外のすべてを叩き壊されている」
少しだけ声を潜めて、言った。
発端は、セドリックも詳しくは知らないという。
ちょうど忙しかったようで、いつの間にか戦争してて非常に迷惑だったそうだ。近隣の国に仮住まいを持っていたため物価が高くなるなど、地味な被害を被ったという。
――そういえば、今暮らしている国は戦争をしない国ですね。
あそこに住み始めてかなりの時間が経ったが、そういう噂一つ流れてこない。周辺には血の気の多い民族の多い国もいくつかあり、時々それらの国同士で小さな争いも起きている。
それに一切巻き込まれない、というのは何らかの理由で回避しているのだろうか。
「まぁ、結構ハデな戦争だったらしいよ? ボクはどうでもよかったけど」
ただただ迷惑だったさ、と笑う。
周囲にそれなりに飛び火した戦争は、関係ない他国市民にも影を落とした。家を捨てて逃げ出した市民は四方八方に散らばり、他国は彼らを見捨てきれずに保護し、国民が飢える。
どこまでも悲劇ばかりを生み出す戦火は数年続き、最終的には国内よりも国外での被害を多く残しながら終焉した。セドリックに言わせれば、最後には戦う存在すらいなかったという。
国民は逃げ出し、王族は囚われることを忌避し自害。
文字通り、この国は空っぽになってしまったのだ。
「戦争の中で名のある名家は叩き潰されるか、あるいは他国に逃げてしまってね。中にはこちらに戻ってきた家もあるようだが、現在、この国の爵位持ちの多くが新興さ。王家ばかりはそうも行かないから、亡命していた幼い王女にかの国の……何番目だったか忘れたけど、愛妾の誰かに産ませた子供をあてがい、傀儡の女王として祭り上げたようだよ。ま、当の本人らは相思相愛だったらしく、傀儡ではあるがそれなりに幸せな一生を送ったらしいけどねぇ」
それは幸せと言っていいのか疑問だが、カティは何も言わなかった。
何を思い、何を口にしても、所詮は縁もゆかりもない、遠い時代の誰かの話。時間を巻き戻すことができないのだからどうにもならないし、わざわざ夢を壊すこともないだろう。
当人らが幸せだったと、そう伝えられているのなら。
それでいいはずだ、それで。
「……で、多くの名家や貴族がこの国を逃げ出して、結局彼らが戻れるだけの状況になったのは五十年ぐらい経っていたらしい。当然、それぞれ逃げた先での生活があるし、領地持ちなんかだと今更帰るなんてこともできやしないさ。領民と国を見捨てたわけだ」
「そうしなければ殺されていた……というのは言い訳、ということでしょうか」
「まぁね。だから貴族という仕事ができるだけの財力を持つものに、この国は爵位を与えるようになったのさ。貧乏貴族の娘の婿にする、なんてこともよくあるから、別に珍しいことじゃないね。ただ爵位が売り買いされるっていうのは、そうそうお目にかからないだろう」
セドリックは喉を潤すためか、一気に飲み物――紅茶を嚥下し。
「ボクらが向かうのは、おそらくはそういう『歴史のない貴族』の屋敷さ。正直、どうせならここの領主の方がよかったんだけどね。領主どのは『本物』だから、相手をするのも随分とらくなものさ。身の程を知らない身分を手にした成金ほど、たちの悪いイキモノはないね」
憂鬱そうにため息をこぼした。
■ □ ■
カティは、屋敷についてすぐにセドリックのため息の意味を知った。
外観は周囲とさほど変わらない。少し庭の装飾が派手かとカティは思ったが、庭に金をかけるのはどこにでもあることなので特に気にはしなかった。ここまでは『よくあること』だ。
基本的に、真っ先に目に入るのが庭である。
そこを整えることは、もはや礼儀といっていいかもしれない。
だから、カティはそこでは別に何も思うことはなかった。問題は門扉をくぐり、他の招待客に混ざって整えられた道を進み、大きな扉の向こう側に足を踏み入れてからであった。
広い。恐ろしく広い。
噴水が設置できる程度に玄関ホールが広い。その噴水も結構な大きさで、そういえば門扉と玄関の中間ほどにも噴水があって、ベンチなどを並べちょっとした休憩スペースのように整えられていたのだが、どちらも同じ形で同じ大きさだ。それが目の前にドンとそびえている。
当然噴水なのだから水も出ている。拭きあげるのではなく、滝のようにサラサラと流すタイプのようだ。着飾ったご婦人や令嬢が、まぁ、と声を上げて水面を見ている。
カティが通りすがりつつ視線を向けると、花びらが浮かべられていた。花弁だけになっているので品種は不明だが、ほのかに香るものからして薔薇だろう。
あの令嬢を見た後となると、むしろバラ以外にはありえないとすら思う。
しょっぱなから面食らったこの屋敷だが、恐ろしいのはそれだけにとどまらない。噴水から目を話した先には、素人でもわかる高価な芸術作品の山。彫刻、絵画、いくらでもあった。
もはや成金どころではない。
どこかの王城か宮廷か何かのようとすら思った。
いや、それらに該当する場所でさえ、これだけのものを揃えているところは少なかろう。
「ボクさぁ……」
セドリックが淡々と言う。
引きつった笑みを必死に『いつもどおり』にして、彼は無事に余興を終えた。このままこの屋敷に泊まことになっているようで、二人はパーティには目もくれずに部屋に向かう。
さっと着替え――もとい、よそ行きの豪華仕様な上着を脱いだセドリックは、ベッドにばたりと突っ伏していた。そのまま先ほどまで、無言の上にピクリともせずにいたのだが。
「実家が嫌いだったんだよねぇ。いや、もう存在しないんだけど、そこそこイイトコってやつでね。頻繁にパーティなんかもあったし来客も多くて。成金とまではいかないんだけど使いもしない高い食器とか、三人しかいないってのに十数人分は座れるあの食卓とか、ああいうのボク的には大嫌いだったから全部ぶっ壊せて超清々しい感じなんだよね。いい思い出は一つぐらいしかないんだけど、そう、カティとの初めての出会いぐらいなんだけどさ、それでも」
さっきまでの無言が嘘のように、セドリックは一気にまくし立てて。
なぜか傍らに腰掛けていたカティを抱き寄せてから。
「……ここよりは、マシだったと今は思うよ」
いつになく疲れた声を、漏らしていた。ここから出たくない、と駄々をこねるセドリックを嗤うように、部屋の扉がノックされる。すがりつく彼を振り払い、カティは立った。
カティ、とセドリックに呼ばれるが無視する。
ロックを外し、扉を開けると。
「失礼しますお客様」
執事がいた。確か赤いドレスを来たこの屋敷のお嬢様の傍にいた、と思う。
目を細めて微笑む銀髪の青年は、一礼すると。
「我が主メルローズ様が、ぜひともセドリック様にお会いしたい、と申しております」
「断る。ボクは興味ないよ」
「ですが……」
「セドリック、ワガママを言わないでください。ほら、起きて」
ベッドに突っ伏したままのセドリックは、カティに腕を引かれても動かない。疲れたから嫌だとくぐもった声がするが、人に会えないほど疲れるものではないのはカティも知っている。
それに、一応は依頼主が呼んでいるのだ。
――行かないわけにはいけないと、彼もわかっているはずです。
カティが根気よく説得すると、セドリックは明らかに不満そうな表情で、それを隠そうともしないまま上着を手にした。よっぽど、あの令嬢に会いたくないのだろうか。
「じゃ、行ってくる。カティはここでおとなしく待っててね」
「ではご案内致します」
こちらへどうぞ、と執事が恭しくセドリックの前を歩く。
廊下に立ち、彼らの黒い姿が見えなくなるまで見送ってから、カティは扉を閉めた。このまま彼の帰りを待つか何かして眠ろうかと思ったが、いざその準備をし始めた頃、再び扉がノックされる。セドリックが帰ってきたなら、そのまま確認なしに開けるだろうから。
――誰かが訪ねてきた、ということでしょうか。
暇つぶしに目を通していた書物を置き、カティはまた扉の前に。
「何か御用でしょうか」
そう声を出しながら開くと、そこには。




